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アンナ・ポリトコフスカヤコミュの年末のチェチェン情勢

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早いもので、アンナ女史が殺されて3ヶ月がたちました。
残念ながら、予想されたように、捜査の進展は伝わってきません。Livinenko氏の事件のほうが話題性があり、ポロポロとニュースになってますね。

自分の日記で年末のチェチェンの話題の記事を訳しましたので、転載します。読んでも、平和なのかどうなのかよく分かりませんが、ご参考までに。

以下、転載---
Chechen Weekly 新年号の1記事を訳した。
チェチェンの現状の一部を垣間見ることが出来る。
ロシア政府は、この年末にチェチェンからの撤退計画を発表するハズだったという。それが、出来なかったことを取り繕っているという記事。

この、Kadyrovかなり大風呂敷を広げているが、どのように展開していくのか。
平和が、訪れれば、良しとするか。私は、まだ、判断するに十分な知識がない。

でも、もし、本当に北コーカサスの観光拠点になったら訪れたい気もする。



“勝利の幻想:クレムリンの代理人は年末の宣伝活動に励む”
THE ILLUSION OF VICTORY: KREMLIN PROXIES MOUNT YEAR-END PROPAGANDA DRIVE

By Andrei Smirnov

http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=421&issue_id=3964&article_id=2371772

昨年の8月2日Vladimir Putin大統領は、法令を発令し、ロシアの軍隊の司令官に対し、2006年12月15日までに、2007-2008年にチェチェンから段階的に引き揚げることを計画するように指示した。(Chechnya Weekly, August 10, 2006)

しかしながら、継続するこの地方の混乱によりロシア当局はこの考えを放棄した。昨秋、ロシアの司令官達はチェチェン共和国における深刻な治安問題についての声明を立て続けに発表した。(Chechnya Weekly, November 9, 2006) 12月15日の締め切りが来ても、Vladimir Putinに提出されるべきであった引き揚げ計画の要求は何も聞かれなかった。

8月2日の法令のアイデアは、チェチェンでの戦争が終結したと言うことの証明のために年末までに引き揚げ計画を準備するというものであった。これによって、2007-2008年のロシアでの議会と大統領選挙に先駆けて、クレムリンはチェチェン問題という不快な話題を一切合切消し去ることが出来るはずだった。

ロシア当局は法令の示すように、彼らが年末までに彼らの部隊の撤退を宣言することを世界が期待していることを、明らかに知っていた。チェチェンにおける軍事的状況がいかなる形であっても1つの部隊の撤退をも許さない状態なので、共和国内の状況が改善しているということを誰をも納得させる新しい手段が必要になった。

大きな宣伝攻勢が、2006年の最後の2週間、ロシアとチェチェンの親ロシア政府主導で展開された。それは、12月15日、連邦安全保障機関(FSB)長官Nikolai Patrushevが委員長を務めるロシア全国反テロリスト委員会the Russian National Anti-Terrorist Committeeが、北コーカサスの反乱軍に対し、2007年1月15日に恩赦期間が終了すると念を押す声明を発表することで幕を開けた。「君達は、山賊の編成メンバーから足を洗い、武装解除するならば、君達の人々や愛する人達と一緒にいることが出来るだろう。」とその声明は伝える(Kavkazky Uzel, December 15, 2006)。12月19日には、この声明のフォローアップとして、チェチェン首相のRamzan Kadyrov が、近い将来チェチェンを北コーカサスの観光の中心にすると公約した(Interfax, December 19, 2006)。12月20日には、そのチェチェン人親ロシア当局者が、2007年にはチェチェン紛争の拠点である山間のShatoi地方に、リゾートと新しい道路を建設すると宣言した。12月21日には、コーカサス鉄道チェチェン支局長Khamzat GambulatovがKadyrovに対し、「チェチェンにおける2006年度の鉄道と駅の再生計画は110%達成された」と報告した (Regions.ru, December 21, 2006)。

新年の休日が近づくにつれ、公式発表が楽観的になっていった。12月27日には、ロシアの検事総長事務所が、一般に対しコーカサス紛争でのロシア政府の最大の成果について公表した。それは、ロシア法医学検死センターthe Russian Forensic Examination Center が、昨年の夏爆死した有名な反乱軍将校Shamil Basaevの遺体の遺伝子検査を完了したことを伝えるものだった。そのテスト結果はそれらが間違いなくBasaevの遺体であると証明していた(Interfax, December 27, 2006)。その同じ日、チェチェン大統領のAlu Alkhanovが、「2006年には380人の過激派が恩赦キャンペーンにより釈放された」と言い、一方でRamzan Kadyrovは勝ち誇ったように、「2006年はKadyrovチームが勝者、すなわち戦争、破壊、不法状態にたいする勝者であった」と宣言した。

翌日の12月28日、AlkhanovはVladimir Putinとモスクワで会談した。その会談の中で、Alkhanovはロシア大統領に「2006年のチェチェンでは、社会、経済分野、政府の機構構築、市民社会の発達など多くの分野で重要な進展があった。」と述べた。
そして、明らかに喜びで上ずった調子でAlikhanovはPutinにチェチェン人達が如何に親ロシア政府を愛しているか話し始めた。「さらに重要なことには、人々の雰囲気が変わってきた。」と彼は言う。「人々は私達が通りやハイウェイ、学校を整備しているのを見ている。このことが人々に我々が行っていることがすべて正しいと示し、信じさせている。」(ITAR-TASS, December 28, 2006)。

同じ日に、Ramzan Kadyrovも、2006年を共和国における社会・経済の面で目に見えた改善の年と呼んでいる(Regnum.ru, December 28, 2006)。Interfaxは12月29日、Kadyrovがチェチェンのマン・オブ・ザ・イヤーの候補に挙げられたと伝えた。同じ日、Kadyrovはチェチェンの運動選手達と会談し、「われらの選手達の活躍に感謝する。山賊とテロリストというチェチェン人のステレオタイプが壊れつつある」と宣言した(Regions.ru, December 29, 2006)。同じ日の他の会合では、Kadyrovは33の新しい健康施設の建設と15人のチェチェン人孤児を養子にすることを約束した。次の日、12月30日には、サンタ・クロースの衣装を着たRamzan Kadyrovは、Gudermesの町の子供の新年パーティーで2時間に渡り子供を楽しませた。これらすべてが、ロシアのメディアのよって報道された。

これらチェチェンからの2006年最後の週の良いニュースの激流には、たった1つの目的があった。チェチェンが問題を抱えた地域であることをみんなが忘れること。そのような宣伝手法が効果的かどうか、そして、迫ってくる選挙の季節にチェチェンがクレムリンにとって頭痛の種にならないか、まだわからない。

コメント(1)

チェチェンの話題の記事訳、ありがとうございました。
なんだか、どう動いていくのかわかりませんが良い方向にいくことを願います。

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