大きな宣伝攻勢が、2006年の最後の2週間、ロシアとチェチェンの親ロシア政府主導で展開された。それは、12月15日、連邦安全保障機関(FSB)長官Nikolai Patrushevが委員長を務めるロシア全国反テロリスト委員会the Russian National Anti-Terrorist Committeeが、北コーカサスの反乱軍に対し、2007年1月15日に恩赦期間が終了すると念を押す声明を発表することで幕を開けた。「君達は、山賊の編成メンバーから足を洗い、武装解除するならば、君達の人々や愛する人達と一緒にいることが出来るだろう。」とその声明は伝える(Kavkazky Uzel, December 15, 2006)。12月19日には、この声明のフォローアップとして、チェチェン首相のRamzan Kadyrov が、近い将来チェチェンを北コーカサスの観光の中心にすると公約した(Interfax, December 19, 2006)。12月20日には、そのチェチェン人親ロシア当局者が、2007年にはチェチェン紛争の拠点である山間のShatoi地方に、リゾートと新しい道路を建設すると宣言した。12月21日には、コーカサス鉄道チェチェン支局長Khamzat GambulatovがKadyrovに対し、「チェチェンにおける2006年度の鉄道と駅の再生計画は110%達成された」と報告した (Regions.ru, December 21, 2006)。
新年の休日が近づくにつれ、公式発表が楽観的になっていった。12月27日には、ロシアの検事総長事務所が、一般に対しコーカサス紛争でのロシア政府の最大の成果について公表した。それは、ロシア法医学検死センターthe Russian Forensic Examination Center が、昨年の夏爆死した有名な反乱軍将校Shamil Basaevの遺体の遺伝子検査を完了したことを伝えるものだった。そのテスト結果はそれらが間違いなくBasaevの遺体であると証明していた(Interfax, December 27, 2006)。その同じ日、チェチェン大統領のAlu Alkhanovが、「2006年には380人の過激派が恩赦キャンペーンにより釈放された」と言い、一方でRamzan Kadyrovは勝ち誇ったように、「2006年はKadyrovチームが勝者、すなわち戦争、破壊、不法状態にたいする勝者であった」と宣言した。
翌日の12月28日、AlkhanovはVladimir Putinとモスクワで会談した。その会談の中で、Alkhanovはロシア大統領に「2006年のチェチェンでは、社会、経済分野、政府の機構構築、市民社会の発達など多くの分野で重要な進展があった。」と述べた。 そして、明らかに喜びで上ずった調子でAlikhanovはPutinにチェチェン人達が如何に親ロシア政府を愛しているか話し始めた。「さらに重要なことには、人々の雰囲気が変わってきた。」と彼は言う。「人々は私達が通りやハイウェイ、学校を整備しているのを見ている。このことが人々に我々が行っていることがすべて正しいと示し、信じさせている。」(ITAR-TASS, December 28, 2006)。
同じ日に、Ramzan Kadyrovも、2006年を共和国における社会・経済の面で目に見えた改善の年と呼んでいる(Regnum.ru, December 28, 2006)。Interfaxは12月29日、Kadyrovがチェチェンのマン・オブ・ザ・イヤーの候補に挙げられたと伝えた。同じ日、Kadyrovはチェチェンの運動選手達と会談し、「われらの選手達の活躍に感謝する。山賊とテロリストというチェチェン人のステレオタイプが壊れつつある」と宣言した(Regions.ru, December 29, 2006)。同じ日の他の会合では、Kadyrovは33の新しい健康施設の建設と15人のチェチェン人孤児を養子にすることを約束した。次の日、12月30日には、サンタ・クロースの衣装を着たRamzan Kadyrovは、Gudermesの町の子供の新年パーティーで2時間に渡り子供を楽しませた。これらすべてが、ロシアのメディアのよって報道された。