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掲示板平和維持機構コミュの正しい対処をしなかった例

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疑問に思う箇所とかあるかもしれないし何かの参考になるのか分かりませんが、ちょっとした読み物を進呈します。
手元の下書きはこのページを含まずに15ページあります。

一言で言うなら、性格の悲劇でした。
どうしても避けようがない運命的とか必然的な悲劇ではなく、関係者の独特な性格の取り合わせが生み出した悲劇でした。

主な関係者は3人。
私と同じようにイタリアの歴史が好きな女性、川口さん。
川口さんと掲示板で知り合って彼女の保護者のつもりになっていた女性、横浜さん。
掲示板で川口さんの投稿に惚れてしまった男性、世田谷さん。

世田谷さんが他人の身になって考えることができる人だったなら、見栄っ張りでなかったなら、このトラブルは起きませんでした。

横浜さんが表面上の勝利にこだわる人でなかったなら、トラブルは長続きしませんでした。

川口さんが自分の個人主義を貫くことばかり考えずに状況に応じて周囲の人たちと協調できる人だったなら、いくらでも解決のチャンスはありました。

この人たちの名前は各自が半角英数文字で名乗っていたハンドルネームもありますが、そのまま使うと当人たちを見つけることも出来てしまうので、勝手に違う名前を当てはめさせてもらいました。

アラシにまつわる悲劇とか悲惨を考えるときに、普通の人が思い浮かべるのは攻撃を受けて苦しむ人とか、病気のように止められなくなってるアラシの苦悩でしょうけれど、事実は小説より奇なり。

コメント(16)

2002年春
私はWindows95が発売された翌年からパソコンを使い始めて、この2002年までの主な使い道はYahoo!掲示板でした。
ある時、掲示板ではなくパズルをしながらチャットもできるコンテンツを使ってみて、自分と年の近い川口さんという女性と知り合いました。

当時の私が使っていたハンドルネームは500年くらい昔のイタリアを連想させるもので、川口さんは別の知り合いが新しく作った名前かと思って話しかけてきたのです。

川口さんと私はイタリアの歴史が好きな者同士で話が弾んで、連日チャットするようになりました。
その年末に私が仕事で彼女の住む街の近くに滞在した時には、何度かホテルのフロントに預けて手作りのお菓子とかパンを差し入れてくれました。

私は翌2003年にY!掲示板で知り合った西さんと実際に会って付き合うようになり、その後は私の誘いで掲示板も使うようになっていた川口さんと疎遠になってしまいました。
川口さんはハンドルを変えて離れていきました。

川口さんが名前を変えても彼女の好む話題から検索するのは簡単だったのですが、辛い思いをさせてしまったのかもと思ったので見つけても話しかけないでおきました。
その2003年の末に川口さんは掲示板でトラブルに巻き込まれたのです。

川口さんは自作の短歌を発表しあったり心に響く歌や絵のことなどを話す仲間と楽しんでいて、そんな彼女の書き込みに惹かれた掲示板初心者の男性で世田谷さんが付きまとうようになりました。

しつこさを見かねた周囲の人たちが注意しても聞き分けず、口汚く罵り返すだけ。
川口さんは無視を決め込んでいましたが、川口さんの女友達の横浜さんは止めるまで諦めずに言い争う覚悟で、長引くうちに騒ぎを面白がる愉快犯たちも集まってきました。

横浜さんは自分自身が過去にアラシの標的になったこともあって、それを根競べに勝つというやり方で乗り越えてきた経験があったそうです。
その経験が彼女に自信をつけさせ、人並ならぬアラシへの敵愾心を持たせていました。

私もチョットだけ手を貸そうとして世田谷さんに意地悪な質問をしました。
匿名掲示板で他人を侮辱しても犯罪にはなりませんね、と。

肯定すれば匿名同士の言い争いで犯罪が成り立つのは稀であることに甘えて罵倒をしていると認めることになり、否定すれば大学で法を学んできたのを鼻にかけていた世田谷さんが元気いっぱいに周囲の人を罵倒しているのはどういうワケ?となります。

これはどっちに答えても世田谷さんに都合の悪い質問でしたから、「これまでの無礼をお詫びします」とでも答えるべきでした。
でも世田谷さんは即座に否定しました。
とにかく何でも相手の言うことを否定してやれば自分の方が優秀そうに見える、という程度にしか頭が回らなかったのでしょう。
2003年末
私は世田谷さんの実力を察して、はるかに劣る相手に追い討ちをかける気が失せてしまったので、他の人たちも無視してくれれば世田谷さんはやがて自分の負けに気付いて去ってくれるだろうと思っていました。

当時の世田谷さんの文章は、頭に浮かんだことをただ書き殴って見直しもしないで投稿していたらしく、書き始めは自分を主語にしていたのに途中から話しかけている相手が主語になっていたりと幼稚そのものでした。

私の文章とは歴然な差があったから、私に加勢など無用でした。
ところが横浜さんは私がずっと味方についてくれるとでも思ったのか、追い討ちをかけて逆に盗人にも三分の理を与えてしまいました。

川口さんは世田谷さんと掲示板を使って一対一で話すことを提案して、決着をつけようとしました。
世田谷さんはどう言いつくろっても自分が悪いのを知りながら、引っ込みがつかなくなっていたようでした。

世田谷さんが選んだ結末は、「知らず知らずのうちに迷惑をかけてしまったが、好意を寄せた相手から拒否されて反省し、身を引いた」という筋書きでした。
気付かないで迷惑をかけてしまったというには時間が経過しすぎていましたが、それでも本当に世田谷さんが身を引いていたなら解決していました。

でも世田谷さんは話し合いの後も川口さんが投稿をしているところに投稿を続け、他の人たちが注意しても「川口さんに宛てて書いているのではないから問題ない」という返答。
他の人たちが考えるのは、世田谷さんはハンドルを変えて川口さんの投稿する場所を避けて掲示板を使うべき、だったので騒ぎは収まりませんでした。
まもなく川口さんは掲示板の利用を辞める決意をしました。

