ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

M.L.C.コミュのマウンテンライオンの物語

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
マウンテンライオンについての物語風不定期連載ドキュメンタリートピ!これは、雑な記述・少し大げさな表現・あいまいな記憶による不確かな数値などはややあるものの、ほぼ100%実際の事実を忠実に記録再現文章化したドキュメンタリーエッセイ。ある日本人がアメリカ留学中、マウンテンライオンを探して壮大なアメリカ大陸の大自然の旅をそれなりに重ねた記録。同時に一日本人脱サラ留学生の2003年から3年間の留学生活の記録でもある。

コメント(41)

◎連載 マウンテンライオンを探して
第2回:マウンテンライオンについて知る
バスキスロックスの出会いによってLA近郊にマウンテンライオンのような大型でどう猛な肉食動物が存在していることを知ったのですが、その直後はそんな話を突然したらひかれると思いそんなには触れないようにしていました。また、その時点ではただ存在している、存在していそうだという事実以外ほとんどマウンテンライオンについては知りませんでした。そして日々の留学生活に追われその衝撃も一時うすれていきました。しばらくしたある日、いつものように70〜80あるテレビのチャンネルをぱちぱち変えていると、その一瞬映りこんだ映像にあの衝撃が蘇り、行き過ぎたチャンネルを急いで戻しました。なぜかラリーキングライブでMountain Lionという文字が映っていたのです。テロップを見るとマウンテンライオンが人間を攻撃し、一人死亡、生還者のインタビューみたいな事が書いてありました。話も途中で終わりそうでしたが急いでビデオをセットし興奮しながらラリーキングに見入りました。顔に大きな傷が残るアンという女性が旦那さんと出演していました。その日、同じマウンテンライオンが公園を走行中のマウンテンバイカーの男性をすでに死亡させていて、その後にその悪ライオンに彼女が攻撃され、数人の別のマウンテンバイカーが大きな石などでそいつを追い払い、彼女はヘリで病院に輸送、容疑者のライオンはその後に射殺されたということでした。それを見て「やっぱひと食うじゃん、出会っていたらやばかったのか」という感想を持ちました。その一方、それを見て、奴らがすぐ近くにいるのなら、これがこの土地に導かれた理由の一つだと決め付け、対面しなければいけないというおおきな目標ができました。それからはふと旅行のガイドブックなどを見ても結構多くに奴らの記事が載っていることに気づくようになっていきました。このように徐々にマウンテンライオンについて知っていくこととなり、そしてマウンテンライオンの不思議な魅力にひかれ、その後の隊員たちとの本格捜索へと続いていくのでした。
連載 マウンテンライオンを探して
第3回:カチュマレイク、ガビオタステートパークで探す

04年の夏ごろ、同じ映画学科の友達で課題などもお互いに手伝い合い、韓国のサッカーチームにも一緒に参加しその時期かなりつるんでいたWataru S氏が帰国することとなりました。ワタル氏に何か思い残した事はないかと尋ねたところ、キャンプとか、にも行ってみたかったということでした。では行きましょうということで、車の事情などの理由からキャンプや自然公園やましてやマウンテンライオンなどには何の興味も持たない同じ映画学科のYH氏も同行し3人でキャンプ?にいくこととなりました。目的地をワタル氏とネットで丹念に調べ上げたところGaviota State Park http://www.parks.ca.gov/default.asp?page_id=606がよさげであろうとなり、そこに向けて出発することにしました。ビーチあり山ありの公園で写真もすばらしい、キャンプも可能、地図にはHot Springの文字もあり魅力満載のキャンプ場のようでした。一応午前に出発し、夕方まえに到着。公園の入り口でキャンプをしたいと言うと「今日は満杯で御座います」という結末でした。しばらくしてようやく諦めて次を探そうと進んだのですが、やはり景色だけでも見ていこうと引き返し、比較的割高な入場料を払い、軽く公園内を一周しました。木造の長い桟橋が砂浜の端の岩場から伸び、ビーチの上方にはかなり雰囲気のある古い鉄橋が架かり、時々貨物列車が通過するかなり良い景色のある公園でした。しかしそこでは定員オーバーと言われたので、他のキャンプ場を探すため、写真を少し撮ったあとすぐにそのすばらしい公園をあとにしました。事前の入念なリサーチのおかげで少し戻るといくつかキャンプ場があるのがわかっていたのですぐに次の公園に着くことができました。次はRefugio State Beach http://www.parks.ca.gov/default.asp?page_id=603
しかし、予想もしていなかった満杯。2つめの公園でも門前払いの扱いをうけました。どうやらこの国のアウトドアー度は予想以上で、夏の週末の人気キャンプ場ともなると、かなり前からの予約が必要であるという事実をようやくその辺で理解し始めました。しかしまだ2軒ということで続いてすぐそばのキャンプ場に向かいました。次はEL Capitan State Beach http://www.parks.ca.gov/default.asp?page_id=601しかし三たび満員御礼。そこでようやく頭が働き、入り口のおっさんに空いているキャンプ場はないのかと尋ねると、真っすぐ行ってどっかを曲がって・・・何とか・・というところならば空きがあるかもということでした。そこまで時間はかからないということでしたので、日暮れまでには夕食のBBQが食べられるかという判断でそこに向かいました。Solvang http://travel.yahoo.com/p-travelguide-474545-solvang_ca_vacations-iというデンマークの町並みの美しい町を素通りし、目的地を目指しましたがいつまでたっても着きません。あまりにおかしいのでガスを入れながら地元地図を買い確認すると、山々を一周しサンタバーバラまで戻ってきていました。そこで午後6時。場所の分からない空きも確認していないキャンプ場を目指して今来た山道を逆戻りするのか、帰るか。困難な協議の末危険を冒し探すことになりました。さすがに慎重になった為今度は見逃さずようやく到着。そこはカチュマレイクhttp://www.sbparks.org/DOCS/lakecruise.htmlという湖の湖畔のキャンプ場でした。空きもあるということで事務所で支払いや場所決めを始めました。そこに数多くあったパンフの一枚に---Safety Precautions---。再び悪党どもへの注意を促す警告に遭遇。その警告書に書かれているマウンテンライオンの扱いは2番手。一番目はブラックベアーで、そこではとってもまれに見られる級。マウンテンライオンは、目撃はまれ級。もし出会ったら走らない、でっかく見せて、叫ぶ。目撃した場合は必ずレンジャーに報告すること。期待と恐怖が高まる・・・。完全に日が暮れる前に夕食を食べるべきでしたが間に合わず、闇BBQ状態。暗闇の中でも美味しく頂いた後、Y氏が用をたすために闇の茂みに入ったところついに悲鳴が。とうとう食われたか?駆け寄るとどうやらかわいらしいラクーンとご挨拶しただけということでした。悲鳴はライオン級でしたが。翌日、船外機付きボートをレンタルし野良Mライオン捜索への船旅に出かけるこことなりました。対岸に近づくとそこは見るからに野生の楽園。ホーク系の大型鳥類が飛び交う生ジャングルクルーズ。いつ出てもおかしくない景色が広がり興奮は高まる。そしてとうとう遠くに野生生物が・・・なんと野良ブタ。そして多数の鹿、ターキー、水鳥、サギ系やその他の種類の鳥たち。その湖畔の水辺はまさに動物のオアシス状態。Mライオンの野性の餌をたくさん見ることができました。そしてそんな状態でも、当然ではあったのですが出会うことが出来ない。そして、まず出会うことがないということを理解できてきたのでありました。後の調べで、これは驚きでしたが、一番初めに訪れたビーチもあるガビオタステートパークで、92年に子供がマウンテンライオンに襲われ怪我をおう事故が起こっていたということでした。海からすぐに山が迫るような地形なのですが、結構海の近くまで移動していることを知りました。そしてもう一つ、一緒にこのような冒険もしたはずのWataru S氏ですが、帰国後、LAの仲間の全員と音信が取れなくなってしまいました。今頃どこでどうしているのでしょう。みんなは今でも探しているのです。
連載 マウンテンライオンを探して
第4回:ヨセミテ国立公園

友人が「ヨセミテ国立公園が近々閉鎖される」と言い出し、閉まる前に行かなくてはということで、2004年10月、6名ほどでヨセミテ国立公園http://www.nps.gov/yose/index.htm に向かいました。このヨセミテが自分自身初の国立公園、世界遺産の訪問であり、その後数々の国立公園を攻める第一歩になることになるとはこの時は全く思いもしませんでした。この留学は修行、勉強だけが目的であり、旅行など余分な事はしまいと留学前は心に決めていました。この時点ではこれは例外的なもので、一度くらいは記念にいいかというぐらいに考えていました。しかし、この旅行、そして次のデスバレー国立公園訪問の人生観の変化の旅で、その留学前の目標は打ち砕かれることとなりました。LAのような都市で生活しているだけでは日本と絶対的に規模が違う大自然を感じる事はできないことを知り。とりあえず、今回の伏線として、その数ヶ月前、日系の無料情報雑誌のニュース欄に「ヨセミテ国立公園の駐車場で観光者が一人で車に忘れ物を取りに戻ったところマウンテンライオンに襲われる」という記事を読んでいたのですが、最初に結果を言ってしまうと当然今回も目撃とか襲われるとかは一切何も起こりません。今となってはその記事の悪党が実際クーガーだったかブラックベアーだったかもはっきりとは覚えていませんが、そういった類の記事が日系の雑誌に載っていたことは確かです。その雑誌を取って置いてあったので、出発直前その記事をもう一度確認し、「駐車場に一人で戻ったところ襲われた」という事実を頭に叩き込んで出かけました。金曜の夜アジトに集合し、深夜の2時か3時ごろにLAを出発しました。余談ですが、この時はFox rentacar http://www.foxrentacar.com/ でKIAのたしかSodonaだかっていうミニバンをレンタルしました。どんなものかと思いましたが燃費もよく全般的にはよい車でした。ただ、夜公園を出た長い下り坂でブレーキを踏みっぱなしでいたら、焼きついたのかブレーキが一時的にきかなくなりヒヤッとさせられたりもしましたが。新車なのに。翌早朝には公園に到着しまずは巨木の林を歩いたりしました。駐車場に止めトレイルを歩きはじめたところで予習を思い出し、一人で車に戻ってみたりしたのですが、他にも観光客が大勢でとても獣が出てこられるような状況ではありませんでした。動物発見的な話としては、リスはそこらじゅうに、動きの悪い人馴れした鹿を2〜3匹中心の川や池のある谷底の部分で見て、あとはお土産屋の入り口で数匹のやんちゃなアライグマを見かけたぐらいでした。動物を探すとかよりも景色を十分に楽しんだ旅行でした。アルプスのような景色の場所だと発見した探検家について書いてあった掲示板にもありましたが、行ったことはないですがそんな風に感じる景色でした。2日目、ハーフドームという割れた形のでかい岩を対面の高い所から見る事ができる場所に行きました。かなり広い範囲が見渡す事ができ、その真ん中にハーフドームがそびえ立つ。そこで結構長い時間みんなで景色を見ていました。ただ私はマウンテンライオンが歩いてないか目を凝らしていたのですが。その時はその後にマウンテンライオン支持表明する樋口氏が参加していなかったし、下手に口外するとまずい事になるので、心の中にしまい、一人奴との対面を期待していましたが、影すら見る事もできませんでした。まあ既に見られるものではない事も理解していましたが。ほのかな期待をして実際にいるはずの場所に行っても見ることができず、そういった野生のプレデターの存在が結果的にまた遠くなっていきました。こんな大自然のなかに来ても見る事ができないと。そしてその後にToru樋口氏にマウンテンライオンブームが訪れなければ、そうやって探そうとすることもあきらめてこれが最後になっていたかもしれません。一人きりでは。

*写真左:ハーフドーム 中:マウンテンライオンや黒熊などの獣がいるはずのヨセミテの森 右:ヨセミテの巨木 
連載 マウンテンライオンを探して
第5回:Death Valley National Park

