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佐伯啓思コミュの西部邁さん 自裁死

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謹んでお悔やみ申し上げます。


評論家の西部邁さんが死去 多摩川で自殺か
2018年01月21日 16:48 朝日新聞デジタル
https://news.headlines.auone.jp/stories/domestic/social/11312789
http://mixi.at/a1XcmLQ

コメント(20)

西部邁さん貫いた「自裁死」独自の最期を決意|東京スポーツ 2018年01月22日
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/893419/

保守派の論客として知られる評論家の西部邁(にしべ・すすむ)さんが21日早朝、東京・大田区田園調布の多摩川河川敷から多摩川に飛び込んで自殺した。救出され都内の病院に搬送されたが、同8時37分に死亡が確認された。78歳だった。著作活動のほか「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)などで活躍した西部さんは50代から独自の死生観を展開。最近、著書などで自殺をほのめかし、独自の「最期」を決意していたようだ。

 21日午前6時40分ごろ、大田区田園調布5丁目の多摩川河川敷で、西部さんの長男から「父親が飛び込んだ」と110番があった。駆け付けた警察官が救出した際には意識がなく、河川敷では遺書が見つかった。長男は同日未明に自宅から姿が見えなくなったため、捜索願を出していた。

 同居する親族は本紙に「つい最近も、外で人と会っている時は元気にハシゴ酒で『首から上は元気なんだ』と上機嫌で朝まで飲んだりしてました。でも、ウチにいるときは頸椎が曲がっていたこともあって『痛い、痛い』とよく昼寝したりはしてました」と語る。

 衝撃的な自殺を遂げたが、親族は意外にも冷静だった。西部さんはかねて独自の死生観を持ち「病院死は嫌だ」と家族に漏らし、著書にもその思いを遺していた。

「過去に喉頭がん、頸椎の病気で入院し『動いてはいけません』と言われたのが、すごく嫌だったようです。自分の最期についても本に書いていたのがすべてだと思います」(親族)

 昨年12月に発売された“最期の書”と帯に記された著書「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)」で西部氏は<病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄(いじ)り回されたくないからだ>と表現。

 病院死ではなく「自裁死」(自殺)を選ぶ可能性に触れ<人生で三度めの述者の短銃入手作戦が、前二回と同じく入手先主の突如の死によって頓挫><自死用の武器調達はおおむね合徳に当たると考えてきた>ともつづっていた。

 4年前に亡くなった愛妻の8年間の自宅介護を振り返り<自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない、そんなことをするのは廉恥心に悖(もと)る、と考える方向での生き方をする者がいて、述者はそうした種類の人間なのである>とも。

 そのうえで、あとがきには西部さんの事務所で日頃から手足となってきた愛娘宛てに<僕はそう遠くない時機にリタイアするつもりなので、そのあとは、できるだけ僕のことは忘れて、悠々と人生を楽しんでほしい>とも書いていた。

 10年近く続いていたTOKYO MXテレビで司会を務めるトーク番組「西部邁ゼミナール」(土曜午前7時05分)に出演し、1月5日に最後の収録を終えていた。番組関係者は「1月分の番組の収録は終わっていました」という。

 番組関係者も西部さんの近著で死生観を理解していたこともあり、動揺が感じられなかった。

「50代の時から自分の生き方の結末を考えていた方で、最近は若者をとにかく励ますことを信条に、私たちともつい先週、朝まで飲んだばかりでした。娘さんや息子さんに迷惑がかからないように人生を終えることはいつもおっしゃってました」(番組関係者)

 北海道・長万部町生まれ、東大在学中は東大自治会委員長として60年安保闘争で指導的役割を果たした。専門は社会経済学で、横浜国立大助教授などを経て東大教養学部教授となった。その後「朝まで生テレビ!」などの討論番組をはじめ、保守の論客として活躍した。

 同番組で司会を続ける田原総一朗氏(83)はこの日、ツイッターで「とてもショックだ。昨年の10月にラジオ番組でご一緒した。奥さんが亡くなって、自分も体調が悪く歩きにくいと言っていた」などとつぶやいた。

 論壇誌「発言者」と後継誌「表現者」を主宰していたが、昨年、顧問を引退。近年は周囲にも自殺の可能性をほのめかす発言をし、翻意を求めても、覚悟を固めた様子だったという。

