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瞑想コミュの■ 『神 真理を告げ給う』

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神さまが私たちに伝えたいことを、少しずつ、お伝えしています。
 
(※の部分は、わたし(みんなが神の子:神の子クリシュナ☆)の解説です)

神さま(非人格神の創造主さん)からの直接のメッセージは、わたしたちの「内なる神」の『智慧』そのものでもありますから、

私たちの魂の側の『智慧』が直接、呼び覚まさせられるという大きなメリットがありますよね。


たとえば、次のものは、『神 真理を告げ給う』(7)の内容です。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3788768&id=75494861
  ↓ 
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『わたし(※神さま)』は「あなた」である。

『わたし』はあなたの存在の中核にあり、「あなた」のエッセンスである。

それのみが本当に存在する「あなた」自身である。

それが「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の『仏性』である。

『仏性』があなた自身の真実(ほんもの)の『実相』である。


『仏性』、即ち『わたし』の生命の本質だけでは、無色透明のガス体のように何ものも表現することができない。

表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。

その表現を可能ならしめるために、『わたし』はアイディアで色付けするのである。

その色付けが「個性」として現れるのである。

それ故に、「あなた」が「個人」として存在する限り、「個性」はなくてはならぬ属性である。


「時間」および「空間」というものは本来ない。

『実相世界』は超時空的存在の世界だからである。

時間の観念、空間の観念は、物質的存在を心に描くための、言わば「カンバス(画布)」として必要なので『わたし』が人間に与えたところの架空的観念である。

それは、光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために、
人間の心に対して『わたし』が与えたところの概念である。

このスクリーン上の生命の波動(心の波)が放射されると、
生命の波動(心の波)を単に波動と感受せずに、

それを地上世界の物質的事象として感じ、

その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。

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※人間の肉体に備わっている5種の感覚器官(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)は、

� 嵜瓦稜汎亜廚鯤�質や現象として感受(翻訳)して認識するとともに、

�⊆造蓮∈欧瞭眤Δ離好�リーンに投影された「心の波動の映像」を、
 あたかも自分の外側に存在しているかのように感受させる、極めて特殊な感覚器官なのです。

この�△瞭�きは、「感覚器官」で感受した情報を、脳部にあって認識・選別・判断している「理知」という内的心理器官の働きによるものなのでしょうね。

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地上が具体的存在だと感ずる精神的地盤がなければ、地上に天国を建設するという『わたし』の芸術を実現することはできないので、

『わたし』は人間に時間・空間の観念を与えたのである。

生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは、「地上天国建設」の第一歩の成就なのである。



しかしながら、また別の観点から見れば、

生命的波動を空間面上の「物質」と翻訳して誤認することは、
「迷い」の発生と言うことにもなるのである。

『光』がなければ「影」を投ずることもないように、

「迷い」は地上に天国を描き出すためのカンバスとして『わたし』が投げかけた「影」である。


『わたし』は、『わたし』の生命の霊的波動、なわち「コトパ」によって、

先ず「光あれ」と想念して『光』(※3種の原初光粒子)を生み出し、

次々と万物を生み出して、

最後に『わたし』の最高完全のイメージの顕現としての人間を創造した。

それら一切の事物と人間とは、『わたし』から出たアイディアの霊的波動の顕現であるから、「霊的実在」なのである。


それを『わたし』は人間の霊的自覚を眠らせて、

人間が時間・空間のスクリーン上に顕れている物質的存在なる「肉体」であるという「夢」を見せたのである。

このことを『創世記』では、「土の塵をもって人を創造(つく)り」というふうに、
「物質人間」の重複創造として記述しているのである。


それが「重複創造」であるというのは、

『わたし』の生命波動、すなわち「コトバ」によって創造された霊的存在である『実相人間』と、

その実相の自覚が眠りに入って自己を「土の塵」すなわち「物質」にて創られたるものと夢見ている「物質人間」とが、

同時にそこに出現しているからである。


「物質人間」は、『本当の人間』ではなく、

時間・空間の立体カンバス上に描かれた「作品人間」なのである。

それはテレビ画面上に現れた人物のごとく動くのであるけれども、

それは人間の心が創作した人物であって、

『わたし』が創造した『神の肖像(イメージ)』そのままの人物ではないのである。


しかし、その人物の中には『わたし』の地上天国建設の念願が鋳込まれている。
 
それ故に、彼は善悪の区別を考える『理知』を備えていて、

ともかくも、自分が『善』と考える方向に行動しようとする欲望を備えているのである。

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※私たちが自分だと思っている「肉体人間」と「顕在意識」と「感覚器官」とは、

たとえば、テレビゲームや携帯型ゲームの主人公のようなもので、
 
その「ゲームの主人公」の5感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が環境や現象をあまりにリアルに感じ取るので、
 
その主人公に感情を入れ込みすぎて、ゲームの主人公が自分自身だと錯覚している「ゲーマー」の状態に似ていますね。
 
本当の自分は、そのゲームの主人公を操りながらゲームをしている「ゲーマー」のほうだと気がつくことが、
1つの「悟り」であり、
実際に、ゲーム内の主人公からゲーマーの状態に戻ることが「解脱」とも言えるかもしれませんね。

そうなら、皆が解脱してから肉体の身体を使えば、「地上天国」は建設できますよね。
 
そのためには、先を歩いている者たちが協力して、みんなに効率的に「悟り・解脱」できる方法を伝授して、

どんどん「悟り・解脱者」を増やしていくのがいいのでしようね。

◆例えば、『ヒマラヤ聖者の生活探究』のイエスさんとヒマラヤ聖者さんたちの、
 いわゆる1年間の短期集中セミナーなどは、この試みなのでしょうね。
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/hs33_001/e/e6e69a80fc633936e7814ffcdfdde283