05年3月、Nobu H師がデスバレーには行っておかないとまずいと何度かおっしゃっていたのでToru樋口氏と3人共にデスバレーに向かいました。前回の旅行のヨセミテは例外的と考えていたので、気が変わってから行く最初の公園旅行となりました。前年の12月には無事に学校を終了しこの一年はプラクティカルでアルバイトをしながら先を考える予定でしたので、収入も少しあるしそういった旅行も有りになったと政策を変換しました。そしてマウンテンライオンを見ていないという件もあり。出発1〜2週間前からテレビのニュースなどで盛んに「デスバレーで花がすごい沢山咲いた」というのをやってました。年末から年始にかけて70年ぶり位の異常な大雨の影響で例年に比べ花の数が異常に多いということでした。実際自分が住んでいたハリウッド近辺でさえも、家や道路が流されたり信号が壊れ渋滞が連発するといったような異常気象でした。話は戻り、その花の見ごろはわずか数週間。70年に一度の貴重な数週間に当たったということで行く前からとても期待が高まりました。トール樋口氏もとてものりのりで、必要以上のリサーチで資料の束を持参するという今までにない程の準備万端の旅となりました。今回のレンタカーはMatsuda6。これがまた当たりの車でスポーツ感の高い走行、燃費も抜群で旅の気分を高めてくれました。行く途中、おなじみのバスキスロックスを通過したのですが、ちら見するとすごい沢山の花がさいている。ここでさえもこれだけ咲いているのだからニュースになるデスバレーはとんでもないことになっているだろうと感じました。しばらくして完全に郊外に出ると雨のような数の蛾が降ってくる。花が異常に咲いてその為に蛾も異常発生ということだと思いますが、ワイパーで普通に雨をよける感じで蛾を振り落とすという経験もこの時だけだったのかもしれません。トール氏のリサーチによりデスバレーの手前にピナクレスナショナルナチュラルランドマークという名の場所があるということでまずそこに向かいました。ドライレイクなどの砂漠の真ん中に突起した無数の岩がある場所で、そこに行くにはオフロードを30分位走行したこともあり、そこに立ち寄ったことでこの旅の大自然感はかなりウォームアップされました。デスバレー国立公園は高低差が異常にある盆地の中の公園で、その外堀の外にもそのような不思議な景色があったり、すんごい広い砂漠などが広がっていたりその一帯が日本での常識を超えた大自然でした。とうとう公園内に到着し、ながーい坂を下るとまずは砂丘がお出迎えです。山に囲まれた盆地の中にエジプトかッていうような巨大な砂丘があります。その時は3月でしたのでまだましでしたが、夏はとんでもなく気温が上がります。車が壊れるほど。砂漠を歩き終えて車で次の見所、なんとかクリークを目指す途中でその景色に遭遇しました。盆地なので実際は遠くに山が見えますが、ほぼ地平線の距離まで続く砂漠状の土地に一面の黄色い野花。それがニュースでやっていた事件でした。その景色にみんなが車を道端に止めて写真を撮っていました。すごかった。みたことのない地形、広さの場所に見たことのない数の黄色い花。この時に今までの常識が変わった。これを人生観が変わるというのでしょうか。そしてこういった想像もできないような大自然の景色、その景色を見る感動がこの国、しかも住んでいるロサンゼルスから車で何時間かの距離にある。この瞬間、それをできるだけ見ないといけないと感じました。行くことができる間にアメリカの国立公園をできるだけ見ておくべきだと感じました。そしてマウンテンライオンの事はその感動の影にだいぶ薄れていきました。そんなライオンがその辺にいる事に常識が覆っていたはずなのでしたが。その日は、海抜マイナス100メートル?の海より塩分濃度が5倍の湖などを回ったりして宿を探すことになったのですが、その突然の観光ラッシュで宿がない。近場からしらみつぶしで探したのですが、あまりの満室状態で「ラスベガスのほうが早い」という結論を出し、数時間かけて急遽ラスベガスに向かい、翌朝、少し戻るか迷いましたが再びデスバレーに戻りました。翌日はデビルズゴルフコースという白い塩分が地表に噴出しそれがまた地平線までというような場所に行ったりしました。高い山の上から公園を見渡せるようなビューポイントなどもあったのですが、大雨で道が流され何ヶ月も通行止めになっている為、その時はそちらのエリアには行くことはできませんでした。リサーチの結果だと動物も結構いるということだったのですが、そんな異常な地帯には実際にはいるようには感じられませんでした。ただ、日が沈んだあともクリークのトレイルにいた時には、コヨーテかなにかに襲われても不思議はないなという感じはありました。でも夏には異常な高温、基本的には砂漠、とても大型肉食獣が出てきそうな気はしませんでした。動物がいないのはさておき、デスバレー国立公園の旅行は、初めて想像を超える場所、景色を見ることとなり強い感銘を受けた記念すべき旅となりました。アメリカの自然の大きさ、凄さを改めて実感することとなりました。これがきっかけでその後国立公園などに敢えていくようになり、ライオン探しも付帯的に継続されることとなりました。
-「連載マウンテンライオンを探して」の今後の予告

・グランドキャニオン一周の巻
・Toru H氏マウンテンライオンにハマルの巻
・近場でも探し始める。グレンデール・ブランドパーク編
・モニュメントバレー、メサベルデNP--ついに念願の御対面・・・
・改めて初心のバスキスロックス
・ジャックラビットフラット、ローラー大作戦の巻
・デビルスパンチロック、ライオン遭遇者との初遭遇
・グレンデ−ル掃討大作戦
・MLの本場ユタ、ブライスキャニオンで御対面の巻き
・大陸3分の1横断、CA.AZ.NM.TXのNP
・セコイア、キングスキャニオン最後の追い込み、そして再びデスバレー
・北米のガラパゴス-チャネルアイランドの巻

*予告は予定で変更されると思います。
*時間が経つと忘れるので早くしたいのですが、最後までいくのにどれぐらい時間がかかるのか分かりません。
*文章が下手なのはどうすればよいのでしょうか?
連載 マウンテンライオンを探して
第6回:Grand Canyon 囲み捜索

NABという世界最大の映像機材展が毎年四月中ごろ、ラスベガスのコンベンションセンターで開催されているのですが、学校で無料入場パスが発行されるのでその前の年も日帰りでその展覧会を見に行っていました。昨年一緒に行った自然や旅行には全く興味がないYH氏を誘ったところ今年もまた行ってもいいような返事で、予算的にレンタカー代ほか4人で行くのが一番割安なので他をあたったところ、日本国が誇る秀才HN氏と、前回もデスバレーを共にしマウンテンライオンにもはまりワイルドアニマル探しブームが到来していたToru 樋口氏とで行くこととなりました。自分としては、デスバレーで人生観が変わり、少しでも多く大自然を見ておかなくてはいけないと思っていたので、なんとかそこに国立公園をセットにしようと策略をめぐらせ、国立公園の代表、観光地、米国の代表的なグランドキャニオンは見ておかなくてはと丸め込め、NABとセットにして行くこととなりました。前回レンタルしたMatsuda6が非常によかったので今回もそれを予約してFox レンタカーに借りに行ったのですが、行ってみるとその車を予約してあるはずなのに、カウンターのテキトーそうな片言英語のおっさんが「Matsudaは出払ってるから一クラス上の車にあげてやる」と言い出しました。Matuda6を楽しみにしていたので何とかならないかもう一度押したのですが駄目で、結局MercuryのSableというへぼ車になりました。一見でかい高級車で燃費が心配でしたが、そのおっさんは大差ないと言ったのでまあ仕方がないのでそれで出発することとなりました。それが困難の始まりとなりました。一旦アジトに戻り準備がてら車を見回したところエンジンルームなどの金属が錆びている!年式も古くなく走行距離もほぼ新車同然。おかしいと思いもっとよく見回したところクーラント液が殆ど入っていない!ただ整備されているはずだし、LAX近くの店からそこまで何の異常もなかったし大丈夫とは思ったものの、迷った挙句、水を足すという処置をしてから出発しました。それが大きな過ちとなりました。出発が遅くなり午後2時近くでまだLA近郊パサデナだったのですが、食わないことには始まらないと、アメリカではいつもながら豊富でない食の選択肢の中からMacを選び駐車場に入りました。確かそこで始めて気づいたのですが、突然異臭がし前を見るとエンジンルームから“シュー“という異音。さらに白い煙。そして下を覗き込むと蛍光黄色の鮮やかな液体が流れ出てる!すぐに気づいたのですが、クーラントに水を足してはいけなかった!!沸騰した水とクーラントが一緒に噴出し流れ出ていたのです。手のつけようがないので放って食事し、少し経って冷ました後に量を見るとまだタンクには沢山残ってる。何とかなるか!という判断でそのままパサデナを後にしました。R15号のバーストーからFwy40をひたすら東へ。道中クーラーのききが妙に悪いなあとは思っていましたが、後々考えるとクーラントが漏れ出した為なのか、水を足したのが悪かったのか冷却できてなかった。だいぶ経ってからふと気づくとエンジンの温度計の針がいけないゾーンまで触れている!!クーラーを止め暑いのに暖房にし、車を休ませたりゆっくり目に走ったり。でも初日はじきに日が沈み気温が下がり、温度計の針も納まってきたので、10時頃まで走りWilliamsというFlagstaff近くの小さな町まで無理やり進めました。そこで宿探し。どうやらオフシーズンらしく、どこも空きはあるらしい。できるだけ安く泊ろうと片っ端から値段を聞いて回ったのですが、どうやら一番最初に聞いた確か2ベット40ドルが一番やすかった為そこに決定となりました。部屋に荷物を入れ、一番最初に思ったのが、「この建物の裏は山っぽかったけど、MLでないかなあ」。樋口氏に「肉の塊でも持ってこの裏山少し歩けば襲われるかなあ」と少しほのめかしたのですが、自分も疲れていたしそのまま流れ一日目は終了となりました。2日目の朝一人で散歩したのですが、そのウィリアムスという町はよくよく見るとありがちな昔の街道宿場町で、なかなか開拓時代っぽさが出てて良く、結構今でも印象に残っています。そして明るい中で見ても裏山で奴が出てもおかしくない雰囲気がありました。まあそして2日目出発、車を進ませ目的地のグランドキャニオンに到着。やっぱり一番の知名度にふさわしくそれなりに凄い景色がそこにはありました。アメリカらしく落ちたい人は勝手に落ちてくれって柵もなく危ない感じで。多くの場合はそのからそのまま西のラスベガスなりに戻ると思うのですが、今回は一日かけてグランドキャニオンを東から一周。やはり裏スペースにこそ結構凄い景色がありました。ミニグランドキャニオンっぽいところとか、とんでもなく広い大盆地、大台地、大牧草地。大牛。だだっ広い起伏の景色の中に咲き広がるオレンジの花々。しかし、冷えないエンジンはそのまま。温度計、オーバーヒートと果てしなく続くだだっ広い大地の地平線の先まで行って、またその先まで進めなければいけない戦い。車が壊れて野宿なども覚悟(そうなればMLの目撃、襲撃され率アップとも考えたが)の上でひたすら進んだのですが、夕方頃ようやくガス屋の売店でYH氏がクーラントを購入し補充。それからはまあ夜にもなって気温も下がったのですがエンジンのオーバーヒートは収まり、翌日のラスベガスからの帰り、一度温度計が赤ゾーンまで上昇して車を止めたぐらいで、最終的には無事LAまで戻ることもできました。途中、国立公園制覇数を増やす為ちょい遠回りしてZion NPでも通過しますかって話にもなりましたが、レンタカーがUtah州侵入禁止ということもあり、通り道沿いのPipe Spring NMに寄ったものの日が落ちたあとで門も閉ざされており、そのままFwy15のSt.Georgeに出てLas Vegasに向かい、壮大な大地を走ったGrand Canyon一周の旅も夜遅くまでかけてある意味なんとか終えることとなりました。常にライオンが出てもおかしくない、むしろそれが似合う景色の中を丸一日走っていて、そして車を止めた時は目ざとく探してはいましたが、やはり今回も影すら見ることはありませんでした。それどころかWild Animal自体の目撃もほぼゼロで、樋口氏も落胆していた気がします。翌日、世界最大放送機材展NABに2年連続出席しちゃんとお勉強をして、たしかバッフェで食事し、軽くカジノで損して、午後LAに向かって帰っていきました。ちなみにベガス到着の夜、幼い頃から勝負師として育ってきたYH氏はやはりLas Vegasが肌に合うらしく、一瞬で数百ドル以上カジノで勝っていたと記憶しております。

・写真 樋口氏
[番外編]
US空軍拘束、フィルム押収事件

この話は私の一生忘れられない武勇伝であり続けるでしょう。
今から3年前の2004年5月、私は学校の課題の16ミリフィルムの撮影場所を求めて、LA北方のFwy14を北に車を進めていきました。途中、高速沿いの林とバスキスロックスという撮影の名所でフィルムを一本半程撮影し、残りの半分を撮影する為さらに北のドジャーズドライレイクという名の干上がった湖に向かいました。しばらくして到着、道路沿いに車を止め、その生乾きのドライレイクに踏み入ると、そこには信じられないようなすばらしい景色がありました。その時々によってドライレイクの状態は違うのですが、その時は道路から離れると結構乾燥していて、ちょうど20センチ四方ぐらいに綺麗にひび割れた土のタイルの地面が地平線の彼方まで何も遮るものもなくほぼ180度の視野で青い空まで広がっている。すぐカメラを持ち出しファインダーを覗くと、美しい日の光も加わりただファインダーを覗くだけで興奮するようなすばらしいシーンが。ファインダーを覗いて興奮するような景色は後にも先にもその時だけ。フィルムを半分しか残してなかったことをここまで後悔するとは思ってもいませんでした。貴重な残りのフッテ−ジを最大限に有効に使おうと思い興奮を実感しながらも、初めて撮影にのめり込むという感覚を覚えました。そしてフィルムがカタカタを回っているその瞬間瞬間、「凄いものを撮っている」という感触を実感していました。その瞬間は、「このフィルムで人生が変わるかも」とまで感じていました。実質の残りの分数は1分強。時間の感覚もなくなりあっという間に撮影は進みフィルムも残りわずかとなり、ファインダーの中に広がる凄い景色に集中し撮影していると、突然何か妙な感覚が。振り返るとサイレンを鳴らしたパトカーの様な車が凄いスピードで遠くからこちらに向かってくる。その瞬間よぎった嫌な予感は瞬く間に現実となりその車は自分の車の隣に止まり、中からサングラスをした警官のような人が出てきて拡声器で「動くな!」と。車の横面を見ると「Military Police」の文字が。あから様にまずい事になったと分かりました。「手を上に挙げろ!」と言われ言われるままに手を上に。そう、確信はなかったのですがそこは軍事基地の敷地かもとはうすうす思っていて、そしてそのおそろしい状況に現実に陥り、そこが誰の土地なのかという疑問は解決されました。どうやら米国空軍に拘束されているのです。何の説明もなく太陽がジリジリと照りつける中緊迫した状況が継続。アメリカ軍に動くなと言われ手を上げている。これからどうなってしまうのか・・・。5分か10分そのまま経過したのでしょうか、突然前ぶれもなく風が強くなり竜巻のような突風で学校からレンタルしている16ミリフィルムカメラが三脚ごと斜めに、とっさに手を出し倒れるのを何とか防いだのですが、するとその警官のような人がビクッと反応し、腰の方に手を持っていき再び「Don’t move.」と。撃つ素振りを見せて威嚇してくるのか!どう見てもこっちは撮影中で非武装なのに。この頃になってくると日照りで顔も熱く「風で倒れそうになったカメラ支えただけなの見えただろうが!」とか「見れば学生が宿題の撮影してるの分かるだろうが!」とかイライラがつのる。上げた手も疲れ落ちてきたのですが、するとまた怒った口調で「こちらに見えるように手を上げてろ!」と。その緊迫具合から新人にも見えたが相手は軍の人。イライラを抑えて従うのが無難と我に返る。そしてそうして拘束されている。そこが軍事基地に近いことは知っていて、そのドライレイクも軍の敷地なのかただの砂漠なのか怪しかったが、あまりのすばらしい景色で、特に柵があるわけでもなく撮影禁止の看板があるわけでもなかったので撮影していた。そのような事態に陥る危険性もないこともないとは思っていたがまさか現実になるとは。でもそこで撮影しないことは考えられなかった。後悔し、しかしなるべくしてなったとやりきれない気持ちが。しばらくしてもう一台の車が来てようやく「こっちへ歩いてこい」という次の指示が。その後どうなるか不安だったがどうやら二人揃い事情聴取の様な事が始まった。名前から始まりそれは三脚の製品番号に及ぶまでみっちりと。数十分分程かかかりそれが終わると、今度は「事務所に来い」と。そこから10分程か真っすぐの道を進むとそこに検問所のような建物が。その中で再び待たされること数十分。こんどはスーツを着た背の高いかなり疲れた酒くさそうな捜査官のような男が登場。これが世界最大の軍隊の制服組か。そしてまた聞かれたはずの質問が一から繰り返される。「名前は?、何の撮影?・・・」それがまた長い間続けられ、そして最後のほうに「このフィルムを返却して欲しいか?」という質問が。当然大事なフィルムなので返して欲しいと答えるが、しばらくするとまた「返して欲しいか?」と聞かれる。「これは学校の課題で提出しなければいけない。これはビデオでなくフィルムだから現像が必要で、くれぐれもケースを開けて光を当てないように」と念を押す。あからさまにその捜査官は「返さなくてもいいです」という返事を引き出そうとしていたが、そこはたとえ相手が米軍でも折れることはできなかった。それは自分史上過去最高の作品であったから。その捜査官も最後には「必要だよね」みたいな感じで譲り、[EVIDENCE TAG]という証拠品引換券のようなものを作って渡されたら終了ということになった。米国空軍に砂漠の真ん中で突然拘束され、一時は「これから相当まずいことになる」とまで覚悟もしたが、合計で2時間以上の時間を無駄にはすることとはなったが、大事なフィルムも一時押収だけで済み、特に何事もなく無事に解放されることになった。「米軍に拘束され解放された」という貴重な「過去の経験」だけで済んだ。その日からしばらく経って、[EVIDENCE TAG]に書かれている番号に恐る恐る電話をした。留守電につながり自分の番号とメッセージを残した。返事がこないのでその翌週位に再び掛けたが掛かってこない。それからだいぶ時は過ぎ行き、5度目位の電話でようやく人が出た。しかしその人は、「ここはそのような部署じゃないからこちらへ掛けてくれ」と別の番号を教えた。証拠品タグに書かれたはずの電話番号に出た男が。その時点で米国空軍に対する押収品奪回はあきらめ、米空軍敷地内で撮影された幻のフィルムは幻と消えた。その時になってようやくその捜査官は最初から押収品のフィルムを返却する気はなかったと察した。
連載 マウンテンライオンを探して
第7回:事件勃発、最大の収穫

