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佐伯啓思コミュの自由と民主主義をもうやめる

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コメント(43)

私はこんな読後感想をかきました。

http://plaza.rakuten.co.jp/tsbooks0604/diary/200812210000/

京都学派の問題意識がはじめてわかりました。
日本的価値は「無」が根本にあるといわれてもすぐには理解できませんが、宇宙の変転する秩序に素直にしたがって生きるという考えは昔からあったようにおもいます。
この本を念頭において歴史をふりかえりたいと思いました。
タック殿

日記、読ましていただきまし

ここからは
私の独断と偏見ですが
明治時代でも大きく断絶が発生しているように思います
日露戦争の前と後です

これは司馬遼太郎氏も感じていたのでないでしょうか?
結果的に私が影響うけたと言ったほうが正確かな・・・・

日露戦争までは
ガチで江戸時代に大人になったモノが
最前線でリーダーシップをとっていた
その後、彼らが引退し、それと共に段々と
怪しげな方向に日本が徐々に進んでいくような・・・・

これも
現在読んでいる
『近代日本の右翼思想』
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=6406430&id=885596
からの受け売りの部分が多いですが・・・・
himoon 殿

「日本の愛国心」のP249
『日本の近代化という文明のロジックに内在する思想の問題』
とは何だと思われますか?

私の独断と偏見ですが
近代の持つニヒリズムの問題だと思っています

では
江戸時代において教育をうけて
成人した人と
明治時代において近代教育をうけて
成人した人とでは
どちらがニヒリズムにおちいるか?



日露戦争が
1905年(明治38年)に終わりますから
明治元年に元服した人で
四十歳ぐらい
元年に二十歳の人で
五十八歳ぐらい

会社で言えば
課長・部長・専務ぐらいまでが
江戸時代に育った人々

この10年後には
一気に世代交代し明治生まれ明治育ちが
社会の各方面の管理職につきだす
10年後といえば
1915年(大正4年)
大正といえば大正デモクラシー

大正デモクラシー
を違う表現をすれば
下々の庶民レベルにまで近代が及んだ
すなわちニヒリズムが庶民まで及んだ


生まれ育ちが江戸時代の人々が減り
生まれ育ちが明治時代の人々が増える
その人数の逆転が起ると同時にニヒリズムが一気に加速した
のではないかと私は思ったわけです

そのターニングポイントが
丁度、日露戦争の時に偶然にも来ている
と思ったわけです
himoon 殿

>そこから大正デモ クラシーが興り、
退廃的なニヒリズムが生じたことは間違いないと思います。

秋山真之氏が臨終を、むかえて残した言葉からも
我々が思っていた以上に
ニヒリズムは深刻だったのかもしれません

江戸が生んだ明治
明治が生んだ大正
大正が生んだ昭和

明治時代は
和魂洋才で時代を乗り切ったかのように思っていたが
何かしら現在の我々にも影響している課題があるようですねぇ
佐伯氏の著書
『20世紀とは何だったのか―現代文明論〈下〉「西欧近代」の帰結』
によると

近代の論理的結論としてニヒリズムは訪れる
と言うことで無いでしょうか?

近代資本主義
近代国家
近代科学
これら近代パックの中で暮す我々には
必然的にニヒリズムに直面せざるをえない状況
で無いでしょうか?
「日本の愛国心」について読後感想(とても感想というレベルではありませんが)を書きました。
  http://plaza.rakuten.co.jp/tsbooks0604

 先の戦争の原因は明治政府の近代化路線の中にあるという主張はこれまで満州事変以降の日本の進路に焦点があてられた議論ばかりだったので、明治維新にまで視野をひろげた見方を初めて知りました。

 氏にとっては戦争の原因をめぐる議論よりも、戦争で死んでいった人達の思い、日本の将来のために捨石となると信じて死んだ人達の思いにどう応えるかに関心があります。

 そして「民主主義をもうやめる」でも最後にのべていた日本の精神とは何かが氏の真の関心のあるテーマです。京都学派の歴史觀や無常觀、無心、義に殉ずる、といった概念は日本の文学、歴史書、歌舞伎や演劇、映画などにはよく見られ、実践できるかどうかは別にしても素直に受け入れられる概念です。
くだらない政局を見るたびに、早く自由と民主主義をもうやめて欲しいと思う・・・
最近、思うことですが