 西部さんの遺書には「葬式はやらないでほしい」とも書かれていたという。

西部邁『死生論』日本文芸社、1994年11月
http://ymsk2002.hatenablog.com/entry/20090623/1219215594
『私の死亡記事』 文藝春秋編  文春文庫 2004年(単行本 2000年)
「自殺できて安堵しております」 西部邁
http://blog.goo.ne.jp/akira2215/e/468137f1521e6e5cf0a33e9077276f53
エコノミスト を忌み嫌った「保守 の真髄」 西部邁 の過ち (田中秀臣)
オピニオンサイトiRONNA
http://ironna.jp/article/8735
思想家 西部邁の名言_bot @nishibe_bot
実は私は死ぬわけはないのだ。「私」とは「言葉としての私」なのであり、その言葉を支えているのは伝統である。そしてその伝統が不滅なのであるから、私は死なないし、死ねないのである。死ぬことができるのは単なる生命体としての私である。
https://twitter.com/nishibe_bot/status/954558630988337153
翌日の大雪と草津の噴火は偶然なのか。先生の悲しみと怒りのあらわれたのでは。伊藤貫さんとの対談、大好きです。
僕は西部さんについては、ずっと前に討論番組に出演してたのを何度か視たぐらいで、著書は1冊も読んだことがありません。
>>[8]

僕も西部氏には距離を置いていたところがあって(例えば原発や核武装について見解が異なっていた)、彼の著作の熱心な読者とは言えません。
ですから、最初は今回の自死も衝動的なものかと思いました。
弟子筋・盟友の佐伯啓思、栗本慎一郎、呉智英、宮崎哲弥などの影響の方が強かったです。
こんな明るいときもあったんですね。ちなみに立川流事務所は鵜木。あの世で仲良くやっているのかな。https://www.youtube.com/watch?v=t5ntB3LiFww
絶えず問うた、生への覚悟 西部邁さんを悼む 京都大名誉教授・佐伯啓思
朝日新聞DIGITAL 2018年1月25日05時00分
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S13328671.html

西部邁(すすむ)さんが逝去された。予想していたとはいえ、現実となればたいへんに寂しい。その死について他人がとやかくいう筋合いではない。余人にはできぬその激しい生き方の延長上にある強い覚悟をもった死であった。
 私が西部さんと出会ったのは、もう40年以上前になる。若手の経済学者として東大に赴任されたログイン前の続き西部さんとは、毎週、ほとんど夜が明けるまで論じ、笑い、厳しく問い詰められた。私の大学院生活の後半のすべてがそこにあった。この濃密な時間のなかで、西部さんが絶えず問いかけたのは、生への覚悟であった。お前は何を信条にして生きているのか、それを実践しているのか、という問いかけであった。自らの信条も覚悟ももたぬ者が学問や研究などやって何になるのだ、というのである。
 その西部さんが、社会に蔓延(まんえん)する偽善や欺瞞(ぎまん)の言説に我慢がならなかったのは当然であろう。どれほどの高名な学者であれ、社会的な著名人であれ、その言動の根底に偽善やごまかしを見いだせば、西部さんは容赦なかった。その意味で、彼ほど、権力や権威や評判におもねることを嫌った人を私は知らない。
 西部さんは、過敏といってよいほどに繊細な感覚と激しい感情の持ち主であると同時に、冷めきったような理性と論理の持ち主であった。蛮勇ともいいたくなるほどの剛胆(ごうたん)を発揮すると同時に、誰よりも微細な点にまで気を配られた。時に激しい言葉を浴びせると同時に実にやさしい人であった。
 酒場のささいな会話にいたるまで、あらゆる場面が西部さんにとっては真剣な会話であり、それは時としてその場にいるものを当惑させた。なぜなら、会話の内容や仕草(しぐさ)にこそ、その人の生きざまが反映されるからである。あらゆる社交の場に彼が求めたのは、場をわきまえた礼儀や節度であり、公正の感覚であった。決まりきったような党派的意見や個人的な情緒の表出をもっとも嫌っておられた。そしてそれをわきまえぬ者に対する批判の手厳しさは、時として場を凍りつかせることはあっても、正しいのは常に西部さんなのである。
 こうして具体的な場面における精神の働き、そこに示される社交の感覚、それが西部さんの保守主義の本質である。時としては、バランスを失して崩壊しかねない自身の生のあやうさを凝視した者が、そのバランス感覚を、歴史的伝統やすぐれた哲学や文学に求めたのが西部流の保守である。だから、西部さんを「保守の論客」などという立場に回収することにはほとんど意味はなく、まして、「全学連の指導者から保守への転向」などというのは、浅薄な党派的レッテルに過ぎない。
 西部さんが歴史的な伝統から得たもっとも大事な価値は、義へ向けた精神であり、自立の矜持(きょうじ)であり、節度であり、優れたものを前にした謙虚であり、逆にきらったものは、怯懦(きょうだ)や欺瞞であり、虚栄であり、独善的な自己宣伝であった。そして、まさにそうしたものの横行する戦後日本の大衆社会、とりわけ知識人を批判する舌鋒(ぜっぽう)は誰よりも激しかった。これが西部流保守思想であり、彼はそれを社会思想と文明批評を使って敢行したのだ。にもかかわらず、時代の現実を見れば情報化とともに日本社会の大衆化はとどまることを知らない。平成の末期ともなれば、西部さんの絶望も極限まできていたであろう。
 西部さんは、チェスタトンの次の言葉をよく口にしていた。「一人の良い女性、一人の良い友、ひとつの良い思い出、一冊の良い書物」、それがあれば人生は満足だ、と。西部さんは存分に生き、満足して亡くなられたと思う。心からご冥福をお祈りします。
     *
 さえき・けいし 1949年生まれ。社会経済学、経済思想史。著書に『反・幸福論』など。
西部邁さんの不動の精神 保守主義の根底にモラリズム 京都大学名誉教授・佐伯啓思
コラム「日の蔭りの中で」
産経ニュース 2018年1月29日 08:30
http://www.sankei.com/smp/column/news/180129/clm1801290007-s1.html