ある日、携帯電話に緊急の事態、事件が起こったと連絡が入った。それは友人岡田氏からの電話で、その直前にToru 樋口氏がとんでもない事件に遭遇したという。又聞きでは良く分からないのですぐに直接電話をしてみると、Toru樋口氏は興奮の口調でその事件の一報を話し始めた。「マウンテンライオンを写真に収めたかもしれない・・・」これはとんでもない事件だ!しかし、その日樋口氏が旅行に行っているなどそのような情報は入ってはいなかった。こちらも落ち着き場所を尋ねると、グレンデールだと言う。灯台下暗しだったのか・・・。「とにかく何か猫系の動物をカメラに収めた。あの恐怖感、サイズからするとマウンテンライオンかもしれない。猫ではない。ボブキャットかもしれない。良くわからない。のっしり堂々と歩いてきて、目があって威圧された。」というような話であった。もしMLであればついに目的が達成されたことになる。それだけでなく、公園事務局もしくはパークレンジャーに報告の義務も発生し、住宅が近いため場合によってはDepartment of Game and Fishの狙撃手が駆けつけ捕り物騒ぎにもなりかねない。とにかく直接見てみないことには始まらないのでその晩すぐに樋口氏の部屋に向かった。MLなのかボブキャットなのか写真をみただけでは判断の方法はなく、未だにその結論は出されていないが、私はボブキャットではないかという意見を持った。茂みの中でもろに顔を見合した構図の写真であったが、たしかにそいつが威嚇している様子がわかる写真だった。もしボブキャットだとしても、野生のボブキャットをロサンゼルス郊外のベットタウン、グレンデ−ルの公園で収めたとなれば、非常に貴重な写真であるのは間違いない。http://www.pe.com/localnews/sanbernardino/stories/PE_News_Local_P_lion07.2a2376.html (学校のキャンパスでの目撃騒動の記事。人目に触れた場合どうなるかの一例)そしてこの写真は今現在でも私共MLCの野生猫科動物捜索においての最高の収穫であり続けている。樋口氏がこの写真を収めたのはグレンデールのブランドパークhttp://www.ci.glendale.ca.us/parks/brand_park.aspという公園で、住宅街に隣接していてちょっとした山登りができ、San Bernandino、San Gabriel山脈の一番西の端に位置している。サンベルナンディーノ,サンガブリエル山脈http://www.bigbear.us/san-bernardino-mountains.htmlとも言える山岳地帯は、ロサンゼルスの北から10Fwyに沿って東に数百キロに伸びていて、LAから2時間ほど東に行った辺りの、四半世紀前までグリズリーベアーが生息していたビッグベアーエリアにもつながっている。http://en.wikipedia.org/wiki/San_Bernardino_Mountainsその広大な山岳地帯のサンガブリエル地域だけでも今現在でも数百のブラックベアー、そして数百のマウンテンライオンが生息しているとされている。そのエリアに同名のサンベルナンディーノという場所があるのですが、ある時期頻繁にテレビで流れていたそこの山の入り口で子供が行方不明になったというニュースでは、誘拐やもしくはマウンテンライオンに襲われた可能性もあると伝えていた。この地域の山で行方不明者が出るとMLは常に原因の一つに上げられる。最も西の端ではあるがグレンデールのブランドパークにマウンテンライオンやボブキャットが出てもおかしくないのである。実際にブランドパークの山の散歩道入り口にはイラスト付きのマウンテンライオン注意の看板も立てられていた。とにかく、その樋口氏が撮った写真はとても貴重であり、そして今までの捜索の成果が一つ形になったという記念すべきものになった。樋口氏とは前述のデスバレー探索や、グランドキャニオン囲い込み捜索も共にしているのですが、そういった旅行をしていくなかでマウンテンライオンにも理解が生まれてきたと思うが、いつのまにかML関係のDVDを購入したりかなりリサーチしていたり野生動物捜索の切り込み隊長となっていた。もともとそういった事に興味を持っていたと思うが、そのころになると、一人でLA近郊の何か出そうな場所を捜索されるようになっていた。そんな氏の近郊捜索がこの時一つ実を結んだ形となった。そして今現在もそれ以上の収穫は得られていない・・・。

*写真は樋口氏より無断使用
◎連載 マウンテンライオンを探して
第8回:Joshua Tree NP

05年8月28日、なぜヨシュアトゥリーなのかとか詳細は忘れてしまったのですが、友人Hikita氏のお客様が訪問されているということで、比較的大人数でヨシュアトゥリー国立公園などを日帰りで訪れました。そこはLAから約3時間で多分一番近い国立公園なのですがそれが始めての訪問となりました。無理やりライオンに関連付けると、その何ヶ月か前にニュースで、その公園で行方不明者が出たと頻繁にやっていたので、暴れた悪党がいる可能性もあるなとは思っていました。もちろん実際出ませんでしたし、その人が消えた原因も奴かどうか今でも知りませんが。夏真っ盛りのうえに、その公園や近くのパームスプリングスは暖かく冬の避寒地で有名なところで、車のエアコンが効かないんじゃないかと思うぐらい暑かった記憶があります。公園は思っていたよりも非常に広く、公園の名前にもなっているJoshua Treeの数も想像以上に多く、場所によってはその大木がうっそうと茂っていて近場とあなどっていたのが非常に間違っていました。どうやら行方不明者・遭難者も沢山出るらしく、行ってみてそれがよくわかりました。公園の敷地だけでもかなり広かったし、でかい岩々とその特異な木々で不思議な感じも結構強めで出てましたし。ただヨシュアトゥリーの林自体は、LAから14fwyを北に行ったランカスター付近とかに結構自然な感じの広い場所があって、そこには踏み入ったことはあったので、その木を見たこと自体の感動は少し薄味でしたが。でもそのように、規模の違いがかなりの想像以上で結構見ごたえがありました。今回は、話しを作り上げるような元ネタすらあまりない感じの普通の公園観光だったのですが、そこらへんの公園と違って「国立公園に認定されている」とういことの“格の違い“だとか国立公園に認定されていればやっぱそれだけのことはある、というようなことを実感できた有意義な旅となりました。自分のなかで「国立公園」であることが一定以上の価値であることの証であることがこの旅で確立させることができました。これから先も「国立公園」に認定されているところに行けば、あるレベル以上の感動が得られることを知ることができました。その公園を一通り見た後、パームスプリングスに向かったのですが、そこからはミニ個別行動のような感じになりました。自分の大きな趣味の一つ「温泉」はアメリカに来てからすっかり遠くなってしまっていたのですが、以前無理やりパームスプリングスのホットスプリングに一度来ていて、今回再び同じ「温泉」に久しぶりの再入湯となりました。値段は300円程度で、一見して単なるモーテルのプールなのですが、一応ミネラルが含まれたナチュラルなホットウォーターと書いてあったので温泉と定義できるのでしょう。泉質はこれも一見普通の水なのですが、微妙に美肌効果的なとろみのようなものがあると言えばあるかもしれない的な質でした。日本とは違い水着でさらに見た目単なるプールなので、日本の温泉湯治場気分は味わうことはできませんが、一つ「温泉経験」が増えたという形でしょうか。他のメンバーはそこの同じ場所のエステ組み、そしてケーブルカー観光組みと分かれたのですが、ケーブルカーはその少し前におこった山火事で休止中だったらしく、しばらくして乗れずに戻ってきました。その後はパームスプリングスと言えばのお決まりのアウトレットにも立ち寄り、日帰りにしてはボリュームたっぷりの旅行を楽しんだとさ。
*第8回 JTNP
 写真 by Nob.H師

追加資料
http://www.nps.gov/jotr/index.htm
http://www.deserthotsprings.com/
http://www.tabifan.com/usa/palmsprings/


◎連載 マウンテンライオンを探して
 
 第9回:念願のマウンテンライオン遭遇
    モニュメントバレー&世界遺産メサベルデ

今回がこの「マウンテンライオンを探して」の一番の山場の一話となります。2005年春のデスバレー国立公園訪問以来、アメリカにいる間にアメリカにある想像を絶する大自然をできるだけたくさん肉眼で見ること、それは、日本で25年培ったちっぽけな価値観、常識からの自己解放、そしてそれらを再構築させる機会・・、が重要である、それこそがこの土地に居てすべきことだと考えるようになったのですが、2005年春のグランドキャニオン以来その後はそういった遠出のビッグ・パークの旅をなかなか実行には移せずにいました。夏ごろになると翌2006年1月の労働体験ビザ期限=帰国が視界に入ってくるようになり滞在終盤の追い込みに向けてもここで踏ん張って行っておかなくてはと思うようになっていました。そんな中さまざまな調整を重ねた結果、ヨセミテ、デスバレーを共にしているNH師とそのペアのK丸氏の参加で、かねてから行きたいと思っていたアメリカ荒野の象徴、そしてアメリカ映画の聖地モニュメントバレーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC探索を決行する運びとなりました。ここでもできるだけ訪問地を増やす為、地図研究の結果、コロラド州のメサヴェルデ国立公園・世界遺産http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/6653/june12.htmとのセットを目標にした強行軍を無理やり企てました。今回はいつもの格安foxレンタカーではユタ、コロラド、ニューメキシコには侵入できないので、nation wideで他より多少安かったDollar レンタカーhttp://www.dollar.com/?GCID=C17418x035-SSP&KEYWORD=SSP&p=1044&k=11318&WT.srch=1で何か忘れてしまいましたがドッジがクライスラーかの普通車を借りて出発しました。今回は長距離の強行軍となるので、いつも通りアメリカ時間で出発が遅くなるのを踏まえて結構早めにLAエアポートに車を借りに行き、昼よりだいぶ前の「朝」の時間帯の十時ごろ出発することに成功しました。しかし、なれない時間帯で「通勤時間に重なる」と無駄な心配をした挙句、高速を避けて下道でLAを出ようとした結果、迷い気味になり結局LAを抜け出したのは普段とそれ程変わらなくなったわという感じを持っての出発となりました。以前グランドキャニオンに行った時に経験していたFWY40の気が変になりそうに長く続く退屈な走行を続けて、グランドキャニオン旅行の拠点の一つともなっているフラッグスタッフhttp://travel.yahoo.com/p-travelguide-191501872-flagstaff_vacations-i到着が午後6時過ぎ(LAから約485マイル=776キロ:旅の記録より)。そこを通過し、グランドキャニオンを一周したとき昼ごはんを食べたキャメロンhttp://en.wikipedia.org/wiki/Cameron,_Arizona http://216.109.125.130/search/cache?ei=UTF-8&p=cameron+navajo&fr=yfp-t-501&u=www.camerontradingpost.com/shop/Navajo-Rugs-c-12.html&w=cameron+navajo&d=R0AeR-rnO4mt&icp=1&.intl=usという何もないのに地図に載っている町も通過、モニュメントバレー観光の拠点の一つ、そして本日の目的地Kayenta(フラッグスタッフよりさらに152マイル=243キロ)到着が21:30ぐらいという具合で一日目は侵攻しました。残りの部屋も結構少なかったホリデーインに予約なし滑り込みセーフ一日目無事終了。泊まったそのKayentaやモニュメントバレーは、ナバホネイションと言い、アメリカ国内にあるネイティブインディアン ナバホ族の独立国家で、そこのエリアだけ時差もあり、法律も違う(酒がだめ?)という今まで知らなかった別の世界をまた見て知ることもできました。

今回は無駄に長いのでこの辺で、後半え〜続く。


写真 Nob.H 師

◎連載 マウンテンライオンを探して

第9-2回:念願のマウンテンライオン遭遇
     モニュメントバレー&世界遺産メサベルデ?