私は、原因を作って後始末をつけずに逃げた世田谷さんに憤りを感じました。
丸一日かけて投稿文の特徴から彼の使っている別名を調べ上げて、川口さんのことを諦めた数時間後から他のトピックで次に好意を寄せる相手を見つけていたことを知りました。そして彼が普通の人を演じているところに彼の悪事を暴露しました。

その気になれば世田谷さんを掲示板から追い出すくらいは出来たかもしれません。
そして、そのことでアラシから恐れられるようになれば鎮静化も出来た可能性はあります。
川口さんが戻ってきて私を止めたので中途半端に追い詰めただけで逃がしてあげましたが。

その後も川口さんと横浜さんたちが問題児を相手にしないでいてくれたなら自然に鎮火したと思いますが、世田谷さんは横浜さんが投稿しているトピックに参加してきて横浜さんはまた言い争いを始めてしまいました。

無視に転じるキッカケを与えるだけで十分と考えた最初の認識を改めるしかない、嫌がらせを無視できない横浜さんの弱さや状況判断の拙さは並大抵のものでないと気づきました。
私は長引くことを覚悟して、日常会話を楽しんでいたトピックの仲間にしばらく不参加というのを伝えました。
2004年始
私が年末に世田谷さんを追い詰めたことやトピックに新しい参加者が増えたことなどが重なって嫌がらせは去ったように見えましたが、世田谷さんは横浜さんが投稿を続けてきた別のカテのあるトピックに参加してきて、横浜さんはそれに追い出されました。

私は川口さんを通して横浜さんに無視するよう何度も頼んできましたが、まるで効果が無かったので世田谷さんを抑える作戦に切り替えました。
世田谷さんが沢山使い捨てにしてきたハンドルの一つをマネて彼のいる所に参加しました。
年末に追い詰めた時とは別の人物を装って、粗野な言葉使いを心がけました。

そして世田谷さんの過去の悪事を時々織り交ぜながら不気味に思わせるような投稿を続けて、横浜さんに嫌がらせをする余裕などなくなるようにしたのです。
その最中、私の投稿にケンカを仕掛けてきた人物がいて返り討ちにしてしまいました。

向こうから仕掛けてきたことだったし世田谷さんを怖がらせるには丁度いいデモンストレーションかと思ったのですが、横浜さんは私が演じていた偽者を世田谷さん本人と勘違いして「自分のことを棚に上げて」と批判しました。
世田谷さんは別人の投稿で自分が批判されるのは許せないとムキになりかけたので、私はその誤解を解くために最初に登場したハンドルで別人であることを推理して見せました。

このため、川口さんたちに知られないように手伝う計画は狂ってしまいました。
私は以前から感じていた不安をより強く感じるようになりました。
問題の解決を望んでる者は数人いるのに、それぞれが連絡を取り合っていないため他者の真意を理解できずに邪魔してしまう危険を。

このとき私が演じた人物は、アラシ退治を楽しんでいるように振舞いました。
それは正義感からやっているというスタンスを取るのは、そんな優等生を困らせてやろうという新手のアラシを呼び込んでしまうかも知れないからです。
味方と連絡を取り合えなかったから、そんな私の意図が伝わらずに私もまた不謹慎な人物と思われるようになっていきました。

私は計画が狂ってすぐに投稿の場をアラシ問題について論じるトピへ移しました。
どうせ見つかったなら横浜さんにアラシ対策のイロハを伝えたいと思いました。
他にも私のことを別のアラシと同一人物かと思い込んだ人が挑んできたりと不測の事態は起きましたが、しっかり話し合いで解決して世田谷さんを牽制する投稿を続けました。

小康状態が続いていても、私が見て不安になるのは横浜さんでした。
無視する強さを持っていないのをアラシに見抜かれている以上、いつ問題が再発してもおかしくないと懸念していましたが、案の定嫌がらせに言い返して乱戦となり、川口さんも横浜さんも投稿を止めるようになりました。

そこでまた私は彼女たちの使っていたカテゴリに投稿の場を移しました。
特に作戦があったわけでもなく、後先考えずに起こした行動でした。
それでも良き味方を得る幸運に恵まれました。
2004年夏
川口さんと横浜さんが投稿を止めてから、私と大宮さんという男性がそこに投稿する様になりました。
大宮さんは通信の知識があって一人の人間が複数のハンドルを使い分けても同一のパソコンからの投稿であることを判別できるし、それで調べたことは裁判になった場合は嫌がらせの証拠にもなるし、実際に裁判で争った経験もあるとのことでした。

その大宮さんと過去の投稿コピーをほぼ完全に持っている私が手を組んだことで、大半のアラシは恐れて逃げ出しました。

ところが、このときも横浜さんは去り際にアラシが残していった嫌がらせに反応して事を荒立てました。
私も大宮さんも逃げた者を追う必要は無いと思っていました。
去り際に捨て台詞を残していっても、そんなのは無視して全て終わったのだということにしておけばアラシの連中は諦めるのだから。

私がずっと川口さんと横浜さんに勧めてきた方法は無視だけです。
言いたいように言わせておいて、こっちが相手をしてあげなければ長続きできないのだから、ただ去るのを待てばよかったのです。
表面上の勝利をくれてやるだけで無駄な時間や労力を使わないで済むならこんな結構なことはありません。

この時点ですでに半年以上の自由時間を問題解決に向けて使ってきた私は、元通りの日常に戻りたかったし、読みたい本もいっぱいあったし、読んで疑問に思ったことを調べてみるなど、やりたいことが沢山ありました。
なにより恋人になってくれた西さんを大切にして一緒のときを過ごしたかった。