※神さまが『理知』という言葉を使っていらっしゃいますよね。

『ヨガの宇宙観』
http://ameblo.jp/uchugakko/entry-10832009513.html

すなわち、その基になっている『魂の科学』で使われている、
ヨガの聖者さん方が使っていらっしゃる「用語」は、
 
神さまが、聖者さん方にインスピレーションで示された用語なのですから、
 
日常生活では馴染みがないために「難解な用語」だと敬遠しないで、

「真理」を正確に探究するためには慣れておくことが大切だと思われますね。

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物質の世界に物質人間としてあらわされた人間が地上天国を描き出すのは、

初めて絵筆を持ってカンバスに向かった初歩の画家のように、充分完全なる絵を描くことはできないで、いろいろ試行錯誤を繰り返すのである。

そして、なかなか天国的な状態を顕すことができなくて、「ああでもない」「こうでもない」と試行錯誤を繰り返す。

そこに善悪を区別する知的修行があるのである。

このことを『創世記』第3章には、アダムとイヴとが「善悪を知る樹の実」を食したというふうに書いているのである。


物質分子の集合体としての肉体的顕現をもった人間は、

物質は「分割さるべきもの」という本質を持っているので、

結局、自他分離の想念感情を持ちやすいのである。

従って、自分に都合のよいことを「善」と考え、
自分にとって都合の悪いことを「悪」と考える傾向を持っているのである。


しかしながら、自己中心的な善悪の判断は、
あたかもアメリカが「善」と思って行う「北爆」の強化を、
北ベトナム側では「悪」として批難するように、

すべての人間が調和する判断に到達することはできないのである。

その結果は、『創世記』が語る「エデンの楽園追放物語」が現実化したような不幸な世界が出現することになるのである。


『わたし』が心に思い浮かべたものは、すべて善なるものであり、美しきものであり、調和せるものであり、

相剋、争闘するようなものは一つもないのである。

けれども人間は、人間自身が心に思い浮かべた観念を、
雲が青空を覆うが如くに、『実相』の上に投げかけたのである。

そして実相の完全さを隠覆した。

人間よ、あなたが五官の感覚で見て「真実に在る」と思っているものは、それは『実相』ではないのである。

それは人間自身の想念の具象化である。

そのことを、『創世記』の記録者は、

「アダムの名付けたるものは皆そのものの名となれり」というふうに書いているのである。


あなた方人間は、『コトバ』を慎まなければならない。

あなた方が「名付ける」、すなわち「言葉で言い表したこと」が、その現実となるのである。

あなた方は、「自分は『神の子』である」と名付けなければならない。

「自分は獣類の子孫である」などと言い表してもならないし、

「自分は病気である」などと言い表してもならいない。

「自分は病気である」と言い表している自分に、「病人」という名付けをしたのである。

そして実相たる『神の子』の生命の実相を隠蔽することになるのである。



 (『神 真理を告げ給う』 日本教文社版より)


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※神さまは、

� 屬△覆進�は、「自分は『神の子』である」と名付けなければならない。」と仰っていますね。

�△錣燭靴燭舛蓮◆峺斥奸廚鮨欺鼎忙箸錣覆韻譴个覆蕕覆ぁ⊆�分たちが名付けたものが現実となる(現象化する)からです、と仰っていますね。

��神さまは、自己中心的な善悪の判断(自分に都合のよいことを「善」と考え、自分にとって都合の悪いことを「悪」と考えること)をしてはならない、

ともおっしゃっていますね。



�,亡悗靴匿世気泙蓮�

「自分たちは動物から進化した」とか、「自分(あなた)は病人だ」とか、自分は(あなたは)「罪人(つみびと)」だなどと名付けてはいけないし、

�△錣燭靴燭舛�言葉で発したことが「現象化」するから、

 「言葉」を発する時は常に一言一言を、その意味と効果と影響とを慎重に吟味して発する必要がある旨を、おっしゃっていますよね。


人間を正しく導くためには、その欠点や悪いところを見つけ出してそれを指摘し、
自己反省せしめなければならないのだ、というような「間違った考え」から、
イエス・キリストの弟子でも、釈迦の弟子でも、
人間を「罪の子」だとか「罪悪深重にして救い難き者」として説きはじめたのが間違いであったのである。

「一切衆生も、一切の万物も、みな罪なき仏性をもってその本体とす」

という真理の言葉で説いて聞かせるところに、

『実相』の完全な相(すがた)が顕れ、道が開かれて救われることになるのである、と。



��に関しては、神さまは、

◆人間同士が相愛して、互いに傷つけることをしないことは勿論であるが、

◆人間は天地の万物に対しても『愛』をもたなければならない、

と仰っています。

人間でも、年老いて醜くなり弱ってしまってきたら「使い滓(かす)」として棄ててしまうというようなことは、

人間の心に『愛』が目覚めている限りはできないことであり、また、してはならないことなのである。

人間に対してだけでなく、自然界の一切の事物も、ことごとく「神の生命」の自己顕現であるから、

人間と兄弟姉妹の関係にあるのであるから、

美味しいところだけを利用して、あとは醜(きたな)い姿にして棄ててしまうようなことはしてはならないのである。


万物はすべて、愛念を持ってその『実相』を観るならば、そこには「廃物」というものはひとつもないのである。

愛念をもって廃物に接すれば、その廃物の内に潜む宝庫を見出し、その宝庫の扉を開くにはどうすればよいかの智慧もおのずから湧き出てくるのである、と。


神の子のみなさん、いつもありがとうございます。
  みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆


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あるいは、『神 真理を告げ給う』(3)
  ↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3788768&id=75418980
 
も、「覚醒」が大きく促される内容ですね。

いつもありがとうございます。
  みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆
 

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