翌朝、先にメサベルデを目的地として出発。一日でモニュメントバレー付近まで戻る計画で遂行していきました。とんでもなく景色のすばらしい朝のモニュメントバレーエリアを道路沿いで写真を撮っただけで一旦無視して通過して(翌日行く予定なので)、メキシカンハットの形をしたありえない形の岩を通過、茶色く濁ったコロラドリバーで写真を撮り、そして続く何もないbutどでかい変な岩が続くの荒野を進んでいくと、4コーナーズモニュメントhttp://en.wikipedia.org/wiki/Four_Corners_Monumentという看板が。ガイドにも載ってるし行くべしとしてまずはそちらに向かった。全米で唯一アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドの4つの州境が1点で交わっているという観光地。日本にも同じような場所があったのか、夢で見たのか前に来たことがあるような感覚を覚えた。その交わる点の回りにはインディアン細工の屋台が立ち並ぶ典型的な観光地。お土産を物色している最中、その立ち並ぶ屋台の中の一店舗のおじさんに「どこから来たの」と聞かれ、「ハリウッドから」と答えると、「映画俳優」と言われ「あ、はは。。」と答えた会話をなぜか鮮明に覚えてる。日本でも観光地では同じようなたぐいの会話をしたことがある気がして、国が言葉が民族が変わっても同じような状況では同じような会話がなされるのだと実感した。そうしてこうしてメサヴェルデ国立公園のゲートタウン、コロラド州のColtez http://www.go-colorado.com/Cortezを通過し、結構な急な山をどんどんと登っていき、午後一時ごろその山の頂上付近に到着。その標高が高くある種高台のような場所がメサヴェルデ国立公園http://www.nps.gov/meveとなっていた。高台のような場所と言ってもそうとう標高も高いし、高い台になっている場所の広さも半端じゃないですが。一旦通過しそうになりましたが、そのころにもなると国立公園訪問にもだいぶ慣れ、まずビジターセンターに行って公園の全体像を知るほうが効率良く回れると感じていたので一応ビジターセンターを最初に訪れました。その何気ない行動が自分自身のアメリカ滞在のハイライトの一つ、そしてこのたわいもない一連の文章の最高峰の瞬間を呼び込むこととなりました。眼下に広がる緑の森の海を横目に、ビジターセンターのエントランスに続く歩道を進み、その建物の内部に続くガラス張りの入り口をくぐって建物の内部に入ると、その正面に、そこには、幅2メートル、そして高さと奥行き1メートルぐらいのガラスのケースが置いてあり、いやでもそれが視界に入る。そしてそのガラスケースの中には、そう、その中には、この一年半捜し求めていた、まさにそのものが、堂々たる風格を持ってどっしりと、その謎に包まれていた姿を、世間に、観光客に、世界中に、そして僕にさらしている。そう、そのガラスケースの中で、初対面にふさわしい堂々たる風格を持った大きく立派なマウンテンライオン(の剥製)が、俗世間を見下していた。コロラド州メサヴェルデ国立公園世界遺産の天空の城の中から。その感動の瞬間、感動するべき瞬間、いろいろなことが頭をよぎった。(そういう手があったか)(剥製か・・)(これでML見たことになったな)「動物園行けば見れると思ってたけど、こっちは現役野生の姿のままだぜ」「ならば動物園より野生に近いじゃん」「初対面にふさわしく立派だ」「目的達成。これで日本に帰れる」「これでアメリカ留学が完結した」「これこそが北米最強の野生の王者じゃあー」(でも死んでるけど)(内臓とかは入ってないのか)(こんな落ちかよ)(やっぱ生きてないと・・)(いやこれで終わりでいいんだよ)(おまえはもう探さなくてもよくなったんだよ)。どこか寂しい目をした奴から視界をそらせないまま、そして、確実な微妙さを自分にも隠しきれないまま、そのようにして自分の中で探し求めた初対面の感動を十分なまで噛み締めた。ケースの中にはいくつかの説明書きもありその一つをぱっと読んでみると、・・・「むかしむかし(確か12〜3年前)、その公園から比較的近い(ユタ州産だったかも)ランチ(牧場)で飼っていた牛がマウンテンライオンに襲われるようになったとさ。後日、牧場主はその悪党を探し出して撃ち殺したとさ。そいつを剥製にしたとさ。それがこいつさ。めでたしめでたし」。・・・

2000字制限で、次回に続く。


写真 Nob.H 師
◎連載 マウンテンライオンを探して

第9-3回:念願のマウンテンライオン遭遇
     モニュメントバレー&世界遺産メサベルデ?

マウンテンライオンの存在を大都市ロサンゼルスの郊外の公園で初めて知り、是非生で見てみたいと思い探し始めて約1年半。初のご対面となった相手は一応ご存命の時は野生児ではあったが、既に他界されていて、しかも死因は銃による殺害でさらに剥製にされているという状態だった。一緒に置かれていた他の説明文には、そのガラスのケースに収まることになってしまうまでの残酷な経緯と、その経緯に逆行するような内容の野生動物保護的な内容の文章だった気がする。現実問題、牧場主からは憎まれる害獣であり、一方、地球環境・生態系バランスなどの観点からは保護されるべき希少動物である事実をその対面で改めて確認することとなった。実際に大都市LA近郊の住宅地にもしばしば出没するように、壮大に広いアメリカ合衆国でさえも、人間の生活とは共存しにくい動物が、人間と生活エリアを共存している。そしてたいていの場合、一線を越えてヒトのテリトリーに一歩でも踏み込むと、ほぼ間違いなく最後には射殺されている事実がある。そして逆にマウンテンライオンが射殺される前に人が命を落としたり傷を追う事実も実際にある。人間がコントロールできてないことが今現在もこの自然環境の中にはたくさんあるのである。自分が身を持って探しても見つからなかったように、どれだけ人が探しても通常ではマウンテンライオン達は人間に見つけられることはない。彼らも基本的には違う時間帯で行動し、厄介な人間を避けて行動して生きているのであるから。でも何かの拍子で偶然人の目にさらされてしまうことがある。そういった瞬間は多分、太古の昔からお互い究極の緊張状態に陥るのだと思う。まさに食うか食われるかの瀬戸際だから。人が無防備であれば、圧倒的にマウンテンライオンが有利で、人が銃や武器をもっていれば人が有利となる。その瞬間は太古から続く、人を軽がる殺害できる動物と点で接する本当に稀な接点であり、人が動物界のなかで無力と感じられる数少ない機会であるのではないかと思う。そしてそのような稀で恐るべき自然の対象は世界のあらゆる場所で象徴化され神の使いであったり、悪魔の化身であったりもした。今の世の中では、銃を持ちその瞬間を楽しむ為だけにマウンテンライオンのような肉食獣を殺しに出向いたりする人もいると思えば、そして逆に無駄な殺害を減らしたり、生態系のバランスを保つ為にその瞬間を避ける活動をしている人たちも居る。そういう見方を敢えてすると、無駄な死を避けるためにもその瞬間はないほうが好ましいとも思う立場に立ってもしまうが。でも、そういった難しい瞬間、狭間には間違いなくとてつもない感動、衝撃があるはずだと思う。そして、なぜかそのチャンスが先進国アメリカの大都市LAに住んでいたとしても有り得るらしい。そこにさらに神秘を感じる。そうなると見てみたくなる。マウンテンライオンに縛り付かれて探してきたこの衝動を分析すると、そのようなことにでもなるのでしょうか。自然との共存という決定的な手段や結論が未だに確立されていなく、人間は自然の中に生かされているという普段の生活では見えにくく難しい問題があからさまに表面化するその一瞬に立ち会ってみたかった、そうとも言えるかもしれない。自分でも理解に苦しい文章となりましたが、とにかく初対面は「結末が展示されている状態」という内心微妙な形で対面することとなったのであった。長い時間見ていたが、それでも別れを名残惜しみながらビジターセンターを後にした後、本来の目的であったメサヴェルデの遺跡を見て回った。

2000字制限の為、さらに続く。

◎連載 マウンテンライオンを探して
第9-4回:念願のマウンテンライオン遭遇
     モニュメントバレー&世界遺産メサベルデ?


マウンテンライオンを目撃するという留学中のかなり大きな目的を達成してしまったので、もう帰ってもいいぐらいですが、そのままこの旅も留学も続いていきました。メサヴェルデは世界遺産にも指定されていますが、アメリカ国内では数少ない自然遺産以外の指定となっています。南米から移動してきた先住民族が千年以上住んできた遺跡などがあるのですが、それらの中におおきな洞穴のような場所に4階建てとかのレンガのビルが建てられているものがあり、それがたてられた12世紀ぐらいから現在までよい状態で保存されているのが当然貴重で、それらなどが保護に値するのでしょう。実際そのビルジングのほぼ中の近さまで行けるのですが、日本の古い建造物とはまた違い独特の雰囲気を感じることができました。食料としては鳥類や鹿などを狩猟していたと思いますが、日本にはいないバッファローを狩っているのは大きな違いだなあと感じました。お土産やに併設している展示館みたいな場所にも寄ったのですが、時代ごとのミニチュア模型があり生活の様子がとてもよく分かる展示となっていました。その中で土器や狩猟の道具も展示されているのですが、一見すると日本のその時代の道具と似ているのかなあとも感じました。そのような感じで一通り公園内を回り、ビルの近くなどでは結構ゆっくりしていたりもしたのですが明日はモニュメントバレーと旅行全体的にはかなりきついスケジュールなので、翌日ちゃんとモニュメントバレーも訪問できるようにと、近くの宿を目指してメサベルデを後にしました。しばらくして日が暮れて夜道の走行となるのですが、百キロも二百キロもろくな町もないような荒野を走行していると本当に暗くて、適当な道端に車を止めてヘッドライトを消すと、日本では端のほうに行かないとなかなか見ることのできないような星空を見ることができます。でも日本とは違い海でもないのに空が広い。そして回り数十キロにわたり人っ子一人いないはずで、その道を100キロぐらいのスピードで通り過ぎる車も数少ない。公園などに行くと星空を見ることを自分の中で恒例としていて、そのメサベルデからモニュメントバレーに向かう途中でも、途中で何度か止めて空をみたのですが、わずか10分20分でも、そのときもいくつかの流れ星を見れるぐらいの星空でした。そしてそのころにはもう流れ星を見慣れてしまっていて、何分で何個みれたかというような見方になっていました。次にそういった星空を見ることができるのはいつになることやら。その日はモニュメントバレーの手前のメキシカンハットの町で無事に安宿を決め、翌日のモニュメントバレーに備えることとなりました。

まだ続く。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第9-5回:念願のマウンテンライオン遭遇
     モニュメントバレー&世界遺産メサベルデ?

モニュメントバレーから少し北のメキシカンハットの小さな町のぼろモーテルで宿を取り、翌朝早朝日の出のモニュメントバレー目指して出発しました。Nお氏は日の出の時間帯に行かなければ意味はないと主張し、僕は「起きれねー」とだだをこねたのですが、やはり日の出の時間帯を見逃すなんて行ってないに等しかったのかもしれません。モニュメントバレーに向かう真っすぐな下り道の遠く向こうに見える、日が昇った直後の切りたった岩岩の180度の風景はもっとも素晴らしく、自分が肉眼で見る景色の中でも最高であり続けるであろうぐらいの景色でした。そのあたりからまたしばらく進みモニュメントバレー公園の入り口に到着。モニュメントバレーは今まで行った様々な公園とは違い、アメリカ合衆国の国立公園という形ではなく、その地区を治めているアメリカ内ナバホ国家の運営の公園となっており、集めている国立公園パンフレットを増やせないのは残念でしたが、また違う種類の公園を見ることができたのは良いことでした。入った入り口の付近ではまだ早朝で太陽がその巨大な岩の背後にあり、岩岩の姿は逆光で真っ暗でそれはそれで壮大な景色でした。公園内のループを走り始めまずはジョンフォードポイントへ。モニュメントバレーは映画撮影の聖地の一つで、ジョンフォードもそこからの景色が最も気に入ったというポイント。その前には馬が飼われていて、西部映画の雰囲気をまさに360度の角度から感じられるようなやはり素晴らしいポイントでした。でもしかし、モニュメントバレーといえば写真や映画でよくみるあのパノラマの景色が自分の中ではモニュメントバレーで、その景色の見える多分Artist Pointというビューポイントでは、多分30分ぐらいその壮大な景色にただ吸い込まれていました。他ではそこまで気に入ったことはなかった気がしますが、その景色はもう一度見に行きたいと思った、もう一度行かなくてはいけないと思った景色でした。「人生で本当に重要な瞬間は写真やビデオで撮ることができない」という言葉がすきなのですが、ここでも偶然写真のフィルムもビデオのバッテリーもこの直前で切れ、この景色は自分では記憶の中にしか残っていません。残念なことに。もう一度行けということだと解釈してます。こうして、少し前までは遠すぎて行くことは不可能と思っていたモニュメントバレーも攻略することができ、アメリカ滞在中の公園攻略史にまた一つ輝かしい経歴を残すことができたのでした。そして、マウンテンライオンの剥製を生で見ることもできたのでした。