大宮さんと私は投稿を続けて、また無視でアラシを諦めさせる方法でやり直そうと川口さんと横浜さんが戻るのを待ちました。
でも2ヶ月待ってみて二人とも戻ってきませんでした。
私は待つのをやめて以前から考えていた別の作戦を準備し始めました。
ウソも方便的なやり方で気が進まないものでしたが、他に手段がありませんでした。

ホームページにこれまでの問題の経緯をまとめ、表向きは「掲示板を楽しむ権利を不当に侵害された人たちの権利回復のために解決策や協力者を求めている」という目的にしておいて、本当の狙いは「世田谷さんがアラシのボスで、それ以外の人たちはザコ」と報道することでした。

その報道によってザコと言われた人たちはムキになって嫌がらせを激化してくるでしょう。
激化してきた嫌がらせを無視しきったら、本当に安心できるというものです。
世田谷さんは実際以上の悪人のように報じられるし、被害に遭った人たちが無視に徹しきれないでいたことには触れずにいましたから、ウソも方便というのはそのあたりです。

世田谷さんについては騒ぎの原因を作って何も後始末をつけないで逃げたのだから、解決のために利用してもバチは当たるまいと思っていました。
被害に遭った人たちは自分たちにも非があると書かれたら私の作戦に同意しないだろうから、真実を伝えることより問題解決を優先させた結果です。
2004年末
11月からホームページを公開しました。
この問題に関連する全トピの投稿は削除されたものまでほぼ完璧にコピー保存してあり、私の主観だけで述べたものでなく客観的な証拠に基づいていました。
つまり、もし事実と違うことが書いてあるなら誰でも指摘できるようになっていました。

もっと早くから準備できていましたが、この作戦は私一人でできるものではなく関係者全員が世田谷さん以後に現れたアラシをザコとみなして、無視で応じなければいけません。
一人でも嫌がらせに言い返してしまえば失敗です。

そのため関係者に作戦をよく理解して協力するよう頼みたかったのですが、相変わらずアラシに見られないところで味方と話す方法がありませんでした。
私がこの問題に関わってきた間、ずっと困っていたのはこれでした。
個々バラバラでは嫌がらせを無視できないでいるから、その弱さを克服するためにも団結して欲しかったのですが、嫌がらせやアラシは無視という当たり前のことができないくせに自主性とか自由とかを主張してまとまらないのです。

川口さんに頼んでほかの人とも連絡を取ってこの作戦に意見を出してもらいたいと待ったのですが、幾ら待っても反応がないのでホームページは見切り発車となりました。
私が期待していた展開にはなりませんでしたが、ホームページを見た人の中から良き協力者が現れてくれました。
アラシが好き勝手に活動できないサイト、SNSを教えてくれた清水さんという男性でした。

Y!掲示板にこだわるなら無視か警察裁判沙汰にしてでも決着をつけて、再発の心配がない状態にする。
Y!掲示板でなくてもいいならSNSという安全な場所に全員で移る。
私の望みはこのどちらかでした。

ただ待つだけの状態が続き、翌2005年の9月に川口さんたちが大事にしていたトピの一つが自然消滅を迎えました。
私はそのことが無念で、ずっと投稿を止めていたY!掲示板に戻ってみました。
世田谷さんを牽制するときに使っていたアラシ問題について論じるトピでした。

自分の好きな歴史関係の話題をちりばめて、アラシ対策は問題が起きてからではなく早めに安全なサービスへ移行するようにとSNSを宣伝してみたりしました。
清水さんも時々登場してくれて、それを見た中から人が集まるようになったりで楽しいムードになりました。

世田谷さんがそこに乱入してきました。
彼が新しく好意を寄せる相手と使っていたトピックに嫌がらせがあって、その犯人を私と決め付けてのことでした。
私のホームページへの反論とかで世田谷さんが口汚く罵っていった投稿は、自ら墓穴を掘る内容で真面目に回答するのもイヤになる酷さでした。

私は軽くあしらっておきましたが、このときトピックに参加してきた女性の千葉さんは私に代わって世田谷さんに言い返して、私のホームページにメールで感想もくれました。
2005年10月
私は、千葉さんからもらった感想や彼女が協力を申し出てくれていることがうれしくて、前の月に消滅したトピの資料などを見せてあげました。

川口さんが執着していたトピが自然消滅した後はそれがあったカテを見るのが辛くて、他にも川口さんたちが使っていたトピは残っていたものの、自動的に投稿をコピー保存するソフトに収録するだけになっていました。

ところが、1ヶ月もしないうちに同じタイトルのトピを作って川口さんも投稿を再開していたことを千葉さんから知らされて、喜ぶべきなのだろうけど本気で落ち込んだ私の心配をヨソに再開していたことには拍子抜けした感もありました。

千葉さんはそのトピの創設者でいつも会話の中心にいる男性の今岡さんと私を同一人物と決め付けてトピに参加し、その勘違いで今岡さんに馴れ馴れしく話しかけて周囲から怪しまれ悩むようになりました。

当時の私は昼間の仕事中にPCを使うことも出来ず、千葉さんが助けを求めてきても何も出来ませんでした。
いよいよ怪しまれるプレッシャーに耐えられなくなった千葉さんは捨てゼリフを残して逃げ帰り、アラシ問題のトピに戻ってその体験を報道しました。

川口さんたちは千葉さんが嫌なことを書き残しただけでなく、別のところで自分に都合の悪いことを隠したり川口さんたちの言葉を脚色して伝えていることに不満を抱きました。
最初のうちは私が苦情を承って千葉さんにその出来事を書くのを止めるように頼みましたが、千葉さんはお構いなしにウソの報道を続けて、ついに川口さんたちは私を通さないで直接文句を言いに乗り込んできました。

川口さんたちが千葉さんに怒りをぶつけたのは上記の理由によるものでしたが、千葉さんはそのように考えませんでした。
私と千葉さんが同じトピで仲良くしていることに川口さんが嫉妬している、というのです。

