ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

他人(ひと)の仕事にモタれる コミュのモタレ・モタラシ二元論再考 「モタナイ」について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
久しぶりに登場します。モタレ管理人のひーくんです。

昨夜はナンパに失敗し、モタレ・モタラシてもない存在「モタナイ」についてcanondaleさんと議論をしました。

石川のナンパスポット「松○海浜公園駐車場」にてナンパ待ち女性と思われる集団へナンパを試みたのだが失敗に終わった(3全敗)。ナンパ待ち女性を「モタレナンパ待ち女性」と定義すると、我々グループは「モタラシナンパ男性」と定義されます。我々グループはモタレナンパ女性のもとめる利益に合致する遊びの諸提案が出来ず結果的にナンパ「負け」となってしまった。女性陣へ選択の機会を与えたという意味では「モタラシ」たのかもしれないのだが、相対論をひとまず置いておき、結果から考察するに、我々はモタレてもモタラシてもいないことになる。

canondale氏は「モタレ・モタラシ」にも当てはまらない存在を「モタナイ」と定義した。

コメント(12)

やっぱり、対象に効用(顔がいいとか、車が外車だとか、話がうまいとかいった)をもたらせなかったわけだから、「モタラセナカッタアン」なのでは?
その後、ナンパに負けた我々は「社会調査」の名目でナンパ成功車両を追跡し、一連のナンパプロセスを調査することにしたがあっさり振り切られてしまった(660ccジムニーでは普通車の加速に追いつけず)

「社会調査」というのはあくまで負けた事実への言い訳である。しかし、妙に納得してしまう節がある。なぜだろうか?

おそらく、負けたこと・主体的に活動する(←→客観的・観察的)ことが出来ない状況において自らの活動を正当化するにふさわしい言い訳であるからだ。しかし、いくら社会調査としてナンパの諸プロセスを分析したところで、モタレナンパ待ち女性に”遊び”をモタラすことが出来ない。これはナンパに限ったことではない。

つまり、「社会調査」目的のサブカルチャー研究家は主体的活動を行わない(モタレ・モタラシどちらでもない)「モタナイ」ではないだろうか?
>1

ネーミングの話に限定すると、それなら、

モタラセナカッタン(Motarasenakattan)

あるいは、

モタラセナアカン(Motarasenaakan)

というのもありか。

モタナイ(Motanai)というのは、変態における連続的でリニアな変化を仮定したときに、どちらかに変化する直前のどちらでもない状態を指して、こう呼んだのでした。
>2

たしかに、仕事や研究は与えられた環境や時間のなかでレスポンシブルに実行しないと評価されません。締切りの過ぎた後で、いろいろ言い訳したり糊塗してもね。つじつまを合わせるのは、期限に間に合うから意味があるともいえる。

また、

>しかし、いくら社会調査としてナンパの諸プロセスを分析したところで、
>モタレナンパ待ち女性に”遊び”をモタラすことが出来ない。

これと同様の構造は、庄司薫『ぼくの大好きな青髭』の中で、「十字架回収委員会」を研究する会のメンバーが自嘲的に言う場面に見られる。30年前の本だ。

「ぼくたちは解釈するだけのちゃちなコマネズミ」

行動への憧れや行動しないことの後ろめたさ。
昔は書斎派と称してアイデンティティを示せたが、いまではヒッキーと間違われるかもしれない。
でも、人間自体はあまり変っていない。
ちなみに、モタナイ(motanai)を最初に定義したのは、TOPIC「モタレアンからモタラシアンへ 「レラシ変態」の可能性」の5<変態のリニア構造仮説の可能性について>です。
しかし、こうした議論を喚起せしめたのは、ほかならぬひーくんとその一味による勇気ある行動の結果だとも言える。

ある種の行為は意図しないモタラシを生じさせることがある、ということが観察されたわけである。
<モタナイの存在意義>

モタナイとは、モタレアンでもモタラシアンでもない存在。

モタレアン→モタナイ→モタラシアン

モタラシアン→モタナイ→モタレアン

最初の記述は上記のとおり。しかし、モタレアンでもあり、同時にモタラシアンでもある状態だってあるし、その逆もある。それは以前にも指摘した。


それでは、モタナイの存在意義とは何なのか。二元論を避けるための単なる「中間子的な」概念なのか。もう少し積極的な意味づけをしようとしたらどうなるだろうか。

一つの可能性を考えてみる。

人間は複雑な存在である。表面上はモタナイでありながら、潜在的モタレアン、潜在的モタラシアンの可能性もあるだろう。あるいは、モタナイをモタラシアンにもモタレアンにもなれる超越した存在と位置づけることもできるだろう。