保守VS革新
右派VS左派

といった
思想的な議論の
噛合わなさは

どうも
“アナキズム”
にあるように思う

革命家
チェ・ゲバラの映画のCMで
チェ・ゲバラが
『祖国のために!!!』と叫んでいたのが
印象的だった

左翼の革命家も
動機は『祖国のため』からなのです

祖国愛があって
その祖国の政治体制を
右にするか
左にするか
で議論が始まる

ところが
日本では
右でもない
左でもない
アナキストが
自分たちを左と思って
政治の議論に参加するので話がややこしくなる

祖国、国、国家を否定する
アナキズムを持たれるのは
思想信条の自由を保障されている
日本国であるので排除されない

自分がアナキズムであることに無自覚なまま
政治の話に参加されると
非常に話がややこしくなる

政治の話をするには
少なくとも
国家を肯定してから話が始まるので

自分の思想である
アナキズムに忠実であれば

『私は国家否定なので
国家をどうするかという
政治の話はいたしません』

というのが正解ではないのか?



『日本の愛国心』

再読しています

この本は
読んでいて疲れます

日本人であることの
悲しさ
を感じてしまうからかなぁ・・・?


“近代”が思っているより
私、自身の中に染み渡っているような
気がしてきました

自分のなかの“近代”を
自覚するのも難しいほど
“近代”にドップリ漬かっているのかなぁ・・・
 最近「反・幸福論」を読みました。こんにちのような個人の利益追求と権利主張がおおでをふってまかり通る世の中になった理由がわかったような気がしました。
 
 人はすべて平等でなければならず権利と自由は保証されなければならないということは当然とした結果、日本のイエ(血縁)と地縁は崩壊し個人はバラバラとなり無縁社会という言葉に象徴されるような社会となったのは必然の結果だある、という指摘に納得しました。

 長い歴史の中で培われた日本の精神的な伝統や制度を放棄し、安易に自由、平等、権利を表面的な解釈で採用してきた結果が現在の社会状況をまねいたのです。

こうした風潮を生み出した根源は「憲法」といえるのではないでしょうか。アメリカが日本人の精神構造を変えることを目指して憲法を作成したことは間違いないでしょうが、それを安々と受け入れた当時の政治家、知識人の大きな誤りではないでしょうか。
タック殿

“こうした風潮を生み出した根源は「憲法」といえるのではないでしょうか。”

確かに仰る通りの一面があります
憲法は戦後思想の象徴といって良いでしょう



“アメリカが日本人の精神構造を変えることを目指して憲法を作成したことは間違いないでしょうが、それを安々と受け入れた当時の政治家、知識人の大きな誤りではないでしょうか。”


ご意見につけたさして頂くと
このまま現憲法を改正しないままにしておくことは
我々も当時の政治家、知識人と同じ大きな誤りを犯している
ことになります

当時は敗戦してしまった
日本の状況から鑑みて
致し方ないとの
まだまだ言い訳の余地がありますが

現在、このままの憲法を継続してしまうのは
完全に我々に言い訳できない全責任がある
ということになると思います


>>[019]

議論を深めるため
ディベートでなく
ダイアローグのため
質問します


“個人の尊重という概念が無かった時代”

この時代は具体的には
どのぐらいの時期を
さしておられるのでしょうか?





>>[021]

御返答
有難うございます

フェミニズムは
勉強不足であまりよくわかりません

ここは
佐伯先生のコミュニティ
なので

保守主義についてが
中心イッシューだと思います

そこで
また質問です
フェミニズムからは
保守主義はどうとらえられるのでしょうか?