当時はこの人がこんなことを言っていても、本当は自分が悪いのを分かっているのに認めたくないのだろうと思っていました。
自分が迷惑をかけたことに謝罪しても許されないなら相手の怒りの原因が他のところにあると考えるのも一理あるけれど、謝らずに捨て台詞を残して逃げ帰り、その後も嘘の報道を続けている最中に「あの人が怒っている原因は自分のせいではない」と。

常人ならば自分の主張していることが真実と裏付ける証拠も根拠もない段階では、他人に言えるものではありません。
なぜなら証拠も根拠も無いことを主張すれば自分の発言は他の場面でも信用されなくなる恐れがあるので、それが自分にとって害にしかならないと気づきます。
ましてや千葉さんの場合は、彼女自身が謝罪という当たり前の対処をしなかったために根拠がなくなっているのですから、二重に恥ずべきことでした。

後に、この人が他の問題に次々とクビを突っ込んで証拠も根拠も提示できないのに相手が諦めるまで根競べするのを見ているうちに、自分が間違っている可能性は微塵も考えずに本心から自分のカンが絶対のものと信じているのが分かってきました。
2005年10月
当時は千葉さんの非常識はまだ初心者だし事件直後の錯乱状態だからと判断しました。
そして、Y!掲示板で争いを起こすと面白がってチョッカイを出してくる連中が心配だからと説得して、関係者にだけ知らせたレンタル掲示板に移ってもらいました。

千葉さんは最初に神妙に謝って、現実での都合を理由に川口さんたちの言いたいことを読んで返答するのは翌週まで待って欲しいと頼みました。
川口さんたちは納得して待ちましたが、その間に千葉さんはY!掲示板で問題児を見つけて議論を挑んでいました。
この不誠実な対応が川口さんたちの怒りに拍車をかけました。

一応謝ったものの相手の返事も待たずに別の問題に首を突っ込んでいるのは千葉さんが悪いわけですが、今は素直に謝れなくても本当に反省してから謝ってくれればいいと思っていたし、どちらかといえば川口さんたちに不満がありました。
アラシには無視で応じるという当たり前の対処をしなかったせいで、本来なら1週間で終わることを一年以上も引きずっていましたから。
無関係の第三者から見た場合、川口さんたちもアラシに反論という美味しいエサを与えて迷惑なことをやってきたのです。

無視ができなくても、安全なSNSを使うという選択肢もありました。
事実、既に清水さんたちは友達を一人も失うことなくSNSに移動し終えていました。

川口さんたちが誇れるのは積極的に迷惑行為をしなかったという点だけで、迷惑行為に当たり前の対処をしてこなかった点では悪事に加担したも同然です。
私のホームページではそのことに触れずに問題の経緯を説明してありましたから、それを見て千葉さんが協力を試みた結果について、そう簡単に咎めることはできませんでした。

人違いで迷惑をかけたのは確かでしたが、その動機は川口さんたちを思いやってのことだったのだから責めないでやって欲しい・・・と弁護したかったんですけどね、アラシ問題のトピにウソの情報を混ぜて報告したのはどう見ても悪意がないと言えません。
私は2年近く問題の解決に向けて努力してきたことを、その努力が何度も川口さんや横浜さんたち当事者の手で台無しにされてきたことを持ち出して黙らせてしまいました。

千葉さんは、川口さんたちにはアッカンベーしながら頭を下げるようなマネをしただけでしたが、私にはトピを潰すことになったのを謝ってきました。
私は「終わったことは仕方ありませんがキチンと反省してください」とだけ言いました。

この事件がきっかけで私のホームページは閉鎖を要求されました。
ホームページ開設のときは全ての投稿者から許可をもらって掲載などということは人数が多すぎて不可能だったので、前書きに「掲示板を利用する権利を不当に侵害された人達を救うためご理解とご協力をお願いします」と書くやり方で始めていました。
閉鎖にあたっても手順にこだわり、予告を出して1ヶ月後に閉鎖しました。

私はこの問題にこれ以上関わっていても当事者が本気で解決を考えない限り進展はないことを本当は分かっていて、それでも問題を解決して再発の心配が無いことを確信してから元の生活に戻るという目標を諦めきれずに続けてきました。
千葉さんがトピを潰すことになったのは残念だったのと同時に、諦めるのに良いキッカケかとも思い、開放されたような安堵も感じました。
2005年11月
ホームページを閉鎖してすぐに川口さんたちのトピでは別のトラブルが起きていました。

ある女性が別の女性から「同性に好意を寄せられて不気味な思いをさせられた」と言い掛かりを付けられた、いわば人違い勘違いによるものでした。
その人違いで文句を言われた女性は過去の自分の投稿を全て削除するように管理者に依頼したらしく、文句をつけた女性は周囲の人たちから非難されました。

アラシを恐れて書き込みをやめていた横浜さんが登場して、その女性を励ましたり、このまま去ってしまうと人違いで攻撃してきた人の言い分が正しいように誤解されるかも知れないと説得していました。

その騒ぎの最中、私が一年くらい前に「川口さんと横浜さんが戻るまで留守番を」と頼んできた男性の甲斐さんも投稿を止める決心をしました。
私はそのときまで留守番を頼んだことさえ忘れていたくらいなのに、もしかしたら甲斐さんは約束を守ろうとして続けてきたのかも知れないと思ったら、もう彼にお礼を書かずに居られなくなりました。

私は甲斐さんに感謝の言葉を、人違いで文句を言われた女性もいつか傷が癒えて思い出に浸りたくなる時が来るかもしれないと思ったので、過去の投稿のコピーが全て保存してあることを知らせて、お望みだったらそのファイルをあげますと書いてきました。

その私の投稿に今岡さんから苦情のメールが来ました。
ホームページ閉鎖の約束を早くも破るのか、というような内容でした。
それと同時に川口さんとメッセンジャーで話すチャンスもあって、話している最中に人違いの攻撃を受けた女性は同じカテに別のトピを作って出直す決心をしていました。

