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瞑想コミュのどうして上座部仏教の教理はダメなのか?

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ひとことで言えば、タダシイ仏教だからです。

じゃ、他のはタダシクナイのか?と、言えば、これもその通りですw

そもそもタダシイと言うのは、リファレンスがあり、それに沿っていると言うことです。

上座部仏教には、地、水、火、風の元素があるわけですが、このリファレンスに沿っているから
タダシイわけです。

瞑想して、これらが判ってくると、同時にこれ意外の元素もある事が判り、それを無と呼ぶのが
上座部仏教です。

つまり無なので、関係ないとやるのが、その流儀。

この流儀は、5世紀に書かれた清浄道論で完成した形になります。

所が、他の仏教だけでなく、他の宗教でも、こういったリファレンスを越えた所の事が描かれていて
たとえば大乗や金剛乗が言う如来なんてのも、そういう世界を越えた所の話なわけです。

要するに無の部分の事が記述されているかどうかが、上座部と他宗教では大きく異なるわけです。

もう扱う領域からして違うわけでして、ここが明らかに劣る所なわけです。

早い話が無を基準とすれば、そこにはタダシイもマチガイもあったものでは無くなるわけです。

ウチはタダシイ宗教よ?と言われたら、小乗並にダメな教えなのか?と思ってまずOKですw

彼岸に立つと言うのは、それらを越えていく事なわけです。

コメント(20)

>この流儀は、5世紀に書かれた清浄道論で完成した形になります。

清浄道論は、まさにテーラワーダ工学実験みたいな本です。

名色論から何段階ものステップアップで、四界を詳しく探っていく工程。

で、やっぱ地、水、火、風よね?って事で話が終わるわけです。

リファレンスがあるからタダシイわけで、結局そんなの考え事じゃん?ってならない所が、まぁアレだなとw

考え事は大事ではあるのだけど、我々は究極の考え事では無いわけですw

ここが、どの宗教から見てもダメに見えるわけですが、やってる人らは、もうこれしかないって話で
カルトと同じで、おっかないですねw
たとえば四諦は真理だ!とか言うでしょう?

何故かと言えば、きちんと縁起に戻せるからです。

では、その縁起は、地、水、火、風に戻せる。

だから真理だ!ってなるわけですが、そんな領域の話は、およそキリスト教でもしてないんですw

八正道も、これと同じ。

タダシクて良かったね?としか言いようが無い話w
小乗で言う悟りとは、四界を見極めて、7輪廻くらいすれば、これから外れて
無になると言うものです。

だから、あと何周で終わりかが、この軌道に乗った人の、格と言うこと。

俺は預流果だ!阿羅漢果だ!なんてのは残り何周かを言ってるわけです。

どの宗教も、今ここにあれ!みたいな事を言うわけですが、7輪廻しなくても
今ここにも無があるわけです。

けど、無は俺らには関係ないので、軌道に乗せて7輪廻待ちましょう!と言う話。

ここ一発もう一声ジャンプが決まらないの?と思うんだけどねw

まぁタダシイ世界なんで仕方ないんでしょうw




結局ほとんどの宗教は、小乗で言う所の無こそが本質で、そこを記述しているわけです。

ちなみに輪廻は小乗で言えば火の元素の作用なわけですが、一定以上これがあると
輪廻する事になっています。

動物を食ってはいけない根拠は、動物は火の元素が一定以上ある為、輪廻するので
これが乗り移るから食ってはいけないが、植物はこれが一定以下なので輪廻しない為
OKよ!と言う話。

では輪廻を越えると言うのは、つまり植物以下になる話と言うことなのだけど、これを
言うと小乗の連中は嫌な顔をしますねw

そんなボケた話、最初からどうでも良いだろうよ?って事で、こっちは言ってるんだけど
火を越えると言うのは、7輪廻しなくても誰でも最初からそうなのだから、小乗を
捨てたほうが話が早いわけです。

あなた如来なんか信じれるの?なんて言われるんだけど、信じるも何も、そんな領域
すら無いボロ宗教だから、信じる信じないが問題になるんだよなぁ?と思っています。

如来は大乗の作り話。そうその通りなのだけど、じゃどの領域の事の記述かも
こいつらには、わからんから離しにならんわけです。

まぁ大乗は無とは言わずに空と言うわけだけど、小乗が捨てた領域の話なわけで
けど、今時は、ヒンドゥでもジャイナでも、こっちの領域の話なんですw

清浄道論でトドメをさした小乗仏教。そしてそれにすら届かない実際の小乗仏教。

最初から違ってるから、どうしようも無いんだけどね?
全部が全部、小乗って清浄道論が関の山なのか?と言えば、もちろん違います。

これを越えて行っている人たちも、まだまだ主流とは呼べないものの実際にいますよ。

けど、大半は清浄道論の負け組なんですw

ビパッサナー瞑想業界を見ると良く判りますよね?

