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真正保守の会「米田建三」応援団コミュの米田建三より支援者の皆様へ

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平成18年10月吉日
謀略か?半年前の酒席のハナシをネタに私への誹謗中傷
           事の経緯と私の見解
                              米田建三
支援者各位

謹啓、皆様には時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。平素は私への暖かいご支援、誠にありがとうございます。お蔭様をもちまして、全国各地に10の地域後援会を結成していただき、約30団体の支援も決定しております。
 さて、既にお聞き及びの方もおられるとは思いますが、京都の弁護士南出氏が5ヶ月も前の酒宴の席での問題を持ち出し、小生に対する誹謗・中傷を行い、また加えて、私を称揚する記事を書いた「国民新聞社」に対し、記事の撤回と謝罪を要求するという非常識な行動に出ております。
当初私は、南出氏が自らのHPに「独り言」として書いているものと、黙殺しておりました。ところが、「兵庫通信」や「国民新聞」を使って誹謗中傷が広まるに従い、看過できない状況になりました。そこで、以下、記事(同封・最新号国民新聞のゲラ)の内容に沿う形で、事実の真相と私のコメントを述べてまいりたいと思います。
(○は南出氏の主張に対する見解、●は国民新聞にゲラ原稿の修正を要望をしたが入れられなかったこと等)
尚、国民新聞は字数限定ながら私の追加反論コメントの掲載を了解いてしました。念のため同封いたします。

〇まず、南出氏との出会いは以下のようであった。

この春、私の古くからの有力支持者A氏の紹介で、私が著名な思想家B氏に会ったとき、B氏の弟子として夫妻でB氏に随伴してきた。そのときが初めての出会いである。
その後、某団体の元幹部が日本商工連盟に顔がきくからと、京都に呼び出されて紹介され、挨拶してすぐ東京へトンボ帰りということがあった。
次に、いよいよ同連盟に連れて行くということで、南出夫妻が上京してきたが、要するに某団体元幹部からの根回し不充分なまま、自分が連れて行くという話。しかも、連盟とは無縁の氏の友人、ディベート学会某氏と待ち合わせて同道。政治的推薦の要請にしては、何とも珍妙な面々で連盟訪問。大いに恥をかかされた。しかし、小生はぐっとこらえ、夜の会食を設定したのである。その際、ディベート某氏が私の親しい赤池代議士を知っているというので、同代議士も招待した。
つまり、南出氏とは、計3回しか会ったことがなく、しかも、いつも複数で、正式な議論などする機会はもっていないのだ。

〇次に、酒宴の論議の中身である。
察するに、南出氏の皇室霊的存在説と小生の皇室観の違いが、同氏の怒りを買い、小生の片言隻句を捕らえ、誇張歪曲されるに至ったのではないか。
小生は元来、天皇国家家父長論者で、政治家として公の場で言うことはないが、心情的には、「自らの考えを主張する強い皇室、天皇」の存在を熱望している。
戦後体制は敗戦国家の延長であるというのが、小生の認識である。皇室、天皇は本来、その変革の闘いの先頭に立っていただきたいというのが小生の夢でもある。
マッカーサーのもとに昭和天皇自らが出向かれたこと自体が悔しい。
皇室が戦後GHQ平和主義のシンボル化されていることについても不満である。
靖国参拝についても、政府の方針がどうであれ、皇族のどなたかが断固参拝していただきたいと思っている。
天皇をいっさい要望や批評の対象としない霊的神聖存在説とは、立場が違う。
いたずらに皇室・天皇を神格化し、国家国民に対し超然とする絶対無謬の霊的存在などと、まるで皇室・天皇を空中に浮かぶ精霊のように唱導しても、時代が受け入れるところではない。国家国民と不可分の皇室、国家国民のために存在する皇室。それが未来永劫存続の道ではないか。
・また、私は、皇室は日本人の総本家であるという論者である。律令体制下において、皇族は六代にして臣籍に降下し、源氏、平氏、橘氏などの姓を賜って、列島の各地に根を張っていった。皇学館大学学長・伴五十嗣郎先生が説かれるとおり、日本人の家系はほとんどが源平藤橘の四姓に整理できる。不肖米田氏も清和源氏の末流である。世間普通に存在する日本の氏のほとんどが、皇統の末流につながるという意識のもと、日本人は、皇室は総本家、天皇は家父長という意識をもってきた。だからこそ、戦乱相次ぐ歴史のなかでも存続してきたのである。
・したがって、皇室を尊崇すれども、個々の皇族や天皇の事跡につき、国益に関するそれぞれの思想的立場から評価、批判はありうる。
 けれども、私は昭和天皇、マッカーサー会見のくだりで、「命乞い」「臆病者」「卑怯者」という言葉は絶対に使っていない。「(戦争に負けたとはいえ)昭和天皇がマッカーサーを訪問するのでなく、マッカーサーの方から昭和天皇に会いに来るべき」という趣旨が、「昭和天皇は命乞いをした臆病者である」と不敬な言葉になるのだろうか。
また、「国民は先祖を辿れば皇室の血筋」という趣旨が「私は天皇の血筋であり、私の方が今の天皇より天皇らしい素質がある」などという不敬きわまりない言葉となるのだろうか。たぶん南出氏が勝手に拡大解釈し、誇張と曲解を加えたのだろう。
わたしがそんな不敬な発言をしたならば、自民党の「伝統と創造の会」事務局長赤池代議士が止めないわけがない。