そのとき川口さんと話して分かったことが2つありました。
まず川口さんや他のほとんどの人たちは、今岡さんと同じく私の真意を理解できずに批判的に捉えていたこと。
その女性が戻ったのは私に言わせれば喜ぶべきことなのに、川口さんはその結果に至った過程が横浜さんの励ましと説得に応じてではなかったから不満に思っていること。
あきれて言わなかったけれど、このように結果よりも過程にこだわる考え方が簡単に解決できる問題を、何度か部外者の努力で解決しかけた問題を長引かせてきたのです。

甲斐さんにも人違いの事故に遭った女性にも私の心は届いてくれました。
その女性はファイルの受け取りを望みませんでしたけどね。
十分に満足したので、そこのトピを見るのはやめました。

私はアラシ問題のトピに年内いっぱい投稿を続けて、その後は無期限で掲示板を休もうと決めていました。
千葉さんの軽率さを直してやらないと、彼女自身がまたトラブルを起こして苦しむことになるし周囲の人も巻き込まれるのが目に見えていたので、それが休暇に入る前の最後のノルマと思っていました。

そう思っているときに品川さんという女性が新たにアラシ関係のトピに参加してきて、彼女は私に好意を持っているようでした。
2005年末
すぐにでも休暇に入りたいくらいでしたが、千葉さんに軽率な決め付けとか思い込みを直してもらうために掲示板の滞在期間を伸ばして、私の心労は酷くなっていきました。

千葉さんは直接的な言い方で注意すると反発するし、遠まわしな言い方では自分のやっていることを言われていると考えず、反省しない人でした。
人違い勘違いを繰り返してばかりなのに何故か自分のカンに絶対の自信を持っていて、その間違いによって他人に迷惑をかけても千葉さんが最優先するのは迷惑をかけた人へのお詫びではなく、いかにして自分の間違いを誤魔化すかでした。

私の文章を褒めてくれた千葉さんが、真偽が定かでないことをカンだけで決め付けて他人に疑惑をかけたり、根拠を問われても詭弁を並べ話を逸らしてばかりという情けない対応しかできないでいるのを見るにつけ屈辱を感じていました。
こんな非常識で無責任な人から褒められたのか、と恥ずかしくなりました。

あるとき千葉さんは私と私信で交わした会話の中から一部分だけを取り出して私の人柄が誤解されるように掲示板に書いたので、私は非難批判の言葉を浴びせました。
これまで軽く注意するところから始めて、その行為でどんな害が生じうるのかを説明して止めるように説得して、そういった段階を経ても改心の見込みがなかったので叱る・・・当たり前の手順で至った最後の手段でした。

千葉さんは表面上は反省したフリをして謝罪してきました。
その千葉さんの謝罪にどう答えるか考えているところに品川さんがメッセンジャーで私に話しかけてきて、許してやれとか私も千葉さんに謝れと要求していきました。
その時に品川さんが言ったことから、千葉さんに何か吹き込まれたのを察しました。

恐らく千葉さんが品川さんに話したのはこんな内容です。
『私が千葉さんのことを厳しく叱る本当の理由は、自分がずいぶん前に川口さんたちのトピを消滅させる失敗をしたのを根に持っているせいだ。
でも、その失敗については川口さんたちからこのような酷いことを言われたのだから、すでに自分も同等の痛みを受けた。
既にお互いに痛みを受けて相殺されたことを根に持って叱っているのは、言いがかり八つ当たりの類だ。』

こんな推理が出来るのは、私は「このような酷いこと」の内容を誰にも話していないのに、品川さんがその内容を知ってたからです。
品川さんが千葉さんに同情したことから考えると、酷いことを言われるに至った経緯、つまり謝罪はしたけど返事も待たずに別の問題に首を突っ込んでいた行為に触れずに説明されたのだと思います。

品川さんに何度か話合いを求めて、先方に応じる意思がなかったので縁を切りました。
私の話を途中で遮ってばかりで自分の言いたいことだけ言って逃げていったし、千葉さんが酷いことを言われるに至った経緯を知らずに同情したのか、それとも経緯を知っても身内びいきで同情したのかは分かりませんが、どちらにしてもそのような人には誤解されたままで構わないので、以後は品川さんの書くものを読んだことは無いし彼女に宛てて文章を書いたこともありません。

私は表面上だけの謝罪と知りながらも千葉さんを許して休暇に入りました。
2006年
この問題に関わっている間に現実世界では恋人にあまり構ってあげられなくて、西さんは私から離れていきました。
ホームページを作っていた頃には離れた土地に転勤を命じられましたが、西さんと一緒にいたかったので会社を辞めてチョット向いてないと思う仕事に就いていました。

この2006年の春には、最初に居た会社で知り合った人が新しく会社を興して一緒に働く人を探していると声をかけてきて、私は転職しました。

その転職のために引越しの準備をしている間、早朝に千葉さんからメッセンジャーで不可解な文章が入ってきました。
アラシ問題のトピに新しく参加してきた人を私が別人を演じているものと決め付けて、「うまく化けてるつもりでしょうけど、お見通しです」と馬鹿にしたものでした。

単に相手を間違えて送信した可能性も考えてみたけれど、2〜3秒後に返信した時は既にログアウトしていて、後には送信相手を間違ったのではないことを白状しました。

カンだけで決め付けないよう散々言ってきたのに、相変わらず同じことを続けていると知ってガッカリしました。
その件について千葉さんが謝るのを待っても反応がなかったので、年末に少しの間だけ掲示板に戻りました。

1年ぶりに戻った私に、千葉さんはまた自分の軽率さや無責任さをこき下ろされるとでも思ったのでしょう、ウソを並べて私を悪人に仕立てようとしました。
でも私にはもう千葉さんを叱る優しさは残っていませんでした。
この人の嘘を信じて私を悪人と思う人がいるのだったら、その程度の頭脳の持ち主とは私のほうでも関わりたくないので誤解していてくれればいい。