保守主義は
私の定義では
完全な理性にNO
不完全な理性にはYES
を言う
人間観から
始まると思っています

私は
完全な理性にはNO
との態度決定をしています


>>[023]

失礼
伝わっていない
誤解されているところが
ありますので
訂正させていただきます

“理性VS感情”
とは私はどこにも書いていません

私の文章を再読されましたら明らかだと思います

私が提示した
対立軸は
“完全な理性
VS
不完全な理性”

理性と感情とは
書いておりません

普通我々が使う
“理性的な話し合い”
などの理性は認めるが

西洋文明が産み出した
近代主義

近代主義が産み出した
啓蒙主義

その啓蒙主義が
拠り所としている
形而上的理性は
認めないとの立場です

フェミニズムは
形而上的理性
完全な理性
には
どのような立場なのでしょうか?



>>[025]

社会設計主義
全体主義

完全な理性を
想定されています

先の対戦は
まさに政策決定者が
この思想に毒されていた
と思います

現代でも
新自由主義の成立過程で
大きく影響しています

それに
西洋とくに
イギリスでは
左翼思想とは
理性の完全性にYES
を言うのが相場です


>>[027]

“まぁ、例え理念的にそうであったとしても、それを100%本人達が信奉しているのかというと甚だ疑問ですね^-^; ”

この辺り
私の独断と偏見ですが
日本人の常識、
日本人のコモンセンス持っておられると思います

ただ西洋人はそうは
思ってないように思いませんか?



“まともにモノを考えている人間ならば、”

これも日本人のコモンセンスを前提されているような気がします

“まとも”とは
どのような基準なので
しょうか?

私は
西洋
近代主義
啓蒙主義
左翼思想

日本における
“まとも”の共通性
コモンセンスを
喪失さすことに
問題意識をもっております

貴方の“まとも”は
どのようなものでしょうか?




“いかなる論理にも何処かしらに穴があるというようなことには薄々気付いているものなのではないだろうかとわたしなどは思うわけで、

「だからこそ」”

私は

社会に対して破壊的な
思想に対しては自覚的である必要がある
と私は思うわけです



“思想は固定されてはならず、常に研鑽され続けねばならない、というのがわたしの考えです。”

固定的な思想とは?
どのようなものでしょう?

私は思想は固定的でも
固定的でなくても問題としません

社会に対して
破壊的であるか
破壊的でないか

問題にします



>>[029]

研究者でありましたら
フェミニズムの一般的な
意見と

あなた個人の意見を
分けて述べて頂きたい
ところですね

今のところですが
貴方、個人の意見が
多いようですが

まともな研究者でありましたら
そのあたりは敏感なはず
なんですが・・・

また
現代の
“まとも”な研究者でありましたら
“客観的”
との言葉を
簡単には使用するとは
思えません


申し訳ないですが

近代主義については
どう思われていますか?

フェミニズム一般の
考え方と
貴方、個人の考え方
から
お願いします



佐伯さんの「日本の宿命」と養老孟司さんの「無思想の発見」を並べて読むとなかなかおもしろいです。

今の日本の土台が「明治維新以降」になっているのは、外圧によって発生する「攘夷」と「文明開化」という二面性があり、日本の近代化にはもともと矛盾があるとか。そして明治維新から大東亜戦争までがひとつの「攘夷」という名の下の戦争。
黒舟到来の時点で西欧の世界の植民地支配は分かっていて、日本の独立をどうするか、が基本にあった、という説です。そして近代化が進むことによる「精神の空洞化」、大戦犠牲者の思いをわすれてしまうことの危惧。

養老さんは日本人が明治維新やら敗戦でころころ素早い転身ができるのはもともと「思想」がない、と。西洋の個人主義(一神教下の)と日本人もともとの八百万が神、個でなく社会たとえば歌舞伎役者の襲名など、村、家、コミュニティーが規範である、というものの違いがあると。思想がないのだからなににでもなれちゃうわけだと。

「これがいい、これが悪い」というのは、簡単だけど深く掘り下げていけばいくほど簡単な判断はできない気がします。たとえば親。好き嫌いはいえないでしょう(笑。でもその親がどう育ってきたか、それは時代背景や脈々とつながっているものの「ひとつの流れ」の中にある存在としか言えない。
つまり文化伝統ははやりものやブームのようなものでは本質的にはなく、風土や国土の中で培ったもの。もともとあるものを尊ぶのは当たり前である、という感覚の麻痺が危ういと言っているようです。


