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ミスター・ノックアウトコミュのRoberto Duran

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 パナマの英雄中デュランが、世界チャンピオンへの足固めを、日本の小林弘で作った事実は、どれほど知られているだろうか?
 1971年7月、小林がアルフレッド・エスカレラ(ベネズエラ)にWBA世界Jライト級王者を明け渡した時、即引退するであろうとの見方が強かった。ところが以外にも中村信一会長は小林をパナマに連れて行って、デュランと対戦させたのである。
 当時のデュランはデビュー以来無敗の27連勝、うち23KOという凄さで、世界に名前は知られていた。小林にまず勝算ないのに、あえてデュランと対戦させた中村会長の真意は?
 先人が後進にチャンスを与える事によって、ボクシング界の人材回転が上手くいく、という中村会長の考えによるものだった。パナマは世界チャンピオンに成る前の小林が修行のため立ち寄った地。かつて学んだ土地に育つ有望新鋭にチャンスを与えるのは中村会長の本望だった。
 小林を破ったデュランは、世界上位進出を果たし、それから3戦目の1972年6月ケン・ブキャナンから、世界ライト級タイトルを奪取したのである。以後、10連続ノックアウト防衛は当時(全階級)のレコードで有った。
 WBCのJフェザー級でウイフレド・ゴメスが17連続ノックアウト防衛をしたが、これと比してもなんら色あせる事の無い大記録である。
 デュランは判定で11度目の防衛を果たした後の1978年1月にWBCライト級チャンピオン、エステバン・デ・へススと統一戦をやって、12回KO勝ちした。
 チャンピオンに成ってからのノンタイトル戦で、ただ一つ記録されていた黒星が、エステバン・デ・へススに喫したものであったが、これで2勝1敗とし完全に決着を付けた。そして、せっかく統一したタイトルを惜しげもなく返上してしまうあたりが並みのボクサーではない。ウェートの維持が難しかった為では有るが、Jウェルター級をと通り越して、ウェルター級のタイトルを狙ってでた。
 1980年6月20日、モントリオールでWBC世界ウェルター級チャンピオンのシュガー・レイ・レナードに挑戦したデュランは、やや不利の予想を覆して2階級制覇を成し遂げた。
 シュガー・レイ・レナード500万ドル(当時の換算で、11億円位)デュラン150万ドル(3億3千万)というファイトマネーは、ヘビー級をしのぐ金額であった。パナマ大統領が仕立てた特別機で凱旋したデュランは、これまでにも増して英雄に成っていた。パナマの6月20日は「ロベルト・デュランの日」として祝日に成ったのだ。

コメント(7)

デュランのファイティングスピリットは、すごいですね。
あれだけ長く続けていたら、戦意は落ちると思うのですが、貪欲に強い相手を求める姿勢には、頭が下がります。

おかげでビッグネームのタイトルマッチが、実現したんだから、ありがたいです。

シュガー・レイとの試合は、かなり分が悪いと思ってたんですが、やってくれましたね。

国民の休日になるなんて、デュランファンは嬉しいがぎりです。

小林がタイトルを失った試合は、押していて私はもう勝ったと思ってたんですが、不用意な一発を食らって、逆転KO負けでしたね。  すごいショックでした。
あれから日本の王者が次々に負けていったと思いますが。
デュランいいですね。
シュガー・レイに勝ったのは感動でしたね。
ハーンズに負けたのはショックでしたが、あのリーチ差はいかんともしがたい。
とってぃさん、はじめまして。
小林は押してたのですか。たいしたものですね。
最近、日本人が歴史に残るような名ボクサーと対戦してませんねえ。リカルド・ロペスくらいかな。
 やはりデュランは、みんなの憧れスパースターですよね。

>とってぃさん
 70年代の後半って、本当に勝てなかったですよね。
ちょいとオーバーですが、日本ボクシング界にとって暗黒の時代だったように思います。
でも、負けても負けても応援していましたよ。(笑)


>ニャロメさん
 ハーンズ戦の、一発KOは本当に衝撃的でしたよね。やはり、体格差があったんですかね。
 対戦相手もそうですが、そろそろ強い日本人チャンピオンを見たいですね。
遂にデュラン登場ですね。チャンピオンのすべての要件を最高レベルで兼ね備えている僕の永遠の偶像です。右の写真はデュランの当時の愛妻フェリシダド?ですね。リングジャパンのビデオ「栄光の記録」にはデュランが妻の名前の歌を歌っているめずらしい映像が収録されています。デュランは、メキシコ人の父とパナマ人の母親の間に生まれたハーフですが、両国の特性を持ち合わせてこんなに強くなったのでしょうかね。レイ・アーセルとフレディ・ブラウンという二人の名トレーナーの存在もまた伝説の一部という感じですね。デュランがラウンドの合間に椅子に腰をおろしているコーナーの後ろに彼ら二人の姿がある・・・最高に絵になります。そして、ゴングがなると、デュランの腰に手を当て身体を持ち上げて送り出すよね。立ち上がる時に身体に負担がないようにしてあげているのでしょうか。ああ、とにかくすべてがかっこいいです。

丸腰デパートさん>エスカレラではなくてマルカノですね。
1980,6,20
光陰、矢の如し。四半世紀がすでに経過しておるんですよね、
夢の超特急に勝利した、その事に意味があるんでしょう、
真剣で対自する緊張感、本当に素晴らしい試合でしたね。
デュラン渾身の、一世一代の戦い、悲しいかなその頂には
再びたつ事は叶うはずもなく。uno mass syugger rey

yumewa karenoho kakemeguru
>丸腰デパートさん
70年代は、実力のある日本人ボクサーが、少なかったこともあったけど、私見ですが、育て方にも問題があったと思います。
咬ませ犬ばかりとやらせて戦績を上げて、世界ランク入りしたら、すぐにお金を積んでタイトルマッチを組む。  っていうのが多々あったと思います。  もっと強い人とやらせて、経験とテクニックを勉強させるべきだったと思います。

中南米は貧しくて、腕一本でのし上がってきた人との差は歴然でした。

>ニャロメさん
はじめまして、よろしくです。
そうなんです。小林は残念でした。  順番は分からないけど、西条が負けて、沼田が負けて、石松も本文に出てくるヘススに負けて、大場は亡くなるし、まさに暗黒の時代でした。
リカルド・ロペスは息の長いボクサーでしたね。  

>まりおさん
またまた裏話、ありがとうございます。
そんな有名なトレーナーだたんですか!  3人一体でボクシングに取り組んでたんですね。  デュランという宝石を3人で育ててたんですね。  感動です。

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