清浄道論にアーナパーナ(安搬念)は、サマタ(止行)と書いてあるので、お坊さん達は
なんとかビパッサナー瞑想する為に、新手の意味不明な瞑想を開発しなきゃいけない。

ゴエンカさんは、坊さんでは無いので、アーナパーナを堂々とビパッサナー瞑想の一部に
取り入れる事が可能だったわけです。

アーナパーナは禅で言えば、随息の事で、数息があるので、まぁ2段目って所。

清浄道論の負け組だからって理由で、意味不明な新手瞑想を習わされも仕方ないです。

けどまぁ、負け組だから教えてるんだとは言わないわけですよねw

それなりではあるけれどアーナパーナもビパッサナーになりますよ。

もちろんそれでも負け組瞑想よりは、遥にビパッサナー的見て宜しいですw
じゃ、どうして清浄道論はアーナパーナをサマタと分類するのか?って所が問題になるわけですよね?
四界の分別がキチンと出来て始めてビパッサナー的になると言うのが建前だから。

まぁ早い話が光が見えようと、過去世が見えようと、こんなのはまだサマタって話。

清浄道論は四界のステップアップなので、こういうことになるんです。

けど、そう書いてあるから坊さんは逆らえない。

つか、これを書いたブッタゴーサ(仏音)は小乗仏教の実質的な裏番長みたいなもんです。

お釈迦さまぁ!とか言っといて、裏では仏音に、しばられている。

けどまぁ、裏番長が怖くて逆らえないから、新手瞑想を創作してビパッサナーと呼ばないと
いけないってのはホントの所の実状なんです。

実際に清浄道論どうりには、やらせても出来ないんだしねw

ほんとの負け組なわけですw
けど、こんな話は日本人は知らないから、部派仏教の生き残りで、伝統的な瞑想を教えます!
とか言えば、コロッと騙されるわけです。

実際はオウムより酷い大虐殺仏教で、瞑想を考え出したのは、牛乳瓶の底みたな眼鏡を
かけた現代人なのにねw

おっかないねw
このトピックとコメントの文章は、普通に考えたら驚天動地なんですけれど、テーラワーダ(上座部)の瞑想法を実践している人たちも含めて、誰からもコメントがないのも驚きです。

バンコクのトンブリーという地区にある仏教寺院で、テーラワーダの伝統としては珍しい密教的な瞑想を教えているところがあって、そこで瞑想したことがありますが、そこのダンマカーヤという瞑想にしても、正直こんなものかと思ったものでした。

ヴィパッサナーというのは、ぼくの理解では心の動きを観察する段階の先に、本来であれば、純粋観照者を見詰めるというか、言い換えれば純粋意識への気付きの段階があるハズなのですが、そのことはティク・ナット・ハンなどのヴィパッサナーの師匠たちも言っていないようで、それを知った時には、これはもう衝撃だったわけです。

インド旅行中に、インドに滞在していたタイ人の非常に真面目な僧侶と話をしていた時にも、ちょっと衝撃を受けたことがあったのですが、とても真面目な修行者に見えるのに、仏教の本質について話をしていて気付いたのですが、何とまあパワー信仰が濃厚にあるんですね。

上座部仏教は日本の大乗仏教より絶対に優れていると思っていたので、これは衝撃的だったわけです。

残念ながら、温泉さんの語っていることには、かなりの説得力があるように思えます。

上座部仏教について詳しい知識がないので、温泉さんの語る内容の当否について断言はできないのですが、どちらにしても、ここに書かれていることが非常に重要な問題提起であることは確かです。

>このトピックとコメントの文章は、普通に考えたら驚天動地なんですけれど、テーラワーダ(上座部)の瞑想法を実践している人たちも含めて、誰からもコメントがないのも驚きです。

小乗じゃない人から見れば、知ってても関わりたくも無いだろうし、小乗の連中は、ここで喋った事の大半は知ってるってのが、ほとんどじゃないでしょうか?