 去る21日、西部邁(すすむ)さんが逝去された。以前より自死の可能性を公言されていたので、一報を聞いても強い驚きはなかったが、私にはひとつの時代が終わったという実感が襲ってくる。

自裁死というそのやり方について戸惑いもあるかもしれない。しかし、西部さんほど、徹底して物事を考え抜き、自らの意思の統率のもとに置こうとした人はまずいない。その人があらゆる可能性を排除した後で選択した結論であった。その激しい生き方の至極当然の選択であったように私には思われる。

 西部さんというと、決まって「保守の論客」として紹介される。しかし、西部さんの唱えた保守とは何か、いったいどれぐらいの人が分かっているのであろうか。親米保守と対立する反米保守だの、左翼からの転向であるなどという党派的なおしゃべりは西部さんの保守とはほとんど何の関係もない。

 私が初めて西部さんに出会ったのは、40年以上前、まだ大学院生だったころである。その時、経済学者として東大に赴任してこられた西部さんとは、毎週夜を徹して議論するという極めて濃密な時間を持っていた。その時間の大半を使って西部さんが、われわれに向かって話されたのは、いわば生きる上での基本的な価値観、つまり生の信条であり、精神の覚悟であった。時と場合をわきまえた会話、しゃべり方、そしてそこに現れてくるその人の生きざま、それこそがすべてである。

 この社交の場で、西部さんが最も大事にしたのは、言葉であり、誠実さであり、礼節であり、勇気であった。どんなにくだけた酒場の社交においても西部さんは常に真剣な会話を求めたし、ご本人もそれに徹しておられた。逆に、西部さんが最も嫌ったのは、無礼であり、虚飾であり、独善的な自己陶酔であり、不誠実な物言いであった。

 この基本的な態度は死の直前まで全く変わることはなかった。西部さんの保守主義とはこの種の精神の産物であり、この種のモラリズムを根底に持つものなのである。だから彼はことさら言葉遣いには敏感であり、楽しくも意味のある会話こそが保守の神髄だと考えていた。なぜなら言葉こそは伝統そのものであり、まともな言論とはそこに伏在するコモンセンスからしか出てこないからである。

 西部さんの極めて厳しい大衆社会批判も、煎じ詰めれば、それが意味ある会話という伝統を破壊するからであり、またその知識人批判も、知識人こそが、言葉と論理に対して誠実であること、つまり伝統を大切にするはずの存在だったからである。

 私がお会いしたときから、西部さんは不動の人であり、確固たる人であった。しかし、時代は大きく変わりゆく。もうすぐ平成も終わる。西部さんは戦中の生まれである。このような真の知識人を今日の日本が生み出すとはもう思えない。私のような平凡な人間には、ささやかながら、西部さんの意を次の世代に伝えることしかできないが、それで多少なりとも故人の恩義に報えればと思う。
(さえき けいし)



人はいかに最期を迎えるか 西部邁さんの死が問いかける 佐伯啓思・京大名誉教授
朝日新聞 2018年2月2日07時49分 ※有料会員限定記事
https://www.asahi.com/articles/ASL1Y45XKL1YUPQJ003.html
警視庁:西部邁さん自殺ほう助容疑で2人逮捕 MX関係者
2018年04月05日 23:43 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180406/k00/00m/040/158000c
http://mixi.at/a6xEgCL