千葉さんの非常識、不誠実、無責任を咎めても改心しないのは、既に注意説得そして叱咤が何の効果もなかったことから明らかなので、一つだけ頼んできました。
「私に寄せてくれた賛辞賞賛の言葉を取り消してください。」

これは私にとってなかなか乗り越えられない心の中のカベがあった言葉です。
自分の文章を読んだ人がどんな感想を持つのか、どんな評価を下すのかは読み手の自由意志に委ねられるものと覚悟してきました。
貶されて読み手に文句を言うのは間違いだ、素晴らしいものを書いて黙らせればいい。
同様に褒めてくれたことを取り消せというのも読み手の自由意志を否定することになりますから、それを頼むのは抵抗がありました。
掲示板を使うようになって10年くらい・・・信念を曲げての願いは簡単にかないました。

千葉さんも品川さんも何か信念をもっている人の上辺だけを真似して同等の実力を身につけた気になっている張子の虎でしたが、褒められたことに「あなたに理解できることなど書いていません」と同義の言葉を返すのは、マネできないでしょう。

続けて私は川口さんに謝りに行きました。
2007年始
私には川口さんたちに対しても心残りがありました。
2年近く問題解決のためにやってきたことを持ち出して、彼女たちが大切にしていたトピへの想いを否定し、黙らせたことです。

フェアじゃなかったと後悔しました。
私の判断で勝手にやったことだから、多くの時間を費やしたのは私の責任です。
恋人に寂しい想いをさせてしまった悔いは、私が一人で背負って行くべき痛みです。

謝るべきことを認めてスッキリしたのも束の間、横浜さんは何の進歩も見られずにアラシにエサをやる愚行を繰り返していたのだと知りました。
無視できない心の弱さへの苛立ち・・・そしてその傍迷惑な弱さには悪気がないのをよく知っているから悲しみが込みあげてきました。

厳しく叱らなければ、と思いながらも出来ずに去ってきた次第です。
その後も私は川口さんや横浜さんたちのトピを見る勇気がありません。
それどころか、この2008年までネットからは完全に離れてきました。

私は世田谷さんや彼の起こした騒ぎで集まったアラシには完全に勝利したと思います。

世田谷さんを掲示板から追い出せるくらいの情報をつかみながら、彼の罪に比べて重過ぎる罰を与えるのは後々自分が後悔するかもしれないし、追い詰めすぎると彼のような小心者は予想外の反応をしかねないと懸念して彼が普通の人を演じているところには手出ししないなど、ダメージを与えるよりも手加減することに気を配ってきました。

私が無視に転じるキッカケを与えるだけでいたときと、その後もっと深く関わっていくのに別ハンを使ったのと、二役を使っていたことに気づいたアラシはいません。
その二役はどちらもアラシが貶そうとしたけれど、具体的に自分の方が物知りだとか論理の組み立てが上手だとか、つまり自分の方が優秀だと証明できたアラシもいません。

全力を出さずとも上回ることができたから、アラシには当時も今も興味ありません。

嫌がらせを受けていた友人たちに、私は無力を思い知らされました。
多くの時間と労力そして恋人を失いながら、無視で応じて完全に解決しようと訴えてきたのに、私の言葉にはこの人たちを変えるパワーがありませんでした。
局地戦では完全に勝利して、ここ一番のところで負け続けたという感じです。

隔靴掻痒、私にとってはそんな事件でした。
ホームページ
私は、自分の作ったホームページを苦々しい思いで公開してきました。
自分の手が生み出した文章なのに真実をすべて伝えていないことが悔しかった。

後で川口さんから知らされた話では、横浜さんは私のホームページによって自分が喧嘩してきたものを多くの人に見られてしまう、恥ずかしい、と言っていたらしい。
私の作ったホームページが横浜さんを苦しめた、ということでしょうか。
でも彼女たちに一つ尋ねたいことがあります。

私は2年の間、自由時間のほとんどをこの問題を解決することに費やし、本当にやりたいことは後回しにしてきました。
裸で抱き合ったこともある恋人に寂しい想いをさせて別れる結果になりました。
いつか歴史のことを話す場で使いたかった名前も、アラシを相手に使ってしまいました。
彼女たちばかりでなくこの問題に関わった人の中に、私と同等かそれ以上に何か大切なものを失ったり苦しんだ人がいるのでしょうか?

私が被害者と報じていた彼女たちでしたが、彼女たちは何を失ったのでしょう?
アラシに言い返せば事態が悪化するのは分かりきったことなのに、言い返したい時には言い返し、逃げ出したくなったら逃げ出し、戻りたくなったら戻る。
やりたい様にやって迷惑な連中を鍛え育ててきた彼女たちのどこが被害者なのか?

もう一つ言いたいことがあります。
川口さんたちを代表するようにホームページ閉鎖を要求してきたのは今岡さんでした。
私のホームページで自分の友人が嫌な思いをしているから止めろと。
人違いで攻撃を受けた女性を見かけたときに、その人が削除依頼で消した投稿も保存してあるからコピーを渡せると言ったことに苦情を出してきたのも今岡さんでした。

私はホームページ公開の3ヶ月も前から川口さんに見せて他の関係者にも知らせてもらいたいと頼んでありました。
そして賛否など意見を言って欲しかったし、反対されたなら苦労して作ったホームページでも捨てる覚悟はありました。
ただし、私の作戦を採用しなくても各自がバラバラにやって問題を長引かせてきた悪い流れは断ち切るつもりでいましたが。

事前に尋ねていたのに一切返答はなく1年にもなろうという時に一方的に閉鎖を要求され、そして人違いの事故で傷ついた人のために全投稿のコピーを保存しておいたものが役立つかもと声をかけただけで「約束破り」の言い掛かりをつけられました。
今岡さんのメールは「言い訳は考えてあるのだろうけど要らない」と締めくくってあったので、お言葉に甘えて返事はしませんでした。