南出氏は国民新聞のゲラ原稿で「小生はこれに憤慨し、少し酔っていたこともあって」思わず、「本心ならぶっ殺すぞ」と大声で怒鳴ったと述懐しているが、この言葉は法曹界の人にあるまじき「脅迫」である。彼はそれほどまでに酒に酔い錯乱していたのか。
しかし、弁護士夫妻が席を立ったのは、「憤慨して」ではなく、新幹線の時間が迫っていたため、当方ときちんと挨拶を交わし、また米田も見送って粛々と東京駅に向かったのである。
だいたい、それ程お酒に酔っていて、何ヶ月も前の酒宴の席の言葉を正確に記憶しているという方が怪しいではないか。そして、宴席への彼関連の同席者二人まで、かれに同調する証言をしていると聞いては、ますますおかしい。

〇しかも、当方が設定し(即ち当方の勘定もち)、弁護士某夫妻を含む複数の参加者による宴席での談論風発をネタに、その後、じっくり語る間も持たず、いきなり世間への発信に打って出た。一宿一飯の仁義というものを知らぬ奴だ。今回、彼に対し激怒しているのは、当初の紹介役、前述のA氏、B氏だ。挙に打って出る前に師と仰ぐ人物や紹介役に意見、了解を求めるのが普通であろう。その結果、素面で再び会い、冷静な話になったかもしれない。その手順がなかった。

○ 翌朝の話はまったく曲解や誇張ではなく、捏造以外の何者でもない。
「翌朝になってから、小生は米田氏に対し、昨日の発言は本心なのか、と電話で確認すると、米田氏は、これを一切否定することなく、『私は天皇抜きの民族主義者である』旨を断言したので、小生は、米田氏が不倶戴天の敵であることが解り、『それならば共産党と同じではないか』と告げると、『そんなもんだ』と開き直ってこれを認めたので、今後は敢然絶交することを宣言したことがありました」
とあるが、これは全てがデタラメである。
・ 翌朝、電話をしたのは小生からである。前夜、会合等があれば、労をねぎらうのが政治家としての慣わしだからだ。すると、南出氏の口調がおかしい。「正直言って腰が引けた(支援する気が薄らいだ)」というのだ。何か皇室に関する議論があったが、観念的皇室崇拝主義者の彼の神経を逆なでしたかなと、とっさに思い、「私は強い天皇を望んでいるんですよ」と言ったことを記憶している。それに対し、弁護士某は「それは左翼の考え方だ」と一方的なきめつけをし、「とにかく私の諸論文を読んで、考え方を聞かせてくださいよ」と小生に要望し、電話を切ったのである。
だから、「天皇抜きの民族主義者」「共産党」を認めたわけでも何でもない。
そもそも、「天皇抜きの民族主義」などありえない概念ではないか。また、それが
共産主義と同趣旨に論ずとは、何を考えているのか。
「今後は敢然と絶交することを宣言した」などと自分を千両役者に仕立てているが、事実はごく平穏なやりとりだった。

〇国家の危機管理、防衛体制の大転換がはかられなければ、後10年で日本は中共の勢力圏内になる。今こそ保守団結連携のとき。「祖国防衛国民統一戦線」結成のときである。皇室論の差異で、敵呼ばわりとは、まことにものの解らぬ人である。日本人の大半がノンポリか戦後リベラルだ。小生を攻撃している暇があったら、日本中を攻撃して歩いたらどうか。

