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自由主義教会コミュのミクシーで福音しよう♪

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イエス様の愛を福音しましょう!

私の好きなマザー・テレサの言葉です。

だれからも必要とされず、だれからも愛されていないと
いう心の貧しさ、それは一切れのパンに飢えているより
ももっとひどい貧しさなんじゃないかと、私は思うの。


コメント(5)

心の貧しいひとは幸いである
とイエスさまは山上の説教でこう語られますよね。クリスチャンの中でもよく言われることですが、人との関係ではなく神との関係を求めなさい、ということです。
そうしたら誰からも愛されていないという人との関係は確かにパンに飢えるより貧しいのですが、そこでイエスさまはさらに心の貧しいものは幸いであると語っているのですね。
信じるとか、信仰を追及するとかって、おそらくこの世的な貧しさとは紙一重の状態の厳しさがあるような気がします。

イエスさまはその貧しさのかたわらにも常に寄り添っている。それは福音ですね。
教会員の皆さん、自由主義教会は現在9人を迎えることが
できました。
これも神様の恵みと証でしょう。静かに祈りましょう♪
わたしは初めて参加しました。わたしは神学を少し研究しています。現在的なカトリックの一元的宗教世界観には反対の立場です。グノーシスの指摘した意味で<神ハナゼ人トナラレタノカ>と設問するとき 人間存在の<哀しみ>の溢れるような哀切を自問します。そして<和解を求める信仰>(カール・バルト)、詳しく言えば<和解は和解を求めて問いつづける(qudeーrens intelletum)こととして為される>、即ち、キリストのお言葉と教会の信仰告白として信仰(fides)は在ると、換言すれば、既に語られ既に肯定され、追体験・対思考することであると 措定されているのではないかと思います。そうしてこそ、わたし(たち)は、肉の存在の深い悲しみを自らが抱くことができるのではないでしょうか・・・・。これからも参加します。よろしくお願いします。
<和解は和解を求めて問いつづける(qudeーrens
intelletum)こととして為される>
神への問いかけにこそ、信仰の本質があると思います。
それは内心に在るイエス様を祈りの中に導くことであり、
絶えず私達は、問いかけなくてはいけないです。

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、
行わせておられるのは神である」(フィリピ2:13)
ごめんなさい quderens です。改行になると考えてハイホンをつけました。訂正します。<和解を求める信仰=イデス・クワエレンス・インデレクトウス>のことを書きました。ラピタさんの意見に賛成です。わたし(たち)が存在する<自然>は有限存在ですが、神が語れる<世界>は永遠(無限)存在です。そのためにこそ信仰告白という<方法>を、神はわたし(たち)にお授けになったのではないか・・と考えます。そして、わたし(たち)が<世界>を自己了解するときの<時間>は、有限からの無限時間へのイマジネーションですが、自然過程=人間が神になるということは絶対にありえないことを、自己了解の起点に置かなければ、人間はヒトラーや天皇のうのように<戦争による膨大な死者>の生産に血塗られた手として、加担する結果になると思います。信仰告白は自己の解体を目的的の方法です。自己の存在の深い悲しみを不断に内部の敵である利己心への断罪として、対象化し続けなればならないと考えています。

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