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世界の英雄コミュの石川五右衛門

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石川五右衛門(いしかわ ごえもん:永禄元年(1558年) - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代に出没した盗賊である。出生地は伊賀国・河内国・丹後国・遠江国(現・浜松市)などの諸説がある。

『豊臣秀吉譜』(寛永19年)等の限られた記録によると、あまりの悪逆非道ぶりのために三条河原で釜煎の刑に処せられたとされている。大きな鉄釜による風呂が五右衛門風呂と呼ばれるのはこれに由来する。しかし当時の釜煎刑とは、熱した巨大な空の鉄釜で死刑囚を炒め物のように焼き殺す処刑であり、舞台で演じられるような釜茹で煮殺したのではない(一説には空ではなく熱した油で揚げ殺す刑が釜煎刑とも言われる)。しかし実際には五右衛門の母や一族も連帯責任として処刑されており、母親らは熱湯の釜茹刑で煮殺されていると記録にある。

盗賊の彼が人気を博した理由は、浄瑠璃や歌舞伎の演題としてとりあげられ、これらの創作の中で次第に義賊として扱われるようになったこと、また権力者豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが庶民の心を捉えたことにもよるであろう。

歌舞伎『金門五山桐』(楼門五三桐)の京都南禅寺の場で「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小せえ、ちいせえ」と見得を切り、楼門の場の科白で釜煎りにされながら詠む「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ(辞世の句とされている)」が有名である。

戒名「融仙院良岳寿感禅定門」。

一方で彼の実際の行動について記録されている史料は少ない。反面、そのことが創作の作者たちの想像力と創作意欲をかき立てていることは間違いなく、彼に関しては古今数多くのフィクションが生み出されている。


半生
その半生についてはさまざまな説があるがここでは有力な説を中心に記載する。
幼名は五郎吉。幼い頃から非行を繰り返し14、15の頃に父母を亡くす。19歳の頃からについてはいくつかの説があり主に伊賀にわたり忍者の弟子になった後京を出て盗賊になった、奉公した男性の妻と駆け落ちした。などがある。
その後、手下や仲間を集め頭となり悪事を繰り返す。相手は権力者のみの義賊だったため、当時は、豊臣政権が圧制や朝鮮出兵の失敗で嫌われていたこともあり庶民のヒーロー的存在になっていた。
秀吉の甥木村常陸介から秀吉暗殺を依頼されるが秀吉の寝室に忍び込んだ際香炉が鳴り捕らえられる。その後、捕らえられた配下の一人に悪事や部下などをすべて暴かれてしまう。
有名な釜茹でについても2つの説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。同じく辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」も有名となった。

石川五右衛門が登場する作品

古典
浄瑠璃・人形浄瑠璃
石川五右衛門
傾城吉岡染(近松門左衛門作)
釜淵双級巴
木下蔭狭間合戦
歌舞伎
金門五山桐(楼門五三桐)
高麗大和皇白浪

現代
梟の城(小説・映画、司馬遼太郎作)
黄金の日日
秀吉
戦国無双(プレイステーション2他、コーエー)
河原の石川五右衛門(歌、大瀧詠一プロデュース、歌唱は長万部キャッツ(シンガーズ・スリーの別名)。ピンク・レディー『渚のシンドバッド』の替え歌。1978年発売のアルバム『Let's Ondo Again』に収録される予定だったが、原曲の作詞者・阿久悠の許可が下りなかったため収録されず、歌詞のみの記載となった。1981年発売の『NIAGARA FALL STARS』で初収録。1996年発売の『Let's Ondo Again』のCDにはこの曲も収録されている

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