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天台本覚思想コミュの難問でした

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本覚を思想にふれたのは今から20年くらいまえでしょうか?
法然について書かれた本の中で発見しました。
 最初の印象は「ヤバッ」でしたね。
 なんかえらいものに遭遇してしまったと思いましね。
  
 その後は栗田勇さんの本や、岩波の「天台本覚論」を折に触れて読むようになりました。とはいえ本覚思想について縷々記されている本がたくさんあるわけではありませんし、本覚思想を渉猟するとはいきませんでしたが、本覚思想が日本人の宗教心、つまりエートス形成のマトリックスとなっていることだけは分かりました。

 10年ほど前からライブハウスなどで、バンドの入れ替わり時などにジャーゴンをまき散らすパフォーマンスをやる機会が何回となくあったのですが、その時にも「音楽の本覚思想性を批判」したりしていました。しかし、本覚思想研究としてはいかにも未熟で、いつか本格的にこれと対峙しなければならない、と感じていました。

 そうこうしているうち、ずう〜っと連載を続けていた音楽系フリーペーパーの「月刊かえる」で新しい連載を始める必要が生まれて、ようやっと「本覚思想」について書こうと思い立ちました。もぅいつまでもなおざりにしておけるほど私も若くなかったですからね。
 
 それから何年、何回に渡って書いたでしょうか。原稿用紙で数百枚にはなるでしょう。
「表本覚」「裏本覚」などの用語を作り出していろいろ書きましたね。
 でも書いているうちに何度も感じましたが本覚思想というのは尾を噛む蛇で、
 本覚思想を批判するつもりがいつしか本覚思想の懐に落ちていたり、
 本覚思想の唾棄すべき部分こそ本覚の醍醐が潜んでいて、
 その魅惑に抗しがたく溺れこんでしまったり、
 いやはや苦しみました。まことに本覚思想は魔性のものでもありますね。
 
 私にとっての本覚思想は仏教の教説としてのそれにとどまらず、
 中世芸能、文化を圧倒的な権力で支配したこと、
 その潮流は仏教教理としての「本覚思想」が消えてしまった後も生活信条や倫理観、美意識となって庶民の意識を決定づけたこと、
 を精細に描くことですね。
 さらには、一度は古色蒼然として消えた本覚思想が新しい用語、ときには外来のものとして復活してくることなども含めて、本覚思想が権力として我々を呪縛している構図にメスを入れたいと思っているのですが。なかなかむつかしいです。


 今わたしは人に「本覚思想とは…」と、問われれば
 「日本人て死んだら仏っていいいますや。あれですわ。人間死んだら生まれる前のところ、はやい話が仏のとこに帰るゆうことですわ。」
 と、とりあえず答えることにしています。本覚思想は思想としてはおそろしく難解だけれども、私たちの情緒的理解はこれまたおそろしく単純な一元論でなされています。ここに本覚の魅力も呪縛も危険もあると思います。

 最近わたしは、この一元論を裂く素材として発見したのが「アール・ブリュット」です。
これがまた強烈です。
 これから先はまた長い話になります。
 つづきはまた日記でも書きましょう。

コメント(1)

すべてはすでに現実のありのままで成仏している、という本覚思想は本当に日本人の精神性の無意識なる基盤を形成していますね。

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