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ベンチャーキャピタリスト isコミュの「チャレンジしないことが、最大の失敗である」

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今回の主役は、タザンインターナショナル代表平強さん

一九七○年代から半導体メーカーのエンジニアとして米国シリコンバレーで活躍、その後、三洋電機米国支社のサンヨーセミコンダクター社長として経営に携わる。その後、投資家としてシリコンバレービジネスの最前線に参入、ジャングリーの成功もあって、日本人としては稀有の大成功を収めた。十年間の投資活動を通して中国系、インド系コミュニティの中で絶対的な信頼を獲得した平は、技術とマネジメントの両方からベンチャー企業を投資育成できる数少ないベンチャーキャピタリストである。(文中敬称略)


 グーグル、ヤフー、エキサイトといえば、シリコンバレーの中心に位置するスタンフォード大学の学生が起したベンチャー企業として有名である。もうひとつ共通点がある。それは、インターネットの検索に関わる技術を扱っている点である。それでは、ジャングリーという会社を聞いたことがあるだろうか。知っている人はかなりのインターネット通に違いない。しかし、皆さんが会社名を知らなくても、実はこの会社が開発した検索技術を、世界中の多くの人が当たり前のように利用しているのである。有望な技術者を発掘し投資育成を行うタザンインターナショナル代表の平強は、この隠れた優良ベンチャーに投資を行い、二年間という短期間の内に大成功を収めた。

アマゾン・ドットコムに二百億円で売却

 ジャングリーは、スタンフォード大学に通う四人のインド系学生たちが中心となり、ネット上に膨大にある情報をデータベース化し、複数の条件を指定して検索できるソフトウェアを開発していた。今では当たり前に使われているアンド検索という方法である。商業インターネットが始まったばかりの九六年、平はこの学生ベンチャーにエンジェル投資家から資金を調達し、七十五万ドル(日本円にして約七千五百万円)を投資した。この中には平自身の五百万円も含まれている。
 サラリーマンを退職したばかりの平には随分思い切った決断だと思われる方もいるだろう。平はサンヨーセミコンダクターの社長時代に自社と相乗効果が見込まれるベンチャー企業への投資を数社経験しているが、投資家として自らリスクテイクしたのだ。この資金を元手にジャングリーの経営陣はプロトタイプを作り、本格的に事業をスタートした。すぐにジャングリーの持つ優位性が注目され、ワシントン・ポスト社が運営する求人サイトの検索エンジンとして採用された。
さらに三億円の出資を受けることに成功する。その頃にはインターネット市場はどんどん大きくなり比較検証するショッピングサイトが誕生し始めてきた。ジャングリーの市場価値がますます上がっていった訳である。
 そして設立からわずか二年の九八年、この検索技術に注目したネット通販大手のアマゾン・ドットコムに約二百億円超でこの事業を売却することとなる。平らが投資をした七千五百万円が約三百倍の二百億円超になった。さらに売却後もアマゾン株が三倍になり、合計すると約千倍になった。平らが個人で投資をした五百万円が五十億円になった計算になる。この成功で平はその後の投資資金を手にした。

IPO以外の出口戦略

 ジャングリーの経営陣は事業売却後にアマゾン本体に受け入れられ、さらに検索技術を開発するミッションが与えられた。経営陣はシリコンバレーからアマゾンの本社があるシアトルに移ることになった。シリコンバレーではIPO(新規株式公開)だけがエグジット(出口戦略)ではない。創業者利益を享受する方法は大企業に事業を売却するという選択肢も日常茶飯事である。
 IPOまでに資金ショートせずに辿り着けるか、いつまで競合に対して技術的優位性を保つことが可能かなど、倒産リスクは数多く存在する。ジャングリーの検索技術はアマゾンに統合され人々に利用され続けることになった。エンジニア冥利に尽きることだろう。
 これまでにアマゾン・ドットコムで書籍を購入した経験はあるだろうか。アマゾンで書籍を検索すると、価格や出版元、レビューといった基本情報だけでなく、「この本を購入した人たちは他にこんな本も購入しています」といった情報も提示される。レコメンデーション(推薦)機能といわれるものだ。検索技術は現在も熾烈な開発競争が行われており、われわれはユーザーとして有益な情報を得ることができると同時にアマゾン側は書籍が売れることで収益増になるという訳だ。

海を渡ったエンジニア

 東京の大学の工学部を卒業し、日本のメーカーに就職した平はエンジニアとして社会人をスタートした。学生時代から趣味で登山をする平は、日本の代表的な山を登り終えると海外の山を登ってみたくなった。そんな折、シリコンバレーのフェアチャイルド・セミコンダクターからヘッドハンティングの声がかかり、上司の反対を説得し渡米した。一九七二年のことである。
 ちょうど米国西海岸では一九七○年代頃からハイテク関連企業に投資を行う近代的なベンチャーキャピタルが誕生し、インテルやアップルの成功を後押しした。例えばインテルやネットスケープ、アマゾンに投資を行ったクライナー・パーキンス、アップルやシスコ、
ヤフーに投資を行ったセコイア・キャピタルが設立されたのもこの頃である。七〇年代に本格化した独立系ベンチャーキャピタルが、八十年代にマイクロプロセッサを始めとするパーソナルコンピューター関連で成功を収め、九〇年代のインターネット関連企業のIPOブームへと繋がって行く。
 シリコンバレーの興隆と平のキャリアがちょうど重なる。そして太平洋を渡ってから二十数年後にエンジニアである平とキャピタリストの平が交差することになる。