要するにオウムと同じで、他からは相手されないし、やってる連中も、おかしな話と知りつつやってるわけです。

>バンコクのトンブリーという地区にある仏教寺院で、テーラワーダの伝統としては珍しい密教的な瞑想を教えているところがあって、そこで瞑想したことがありますが、そこのダンマカーヤという瞑想にしても、正直こんなものかと思ったものでした。

清浄道論にない瞑想は、そのまま負け組と思って問題ないです。優れた瞑想をする人らは、小乗であれば清浄道論に従っていますね。
>ヴィパッサナーというのは、ぼくの理解では心の動きを観察する段階の先に、本来であれば、純粋観照者を見詰めるというか、言い換えれば純粋意識への気付きの段階があるハズなのですが、そのことはティク・ナット・ハンなどのヴィパッサナーの師匠たちも言っていないようで、それを知った時には、これはもう衝撃だったわけです。

ビパッサナーは心を観る瞑想です。と言うのを少し詳しく言えば、心「だけ」を観るなんです。

大乗のは違うだろ?って思うかも知れませんが、実は大乗の観のほうが、より心「だけ」なんですw
大乗の観として最も優れた瞑想は、天台の十観だと思いますが、それこそ心「だけ」ですw

また純粋意識への気付きは小乗でもあるんです。けど関係ないってので、気づいたら終わりで、関係ないものがあるんだね?ってので終了w

そういうわけで、ティックナットハンでも観と言うくくりだと、ダメなわけです。

>旅行中に、インドに滞在していたタイ人の非常に真面目な僧侶と話をしていた時にも、ちょっと衝撃を受けたことがあったのですが、とても真面目な修行者に見えるのに、仏教の本質について話をしていて気付いたのですが、何とまあパワー信仰が濃厚にあるんですね。

はい、パワー信仰どころか、呪術信仰までありますよw
信仰自体が、ブッダの教えに 反してると思う。ので、ある意味、宗派のカテゴリーとか、どうでもええねん!
しかし、何故ビパッサナーは心「だけ」しか扱わないんだろ?と言われて不思議な気がしました。

ここで心を意識の事だとすると、これは小乗でもギリギリ越えて行くわけです。
と言うか、ここで引き返すわけですね。

けど大乗が心と言う場合は、有名な奴でも阿頼耶識なんかがあり、ここまでを心と看做すとすると
色(すべての存在)は空と言う所まで来ます。

たぶん、ここらあたりが一般的な大乗の限界だと思います。

こういう事なので唯識を越えた領域は大乗もビパッサナーでは無い事になるんだと思います。

ようするに識を越えない範囲がビパッサナーと言う事なんだと思います。

だから金剛乗に行くと言う風にも考えられますね。
実際の所、清浄道論の瞑想を習得した人らが、そのまま清浄道論を教えると言うのは半分にも行かないんです。

他のと混ぜて教えるってのが普通だし、人によってはそのまま捨てる人もいます。

小乗仏教に至っては、もっと捨てちゃう率が高いようです。

所詮タダシイって領域の話なので、まぁそうなるんだろうなと思います。

瞑想するって初めから、タダシイって領域を越えていく事ですからね。

補助車が付いた自転車のほうが、最初は乗りやすいかもしれないけど
普通に乗れるようになったら、不要になるのと同じ。

まぁ実際は、これにも届かない負け組瞑想なのが小乗の現実なのですけどねw
温泉さん

またまた貴重な書き込みをありがとうございました。

温泉さんの書いていることを理解できる人たちが少ないようで残念ですが、個人的にはいろいろ勉強になります。

あれこれ議論するより、まずは瞑想しましょう、といった入門者レベルでは、話の中身が理解しがたいのは無理もないのでしょうけれど、正しい教えが正しく伝わることは極めて重要ですから、これからも積極的な書き込みを期待しています。

純粋意識への覚醒については、なるほど納得できます。

ただサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の段階分けなど、最初はそんなものかと思いましたが、どうやらサマタ瞑想がそれ相当にできると自称している、サマーディに達したという人たちでも、概して真に純粋意識に覚醒する段階には至っているのかどうか疑問です。

金剛乗に関心を持つのは、やはり当然の成り行きなのでしょうね。

インド滞在中にニンマ派やカギュー派の瞑想を習うチャンスには恵まれたので、あのとき折角のチャンスをモノにできたらと、過去を振り返って残念に思うこともありますね。

ダンマカーヤは、悟ったマスターとして一部で崇拝されているタイの僧侶が、独自に考案した瞑想テクニックですが、一般向けなのか高度なテクニックという程ではありません。

しかも、ほぼそれが唯一のテクニックだったと思います。

チベット密教の瞑想テクニックは複雑ですが、「チベット曼荼羅瞑想法」で紹介されているテクニックなど、実にオーソドックスというか、理に叶った方法だと感じます。

ただ複雑すぎて、これを暗記して実践するのは、一体どうなんだろう、という疑問がありますね。

しかし、脳の中枢部に霊的なエネルギーのセンターがあり、そこを活性化して覚醒に導くのは、多くの瞑想家が考えている以上に重要だと思うのです。

その辺になると、ほぼ秘教的な教えに係わってきますけれど。

>ただサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の段階分けなど、最初はそんなものかと思いましたが、どうやらサマタ瞑想がそれ相当にできると自称している、サマーディに達したという人たちでも、概して真に純粋意識に覚醒する段階には至っているのかどうか疑問です。

