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左右の視点コミュの人権!自由民権運動と人権の系譜・考察(右派

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板垣死すとも自由は死せず!
坂本龍馬の影響を受け明治政府に参加するも後に野に下り、”武”を”論”に変え闘っていた。
その闘いを「自由民権運動」という。
大久保暗殺されるという知らせが飛ぶと共に一人の明治,大正、昭和を西郷隆盛が残した「士魂」ととも似駆け抜け、日本のフィクサーと呼ばれGHQが何よりも恐れた人物が板垣の元を野良着のまま訪れ3日間座り込む。
その人物こそ「自由民権運動」から「国権主義」に転向し「アジア主義」に至り、韓国の「金玉均」の亡命を支援し、中国の国父「孫文」の亡命、その先の「辛亥革命」をバックアップ。
インド独立運動家「ビバりー・ポーズ」を日本・イギリス政府の圧力から守り抜き、フィリピン独立運動には武器の密輸を企て、アフガン、エチオピアにまで支援の手を広げ徹底的に「帝国主義」と闘った武闘派政治結社。

  「玄洋社」であり、そこの代表「頭山満」である。

玄洋社からは多くの人物を輩出し、多くの人物が士魂一つで独立運動に参加し血を流している。
その強引、堅固、崇高、無欲な活動はかなりGHQにゆがめられた。
戦後右翼の走りと言われるが、そのようなスケールのものではないだろう。
人権運動においても板垣直系である。
今、この右傾化と言われる時代だからこそ、人権、にこだわり続けた「玄洋社」を見直すと共に、「人権」についての再考察もしてみようではありませんか。

コメント(73)

日本的な感性はどちらかというと、「和を以って尊しとなす」の方が古くて馴染みやすいなって思います。
そうなると720年あたり
近代的な民主主義は「人民の人民による人民のための政治」
このあたりですかね。
そうなると1863年

人権はそこから派生した権利として捉えると、まず公あっての権利かなと思える27才の初夏。

であります(笑
過程が大事ですよね。
著しくアンバランスだった時代においては、人権人権と声高に叫び続けることが必要だった。それはなぜ必要だったかを考えるべきであり、時代背景や個々の思想家が活躍した期間との関係も考慮せねばと。
今はそういう時期ではない、すなわち人権ヤクザの出番ではない気がします。バランスから言って公の意義を見直す時期かと。

そのあたりデソさんはさすがですね。
思想史系は私は疎いもので。
人権思想のルーツかどうかはちょっと自信はありませんが、押し付けられた物ではなく日本的に変容していく過程では重要になると思ってはいます。
もともと、尊重の文化はあったという事ですね。
近代的な欧米思考だけではないなとは思います。

その前提において、階級が受け入れらていたかはわかりませんが、長い期間存在していたのは、僕も教科書的な抑圧ではないような気が致します。

是非お誘いください。
とても、ありがたいです。
少し視点を変えると
国家主義と個人主義はカードの裏表なんです。
個人に不利益なこと、また民衆にとって不利益なことを平然と行う政府に異をとなる。
また逆で国家がしっかりしているとその政府を守るため国家主義になる。

アナーキストと言われる人たちは多くの右的な思想を抱えています。
それ故に極左から極右に転向するのは本当に小さいきっかけでもあるんです。
そのサンプルが日本共産党がソ連の傀儡になったとき沢山の共産党員が右に転向しました。
社会党の右派、日本愛国党の赤尾敏氏などが良い例です。
元々アナーキストとに右も左もないと思うのですが、、
日本のアナーキスト(自称)は名前ばかりで自己中心的な人が多いと思います。
これはエゴイズムであり個人主義ではないのですがその境界線があいまいであり人権を盾に他者の人権を踏みにじる。
このmixiにも自称アナーキストがネウヨを虫扱いしてたり罵倒誹謗してますがあれは決してアナーキストでもなくなんちゃて過激派でしかありません。
本当の意味で人権を深く考え、個人と国家のバランスを考え、個人の権利人権ためには国家を敵に回す、または人権・権利を侵害するものは国家として厳しく対応する。
これが理想です。



しか日本的というのは此処に天皇制が加わるんですよねw
あとエッタ、ヨツなどの日本が抱える問題は古くから存在するそうです。
あるところで読んだのですがソースは損失しています。

日本は古来女性を中心にする乱婚社会、
男は奴隷か戦士であり、子供を産む女性がもっとも神に近いものとしてあがめられた。
しかし外部から家父長制度を持ち込み日本を侵略し、その証として神社を建設したのが国譲りに見られるときの大和朝廷

