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九州平成義塾・九州発見塾コミュの(龍馬の仕事)新日本ために働いた坂本龍馬は、斡旋の達人なり

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(龍馬の仕事)新日本ために働いた坂本龍馬は、斡旋の達人なり

 私と坂本竜馬との出会いは、20代で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が始まりと思います。それと海音寺潮五郎氏「幕末動乱の男たち」を読んで以来、数年間は建築の勉強で時間が空き、33歳の時に、横井小楠先哲と松前重義先生の理念を学ぶ「くまもと地球市民塾」の参加したことで、幕末のことを勉強する事になりました。

 横井小楠は、幕末の熊本で、政治思想家として活躍した方で、福井藩の財政再建、行政改革を指導し、徳川幕府の幕閣でもあった福井藩主の第16代松平春嶽の政治顧問として、様々な改革提言を行って、維新後には、新政府の閣僚に一人として就任しますが、明治2年刺客に襲われ、命を落とします。

 この横井小楠を、坂本竜馬の師である勝海舟が、「氷川清話」の中で、世に恐ろしき者が二人居る、西郷隆盛と横井小楠。もし、小楠先生の理想を、西郷が実行すれば大変なことになる趣旨の言葉で書かれています。

 熊本に、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、松平春嶽、と明治の熊本の改革新政権の細川氏5人を顕彰する「横井小楠と維新群像」の銅像が建っています。坂本竜馬は、横井小楠に5度会ったといわれていますが、その対談ごとに成長して行ったことが良く分かります。 始めは、勝海舟の用事の代理として、横井小楠の私塾「四時軒」をたずねます。当時の様子を政治評論家の内田健三氏から、小楠の最後の内弟子だった内田氏の祖父内藤泰吉氏が語った話を、聞く機会がありました。

「龍馬が訪ねて来て、議論始まった。控えの間で、お茶を出す用意と、小楠にもし切りつけることがあればと刀を抜く準備をして待った。話を様子が、だんだん小楠先生の理論を聞く雰囲気になり、茶を持って襖を開けた。」

 当時、やっと江戸の勝海舟に弟子入りし、国や世界の在り様を勉強中だった竜馬は、小楠の改革論に聞き入ったのが良く理解できます。 

 そして次は、小楠が福井に居た時、再度訪ねます。そのころは、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允等々との交流もあり、日本状況を掴み、持論も含め小楠とやり取りをしたそうです。まだまだ、小楠の政治理論に学ぶところが多く、師の一人として見ていたようです。

 最後に、勝海舟と一緒に長崎から帰る時、熊本へ寄り、海舟の変わりに支援物を届けたときには、薩長連合が出来上がる直前だった時期ですが、当時の小楠の構想は、小楠に縁のある藩の連合で倒幕だったようですが、既に龍馬の構想は、元は敵だった薩摩と長州をくっつける構想を持っていたようで、小楠との別れ際に「我々が実行することを、先生は高みから、見物していてください」の意味の言葉を語ったとあります。その後、龍馬は、薩長連合を組み立て、倒幕のため京都へ向わせます。

 しかし、当の竜馬自身は、もっと違う世界を見ていたように思います。竜馬を顕彰する時に良く出てくる『世界の海援隊になる』という発想に表れていたように思います。
 東アジアへの西洋列強の進出と植民地化、世界貿易を円滑にするために、働く応援団、その後を継いだ三菱の創始者の岩崎弥太郎の行動が、それに近いのかなと思います。岩崎氏は、「海援隊→亀山社中」に所属していたことは良く知られていますが、国と国をつなぐ仕事が「世界の海援隊」と私は、勝手に想像しています。

 奇しくも、龍馬は、狂剣に命を取られますが、その精神は今での多くの人々の心を捉えています。その生涯を見て、私の考える龍馬は、脱藩後にやった大きな仕事は、人と人をつなぐ仕事を積み重ねが、明治維新の場で、大きな功績につながったと思います。
 確かに、「船中八策」は有名ですが、小楠の弟子だった福井藩の由利公正も同じ理論を持っていたと歴史書で読みました。福井に行って、小楠との意見交換時に、勉強熱心だった由利が、同席しないことはなかったとは思えません。龍馬は、人と会い、学び、成長し、更に、人物を求めて行く中で、日本の未来(ビジョン)を勝海舟と画いたではないかと考えます。
 坂本龍馬は、誕生日と亡くなって日が同じとドラマチックなのですが、天が幕末・維新、活躍する人々をつなぎ、協力させるために使わした志士の一人だったと思います。

 龍馬の一生は、人と人をつなぐ仕事「斡旋」を、幕末やり続けたことではないかと思います。その目的は、自分が維新後の閣僚になるとかではなく、世界貿易をするには、日本が変わらねば自分の夢が叶わない、今は、この幕府を倒し、新しい日本を作る必要があることを認識して、最良の方策「大政奉還」と言う発想を生み出したと思います。

 そんな思いから、坂本龍馬は、「斡旋の達人」だったと思っています。

 私欲を捨て、公にために働いた方は、この龍馬と、明治・大正期に活躍した新渡戸稲造氏ではないかと思います。新渡戸氏は世界平和のために、龍馬は新日本のために賢明に働いた偉人と思っています。

不知火龍馬会 会長 野口修一


<コミュ>

・不知火龍馬会(熊本)
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=773071

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