●次に南出氏の原稿を全面記載し、私の反論をわずか数百字に絞った国民新聞社に対して疑問がある。対面取材は、こちらの要望に対し、やっとしぶしぶ了承し、しかも原稿に訂正が効かない段階でのものだった。政治生命に関わる問題では、夜討ち朝駆けで対面取材をするのがジャーナリストの道ではないか。
第一は、記事冒頭で南出氏申し入れ書全文掲載はいかがなものか。あらかじめ、南出氏側に立つことを宣明しているようなものではないか。
再三同紙に指摘したとおり、まったく相手にされずに恥をかいた商工政治連盟への紹介を皮切りに、状況描写等に隠蔽と芝居がかった嘘がある。
国民新聞が南出氏に対しあらかじめ全面降伏している印象だ。
新聞社として、当事者たちに対し超然としている品位を見せていいのではないか。
「米田支援記事に対し、骨子このような抗議が寄せられた」と、要約するのが普通だ。

●私は南出氏が、9月4日付のホームページで私を中傷をしていることを知っていた。当初私はこれを黙殺しようと考えていた。なぜなら、半年も前の酒の席での言葉をいちいち覚えているほうがおかしいので、公開質問状や新聞沙汰などと大げさになる前まで「はっきり覚えていない」と心配して問い合わせてくる方々に回答してきた。
記事では、米田氏に問いただすと「発言内容を否定も肯定もせず、酒の席でどういう議論をしたか、ハッキリ覚えていないと答えた」とあるが、この回答には前述したような背景がある。黙殺しようとしていたからだ。しかし、公開質問状が国民新聞に来ていて、「取材としての返答を求める」と聞かされていたら、「きっぱりと、事実無根。そのような発言はしていない」と答えたはずだ。それが国民新聞からの電話では取材を受けているというよりも、「真正保守の会の広告は一般人が対象にならないのではないか」などという後援者としての記者の話の延長で最後に「京都の弁護士と飲み会でなんかあった?云々」と、聞かれたら黙殺するという意味で「人間、半年前の宴席のことなどハッキリ覚えている筈がない」と答えたのだ。
だから、「反論はしない。こんなことで、私を支援する人が支援をやめても構わない」
という記述はあまりにひどい表現だ。
何故ならば、前述したとおり国民新聞の山田氏は、私の支援者であり、一般論として、メディア等で反論はしないのかと問われたと理解したから、まさか、国民新聞が記事にするための取材だとは思っていなかったのだ。また、「支援する人云々」についても、「こんな非難を信じる人はまい」という思いでいた。以上のような経緯を改めて説明し、誤解を招くので記事から削除を申し入れたがされなかった。

●次に、私の天皇観について云々の部分は、私の思想としても大事な所なので以下のように正確にしてもらいたかったが容れられなかった。
「皇室を建国の始祖の万世一系の家系、文化伝統の中心として尊崇しているが、無条件個人崇拝ではない。個々の時代の天皇、皇室のあり方については、当然、皇室の存続を願うがゆえに、意見がある。私は天皇を国家民族の長とする、国家家父長論者。」南出氏は原理主義的な天皇無謬説と推察するが、天皇を霊的存在とし、一切の批評評価を許さぬ立場にたっているのではないか。そのあたりが口論の原因に思う。

●次に、南出氏の連れである二氏の証言をもって、「米田を暴論、妄言吐く素性と断定している」が、南出氏の連れである二氏は、何故、半年も前の他者の会話を持続的に記憶していたのか。二人は証言を示し合わせていたということはないのか。
その前に、山田氏が語った証人二氏に対する取材の仕方にも疑問がある。
「あの時、米田氏と南出氏はどのような話をしていましたか」と聞くべきであろう。
それを、「南出氏が、あの時に米田氏がこう言ったといっている」と断定して、「確かにそうでしたか」と聞いたそうだ。これではまるで誘導尋問ではないのか。このような聞き方をすると、確かではないが、そんなことを言ったような気もする場合、「わかりません」ではなく、「たぶんそのような感じだったのではないでしょうか」となってしまう。
さらに、「そのような感じ」と「そのとおり」ではまったく意味が違ってしまうが、実際どうだったのか。聞き取りには慎重を重ね、正確さを期してほしかった。

●「味方の中に敵を見つける」のが持論の南出氏に狙いをつけられ、あちこちに文書を巻かれた苦衷は理解できるが、新聞社としてお詫びしてしまうのは、自虐的すぎる。。ここは、両論ありとするのがマスコミの通例だ。

以上が私の南出氏と国民新聞社に対する感想である。
北朝鮮が核実験を行い、極東情勢が緊迫化して「米田に国政復帰を」と望む声は膨らみつつあります。
長文の手紙となりましたが、ぜひ支援者の皆様には、客観的に当時の状況をご推定頂き、判断賜りますようお願い申し上げます。
なお、米田建三は、万難を乗り越えて、来年の参議院選挙の勝利をめざして邁進してまいる所存です。                       
                                  敬具

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