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気になる mixi ニュース 保存版コミュの2018年09月01日魔の9月1日 車のハンドルをガードレールへ動かそうとした少女は…

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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5269384&media_id=173

 子どもの自殺が増加する夏休み明け。内閣府調査によると過去42年間に自殺した子どもは1万8048人にのぼる。最も多かった日付は9月1日だった。「学校へ行きたくない」という思いを抱える子は、どんな思いでこの日を迎えるのだろうか。不登校新聞編集長の石井志昂さんは、ある15歳の少女の手記を紹介する。小学6年のときに不登校になった彼女はどうして親にさえSOSを出せなかったのか。

*  *  *
 学校に向かう車の中で、事故に遭えば「学校を休める」とふと思いました。母が持っていた車のハンドルをガードレールのほうへ動かそうとし、怖くなってやめたことがあります。小学6年生の秋のことです。

 小6の秋、私は突然、学校へ行けなくなりました。学校へ行こうと思うと玄関で足が止まってしまったからです。

 いまふり返っても学校へ行けない理由は私自身もわかりません。友だちもいたし、行けば楽しいこともありました。でも学校にいると息苦しくなり、帰ってくるとすごく疲れていて気が重くなりました。

 学校へ行けなくなってからは「行きなさい」と言われることはすごくつらいことでしたが、それとともにイヤだったことがあります。それは大好きな母親と、学校へ「行く」「行かない」を言い合うことでした。

 私はずっと「学校へ行きたくない」という言葉を誰にも言うことができませんでした。学校へ行けないことが悪いことだと思い、「行けない自分」になったことを自分で認めたくなかったからです。また、「行きたくない」と言えば絶対に理由を聞かれます。理由を答えられないのに、自分から「行きたくない」と言うことはできませんでした。

 私がハッキリと「行きたくない」と言わないこともあって、毎朝のように学校へ行くのか、行けないのかという母との言い合いは長引き、結局、学校へ行く時間にはどうしてもまにわなくなって学校を休む……、そのくり返しでした。無理やり車に乗せられて学校へ行くこともありました。事故に遭えばと思っていたのはそのころです。

 あれから3年が経ちましたが、毎年、夏休み明けの新学期が始まるころは無意識に学校のことを考えます。

 冬休みや春休みも同じです。

 中学1年生からは学校へ行ってない人が集まる教育支援センターにも通い始め、自分の居場所ができました。学校とはすこし距離を置き、いろいろな人とお話をしたり、遊んだり、安心してすごせてはいます。

 でも、新学期に近づくにつれて不安になりました。もしかしたらまた「学校へ行きなさい」と言われるのではないかと思っていたからです。

 いまは以前のような不安はありません。母も私のことを理解してくれています。もしも私が中学1年生の私に出会えたら、ぜひ「自分の空間を大事にしてほしい」と伝えたいと思います。

 自分の空間というのは、自分がやりたいことができたり、みんなと楽しくすごせたりする空間ではありません。私にとっては本を読む時間、本を手に持つと自分の空間に入れました。

 自分のまわりの環境がどんなときでも本があれば嫌な感情、人の話し声……、すべてをシャットアウトすることができます。家のリビングにいても、教育支援センターにいても、本を読んでいる時間はちゃんと自分のことが大切にできる。そういう自分の空間があれば、それが安全基地になって、自分が否定されても耐えられます。

 もしもまわりに私と同じような人がいたら、「学校」という1つの場所が全てではないこと、またどんな時でも見方で自分を守ってくれるような、その人の自分の空間を大切にしてほしいと思っています。

かすみ(仮名、15歳・女性)

*  *  *
 この手記は、当事者の心の内側、それも一番、言葉になりづらい部分を明確に示してくれた手記でした。

 学校で苦しいことがあった子どもが、一番、言葉にできないのは「学校へ行きたくない」という一言です。

 SOSは出しづらいんです。とくに追い詰められ、苦しんでいる子どもほどSOSを発するのは難しくなります。それは、不登校の子どもだけでなく、大人も同じです。

 学校へ行きたくないと言えなかった理由はかすみさんが書いていたように「学校へ行けないことが悪いことだ」と思っていたからです。自ら進んで罪を犯すことができない、親を困らせたくないというのが当事者心理です。

 また「行きたくない」と言えなかったのは「理由が答えられないから」とも指摘していました。かすみちゃんのように「理由がわからない」という不登校の子どもも多くいます。これまでの取材では、背景としては4つのパターンがありました。

(1)純粋に理由が見当たらないため

(2)苦しすぎる経験ゆえに当時の記憶を失ったため

(3)理由が重層的で言葉にできないため

(4)深刻な原因だと思えないため

 最近、10代からよく聞くのが「深刻な原因だと思えない」というパターンです。「行きたくないほどの理由じゃないんだけれど……」という語り出しで、いじめや体罰を受けていたり、病気になったりした話を聞いてきました。私が聞くかぎり、みんな深く傷つき、深刻な状態を生き抜いてきた子どもたちばかりでした。

 しかし彼ら自身は「深刻ではない」と思っているため、他人から不登校の理由を聞かれても「わからない」と答えていたそうです。

 このように「わからない」という言葉のうらには、その人なりの背景があります。

 今回、くり返し伝えたいのは、学校へ行きたくない子どもが一番言葉にしづらいのが「行きたくない」という一言だということ。そして、たとえ「行きたくない」と言えたとしても、その理由を説明できない子どもも多いということです。

 周囲はつい明確なSOSを待ってしまいますが、本人にすればSOSは出しづらいものです。

 言葉にしなくても態度や表情からSOSを受け取ることができます。「言葉にしないなのは甘えだ」と突き放さず、いま態度に出していることが、その子なりの精いっぱいのSOSだと受け止め、本人の気持ちを大事にしてほしいと願っています。(文/石井志昂)

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