兄弟みたいになれるかどうか

 企業は人間のように感情を表現しないが、個性がある。経営チームの人間的特長が反映されるのだ。「ベンチャー企業にとって最も重要なことは、創業メンバー間のケミストリー(相性)である」、ジャングリーの創業者ベンキーは平からこの言葉を何度も聞いた。「成功するベンチャーは決まってチームワークがいい。逆によくあることだが、社長と技術部長の反りが合わない会社は空中分解する可能性が高い」。具体的にチームワークがいいとは、どういうことか。「それはマネジメントチームが兄弟のように何でも話し合うことができる雰囲気があるかどうかに尽きる」と平は話す。
 少ない資金でプロトタイプを開発し、次のファイナンスまでにロードマップ通りにサービスを始めるためには並大抵ではない集中力と決断力が要求される。経営チームのベクトルが一緒でなければ目の前の問題を解決できない。だから、平は新しいメンバーを採用する際には、経営チームと波長が合うかどうかに一番気を使う。「経営チームがすぐに兄弟のように何でも話し合う文化が定着した。ジャングリーへ投資した二年間は毎日お昼にインド料理を食べることになった」と平は、当時のジャングリーを笑顔で振り返る。
 平が投資をする際にチェックするポイントは明快だ。新しい技術に投資を行う場合、二年後のマーケットがどうなるかは誰も分からない。最先端の技術の場合、そもそも専門家が存在しないのだ。だから、マーケット分析には集中しない。将来どのような市場があるかは自分の感覚だけが頼りだ。技術評価については、平自信がエンジニアであったこともあり、一年半から二年くらい先行しているかどうか時間軸で他社に対する優位性を判断する。最後は経営陣だが、人物はわりと評価しやすいのだという。才能があるかどうか。それと最後までやり遂げることができるかどうか。ベンチャーではこのやり抜く力が重要である。

義理・人情とバイタリティ

 毎年二日間だけ五月の週末に、TiE カンファレンス(The Indus Entrepreneurs)という、毎年三千人以上が来場するインド系コミュニティー最大のイベントがある。平はインド人以外で唯一チャーターメンバーを務めている。七時三十分に一緒に朝食を食べようということになり会場に到着すると、すれ違うインド人が気軽に声を掛けてくれる。インドの人はとにかく明るい、そしてフレンドリーだ。日本から来たと挨拶すると「それではミスター・タイラの友人だね」と何度も言われた。平はインド系コミュニティーの中で有名人なのだ。
 午後からは平の出資するベンチャー企業を訪問した。一社目は、ポストグーグルを目指し検索結果を分野別に細分化して表示する検索エンジンを開発しているKosmix社。創業者のベンキーはジャングリーの創業者でもある。アマゾンに事業を売却後、二年間アマゾンで検索エンジンの改良を続けた。その後アマゾンCEOのジェフ・ベゾスとファンドを組成しベンチャー企業に投資を行っていた。そして、またKosmix社を自ら起こしたのだ。企業家から投資家へ、そしてまた企業家へ戻るといったサイクルがシリコンバレーのダイナミズムだ。
 二社目はますます進む国際化の中、携帯電話で一番安い国際電話を選択して通話できるシステムを開発したMINO社。最後に個人情報保護法案など法令順守が厳しく問われる社会を見通して、社員が送受信した大量のEメール履歴を保存し、検索可能なソフトを開発しているZIPLIP社を訪問した。これらのベンチャーではインド系、中国系エンジニアが活躍していた。「エンジニアは高い技術と情熱があればどこでも通用する」と話す平。訪問して回ったベンチャー企業家たちは平と親子ほどの年齢差があったが、チームワークの良さが伝わってくる。
「平はどんな状況でも決してわれわれに背を向けることはない。常にわれわれを信用し、支援してくれる」とベッキーが語るように両者の信頼関係は強い。人との関係を大切にする平は、人情派キャピタリストなのだ。
 平は訪問中同時通訳をこなし、休む暇も無いほど多忙であった。夕方にTiE カンファレンスの会場に戻り夕食を取った後、TiEのエグゼクティブと懇親会がセッティングされ、その日は午後の十時過ぎまでミーティングを行った。キャピタリストはとにかくタフでなければ務まらない。

日本のエンジニアよ、チャレンジせよ

 ここで簡単にシリコンバレーの歴史を紐解きたい。
 一九四七年にウイリアム・ショックレー博士がトランジスタを発明しコンピューター時代の幕が明けた。ショックレーが所長を務めるショックレー半導体研究所から八人の技術者がスピンオフして、平が在籍したフェアチャイルド・セミコンダクターが設立された。さらにムーアの法則で有名なゴードン・ムーアがロバート・ノイスと共にフェアチャイルドをスピンオフしてインテルを創業した。また、ショックレーからスピンオフして、ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンスを設立し投資家に転進したエンジニアもいる。このように現在まで脈々とエンジニアによるアントレプレナーシップが継承されている。
「日本の大手企業には優秀なエンジニアがたくさんいるが、もっと進んでリスクテイクすべき。大企業には予算があり最先端の研究開発が可能だ。だから普段からチャレンジすることに慣れておき、ここぞというときにはスピンオフしてベンチャー企業を起してみればいい。これまではシリコンバレーを拠点にしてきたが、今後は日本のベンチャーにも注目している」と平は投資先のオフィスで日本への愛情を語り、エンジニアのチャレンジを促した。
 平の自宅はシリコンバレーの中でも高級住宅が立ち並ぶロス・アルトス・ヒルズにある。投資先企業のオフィスには車で四十分もあれば付く距離だ。平の自宅が戦略会議の会議室になることもしばしばあり、平の日常は目まぐるしく回転する。アントレプレナーの多い米国では、チャレンジしないことが、最大の失敗なのだ。

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