なので単純に「自由と民主主義をもう止める」という言葉は今の時代、とてもいい投げかけだと思います。

こんなのも参考になるのでは

「未来を変える選択」養老孟司

http://www.youtube.com/watch?v=DzQ_BHLf66E




http://www.youtube.com/watch?v=X6pmPqsW8pM

資本主義と民主主義に未来はあるのか
http://www.youtube.com/watch?v=wrUew2vfH_A

若き日本人による古き良き日本論【1】
>>[035]

色々、ご紹介
有難うございます

私もぜひ
紹介させて下さい

『近衛文麿の戦争責任』
中川八洋著
PHP

自虐戦争史観でもなく
自衛戦争史観でもなく
第三の歴史観が提示されてます

私なりに呼ぶとすると
共産革命戦争史観です


>勘太郎さん

ちょっと検索してみました。こんなかんじでしょうか?

http://www.youtube.com/watch?v=7Ri2dRQnzDA

田母神さんの動画は見たことがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=lS0u6as6KAM

>>[037]

『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』
自由選書
三田村武夫【著】

は読んでみたいと
私も思っています



盧溝橋橋事件

現地、陸軍では
不拡大方向で中国と
協定がまとまろうとしているときに

北支事変派兵宣言を
するのが
近衛文麿です

教科書で習う
軍部の暴走ではないです

そもそも
盧溝橋事件は
死者0人です
打ち合っただけです

だから
事件だったのが

それを
より戦争になるよう
北支事変
から
支那事変
と名前を変えていった
政権は?

近衛内閣です

この次の年に
国家総動員法を
可決します

まさに
国家統制経済
共産主義への
法律を実現してます

流れからは
国家総動員法を
通すために
戦争が必要だったよう
に見えてきます



戦争のための
法律可決か

法律可決のための
戦争か






日本の培ってきた
常識

この常識が
絶対だとは思っていない

恒常不変である
とは思っていない

だからこそ
伝統文化歴史から
常識を新たに見直し
ながら
現実に対処していく

それが
保守主義の立場だ
と私は思っている

左翼の考えでは
常識をとりあえず
全否定

伝統文化歴史を
全否定から

やっていこう
と言うわけだ

その時に
頼りになるのは
“理性”になる

理性に全幅の信頼があるので常識や
伝統文化歴史を全否定
できるわけだけど

どうも
日本の左翼は
どうもそうは
思ってないようだ

現実に対する不満から
始まっているようだ

現実にたいする否定から
始まっているようだ




現実を丸々肯定する
訳でなくて

多々問題もあろうが
よいところもある

今あるよいところは
大切に
徐々に問題解決に
取り組んでいきましょ

が保守主義だと思う



今回
勉強になったのは
何がよい
何がわるい
その価値基準が
違うみたいだ

でも
具体的に
残したい日本の所
を話していけば
同意見だったすると
思うのだが・・・・




話せばわかる

陥っているのかな・・・・


ある程度は
日本人なんだから
話せば分かりますよ

ただ
“ある程度”に
気をつけないと

話せば
わかることもあるし
話しても
わからないところはある



いたって常識的な
オチに落ち着きました



>>[38]

>まさに国家統制経済、共産主義への法律を実現してます。

統制経済だからって共産主義だとは言えないのではないでしょうか。
>>[040] ご指摘通り
挙げさせて頂きますと


共産主義である
統制経済である

共産主義である
統制経済でない

共産主義でない
統制経済である

共産主義でない
統制経済でない


列挙は出来ます



ところで
どの様な
意図から
御質問を?



貴殿の御意見は?



>>[41]

意見は[40]の通りです。その点を言っただけです。
>>[042]
私としましては

無駄な戦争
無益な戦争
をしないために

有益な戦争
をするためには

どうするか?

その為に
話し合いたい

との動機があります



方向性に
御賛同で
ありましたら

深めて
行きたいと
思いましたが・・・・

そうでも
無いようですね

ただただ
指摘したかっただけ

言うことですね



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