私はこの人たちの意志を尊重して事前に同意を取り付けようとしたのに対し、この人たちは私の意志を無視して一方的な要求、一方的な非難を送ってきました。
最後まで私が川口さんや横浜さんに迷惑をかけていると言ったのを取り消さなかったところなんて、「不幸自慢で私に勝てるつもり?」と笑うしかありません。
他者を自分と対等な存在と認められない慢心、それが垣間見えたので今岡さんと話したいなんて思わないし、先方も私と話したくないと思ってくれるのはありがたいことです。
固執その1
この2年間の中で固執したことは2つあって、一つ目は川口さんと横浜さんが嫌がらせの標的になった状況を解決し、再発の心配もないことを確認して去ることとでした。

私が川口さんたちのトピに数ヶ月参加しておけば、楽しく盛り上げるのは私の得意なことですからアラシの蔓延るムードを取り除けたと思います。
2年も費やすことになった結果から考えると、そうしていた方がラクだったと思います。
でも、私が離れてしまえば効果は続きません。

私には他にやりたいことがあって、そこに毎日読み書きするのは負担が大きすぎると思うし、川口さんが私から離れていった理由は私に恋人が現れたことだったと思うので、彼女が見つけた新しい交流の所にいつまでも居座りたくありませんでした。

この問題に関わっている間、川口さんは何度も私に元の生活に戻るよう勧めてきました。
本気でそう思うなら問題の解決を真面目に考えてくれれば良さそうなものですが。
私が川口さんに何度も頼んだのは真面目にやってくれでした。
彼女の返事はいつも「掲示板を使うのに真面目も不真面目もないでしょう」です。
掲示板を楽しむことと、それをする上で生じた問題の解決にどう取り組むかなので本来は別の次元の話ですが、彼女はいつもこれらを意図的に混同して話を進展させませんでした。

次々と解決策を考えましたが、私が居なくてもできる方法という制約がありました。
おのずと私が実行するものではなく彼女たちが実行するものになります。
アラシに見られないところで話し合うことができず、たまに話せてもこの人たちが頭を使うのは如何にして問題を解決するかではなく、如何にして私の案を否定するかでした。

幾つも考えて一つも賛同を得られなかった私の解決策でしたが、その一つは確実に実行可能で有効なものだったと証明できます。
SNSに関係者全員が移るのは各自が好むトピが多岐にわたっているので不可能、と言われたけれど清水さんたちは同様に違う分野に関心を持つ仲間が全員で移動しました。

私は彼女たちが嫌がらせに悩まないで交流できる場を取り戻してくれれば満足でした。
その後は数年に一度でも、お互いが好きなことに打ち込んで充実しているのを話せるようになったなら、それに過ぎたることはありません。

彼女たちはどうなれば満足だったのか、いまだに分かりません。
川口さんはアラシに当たり前の対処をせずにいるのを正当化するばかり。
横浜さんは言い争って相手が引き下がる結末でなければ受け入れない。

この人たちが大好きな自由を主張するなら、愚者で居続けたいアラシには愚者のままで居る自由を認めてあげればいいではありませんか。
そして彼らの愚かさに付き合う義務も義理もありません。
アラシと縁を切らないことにもっともらしい言い訳を探す理由が、私には分かりません。

アラシはいつも私の予想する通りの反応をしてくれました。
私が守ろうとした人たちは、いくら頼んでも解決のための行動を執りませんでした。
私を苦しめてきたのは問題の解決を真面目に考えない当事者たちでした。
心穏やかにいて欲しいと幸せを願うのと同時に、私に大切なものをたくさん失わせたことを憎んでもいます。
固執その2
もう一つ固執したことは、千葉さんのことです。
知り合った当初は困っている人や苦しんでいる人を放っておけない人なんだと思いましたが、やがてそうでないことに気づきました。

本心から困っている人を思いやっているのではなく、思いやりの深い人だと周囲から思われ尊敬されたいだけの人でした。
それゆえ、思い通りの展開にならなかったり自分の勘違いで迷惑をかけた場合は、当初に救いたいと思った人を傷つけてでも自分を守ることを優先します。

自分が当たり前の対処をしなかったために真実味を失った主張でも恥と思わずに言い続けられるくらいですから、他人事でも同様のことを繰り返していました。
この人の戦い方は論理で真実を突きつけるのではなく根競べです。

そして根競べをしていく上で補助的に使う技術は、本来自分に立証責任があることを相手に証明するように求める無責任丸出しの切り返しや、自分が女であり病弱であることを前面に出して自分から売った喧嘩なのに手加減を要求できる厚顔無恥です。
自分のカンとか思い込みは間違いだと相手が証明できる場合、平然と嘘を書いて論点を逸らしていくのが奥の手でした。

私は本来なら無視が賢明と分かっていても無視してくれない友人のために下らない連中に関わっていましたが、自分もアラシと同レベルまで落ちることは嫌でした。
それゆえ論理で真実に辿り着き、その真実を突きつけるやり方を貫くことでアラシと一線を画すようにしていました。

そんな私の姿勢はマナーを守る者からは信頼されて、アラシから恐れられていたようです。
千葉さんは私の威を借りたいだけでした。
行動では私に背いていても、表面的な言葉で賛同したりおだてておけば私をうまく利用できるとでも思っていたのでしょう。

この人の発想では自分が川口さんたちのトピを潰した件で私から恨まれているというストーリーしか思いつきませんが、私はもっと前からそんな事故が起きる危険を当事者たちに言ってきましたから、起きるべくして起きたことに怒りが向かったのは千葉さんにではなく無策で続けてきた川口さんたちにでした。

私の個人的な損得勘定で考えると、千葉さんのトラブルは感謝したいくらいでした。
警鐘をならしてきたことが当たって川口さんたちとの話し合いを優位に運べる材料になるし、時間を浪費する日々に終止符を打ってくれたのですから。
でも個人的な利害をはずして考えると、この軽率さは反省してもらわなければ本当に落ち度の無い他人に迷惑をかけかねません。