写真 Nob.h師

◎連載 マウンテンライオンを探して
第10回:MLが出ないNYCへ行く
・・目的達成、マウンテンライオン遭遇以前、ML以後


振り返ってみても9月のメサベルデでの剥製拝見で、本気で少しマウンテンライオン探しにケリがついた感はあった。もうマウンテンライオン探しを続けなくても帰国可能だと。そういった気分のところにマウンテンライオンがいないニューヨーク旅行の企画が。ワイルドアニマル探しの先鋒樋口氏が‘仕事’でニューヨークに一ヶ月近く滞在し、その期間にいけば必然的に過去にもNYC在住歴もあるNYC通樋口氏のガイドが付き、しかもその関係で滞在費もお安くなるという。05年11月456日、ライオン探しには関与していないがお馴染みのメンバーEH氏とYO氏とともに格安のJet Blueのフライトで、ロングビーチ空港から5時間彼方の東岸ニューヨークへ向かった。ニューヨーク到着後、樋口氏と合流してからの旅行プランは分刻みのごとくに完璧だった。有能ガイドさんと合流後はこの上ない効率的な動きでNYCの魅力をことごとく味わった。4日朝到着、まずはチャイナタウンにむかい飲茶ランチ。続きましてウォール街を散歩しながら金の牛像(今回唯一の動物)に挨拶し通り抜け、バッテリーパークから自由の女神をチラ見。そして行かなければいけないと思っていたグランドゼロへ向かった。沢山の人がいて半分観光地と化していたが、周りのビルもまだ破壊されたままで修理が終わっておらず、まだいろいろと感慨深い光景となっていた。その後、近くの有名激安店で買い物したあと二手に分かれ、我々チームは再びチャイナタウンに戻り、4ドルでも2品付いて本格中華ランチを堪能した。その後ソホーで長い間座り込み時々ウインドショッピング、警察の路上不法販売のガさいれを目撃したあと日本人街を訪れ日本食補給、続きましてデニーロもお気に入りの本格NYチーズケーキを食べ、夜には年末のカウントダウン時には本気で半日身動きがとれなくなるというタイムズスクエアーへ。蝋人形館に入らず入り口で冷やかして一日目終了。一日目から過去にないような濃い旅行内容だった。翌朝、最寄駅前の通りが消防によって封鎖されており何事かと思ったが、その日はNYマラソンの日だった。その日は東京都知事も視察?に訪れていたらしい。再びチャイナタウンの有名店ジョーズ上海でショーロンポウを楽しみ、偶然映画のロケ現場を立ち見、その後いくつか映画のロケ地となった所を見、続きましてグーゲンハイム美術館でお買い物。その後再び人生観が変わる出来事が。メトロポリタン美術館を見ただけだが、あの広さの美術館は日本じゃアリ得なかった。初めて一面黄色い花咲くデスバレーも見た時以来の衝撃だった。その後夜のセントラルパークをお散歩。映画でお馴染みの駅(名前どわすれ)を見学。そしてエンパイアーステートビルに登る。上は強風で激寒だったが、確かに世界最高の街の夜景だった。再び二手に別れ俺俺チームはかたくなにNYCでも札幌ラーメンを再びタイムススクエアー近くで頂く。その後旅行の楽しいハプニング、予期しなかったあのロックフェラーセンタースケート場で、運良く今シーズンオープン2日目ぐらいで初の夜空スケートを楽しんだ。あそこで偶然スケートしたのは良い思い出だ。濃いー二日目もこのように終了した。3日目朝、フェリーに乗ってついに世界遺産自由の女神へ。迷ったがやはりここを押さえなければいけないと思った。十二分に写真を撮った後陸に戻り、再び二手に別れ、気に入ってしまった本格4ドル中華店へ。その後再び合流、2つ目の有名NYチーズケーキ店で本場を堪能し、部屋に帰って荷物をまとめて帰LAの途へとなった。樋口氏のお陰で主要所を3日間で網羅するという濃いすばらしい旅だった。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第11回:近場を根こそぎ探す?
     再び出発の地、バスキスロックスへ


帰国も数ヶ月後に迫り、マウンテンライオン捕獲、もしくは撮影、もしくわ遭遇、もし桑野生動物なんでもいいから見る為、遠征も重ねながら身近でもできることは徹底的にやるというヒグチ隊員との決起の上、最後のあがきが始まった。そのころ丁度ヒグチ氏もあまりにも野生動物に出会えないことにやけになっており、独自にサンタモニカマウンテンズやサンガブリエル、サンベルナンディーノエリアの必死の捜索を続けていた。彼の独自捜索でも、大型鳥類の目撃、撮影の成果などは挙げられたが、決定的なものには至っていなかった。まずは11月12日? 05年、NYCの所用から帰国した樋口氏をLBCロングビーチ空港に拾いに行った後、全ての始まりとなったバスキスロックスに原点回帰の捜索に行くことにした。基本的にはもう一人の隠れ隊員NH氏の写真撮影の為だったのだが。。NH氏の口からマウンテンライオンという言葉が発せられることすら聞いたことはないが、同じようにワイルドサウスウエストを写真や公園旅行などで最も行動をともにした同士だった。それは数度目のバスキスロックスだったが、やはり最後までマウンテンライオンは現れず、それどころか、その日はやけに家族連れなどの訪問者が多く、いたるところ隅々までピクニック状態で、とても奴らが出てくるような様子ではなかった。でも、今まではほんの入り口でその異様な岩岩の雰囲気にびびってたぐらいだったが、にぎやかだった為襲われても見つかるだろうと思い、かなり時間をかけて奥まで捜索したところ、奇妙な巨でかい岩々は予想していたよりもはるか奥まで広がっていた。ここが奴らが出てもおかしくないという環境だということを、この1年か2年で様々なワイルドワイルドウエストの公園に行った経験上、肌で確認することができた。この間に少しずつ積み上げてきた奴らについて知識、アメリカ大陸の気候、地質、生態系の知識を踏まえた上で、来ていてもおかしくないということを確認することができたのだった。
バスキスロックスの公園自体は限られた範囲だけで指定されているが、公園の周りは住宅や牧場なども一部あるものの、基本的には木々もあるかなりの広範囲に広がっている山々となっている。そこは高速道路などで分断はされてはいるものの、勿論サンガブリエルマウンテンズからひろがる広大な山脈地帯の一部であり、熊やマウンテンライオン、鹿、などの大型動物の生息が多数確認されているということを今回は知っている。そして奴らは平均一日2頭の鹿を捕食することを追って、約20キロの距離を移動している。高速道路をも横断しながら、そして人目を忍んでその公園も生活範囲の一部にしながら・・・。しかし、初めて訪れた時、そこはただのLAから近い奇妙な岩のある公園だった。近いというかLA郡内ではあったが。
今回、原点に再び戻ることによってこの間に成し遂げた成長の証を認識することができた。まあ、基本的には写真撮影に行っただけだったのだが。。

◎連載 マウンテンライオンを探して

第12回:近場を根こそぎ探す?-
     ジャックラビットフラット掃討大作戦


帰国が迫っているのに野生動物のやの字にすら出会えない緊迫した状況が続いてる中、ヒグチ氏もそのイラダチをなんとか解消すべくLA近郊の激しいリサーチを細部までに及ばせていた。ある夜ヒグチ氏の部屋を訪れると、その壮絶なリサーチの結果としての仰天捜索プランを提示してきた。その頃には相当マイナーなポイントまでメスが入ってきていたが、そこはかなりマイナーで名前も聞いたことがなかった。なんと有望そうなポイントの2件をめぐるツアーが日帰りでできるという。これも樋口氏が独自捜索を既にしており、ある程度調査済みのサンガブリエルの北のエリアに所在し、Fwy138沿い、「ジャックラビットフラット ワイルドライフ サンクチュアリ」http://parks.co.la.ca.us/high_desert_narea.html そして、 「デヴィルスパンチボールLA郡公園」 http://www.devils-punchbowl.com/index.html の2ヵ所。ジャックラビットの方は、“Wildlife Sanctuary”(野生生物の聖域)と冠を打っているではないか。しかも今回は言うまでもなくザコッぽく、遭遇も可能そうな耳が異様に長い「ジャックラビットうさぎ」狙い。さらにその上、実は一年前、課題のフィルム撮影時まさにこの付近で、どでかいこのジャックラビットを見ていた。このように、すでに野生動物遭遇の履歴がある箇所への攻撃。今回は動物ゲットとなる予感がかなり高まっていった。そしてゲットの予感をさらにたかめる樋口氏の新兵器が登場。ウォーキートーキー!いわゆるトランシーバー。2名もしくはそれ以上で陣形を組み、それぞれ連絡をとりながら獲物を囲い込み追い込むという「ローラー大作戦」。この2年の野生動物捜索史上で初の具体的な「作戦」が事前に練られた。12月9日05年、まずはJ.R.F.W.Sに到着。その手前から、ヤギ?羊?かなにかの白骨が野ざらしになっているような人の気のない砂漠エリアで、ちょっと薄気味悪さも感じるぐらいだったが、まずは捜索開始。背の丈の低い草が茂っている一区画で2人で連絡を取りながら、隅から追い込むように前進していく。ところどころヨシュアトゥリーも生えていて、近くに雪をかぶったサンブリエルマウンテンズの山々の横にみながらの本格自然散歩。しばらく行くとついに、茂みの中から奴が飛び出し、全速力で逃げていく!そうとうびびりっぽい動きで、ある程度近づくと突然飛び出して逃げる。これが探し求めていた野生の動きだ!人を避ける動物と遭遇するというのは突然で、さらに一瞬の出来事ということなのか。一年前この付近で遭遇した時も、似たような茂みを全く予期せずに歩いていると突然、ほぼ足元から耳の長さも入れて50センチもあろう巨大なジャックラビットがとてつもない速さではるか遠くまで逃げていった。その間わずか数秒か。一瞬であるが突然で驚き、衝撃的で感動的な瞬間であった。今回はその時ほどの巨大俊足うさぎには出会えはしなかったが、目撃数をかなり増やすことが出来た。この時装備していた自分の武器はビデオで、そして、樋口氏は超望遠レンズ装備のカメラで撃とうとしていたが、それぞれ数匹ずつ肉眼で目撃し、さらにそれぞれがそれぞれの受像部に、レンズを通し奴らの姿を焼き付けることにも成功した。狙った野生の獲物を狙い通りに仕留める。この日は前半だけでも、この至難の業をついに達成させた記念すべき捜索となった。
◎連載 マウンテンライオンを探して

第13回:近場を根こそぎ探す?-
     デビルスパンチボウル、ML遭遇者との遭遇

 
ジャックラビットフラットローラー囲い込み大作戦成功によって、俊足野生動物の目撃と撮影を数匹以上しているにもかかわらず、その足でそのまま今度は「デビルスパンチボールLA郡立公園」http://www.devils-punchbowl.com/index.html に向かうという贅沢で欲張りな捜索は快調に進んでいった。樋口隊員はかなり的確にその場所を理解していて、FLW135から曲がる道も結構すんなり見つかり公園へと向かっていった。途中山を登っていったのだか、住宅はだんだんなくなっていき、ぽつりぽつりと牧場主の家があるような風景へと変わっていき、しまいには対向車は対向馬ともなった。どうやら普通のアスファルトの道路を馬で散歩でもしている人がいるのか。LA中心部付近、グリフィスパークやグレンデールの住宅地でも乗馬場がいくつかあり、ときどき馬で公道を散歩?しているのを見たり、馬横断注意の看板があったりするが、こちらはLA中心部よりはもっとしっくりきて違和感は少なかった。そんなこんなで到着。駐車場すぐ横にビジターセンター兼ミニ展示室があり、まずはそこに入っていった。そこは小さな展示室であったが、まずは目の前の止まり木にとまった小さなフクロウが目に入る。パッと見いわゆる‘かわいい’ふくろうだ。そしてその展示室の多くは爬虫類系の剥製や骨格だった気がする。そこにはほぼ間違いなくその公園のレンジャーで、20代半ばぐらいのちょっとおたくっぽい好青年がいた。樋口氏と展示を見ながらその狭めの空間に3人でいたが、樋口氏は似た感じで親近感を感じたのか、珍しく他人に話しかけた。最初は展示のことなど話していたが、話はしばらくして確信に迫った。するとレンジャーはやや興奮ぎみになり話し出した。「この辺にもいるよ」。「けっこう時々目撃される」「僕も一度かなり近くで見たことがある」・・・。「ある早朝、公園内にいるとマウンテンライオンが歩いてきた。彼はhugeで(巨大)ゆっくり堂々とあるいていた」。音量が上がり少しだけ興奮気味な口調になったものの、詳細など多くは語らなかった気がする。そしてなぜか、僕も樋口氏もそれ以上を聞かなかった。しかし、それを聞いた途端、興奮度、期待度の針はかなり振れた。それとなくしばらくその展示を見続け、その小さな建物を出た。建物を出てすぐ、「やっぱ出るのか」と言った気がする。しかもhugeだったと。正直初めて当たりに当たった気がした。公園的に。その時点で間もなく日が暮れる時間帯、そこまで長くその公園に滞在できるわけもなく、つまりマウンテンライオンに出会う確立はいつも通りほぼ0なのは分かってはいるが、今いるその公園ででっかいマウンテンライオンを見たことがある、その話を聞けただけでかなりの満足感があった。その公園の名前の由来か、巨大な宇宙を感じさせる形の岩が入り口から比較的近くにあり、そこまでの間に下っていくらせん状のトレイルへの分かれ道があり、そこを下ると多分小川でも流れていたような気がする。その時は巨大な岩山を登り夕暮れにさしかかる景色を眺めていた。そこは山の上の方であり結構見晴らしがよく、眼下には先程までいたジャックラビットフラット近辺も含め平地がかなり遠くまで広く見渡せた。日の沈んだ公園を後にし、約2時間かけてロサンゼルスに戻ったあと、撮ったぞと大げさに騒いで、撮影した樋口氏の写真や、殆どうさぎの姿が確認できないビデオをみんなに見せつけた記憶がある。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第14回:近場を根こそぎ探す? - バーバンク大捜索