言い方は色々あるとは思うのですが、目指せば反れるんですw

不着と言うのだけど、どこかに辿り付こうと言う努力は無駄と言うこと。
ビパッサナーでもサマタでも、目指してやってもダメと言うか、あくまで猫が爪を引っ込めないとダメです。

越えていくと言う表現も、追いつけ追い越せみたいな風に取ると、やっぱり不着にはならないです。

>チベット密教の瞑想テクニックは複雑ですが、「チベット曼荼羅瞑想法」で紹介されているテクニックなど、実にオーソドックスというか、理に叶った方法だと感じます。
>ただ複雑すぎて、これを暗記して実践するのは、一体どうなんだろう、という疑問がありますね。

順番を覚えるだけで、一苦労しそうな瞑想は、かなりレベルの高いもので、潜在意識と健在意識をつなぐものです。

瞑想って普通のは、海に潜っていると言う感じで、終われば、どうせ息継ぎで浮上しないといけないわけで、このギャップを埋めるものですが、私は、反対こそしないけれど、有益かどうかは半信半疑です。

気功の師範にも格があって、結局このギャップが小さい人ほど格が高いわけですが、これ本当に練習で埋まるのか?と言うことがひとつ。

私が気功を止めたのも、結局は、このギャップを埋める方法は無いんだろうなと言う結論に達したので止めたわけです。

もうひとつは、真理は結局は持ち帰れないので、ギャップが埋まっても、結局は同じ事では?と言うのがあります。

どんな事をしても、一合マスには一合しか入らないし、そんな都合良く一合サイズの真理なんて無いからです。

>しかし、脳の中枢部に霊的なエネルギーのセンターがあり、そこを活性化して覚醒に導くのは、多くの瞑想家が考えている以上に重要だと思うのです。

瞑想で見えると言うと目をキョロキョロする人がいますw

別に目で見えているわけじゃないのだけど、集中しろ!と言うと目が向くのは習性みたいなもんで仕方ないと言えばそうですが、鼻と口の後ろ側の、やや下で見てるんです。

まず目で見ると言う所を直さないと、何にも見えてこないんですよねw

>その辺になると、ほぼ秘教的な教えに係わってきますけれど。

はい 結局は、エソテリックな所に追いやられるんですよね。
[12] archetさん

>信仰自体が、ブッダの教えに 反してると思う。

探求と信仰が異なるという文脈からは、もちろん当然の発想ですね。

>宗派のカテゴリーとか、どうでもええねん!

それはまったく同感ですが、信仰が大切という意味合いから宗派について論じているのでは全くないので、ここでの書き込みに対してのコメントとしては、ちょっと意味不明です。

この間の議論の中身との関連で、結局archetさんは何を主張したいのでしょうか?
[16] 温泉さん

気功についてはよく分からないですが、他の文章は非常に納得できますね。

なるほど、これはまた興味深いです。
>気功についてはよく分からないですが、

だいたい気功の師範の目安は、周天が自在に回せるかどうかって所だと思います。

まぁ真面目にやってれば、早い遅いはあっても、ここまでは来るのですが、問題はここから先なんです。

周天を回そうと思えば回せると言う人と、いつでも回ってる人がいるんです。

じゃ、どうやったら、いつでも回るのか?と言えば、これには道が無いんです。

早い話が、私は気功してる時は気功になるけれど、してない時はならないわけで、出来てはいても
生き方にはなっていないんだと思います。

で、ここで、やっぱ合わないんかな?と言う事で、止めたわけですw
[19] 温泉さん

>周天を回そうと思えば回せると言う人と、いつでも回ってる人がいるんです。

>じゃ、どうやったら、いつでも回るのか?と言えば、これには道が無いんです。

なるほど、それでしたらヒーリングの経験からも分かる気はします。

ヒーリングの場合には、まったくヒーリングしているつもりはないのに、プラシーボのレベルを遥かに超えて、いつのまにかエネルギーが伝達されてしまう現象があります。

日常的に、それを意図せずに自然に行っているとしか思えない人たちもいます。

ちょっと違うかもしれませんが、何か共通点がある現象のように思えますね。

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