この人が私の文章をほめているのは他のアラシに睨みを利かせる上で便利だから。
私の友人を思いやって行動したのではなく、困っている人に優しくして感謝されたい虚栄心しかなかったこと。
千葉さんが偽善者だと気づいた後も掲示板での滞在期間を延ばして注意説得や叱るというエネルギーを使ったのは、公益を求めるだけでなく最初に本性を見抜けなかったのを認めたくないために偽善者から本物の善人になって欲しいと願う気持ちがありました。
降りかかった火の粉part1
ここまでで書き足りないことについて、私自身に降りかかった災いにどう対処したかを語れば補足できると思います。

世田谷さんが私のホームページへの反論と称して書いていったものは、相変わらず「自分が迷惑行為をしたのは最初の2ヶ月くらいで、しかも気づかずにやってしまったことだ。その後は別人が引き継いだものだから無関係」という無責任極まりない立脚点からのものでした。

他には私の推理が間違いであると例を出して他の推理も間違いと持っていこうとした手抜きな反論もありました。
それは彼の年齢についてです。
彼が60年代の黒人による音楽をリアルタイムで聴いていたことを窺わせる投稿をしていたので、常識的にそのジャンルの音楽を好むのは若くても10代中頃だから50代後半と年齢の下限に見当をつけました。

ところが彼の反論では、単にその時代の音楽に詳しいからというだけの根拠で導いた推理であるとすり替えて、しかも自分は50年代の方が詳しく知っていると言いました。
50年代の方が詳しいということは過去の投稿に無かったのだから私が知らずにいたのは別に当然のことだし、また私の推理は下限を言ったものだから、もっと上の年齢だと公表したところで私の至らなさを指摘できるものでもありません。

この世田谷さんが謝るのは負けであり恥と思い、ずっと謝れずに無責任な主張を続けてくれたから私のホームページは続けることが出来ました。
公開後にでもこの人が潔く自分の非を認めて謝ったり事態の収拾をつけようという姿勢を見せたなら、私の作戦は続けられませんでした。

千葉さんは一年ぶりで掲示板に戻った私に再度自分の非常識を咎められるとでも思ったのか、自分のブログが私によって不特定多数に公開され、その動機が私の自己保身だったと書きました。

この人がトラブルを起こした直後に私は川口さんと話していて、千葉さんは悪い人ではないと知ってもらいたかったから彼女のブログを教えたけれど、千葉さんの手にかかれば不特定多数に公開したことになります。
私は川口さんたちに同調して千葉さんを責める立場も取れたのに、自分たちの落ち度を棚に上げて千葉さんを責めるのは止めようと喧嘩別れまでしましたが、自己保身なのだとか。

私はこれを明らかにして千葉さんの嘘を暴く証拠を持っていました。
そして当時もう一つ、非合法的な切り返しも頭に浮かびました。
ダブル・ジョパディ・・・千葉さんから濡れ衣を着せられた私が今後本当に彼女のブログのコピーを公の場に晒しても、そのときにまた改めて苦情なんか言わないでください。

合法、非合法、どちらのやり方でも同レベルに降りて相手をするのはやめました。
ただ、私に寄せてくれた賛辞賞賛の言葉を取り消してください、と頼んだだけです。

一応、千葉さんを庇う目的とはいえ彼女の許可を得ないで他人にブログを教えたのは私に落ち度がありますから、それを彼女が脚色して他人に伝えることで溜飲を下げてくれるなら、好きにすればいい。
いつか千葉さんに良心というものが芽生える奇跡が起きたなら、そのとき自己嫌悪に陥るのはこの人です。
降りかかった火の粉part2
品川さんが自分の言いたいことだけ言って逃げた時の主張は、千葉さんは悪いことをしたけれど反省して謝っているから許してやれ、そして私が千葉さんを責めて傷つけたことを謝れというモノでした。

現実に起きたある事件を思い出すような、倫理の堕落ぶりが見えます。
本屋が万引き犯を追いかけて行ったら犯人が心臓麻痺で死んでしまい、その本屋には人殺しとかの張り紙がされるようになって、商売を続けられなくなった事件です。

嘘を書いて他人の信用を傷つけるというのは最初からしないのが当然であり、そのことで叱られて可哀想などというのは優しさと甘やかすことを区別できない人間の論です。
その非難を受けた結果に謝るのはまた当然であり、謝罪を受けた側が必ずしも許さなければいけないという理屈は成り立ちません。
ましてや叱ったことを謝れとは盗人猛々しいというものです。

この問題に関わっていて私自身に降りかかった火の粉といえば、敵対者では世田谷さん、味方では今岡さんと千葉さんと品川さんでした。

これらの人に共通しているのは、自分や仲間が被害者の立場を獲得するために経過の一部分にだけ注目して、被害者に認定されたと確信するやゴネまくるところです。
私がこれらの人に反論するには、この人たちが触れないようにしている経過を明らかにしていくだけで十分です。

私は当たり前の手順を守ることに気を配ってきたし、その証拠を保存することも忘れませんでしたから、これらの人たちと話し合いのルールを守りながら自論の正当さを争うなら負ける要素はありません。
この人たちが私を負かすなら、実際にこの人たちがやったように自分の言いたいことだけを言って逃げるとか嘘を並べるなど、ナリフリ構わず汚い手段を使うしかありません。
そうまでして表面上の勝利が欲しいなら幾らでも譲ってあげます。

同レベルまで降りていって勝つよりも、勝てるだけの材料を持ちながらそれを使わずに表面上の勝利をくれてやる方が誇れることだと考えています。
自分が実行するなら簡単なのに、友人に実行させることはできませんでした。

私の言葉に友人を導くパワーが無かったことが心残りになっています。

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