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良寛コミュの死ぬる時は、死ぬることが良く

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という言葉には批判など色々ありますが、

ナンシー・ウッド[Nancy Wood]著「今日は死ぬのにもってこいの日( 原題は"Many Winters")」の一部が共通するような気がしました。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。

コメント(6)

ふと気がついたのです。この言葉の対偶を考えると

生くる時は生くることが良くとなり、

人生を肯定してくれていることが分かりました。
死ぬるとき

自分の未熟さを感じずにいられない一節です。
あるセミナーの後、「もう死んでもいいなぁ」(悔いはない)と思ったこと体験がある
この言葉の書かれた手紙のことをご存知の方には言わずもがなでしょうが、

家族を亡くした知人に宛てて語ったもので、慰めの言葉だったわけです。

どうして、これが慰めになったかと言えば、越後の国は浄土真宗の盛んな

ところで、あの世があると多くの人が信じていたわけです。

今の多くの人があの世はないと思い、死ねばそれでおしまいと思うのとは

ずいぶん違った死の受け止め方をしていたと思われます。

死を十万億土への旅と受け止める人は今日あまり多くないと思われますが

そんなことが信じられていた時代の死の観念として読まれると

また理解が違ってくるのではないでしょうか。

良寛さんは黄檗宗の影響を受けているように思われます。

黄檗宗は浄土宗を取り入れて、念仏もするようです。

だから、厳しい禅の言葉としてのみ読むことは

ないのではないでしょうか。
有名な、でも、阪神淡路大震災の時は批判もされている言葉ですが、

しかし、これは、生きる時節は、生きるがよく候、という反対解釈が

できる言葉であることに気が付きました。

生きる意味に迷う時や、どんなに気持が滅入っていても、

それでも生きていて良いんだと思うようになりました。

死ぬときに子どもたちに残すものがないなあと、思ったら、良寛さんの歌が浮かんできました。

形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉

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