モタレ・モタラシ関係を超越し、どちらにも変化できる存在。それを単なる中間子的モタナイと区別し、超自我の例に倣って、スーパー・モタナイ(super motanai)と呼んだらどうだろうか。

スーパー・モタナイはモタレ・モタラシ関係に一時的に組み込まれても、その立場にとらわれず自分のあり方を変えることができる存在であり、文脈に依存しない存在である。その特徴を漢字2文字で表すとすれば <自在>ということになるだろう。
ナンパしたこともされたこともないので、あまり議論に参加できませんが・・・。

ここで興味深いことは
モタラシアンが積極的にモタレアンにもたらそうとしている
ことじゃないでしょうか。
通常の関係ではモタレアンが自ら選びモタレていくはず。
ということは、ナンパする側もされる側もモタレアンと解釈できます。恋愛などと同様ある面ではモタレアンであり、ある面ではモタラシアンでありうる。失敗したのは求めているモタレが合致しなかったからでしょう。
いや、かなり本質的な点で議論に参加されていてありがたいのですが・・・

>モタラシアンが積極的にモタレアンにもたらそうとしている

これはまったくそのとおりですね。恋愛と一緒です。

ナンパする側がモタラシアンでありながら、じつはモタレアンでもあるということを理解しやすくするために、ナンパするほうのモタレというのを、もう少し説明してほしいのですけど、単純にいえば、

 ナンパに成功させてほしい

ということにモタレテいるということでいいですか?

また、求めているモタレの「合致」とは、どういうことでしょう。つまり、こういうことですか。

こちらのモタレに相手のモタラシが「合致」することはあります。

ナンパを成功させてほしい(モタレ)
ナンパを成功させてあげる(モタラシ)

これなら片一方だけのモタレ・モタラシ関係なのだけど、当然、女の子のほうにもモタレがあって、(できたら)タイプの男の子に出会いたいといった願いがあるわけです。

ナンパされたい(モタレ)
ナンパしてあげる(モタラシ)

いわば需要と供給の関係ですが、「合致」には、片方向の「合致」と両方向の「合致」があって、2つの片方向の「合致」はじつは同じコインの両面の関係にあるわけです。こういう理解でいいですか?


MOAIさんの指摘、

>通常の関係ではモタレアンが自ら選びモタレていくはず。

は、積極的なモタラシという視点を改めて提示し、さらに、積極的なモタラシはモタレにつながる可能性をはらんでいるということを含意するものですね。
以前投稿したつもりになっていたのですが、かきこできてなかったみたいなのでもう一度;

>ナンパするほうのモタレというのを、もう少し説明してほしいのですけど
ナンパする方のモタレとは、例えば「好みの異性と食事がしたい」ということ。ナンパされる方のモタラシは「好みの異性との食事」をする時間または状況をあたえているというイメージです。
あくまで私の勝手なイメージであり、私のナンパイメージが間違っている、時代がかっているかもしれません。その点はご了承ください。

しかしナンパされる方ももちろん「好みの異性との食事」がモタレであり、ナンパする方がそれをモタラシているともとらえられます。
モタレの合致とは例えば「好み」の合致、提供する状況・時間の合致(食事かカラオケか、食事ならばイタリアンかなど)などモタレの条件の合致と考えます。

モタレとは寄生つまり一方(モタレ)は得をするけれど他方(モタラシ)は損をする状態であるととらえています。恋愛(理想の恋愛)や擬似(一時?)恋愛であるナンパは相利共生(どちらも得)です。生物は自分の損失を望みません。積極的なモタラシはその点で、モタレと表裏一体であると考えています。
MOAIさん、どうもありがとうございます。

「ナンパ=相利共生論」の誕生。
「モタナイ」・・
  なんと魅惑的。
  どちらでもない、どちらにもなるって
                 いいね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

他人(ひと)の仕事にモタれる  更新情報

他人(ひと)の仕事にモタれる のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング