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居酒屋富士山コミュの雑誌・ネット・テレビで見かけた居酒屋富士山

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雑誌やネットやテレビで居酒屋富士山が登場したら貼っていくトピです。
どんな小さな記事も逃さずキャッチ!キャッチ!キャッチ!

コメント(2)

先日静岡テレビで居酒屋富士山が登場との情報を得ておきながら見逃し&録画逃しをした重罪人です。こんにちは!
お詫びに新しくトピ立てました。
皆で居酒屋富士山オタクになりましょう。

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YOMIURI ONLINEから転載。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/kikaku/086/7.htm (写真あり)

3代にわたって山小屋を営む渡井 正弘さん 65  弘子さん 65


 富士山新6合目(標高2493メートル)にある山小屋「宝永山荘」。雲一つない晴れた日には、房総半島から御前崎、大島(東京都)や江の島(神奈川県)まで見渡せる。雨の後、下界は滴できらきら輝き、雲は刻々と姿を変える。「夜なんて星がシャワーのように降ってくるような感じなんですよ。ぜいたくかしら」

 男1人女5人のきょうだいの二女として育った弘子さんが、亡き父に見込まれて宝永山荘の3代目になった。

 1967年、見合い相手で富士市の製紙会社で働いていた正弘さんが婿入りした。「山小屋をやるなんて想像もしていなかったよ。最初は客商売に戸惑いも感じたね」

 そう話す正弘さんだが、未知の世界は生活の場に変わっていった。「人との出会い、一日だって同じ表情を見せない富士山の景色。わくわくする毎日の連続だったよ」

 例年、7月1日の山開きに合わせ6月28日に店を開ける。7、8月の登山シーズンを除けば2人きり。正弘さんは1か月に1回は山を下りるが、弘子さんは4か月間一度も下りない。自宅はふもとの富士宮市にあるが、「もう、どっちが家か分からないくらい」と弘子さんは笑う。

 海は小中学校の学校行事で行ったくらい。休みになると決まって山に手伝いに来ていた。「富士山から眺める海が一番ですね」

 今の山小屋は25年前に新築した。元々の山小屋がいつ建てられたのかは分からないというが、正弘さんが初めて山小屋に来た時はすでに倒壊寸前で、「村山古道が使われていた明治初期には、すでにあったようだ」と話す。

 富士山の懐に抱かれ、その恵みや美しさを知る反面、自然の脅威を実感し、尊敬の念を忘れない。10年ほど前には、雪崩で小屋がつぶれかけた。嵐はじっとやり過ごす。

 「山が好きな人に悪い人はいない。富士山が与えてくれた最高の贈り物は、人との出会いでしょうね」と、2人は口をそろえる。ボロボロに色あせた宿帳は「かけがえのない宝物」だ。直筆の名前一つ一つに思い出が詰まっているという。

 10年来の常連客も多く、弘子さんの誕生日に必ず花を持って来てくれる人もいる。「全国にファンクラブがあるみたいでしょ。ますます、ここを離れられないですよ」

 ご来光目当ての客にも、2人は必ず起きて、「行ってらっしゃい」と声をかける。今年は10月23日か24日に山を下りる。春を待ち望む2人を送り出し、富士山は本格的な冬を迎える。

(豊川禎三)

 わたい・まさひろ、ひろこ 正弘さんは電気関係の工事、弘子さんはファストフード店のアルバイトをして、冬を過ごす。宝永山荘の焼きそばはテレビや登山関連の雑誌に紹介されるほどの人気ぶり。3人の子の親。

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