「アルゼンチンの人権のためのエキュメニカル運動」の初期の指導者であった(注:アルゼンチン・メソジスト教会の)フェデリコ・パグラ監督(注:現在は隠退)がこの讃美歌の歌詞を書き、それはラテンアメリカ全土で正義を求める闘いに関わる諸教会にとって真の賛歌となってきました。作曲者のホメロ・ぺレラはこの歌詞をタンゴの旋律に合わせましたが、それは当時までプロテスタントの教会によって避けられてきた表現方式でした。抑圧の力についての告発と神の民にとっての希望という二重のメッセージによって、この歌は、1976年から1983年まで彼らの国を支配した一連の軍事独裁の時代におけるアルゼンチンのキリスト教徒たちのときの声となりました。それはまた、行方不明となった自らの子どもたちの行方に関する情報を非暴力で要求する努力を今日にいたるまで続けている、「五月広場の母親たち」という母親たちのグループの苦しみと闘いにとって、一つの証しとなったのでした。」(歌集Tenemos Esperanza - We have hopeの英文解説より、僕が日本語訳したもの)