要は前者が
熊蘇 夷 であり縄文文化をになうものそれらが時の政権から阻害、疎まれた。
それが現在のヨツ エッタのはじまり。

後者が渡来人を中心にする弥生文化

こんな感じの話がありました。

歴史には必ず敗残者がいます。その敗残者の歴史は語られませんが山奥で隠れるように過ごした人たちは多いでしょう。
それらが俗に言う山禍と呼ばれ疎まれたのかもしれません。
その反面サンカこそ天皇の民であり、平等を尊ぶものであるという誇りもあったと言う話を聞いたことがあります。
ごめんなさい、横から失礼しますが、
他所で、国家により人権が抑圧されたという認識の方と口論になっておりまして、いきさつは↓これなんですが・・・
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18899196&comment_count=232&comm_id=189071
<タニタニ氏>
みなさんのご意見と共に、又反対側の意見の更なる重厚さを増すためにも、ここにお呼びしてもよろしいでしょうか?
テーマが逸れる心配はありますが、彼も人権がテーマにはなっているはずなので。
トップのコミュ規約に賛同していただけるのならどしどしサンカ要請してください。
ただ此処は自分の意見を押し通したり、意見の相違を攻撃するのではなく、相違は相違、納得は納得、お互いの立場や考えの違いを認め逢ったり分析する場でもあると言うことをお忘れなく。
はい、それがしたいと思ったんでここにと考えました。
デソさんありがとうございます。
>国家主義と個人主義はカードの裏表なんです

その点は資本主義の完成形が本来の、共産主義である。
とどなかは忘れましたが、仰っていたのを思い出しました。

資本主義は個人主義でしか成立しえないのかと思います。
人権思想を強く提唱しているのは、弱者に対してだと思うわけですが、人権思想では個人主義に走り資本主義向きの考えであるから、実は逆になっていたり。
国の力を強めるという派は、人権をないがしろにする印象を持ちますが、実は国力増強は国家主義であり、共産主義に近いという、矛盾点など感じます。
>日本的というのは此処に天皇制が加わるんですよねw

僕はそれ自体が日本が独創性を持ちえて、変容できた理由だと思うんですよ。
絶対価値の存在を歴史を背景に持てた事は素晴らしいと思います。
様々な言が意味を持ってしまう、民主主義の中で争う事無く最小限まとめるべき言はまとめる事が出来たわけです。
他国であれば、内乱が起こっていてもおかしくないでしょうし、それを沈静化するために、外に仮想敵をつくろうとします。
日本ではそれがなかったのは天皇制の賜物だと感じます。
セトチン
誰でも礼儀・規約を守っていただければ歓迎です。
そして勉強になればいつでも学姿勢をこのコミュの方は持ち合わせてると思います。
勿論私も学させていただきますよ。
>西洋だったら皆殺しなのかな。

本当に日本好きなんですね
僕はその発想思い浮かばなかったです。
そういわれてみればそうですね。
認めきれない文化や価値観を持っている者の存在を認めるという意味では、最高の生命至上主義かもしれませんね。
日本も虐殺といえる歴史はありますよ。
一向一揆に対する織田信長などはその一例でしょう。
彼自身自分を大六天魔王と名乗ったほどです。
薩摩藩が行った侵攻も沖縄に代表されるように熾烈を極めました。
日本は特別とかそう言うことはないです。
ただ今までの戦争に(内戦)虐殺や民族抹殺まで行かなかったのは天皇の果たした役割は大きいでしょう。
日本の虐殺の歴史というと、織田信長だと僕も思うわけなんですが、あれは武力を持って力をつけていた門徒に対する殺戮、云わば粛清となるのでしょうか?
認識が甘い所なので、サポートしてくださるとありがたいです。

その主体のあり方としては、反乱軍と捉えるべきか、今でいえばテロリズム?レジスト?捉え方として正確なのはなんでしょうね。

同和に関しては昔は、差別というより
「陰のある者」として今の言い方で言えば、かっこいいやら畏れにも似た憧れがあったというような事を聞いた事があります。

そこから、何故被差別=被害者の象徴となったのでしょう?
日本的な排他的行為なのか、欧米的差別の流入なのか、歴史の経緯があまりつかめていません。
お初です

何だか難しいので、よくワカンナイけど、よろしくネ!
>明治以降は同和社会は保護を受けなくなった訳で、百姓も農民に成り下がりました

そこら辺は、欧米文化の流入となんか関係あるのでしょうか?