今年1月に自殺した評論家、西部邁(すすむ)さん(当時78歳)の自殺を手助けしたとして、警視庁捜査1課は5日、埼玉県上尾市富士見2、会社員、青山忠司(54)と東京都江東区福住1、会社員、窪田哲学(45)の両容疑者を自殺ほう助容疑で逮捕した。
両容疑者は容疑を認めており、窪田容疑者は「先生の死生観を尊重して力になりたかった」と供述しているという。

 同課によると、青山容疑者は西部さんが主宰する塾の塾頭をしていたことがあり、窪田容疑者は西部さんが出演していた東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の子会社の番組担当者だった。

 逮捕容疑は1月21日未明、東京都大田区田園調布5の多摩川に西部さんを連れて行き、体にハーネスを装着させるなどして自殺を手助けしたとしている。

 同課によると、遺体発見時、西部さんの体のハーネスと川岸の木がロープで結び付けられていた。西部さんは病気の影響で両手が不自由だったことから、何者かが手助けしたとみて捜査。同日未明に新宿区内で西部さんと一緒に歩く窪田容疑者の姿が防犯カメラに映っていた。

 西部さんの遺書のうち1通は捜査関係者に宛てて「自分の意志による自殺です」という趣旨のことが書かれていたという。西部さんは4年前に妻を亡くし、自殺を口にするようになっていた。

「申し訳ない」西部さんの長女

 西部さんの長女の智子さん(49)は東京都世田谷区の自宅で取材に応じ「2人とも父を慕ってくれていた。なぜ自殺を手伝ってくれと頼んだのか、申し訳ない」と声を詰まらせた。西部さんと青山容疑者は20年来、窪田容疑者は10年来の付き合いだったという。【竹内麻子】【春増翔太、山本佳孝、土江洋範】

窪田容疑者、熱心な「信者」

 「口数が少なくて穏やかだが、内に熱いものを秘めている人だと思っていた」。西部さんが自殺直前に訪れていた新宿区のバーのママは、窪田容疑者の印象をそう振り返る。西部さんと窪田容疑者は1カ月に1度は他の仲間と連れ立って来店する常連だった。

 MXの関係者によると、窪田容疑者は局内でも「西部さんの熱心な信者」として知られ、討論番組「西部邁ゼミナール」を担当していた。番組には青山容疑者がゲスト出演することもあった。この関係者は「追悼番組も3月31日に放映したばかりだった。番組製作に携わるスタッフが事件を起こしていたことが信じられない」と話した。

 西部さんは最近の著書で「これまでに3度自死の準備に取り組んだが、予期不可能な事態で頓挫した」などと語っていた。捜査1課によると、窪田容疑者が自殺に使われたハーネスを用意し、青山容疑者がレンタカーを借りたという。【神保圭作】

【ことば】自殺ほう助

 自殺を決意している人に対し、道具や方法を提供するなど、自殺を容易にする手助けをすること。刑法202条(自殺関与及び同意殺人)に規定されており、法定刑は6月以上7年以下の懲役または禁錮。
・関連資料

『表現者criterion』メールマガジン
【藤井聡】西部邁氏の自殺幇助者の逮捕に思う 〜「言葉」からズレた「振る舞い」〜
2018/04/06
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/
【藤井聡】西部邁氏の「幇助自殺」を考える 〜西部言説の適切な理解のために〜 2018/04/09
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180409/
【浜崎洋介】西部邁自殺幇助者の逮捕を受けて――『表現者クライテリオン』が問われること 2018/04/11
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180411/
【柴山桂太】法律と道徳と 2018/04/10
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180410/

入水こそ日本沈没だったのか?! または西部先生のクライテリオンを問う - 佐藤健志 official site ”Dancing Writer” 2018/04/07
https://goo.gl/LmZJqd

西部さんの最期を送り出された窪田さん、青山さんに一言。- 三浦小太郎ブログ 2018/04/06
http://miura.trycomp.net/?p=4647
「師を謗るな」 - 三浦小太郎ブログ 2018/04/11
http://miura.trycomp.net/?p=4650

「自分や家族のためではなく、先生との関係に殉じた」西部邁氏と自殺ほう助の容疑者を知る一水会・木村三浩氏が証言 - BLOGOS 2018/04/09
http://lite.blogos.com/article/289211/

『表現者criterion』「西部邁」特集号(4月16日発売)

第I部 西部邁を論ず
西部邁氏追悼 ――ひとつの回想/佐伯啓思

https://the-criterion.jp/backnumber/78_201805/

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