近場での捜索を余すところなく徹底していった。近場といってもデビルスパンチボールなどは車で2時間ほどかかる中近距離だったが、樋口氏は単独でFWY405沿線のサンタモニカマウンテンズhttp://www.nps.gov/samo/、トパンガキャニオンステートパークhttp://en.wikipedia.org/wiki/Topanga_State_Park方面、パサデナの池がある周りなども含め近距離の捜索数もかなり増やしていっていた。そのような中で猫科野生生物ボブキャットの撮影成功という実績があるグレンデールの北隣、バーバンク市にある山岳公園の再共同捜索案が提案された。バーバンクは私のバイト先であったビデオ店が所在し、LAのベットタウンであり、まさに都市圏内であるにもかかわらず、近辺の公園で実際にボブキャットを撮影していたり、マウンテンライオン注意の看板があるような山脈公園を擁する有力スポット。毎日通勤し会社の窓から毎日そびえ立つ山々を見ているにもかかわらず、ちゃんとその山岳付近を訪れていないというのは近場を徹底捜索したとは言えない。できることを力の限りしたと悔いなく日本に帰ることができるのだろうか。直近の樋口隊員の単独捜索の報告では、そのすぐ近くにもビジターセンターがあるような公園があり、そこにはマウンテンライオンの剥製も展示されていたということだった。樋口隊員は前回軽く訪れて場所的にはほぼ目星を付けてはいたが、名前すらはっきり記憶していないその公園へと向かった。住宅街を抜け山を登ぼっていき、“ゴルフ場の横の道を抜けたところ”という記憶を手がかりにその場所へと進んでいった。今場所から調べたところ、その公園の名前は、Wildwood Canyon Parkということであった。http://www.lamountains.com/parks.asp?parkid=647 http://www.burbank.com/burbank-nature-center.php ゴルフ場を抜けると正面にビジターセンターがあり、その手前に駐車場、その奥にトレイルへの入り口があるのだが、駐車場はがけの下に位置している、つまりトレイルは見上げるような急斜面をらせん状に登る、まさに山岳公園という様相であった。その数日前から風邪の為体がだるく、捜索決行日をたしか一日ぐらいずらしたのだが、その急斜面トレイルを見上げてこの体の具合の悪さで帰ってこられるか自信がなくなったことを思い出した。だるい体に鞭を打ち急斜面トレイルを登っていくと、そこには背の丈より少し低いくらいの緑の多い、すばらしい山の景色の公園が広がっていた。山の起伏の激しさ、木々の緑、迷路のような迂回道の多さ、すぐに体のだるさは消え、吸い込まれるように右へ左へそのトレイル天国の魅力にはまったかのように歩き続けた。その時もウォーキートーキーを装備していて、効率よく広範囲を調査する為すぐに樋口氏と分かれ道で別れ、別行動になった。わたしは右に進んだのだが、しばらくすると工事をしているはげ山の急斜面が現れた。ぎりぎり登れる斜角であった為、砂が崩れ落ち滑りながらもその100メートルほどのうす黒い砂の斜面を登りきるとその山の山頂に着き、山の反対側を見下ろすことができた。見下ろした先も山の起伏は激しく、そのはるか先の下の方に確かフリーウェイが少し見えていた気がする。すると、目下に広がる腰の高さほどの笹のような植物の道なき林を、中学生ぐらいの3人の少年達が上ってきて、先程登ってきたはげた砂の斜面をすべるように下っていた。草むらから少年が突然現れた。そのうしろに野生生物が後をつけてくるはずが無い。当然その日もその公園で野生生物をみることはできないと思った。時間帯的には夕方で通勤の帰りなのか、散歩やジョギング、ヘルメットをかぶったマウンテンバイクのバイカー達が結構たくさんいた。くねくねと起伏の激しいトレイルに多くのバイカー、マウンテンライオンにバイカーが襲われたオレンジカウンティーにあるホワイティングランチの景色に似ていると思った。そっちはTV番組で見ただけなのだが。そのように出そうな景色ではあったが、
最終的にも本格的都市近郊渓谷トレイルを十分満喫できたという結果になった。高い峰からは赤い夕焼けのバーバンクの市街が見渡せた。そして他の山の山頂には電波塔なのか鉄塔が目立っていた気がする。そして入り口付近では、日本のゴミ処分場のような大きな穴をほっているような工事をしていたと思う。最後に入り口にあったビジターセンターに寄り、剥製やパネルなどを見てから家路についた。豊かな自然が紹介されていた。今さっきこの公園の名前を検索したところ、http://blogs.sbsun.com/yucaipanow/2009/01/last-chance-to-help-save-wildw.htmlこんなページも出てきた。そのような都市近郊の奇跡的に残されてきた自然公園は日本国内だけでなく、広大な国土を有するアメリカであっても“開発か自然保護か”という問題に今現在に至っても直面している。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第15回:ブライスキャニオン国立公園で再会


2005年11月25日からの3日をかけてユタ州にあるブラススキャニオン国立公園  http://www.nps.gov/brca/photosmultimedia/photogallery.htm?eid=133109&root_aId=94#e_133109 に向かった。ブライスキャニオンは有名な国立公園の一つで、そびえたつ無数の細長い赤茶色の岩の景色が印象的で、写真などは見たことはあったが、ユタ州にありロサンゼルスからは結構遠い為実際に行くことはそんなに真剣には考えたことはなかった。しかし、今回はYO氏やEH氏が参加の方向で動き、大人数になる見込みとなり実現の運びとなった。今回は日本人4名、インド系アメリカ民の2名で、今までの大半の日本人だけの旅行とは違い英語の会話も混ざる旅となった。マウンテンライオン捜索的には今回はユタ州、雪の降る北部に入る森林のある州で、ロサンゼルスを有する砂漠地帯のサウスウエスト南西部とは違い単純に生息数も多いこともあり、剥製もしくは生展示もあるかとほのかな期待を込めての旅行となった。あわよくば自然の生ものを生眼で見たい、とも思っていたが。。この、“マウンテンライオンをあわよくば見たい”一連の自然旅行は貧乏学生旅行であった。いかに旅行代を抑えるかが旅行決行に向けての大きな課題となっていた。過去の旅行の検証を続けてみると、食費を抑えるのが効果的であると旅行の支出記録から判明した。さらに、日本の旅行と違い、その土地々の名物を食べれるわけでなく、大手チェーンのハンバーガーを繰り返すだけであったので、そういった面でもなんとかしたかった。初期の旅行ではおにぎりを作って持っていった。しかしおにぎりがなくなった翌日からはハンバーガー漬け。もう少し考えて、米と炊飯機を持っていくという旅行方法をこの頃から確立させつつあった。ナベ、インスタント味噌汁等も装備し、モーテルで炊事。ハンバーガー連チャンよりは飽きないし、確実に経済的抑制をもたらした。この光景もまた、樋口氏以外は冷たい目で見ていたと思うが。。。出発当日、貧乏学生の日本人4名はロサンゼルスからレンタカーで出発、富裕層のアメリカ民はエアーでベガス前乗、ベガス合流という形で始まった。ラスベガスとは、たとえ拒否しようともその魔の魅力に引き付けられ、“僕たち野生動物を見に行くんです”のような純心極まりない自然愛好旅行の途中に一瞬通過しようとしただけでも、カジノ、バッフェ、その他の魔の誘惑に吸い込まれて知らぬ間に金を落としてしまう恐ろしい街であるが、この時は2人と合流、カジノでわずかな金額負け、ガス補給、時間としては1〜2時間のロスというぐらいの損失でなんとか抜け出すことができた。バッフェで2時間ロス、という事態を逃れた。公園滞在時間が救われた。昼頃ベガスを出てFWY15をさらに北上、Ceder Cityという町から東に入り山地を登っていった。ベガスで昼を食べなかったので、その町のたしか?テリヤキボール”という韓国系和食ファーストフード風の店で皆は昼を取った。私は駐車場でおにぎりを食べたと思うが。旅行前、11月の山地ということで雪や地面の凍結をとても不安に感じていた。過去に、日本でスキー場に行く途中、チェーンを着けずに走行していると、かなりの断崖の山の峠付近の細い曲がりくねった道で地面が凍結していたことに気づかず、制御不能になり結構な距離滑ってあと少しで相当高い断崖から転落・・という苦い経験があったためであった。大半を自分が運転するつもりであったが、とうとう道路の周りに雪が見え始めた。しかし、比較的雪道に慣れているRPS氏が運転を交代してくれたおかげでトラウマと戦いながらの運転は避けることができた。確か予想していたより早いまだ明るい夕方に、公園すぐそばの予約してあったコテージに到着、荷物を解き日が沈むまで早速公園をまわることにした。まずはビジターセンター。コレクターアイテムの公式パンフレットを入手、色んな展示を見て先に他の人達が来るのを待っていると、「あれ見た」と。「何?」と聞くとどうやら、やつの、マウンテンライオンの剥製があったらしい。展示室を一通り見たつもりだったが全く気付かなかった。剥製との2ショット写真を撮ってもらい満足してビジターセンターを後にした。2度目の剥製とのご対面は気付かなかったようなあっけない感じだった。
出た後は、近いビューポイントに向かって足早に移動していった。さすがに有名なだけあって高い場所からはすごい見晴らしの景色があったが、間もなく日が沈む頃でもあり急いで岩の塔の間や根元をくぐっていくような高低差のあるループトレイルを歩き始めたのだが、一周して戻る頃にはすっかり日が暮れていた。公園を後にし、入り口からすぐ近くにあった広大なガスや兼、お土産や兼、レストランで食事をして、ムースをはじめとした巨大な首の剥製が無数に壁に掛けてあるお土産屋で物色してから外に出ると、外は結構な雪景色。ガススタンドの電光掲示の気温は零下10度以上を指す極寒の雪の夜の世界に変身していた。山の天気は変わりやすい。。まさにそんなところだった。この頃の新しい小粋な趣味は、流れ星の数数えであった。こういった公園などの町から離れた広大な自然に行くと、暗闇の夜の空には共通して気持ち悪いほどの数の星が見ることができ、少し、数分から十分ぐらいか空を見上げていると簡単に流れ星を見ることができた。最高はカチュマレイクのたしか9個だったが、このときも数個以上は見た気がする。しかしこの時は雪が舞うような零下で、長時間待っていることはできなかった。翌日は、普通に公園内を回った。どこのビュウポイントかはっきりしないが、マウンテンライオンの絵つきの解説看板を見つけた。冒頭を読んでびっくり、「この公園では過去に一度もマウンテンライオンによる襲撃の事故はないが・・・」で始まっていた。ユタということで、過去の旅行よりはかなり生息数の多い地域ということでそれなりの期待をしていたが、今回はすっきり諦めることができた。その代わりか、今回の旅行では公園内で野生動物、鹿ミュールディアー?か、を多く見ることができ、レンズに収めることができた。公園旅行史上、これがまともな自然動物との初の遭遇であったと思う。当然本命には今回も出会うことはできなかったが、動物捜索の上では一定の成果を収めることができた旅となった。もちろん、雪の帽子を被った無数の赤茶色の塔の合間から拝む、零下10度のサンライズなど、メインの雄大な自然の景色の鑑賞も十分に楽しむこともできた旅ともなった。あのきらめく雪の日の出の景色を見ることができたのはとても貴重だったと思う。


*写真 マウンテンライオン(のハクセイ)との2ショットに満足げな私
追加訂正


20,21項で、ジャックラビットフラットワイルドライフサンクチュアリからデビルスパンチボールに向かう前に、アンテロープバレイ州立公園 http://www.parks.ca.gov/?page_id=627 にごく短時間立ち寄っていました。この日一日で3ヶ所の公園を周っていました。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第16回: TX, NM, AZ,CA、大陸1/3横断


2006年1月10日からの6日間、最後の大捜索としてテキサス州のカールスバット国立公園で折り返すテキサスTX、ニューメキシコNM、アリゾナAZ、カリフォルニアCAの4州をまたいだ過去最大の旅行を決行した。2005年が暮れ2006年に入り、この頃には帰国日も2月12日と決めており、最後の一ヶ月の間に帰国の準備をしながら総決算的な大きな旅行をしたかった。それでもやはり金銭的な制限もあり距離的にはテキサスあたりが限界と考えた。カールスバットは行ってみたい国立公園リストの上位にあった。最大でサッカーコート並の広さの鍾乳洞空間が地下200の深さにあり、全体では想像を絶する広さを有する地下空間。それよりなにより、その洞窟へと繋がる地上への出入り口の穴から数万以上ののコウモリが一斉に飛び出す映像をTVなどで見たことがあり、是非それを見てみたかった。今回は、10フリーウェイ沿線の数個の国立公園も抱き合わせで訪れることができる公園履歴を稼ぐ旅になった。
10日11:47、自宅を出発、13:21危険地域サウスセントラル北端オンノルマンディーのアジトを出て、15:16パームスプリングス通過、20:00初フェニックスシティーAZ到着、In N’ OutでWWを食べ、初日はTucson(トゥーソン)AZ 23:30着で宿を取った。今回は大きな旅となるということで、こまめに到着時間、場所、走行距離、費用などの旅の記録を付けた。(これを書いている3年経った現在でも詳細に行動をたどれている!)ちなみにこの日の宿はWestern INで、三人で一部屋$45だった。今回はお馴染みMLハンタートールH氏、そしてここぞという旅は外さないN.H師の、人生観を変えた原点デスバレー旅行を共にしたトリオでの旅となった。各モーテルでは炊飯器がフル稼働し、食費も最大限の抑制に成功したのもこの面子での旅行の賜物であった。
翌11日8:53 out、 トゥーソンのピマ航空宇宙公園 http://www.pimaair.org/ に寄った後、10:30に今回の旅最初の国立公園、サグアロー国立公園 http://en.wikipedia.org/wiki/Saguaro_National_Park http://www.nps.gov/sagu/photosmultimedia/index.htm に到着した。ここは名前のまま「サグアロー」というメキシコっぽいサボテンが沢山ある国立公園。2箇所に分かれているが今回はその一箇所だけを訪れた。トゥーソンという都市から比較的近く山奥ではなかったが、高地に位置し、場所によっては数メートルの背の高いサボテンの背後に見渡せる高台からの広角の景色がすばらしい公園だった。車で公園内を走行中、大型の年老いた耳の長いジャックラビットが道路に出没、カメラに収める事ができたことも印象的だった。サグアロー国立公園を後にし10フリーウエイに戻る途中、Colossal Cavens http://www.desertusa.com/mag00/sep/stories/colcave.html という観光洞窟に立ち寄ってみたが特別に感じるものはなく洞窟内には入らず次に向かった。
10フリーウェイを東へ東へ向かっていった。しばらくすると、道路わきにTombstone NHMという看板が現れた。あのトゥームストーンではないか!高校の頃かカートラッセル、バルキルマーの題名もそのままの映画などを見たことがあったが、是非とも訪れるべきと判断しFWYを降りた。そこはまさにアメリカの観光地だった。アメリカでは日本よりこの手の観光地は少ない気がする。2〜3百年の歴史では古さを感じられるまでの町並みはないということなのか。日本では妻籠宿馬籠宿 http://www.takenet.or.jp/~tumagome/ などが同類にあたるのかもしれないが、その他京都、奈良をはじめとして数多く歴史を語り続けている景色が残されている。トゥームストーン http://www.cityoftombstone.com/index.html http://www.imdb.com/title/tt0108358/ http://en.wikipedia.org/wiki/Tombstone,_Arizona はアメリカの昔、西部開拓時代の無法者のガンマン達の時代を感じることが出来る数少ない貴重な町並み。馬車が通る西部劇そのままの通りに立った途端、僕とN.H師はウェスターン病にかかってしまった。N.H師はその場で、正真正銘トゥームストーンのハット屋で、ウエスタンハットを即購入。私の方はそこで買わなかったことを後々まで長きに渡り後悔することとなった。これ以来ウエスタンハットは公園旅行の必須アイテムとなった。私は後の帰国直前にLA近郊の専門店で購入し、やりきれない気持ちをごまかした。その他、ここの歴史的な決闘酒場では、ガンマンの格好をしたおじさんがマイクで「そこの階段の手すりにある弾痕は、18**年の決闘で誰々が撃ったあとで・・・」というような解説を特徴的な語りで解説していたのがとても印象的だった。アメリカの歴史を肌で感じたトゥームストーンを後にしそれから約210マイル走行し、21:09、テキサス州エルパソに到着、2日目の宿をとった。ここまでLAから約920マイル走行している。

つづく。
◎連載 マウンテンライオンを探して
第17回: TX, NM, AZ, CA、大陸1/3横断? -エルパソ到着-


ロサンゼルスから合計して20時間近く走行してテキサス州エルパソが2日目の宿となった。テキサスのエルパソという町がメキシコとの国境の町ということはなぜか以前から知っていた。夜9時頃宿に到着したのだが、部屋に入り食事をした後やはり国境付近がどうなっているのか気になり一人で見学に出かけた。以前、知人の手伝いでメキシコからの不法入国についてのドキュメンタリーの取材撮影を何度かしたことがあったが、その現状を知り国境や不法入国ということについて興味を持っていた。灼熱の砂漠を2週間歩いて、エルグランド川を渡り柵を超えて入国するのである。密入国組織のトンネルや特殊トラックという手段などもある。深夜12時近かったが、有刺鉄線付きの高い柵の向こうに幅の狭いエルグランド川が流れ、その向こうのメキシコの様子も見えた。エルパソ自体国境の町ということであまり綺麗でなく一言で「危ない街」に見えたが、その2枚の柵の向こうは汚く小さいぼろ小屋が連なるいわゆるスラムに見えた。国境沿いを一時間近く走行してみたが、その柵にそって大体300メートルから500メートル間隔?ぐらいか、ボーダーパトロール、国境警察の車が待機しており、その中にはちゃんと警察官が乗っていてアリ一匹通さない位の意気込みを感じた。深夜12時でも。そこまでしてあの高い柵を超えてくる人達がいるのだろうか?人けのない砂漠エリアから越えてくるのは分かるが。。次の朝も少し様子を見に行ったぐらいに印象的な光景だった。島国日本ではありえない。。10:11、エルパソを離れついに最も遠い目的地、カールスバット国立公園に向かった。南西部のフリーウエイを走行していると大半が砂漠のような広大な土地だがそれは同時に広大な軍用地であることも多い。アメリカが軍需産業の国であることがよくわかる。そしてそんな軍用地、もしくは空港がエルパソから比較的近いところにもあったのだが、そこからなぜかとんでもなく風が強く吹き始めた。するとその軍用地?から直系1.5メートルぐらいの得体の知れない物体が、風に吹かれて次々と飛び出してくる。まるでテレビゲームをしているように、それをよけながらの走行。結局何かは今でも分からないが、なにか枯れた植物の茎か根かわらのようなものが風に吹かれて絡まって大きなボールにでもなったように見えた。そのゲームを終え、ガス屋で給油。そこも本当に風が強かったことをよく覚えている。給油を終え出発、また何もない砂漠のような道をひたすら進む。すると前方になにか検問所のような建物と警官のような人が。。あわててスピードを落とし近づいていくと停止しろと手振りが。以前の悪い記憶、空軍に拘束された苦い思い出がすぐに頭をよぎった。。でもここは普通の道路で軍用地ではないはず。。いや、知らずにまた入ってしまったのか。。呼吸を整え、そして平然のフリをし、ウインドウを下げた。そして平然を装うためこちらから「hi」と話しかけた。。確実に動揺していたが。。どんな会話だったか、たしか「何処へ行く?」「カールスバット」「どこから来た?」「ロサンゼルス」というような内容だった気がする。そんな会話をしながら回りをちらっと見ると、止まっているポリカーにはボーダーパトロールの文字が。「あれーーー?国境越えようとしちゃってるわけー、道間違えてる?、ヤバイ。。」内心そう思いさらに動揺したが、なんとか冷静さを保った。すると「学生か?パスポートと身分証明書を見せろ」ときた。学生証と免許証は持っていたがパスポートは持ってないと伝えると、「お前ら留学生だろ。旅行をするときはビザとパスポート携行してないとだめだろ」ときた。やばくなってきた。ここで強気に出るとまずい気がして、「あいっけねー。すいませんでした」とへらへらしながら謝ったらなんとか事なきを得たと思ったが、今度は後ろ座席を覗き、トールH氏に「同じ学校か?」と聞いた。H氏は一瞬間を置き平気で「そうです」と嘘を付き、合計数分の尋問だけで解放された。今まで国内旅行をいくつかしてきたが、アメリカにいる留学生は旅行する時、パスポートを携行しなくてはいけなかった。アメリカ生活も3年で、馴染んだつもりでいてそんなことは忘れていた。それもともかく、さっきの検問は国境で、道をまちがえたのか?とも思ったがそれもなかった。そこは多分国境からそれなりの距離もあったはずだか、そこまでもして不法入国を取り締まっているということであるらしい。この約2年後、YO氏もカールスバットに行き同じ検問で捕まったのということだが、その時はかなりの時間尋問されたということだった。40分か1時間だったか。。私たちは運が良かった方らしい。
つづく・・・
第18回: TX, NM, AZ, CA、米大陸1/3横断?
       −世界遺産・カールスバット大洞窟—


検問を超え快調に砂漠そして山地を高速の速さで進んでいった。すると途中突然、Guadalupe Mountains NP・ガダロペマウンテンズ国立公園 http://www.nps.gov/gumo/index.htm http://www.webshots.com/search?query=Guadalupe+NP いう予期せぬ看板が表われた。知られざる国立公園が出てきてしまったのだ。計画では公園が閉まるであろう17時18時ぐらいにはカールスバットを見終われるであろうぐらいであったが、その未知の国立公園に寄るとなるとカールスバットは明日に持ち越しとなり、その後は当然ずれ込んでいく。しかしその代わりに、新たな国立公園を見、公式パンフも獲得できる。。特に具体的な旅行スケジュールがあったわけではないが、少し迷った末、私はカールスバットに向かう選択肢をうっすら表明した。他の2人はガダロペ寄ろうぜ的な態度であったが、運転手重視的な雰囲気を持ち出し、協議の末カールスバット直行という決議を採択させた。たしかその直後あたりだったと思うが、車後輪あたりで異音を感じ初めた。音というか振動というか。。ガガガガガというような。一番恐れていた車の故障が発生した可能性が高いと思い一気に気分までもがよろしくない方向へと。。車を止めてチェックすべきであるが、走行には直接支障がないように思えた、そう信じたかったので、無視してとにかく公園なりのそれなりの場所まで逃げ切ることだけに集中するという緊急体制に入った。何せ前のガス屋まで戻るとすると2時間ぐらいか、先は地図を見てもそれらしき町まで数十キロ。砂漠とも岩場ともいえぬ何もない山地の荒野で走行不能となれば・・・。一番起こってほしくなかった事態に直面しかかっていると思い気分は相当悪かったが、そのまま走行することができ、なんとか、世界遺産・カールスバット大洞窟国立公園 Carlsbad Caverns NP http://www.nps.gov/CAVE/index.htm の駐車場までひとまず逃げ切ることができた。到着したのは午後三時前ぐらい。修理なりの対応に時間がかかるのは必死であると思い、まずは車を無視して気分も忘れ、無理やり取り直し、目的である公園をまわった。こういう楽天的な思考、行動ができるようになったのも燦燦と降り注ぐ太陽の国3年在住のカリフォルニアボケの賜物か・・。

まずは一度是非みてみたかった、コウモリが10万羽ぐらいいっせいに飛び出てくるという洞窟の入り口、そっち方向に歩いている時点から何か「おかしい」ということに気づいた。人がいない・・。時間帯が違うのかなんなのか・・・。到着し案内板を見た結果、どうやら季節が違ったらしい。。洞窟の中は何事もなく、一匹のコウモリすらなく、円形の観客席にも当然人っ子一人いなかった。もちろんそんなことは事前に調べずに出発。当然起こっても仕方のないことであるが、それを最初っから知っていては、この最後の機会に出発すらできなかったではないか。またまた気を取り直し、公園としての主の地下大洞窟に向かった。トールH氏の国立公園年間パスのおかげで今回もただで入場(通常10〜20ドルくらい)、地下に向かう200メートル以上の長いエレヴェーターを下ると、そこには世界最大級の地下鍾乳洞空間が。もっとも広い連続した空間はその名の通り、フットボールコートの大きさ。上下の深さもあり、横の長さはたしか100キロ以上?とかもあるぐらいの地下巨大空間。長い地下空間トレイルを周り、悪いことは完全に忘れ切り、大自然の芸術を存分に堪能した。
地上に戻り、そして現実に戻り直面し、恐る恐る車の後ろ部分を見てみた。するとどうやら過去にも経験がある、タイヤの表面の破裂で一部が盛り上がり、その部分がガガガガいっているのではないかという自己診断に至った。原因は空気の入れすぎで、また同じ過ちをおかしたという事になった。対処としてはスペアータイヤか店で交換であるが、タイヤは積んでいたが、レンチがなく、公園の最寄のガス屋で聞いたところ、一番近いカールスバットシティーにはウォルマートもあり、当然メカニックも何軒かあるということで、そこまでゆっくりその異音騒音振動を堪能しながら、20マイル程我慢して移動することにした。カールスバットシティーはウォルマートもあるぐらいでそこそこの町だったが、さすがに日の暮れた時間まで営業している自動車工場はなく、ウォルマートの自動車整備場を一応チェックし、その日は厄除けとしてレンチを購入し翌朝修理することとした。カールスバットシティーまでLAから1155マイル。20時にはモーテルに入った。翌朝、一人で当てもなく修理できる場所を探し始めたが、すぐに道路から空き地の奥に見える安そうな中古タイヤ屋の看板を発見、舗装されてない水溜りのでこぼこな道を進み、昔を思わせるような景色の奥のぼろ工場で、なぜかだらしなく汚いハンケツ出してたウルトラローライズのメキシカンのオッサンが交換し、20ドルという安い値段でピンチから回復、4日目の出発を無事に迎えることとなった。
第19回: TX, NM, AZ, CA、米大陸1/3横断?
-−ロズウェルとホワイトサンズNM—