人権なんていう言葉ではなくごく自然に日本独自に、他者を尊重・敬愛していた文化があったと感じます。
欧米の人権概念とは違いますよね。
その流入にあたって、穢れの思想が悪とみなされ、触らぬ神に・・・のように差別が発生していったのでしょうか・・・?

質問ばかりで申し訳ありません。
大変興味深いものでして。。。
nekobasiさん

よろしくお願いします。大変面白いコミュです。
一緒に勉強しましょう!
聞けば聞くほど、現実的な住み分けが出来ていたような気がしてきます。

教科書などは『圧制』や『辛い階級制度』など表現していますよね。

公と個の関係性の中で、僕自身の意見であれば、風土や環境を受け入れて個を形成していくのが、しっくり来ますので、これらの事がなんとなく良く見えます。
リキエさんは、只今の人権保護はどのように思われます?
ご意見としては、宗教的な観点からになると思うのですが…

階級は解釈の違いはあれども、現在も無形の存在としてあるようにも感じます。

やはり、そこは逃れられない役割分担になると感じました。

今、人権を声高に叫んでいる層というのは、見えない階級(差別)に対してという印象です。
分かりやすいご回答ありがとうございます。

そのご意見頂けて更に、被差別者や少数者というカテゴリーが、ものすごい複雑に枝分かれしていて、誰しもが被差別者・少数者にもなりえている状況かなと思いました。

その原因はというと、やはり公の主体が薄くなり個の主張が個性主義とでもいいますか、価値紊乱状態から来る批判精神の欠如ではないかと思う次第です。

今でこそ、その価値を見直す時期に来ているという流れは、僕はネットの普及による情報社会で真実が云々より、自然な形で所謂「右傾化」に繋がっているように思います。

ちょっと逸れましたね・・・

>次第に国民の理解を得るのも難しくなっているわけです

この一文により思うところが合致したような気がします。
右傾化は、公の主体を問うてるように思います。
そこには、人権を蔑ろにするのではなく、無理のない人権の主体を探ってるようにも見えます。

>、神道でしたら、それぞれは氏族の祖神の神裔
というところから、人々はそれぞれ相違・役割を持つ
対等な立場ということになるかと思います。

これは、「家系図や家柄を尊重し、共同体において規範となる精神を持つ事に繋がる」のでしょうか?
感覚としては、「文化や歴史のつながりをまず大事にし、その下で互いを認め合う」考えになるのでしょうか。
もしそうであるなら、僕は個人的にこちらが理解しやすいです。

人類が三位一体の下、平等というのは
神の下、皆平等であるという考えになるのではないかと思うわけですが、現実に置換えると、皆が神を目指している様にも思えます。
統治者が神という感覚に近いですかね。
となると、ブッシュ大統領とか・・・

それは冗談ですが、日本の近代史において、前者が保守層であり後者が進歩的といわれる層の、大本の考えになっていそうに思います。

となると、やはり人権思想に宗教的感覚は切り離せそうにありませんね。
差別の感情に対しても、公を含むと在り方や正当性などの感性が変わってきているようにも思います。

会社で言えば、面接を行う。それは会社という基盤に利益をもたらすかを見定める行為に当たる訳ですが、それ自体差別的と捉える方は少ない様に思います。
それと同じく、日本という所属母体に対して利益をもたらすか否かという観点を右派の方はもっているように思います。

そこで、ふるいにかけられた者は被差別者となる。

逆に左派は、あくまでも仮定ですが、公に対して権利を比較的多く要求する。
そうだとすると、公が個に利益をもたらすかが重要になる。

そこらの観点の差異があるようにも感じます。
更に、差別に対して補足です。

差別心という感情は、悲しいけれども人間である以上持ってしまう感覚ではないのかと思う訳です。
ハタラキバチの原理で、蜂の集団で怠けている蜂が2割いた場合、それらを別にした時、残りの8割で10割になる訳ですが、新しい10割の集団の中で、又、2割が怠け始めると言います。


その者を、隔離するか、粛清するか、権利を与え成長を促すか、認め放任するか、選択肢は様々ですが、粛清でいえば、人民解放軍なんかを想像します。
戦争の原因として、大義名分として存在している以上、主観に基づかないあり方を、模索するべきだと感じます。
それから以前お伺い致しました。タニタニさん。
承諾して頂けました。
議論に参加していただけたら幸いです。
また、皆様もどうぞ宜しくお願いいたします。

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