一日の行軍が終了した後、モーテルでその日の移動の軌跡や翌日のおおよその道筋などを、ひいきにしているRAND McNALLY社 http://store.randmcnally.com/category/us+maps.do の紙の大きな地図でじっくり確認をするのが一つの楽しみになっている。国立公園の公式マップを集めているぐらいで地図がサブ趣味の一つだか、どうやらアメリカではどの本屋に行っても、また旅行先の売り場などでも必ずこのランドマクナリー社の地図は置いてあるので、むしろこれしか目に付かないので地図市場ではこの会社がかなり幅を利かせているらしい。確かに実際に使って気に入っている。日本国産の地図でここまでの定番になっているシリーズはないし。全くの余談だが。ネット発達で大きく地図市場の形が変わったが、でかくて使いにくい否定の部分に同時に、大きな紙に一つながりで位置関係や距離感覚が分かるという古き良き部分があるのさ。モニターではスクロールするとそういう感覚はつかめない・・。夜、カールスバットシティーのモーテルのベッドで、紙の地図、LocalシリーズでもStateシリーズでもない、広範囲が見渡せる西部、中部、東部の3つに分かれているRegionalシリーズの、ランドマクナリー社合衆国西部地図を広げて見ていると、一つの見逃せない、ただならぬ地名が予期せず目に入ってきた。それは「ROSWELL」。そうあのUFO墜落、UFOそのもので有名な街であり、新しく確立されたUFO青春ラブストーリー系ドラマのタイトルそのものであり、数々のUFO関連映画でおなじみのあのロズウェル。もちろん教科書的ドラマX-FILEでもおなじみの。翌日はホワイトサンズに向かうつもりであったが、この機会を逃せば多分一生訪れることはないだろう。しかし自分が提案するこの“こと”の重大さも理解しながら、おもにH.N師に恐る恐る「ロズウェル近い・・。つまり行きたいな・・」的なことを発言すると、案の定、「え、この人何言っているの、え?」的な冷たいという一言では言い表せられない否定の態度が。。これは数年後久しぶりに再会したときにも話題に持ち出してきたぐらいに信じられない尋常でない事件だったらしい。しかし、私から提案されてしまったということは、相当のしつこい戦いに勝たなければ覆すことができないめんどうくさい事柄と理解している彼らは最後には飲まざるをえなかった。トールH氏は支持派であったと信じてはいるが。。2006.1.13日、09:09、空気圧よし、ガソリンよしでモーテル出発。11時過ぎにはロズウェル付近に到着した。するとさっそく前方に確認できない黒い飛行物体が!はやくもUFOかと思ったが本当に何が飛んでいるのか理解することができず、ビデオカメラの望遠で確認するとどうやら初代F117ナイトホーク「ステルス戦闘機」http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2362963/2726239 らしい。当然飛んでいるところを初めて見たのだが、形もなんとなく円形に近く、色も真っ黒で見慣れないものが飛んでいるという印象をうけた。空軍基地がもちろんあるのだが、もしこれを基地の遠くで見たのであればUFOと思うであろうと思ったし、昔から軍で見慣れない形の飛行機の実験などが行われていたとしたらUFOと間違えるだろうなあとも感じた。11:30、UFOミュージアム http://www.roswellufomuseum.com/ 到着。テレビなどでは見たことがあったと思うが、実際あの宇宙人解体の実物大の模型があり、まあまあ人生における記念碑的なイベントにはなった。昼飯を直ぐ近くのメキシカンバッフェで食べ、13:00ロズウェルを出発、本来通るはずではなかったルートでホワイトサンズへ向かった。予定外の行動は予期せぬ出来事を生み、「ビリーザキッド伝説記念館」http://www.billybyway.com/byway-center-a.html のような場所に偶然立ち寄った。なぜあえて伝説と加えたかというと、そこにいたセンターのおばちゃんが、そんなに聞いてもないのにビリーザキッドについての話は信憑性がないようなこと言っていたから。確かにここの資料を見てもビリーザキッドの具体的な悪行については触れていない。しかし、Webに写真もあるが、便所に置いてあった等身大の熊の彫り物には本当に驚いた。たしかその時はトイレの電気も消えていたし。多分名物になっているのであろう。
このような寄り道をして、アライグマがたくさんひかれて死んでいる道を進み ホワイトサンズ国定公園 http://www.nps.gov/whsa/index.htm 到着は15:30ぐらいであった。入り口でちょっと来るのが遅いくらいの事を言われた気がするが、間に合い駐車場に車を置いて白い異次元世界へのトレイルを歩き始めた。ホワイトサンズはその名のままで白い砂の砂丘。ただし普通の茶色の砂漠や普通の山々のエリアに突然出現していて、しかもかなり広大。しばらくそのトレイルを歩くとギリの時間が逆に効果を生み、ちょうど日没の瞬間を一面白い砂漠の別世界で迎えることができた。白い砂の世界が赤い夕日に染まった。その貴重な風景を目で見て、カメラの像に写しこむこともできた。しかし、すぐに暗くなり、もしもう少し奥まで歩いていたら駐車場まで帰るのも難しかったかもしれなかった。看板が立っていて、入り口にも砂丘入場者名簿みたいなものが置いてあったが、暗闇で方向感覚がなくなり遭難する事故も時折起こるであろうことも実感できた。17:30、ホワイトサンズを出発、メインの公園はこれで終了してしまい少しでもLAに近づいてから宿を探そうということで、21:52、ニューメキシコ州を出て再びアリゾナ州入州、11:06、Wilcoxというフリーウェイ10沿いの町のモーテル6に入り4日目の工程が終了した。
第20回: TX, NM, AZ, CA、米大陸1/3横断?
−チリカワ国定公園―旅終了帰LA—


アリゾナ州ウィルコックスが最後の宿泊地となったのだが、ここもトゥームストーン同様西部開拓時代色が強い古き良き町に見えた。モーテルのベランダから遠くの山々や荒れた原野のような土壌、貨物列車の通過やフリーウェーが見渡せ、さらに汽車の汽笛の音も加わり独特のアメリカらしい景色が広がっていた。今回の旅行もトールH氏の的確なリサーチのおかげでポイントをついた効率的な旅となっていたが、最後の目的地は チリカワ国定公園 http://aminao.com/national_park/parks/chiricahua/chiricahua.htm となった。それはウィルコックスから35マイル一時間弱牧草地をメキシコ国境側に行ったところにあった。ここは国立公園でもなく国定公園でトールH氏から初めて聞いた公園で、行ってみるまで何のどんな公園かも知らなかったが、基本的に巨大な岩々が織り成す自然美な公園であった。その公園の一番奥の山頂付近の駐車場に車を止め、トレイルを楽しむという公園満喫コースであったが、さすがに5日連続2000マイルに及ぶ運転と、最終日に残してしまった距離と時間のことを考えて、めずらしく私は無理をせずに車のところで2人のトレッキングを待つという行動をとった。自分自身が運転をしていないと景色の変化のない荒野をひたすら車に乗っているだけの旅行では退屈でどうかなりそうになるということや、車の事情からほぼ全工程を自分が運転していた為、さすがに少し疲れを感じていた。いままでそれなりの数の公園を訪れたが、こんなにゆったりと公園内で過ごすのはこれが初めてだった。山頂駐車場付近の狭い範囲からだけでも、その珍しい巨大な岩々の景色はいろんな角度から見渡すことができ、展望室の写真解説を見たり、典型的アメリカ家族がサンドイッチを食べている風景などを、ぼーと見ながら過ごした。残りの2人は、バランスロックという、あり得ない大きさの岩があり得ないバランスで積み重なっている岩をトレイルの先で見てきたということだった。15:30、最後の公園を後にしLAに向かって帰っていった。途中、10フリーウェイ上で高速走行中、2度大型コヨーテに直前を横断されそうになりながら、深夜12時過ぎても眠気の中まだアリゾナを走っていることにくじけそうになりながらも、3:35無事故無違反で無事にノルマンディーのアジトに到着、最大の旅を終えることができた。マウンテンライオン関連は何もなしで。総走行距離2380マイル=3830キロ、総経費190ドル=2万円弱の格安、公園数4つの5日間に渡る旅であった。


写真:ウィルコックスの町とチリカワへの途中にいた牛
◎連載 マウンテンライオンを探して
第21回:Sequoia NP, Kings Canyon NPで最後の掃討作戦。そして再びのDeath Valley NP


4州を横断、往復2400マイルの最大の旅行を大成功のうちに終えてなお三人の興奮は冷めやらず、むしろ旅行欲は高まりすぐに次のプランが持ち上がった。2006年1月25日26日(この文章着手までに6年半以上、前回の旅文からも2年半以上経過してしまった・・)の2日間のいつもながらの強行軍で、最後になるかもしれないライオン狩りナショナルパークツアーに出た。日程と予算の制限、そして近場で行きそびれたNPを塗りつぶすという意図からSequoia NPとKings Canyon NPが目的地となり、さらに近場公園の抱き合わせと、そしてこの一連の国立公園旅行の出発点となった人生観が変わった地(コメント5参照)を最後にもう一度総まとめとして訪れるという意味でのDeath Valley NP再び、という地元カルフォルニアの誇る3公園の旅となった。数々の長旅行を経てもう庭と化したフリーウェイ14を走行、ベーカーズフィールドを通過し、朝7時の出発から4時間余りでセコイア国立公園に到着した。セコイア国立公園 http://www.nps.gov/seki/index.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92 はその公園名にもなっている巨木「セコイアの木」がいっぱい生えている公園であることは知っていたが、行ってみて始めて知ることもやはりある。そこには地球上最大の生命体がいた。「シャーマン将軍の木」は体積にして世界最大の生き物だということだった。実際幹回りも桁外れ、高さも驚愕、高くなっても極太のままの先太さも桁はずれ、途中から出ている枝もいわゆる枝とは訳が違った馬鹿でかさだった。ちなみに「セコイア」は北米トヨタ最大サイズの車(ランクルよりでかい)の車名としても使われている。しかしそんな桁外れの巨木があるセコイアの木エリア以外ではなんか普通の木の森で、ただの普通の素晴らしい森の国立公園だった。もう一つ来てみなくてはわからなかったことでそして恐れていたことは、国立公園パンフレットだった。数を集めていた為、セコイアとキングスキャ二オンは別に2つのパンフを用意していてくれて欲しかったが、名前だけが分かれていて、場所も隣接、公園管轄も一緒、パンフも一緒という残念な結果だった。そして本題の、車を止め雪がまばらに残る森に少しだけ入り、少しだけの間マウンテンライオンをそれとなく探したが対面するはずもなく、17時前にはそそくさと次のデスバレーに向かった。地図上では結構隣で近く、同じカルフォルニア内の庭先で少し油断もしていたのだが、セコイア公園の道なりに山を下って帰り道を走行していくと、気がつけば反対側に下りていて、デスバレーまで大回りをしなくてはいけないとんでもない距離になっていた。実はセコイアとデスバレーの間にある、シエラネバダ山脈を貫通する最短の道はそもそもなかったのだ。地図だけではシエラネバダ山脈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%8D%E3%83%90%E3%83%80%E5%B1%B1%E8%84%88_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD) のロッキー山脈を越える北米随一の高さ険しさは分からなかった。どうやら一度引き返すしか道がなかったらしい。これも行かないとわからないことだったが。いやちゃんと調べていれば分かったはず・・。かなりくじけたが気を取り直し、20:00再びベーカーズフィールドを経由しデスバレーに向かった。想像以上に過酷な夜の長距離走を経て、だんだんと記憶に残る看板などが出てきてデスバレー国立公園に到着したのは深夜1時半になってしまっていた。でもこんな深夜に有名国立公園を走行する機会は珍しく貴重な経験をしているのだと、再び気をとりなおしまだ場所も目安すら立っていない宿を求めて走行を続けた。確かに深夜2時ではいくら超有名国立公園であっても、対向車は1、2時間走っても数台という感じであった。一度来ていたので宿がありそうな街もなんとなくわかり、また、前回の70年に一度の花の見頃とは違いオフシーズンでもあった為、2時半にはStage Coach Hotel & Casinoという宿を見つけ入ることができた。

写真左、中:シャーマン将軍の木 右:マウンテンライオン捜索の様子
翌朝、私は前回の4州横断の旅で心残りになっていた「カウボーイハット」が諦めきれず、強引に見つかるまで探す腹を2人に隠し持っていたが、10軒ぐらいしか店がない小さな町の一軒が奇跡的に帽子専門店で、早速店に入った。お目当てのハットには出会えなかったが、その隣の郷土展示室のようなところで「ゴーストタウン」の情報をそこにいた案内のおばさんから聞くことができた。この予期せぬ偶然が旅の醍醐味である。もちろん3人とも近くにゴーストタウンがあることなど知らず早速向かった。Rhyolite(Nv) http://www.rhyolitenevada.com/ と呼ばれるその町に到着するとそこには半壊した石造りの建物が転々とあり、まさに本物の西部劇時代の遺跡であった。そしてゴーストタウンと呼ばれるだけのなにか薄気味悪さも漂っていた。ゴールドラッシュに沸く1904年に突然町が生まれ、最盛期には8千人にまで増え、そしてわずか十数年後の1919年には郵便局が閉鎖し瞬く間にゴーストタウンになったという。突然予期せず来たが、アメリカ独自の古い歴史を体感できる貴重な時間を経験できた。十分に写真も撮り、当初の目的地のデスバレーに向かった。前回のデスバレー旅で大まかにポイントは抑えていたので、前回大雨で道が流れ行くことができなかったダンテズビューという眺望ポイントに向かった。長野県の広さと同じという公園全体が見渡せ、近くで見ると塩の塊だったエリアが雲のように見えたり2度来ても十分に楽しむことができた。しかし、ゴーストタウンの感動の余韻が消えず、ハプニング欲が高まり、急遽マンザナーNHS http://www.nps.gov/manz/index.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%83%BC%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80 が近くにあることが頭をよぎってしまった。デスバレー同様地図的に近いナショナルパークシステム管轄の国定歴史史跡であり、またリトル東京日系マーケットをこよなく愛し、米国にそれなりの期間滞在した日本人として、帰国の前に行っておくべきであるとも判断した。デスバレーのダンテズビューを発ったのが14:30頃であった。前夜同様長距離の砂漠道を目的地まで急いだのだが、マンザナーに到着したのは18:30頃になり、18:00に門が閉ざされた後であった。日が落ちたマジックアワーの薄暗い中門の向こうの広い土地と、その向こうにそびえ立つシエラネバダ山脈の景色は目に焼き付けることはできた。その代わりでもないが、本当に帰国直前、リトル東京の日系人博物館はしっかりと見てまわった。今回の旅は家からの距離も近かった為、11:30には無事ノルマンディーのアジトに帰着することができた。旅の記録からガス宿代が一人$53、NH師のカジノ成績−$20、私の成績−$8という旅だった。(TH氏記録)


写真左中:ゴーストタウン 右:ダンテズビュー

ログインすると、残り6件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

M.L.C. 更新情報

M.L.C.のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング