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ヨーロッパの戦うお城が好き!!コミュの「城」入門

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ポケットぺディア 「城」 (長谷川尭 監修) 紀伊国屋書店


 城に親しむ書物としてオススメです。

 内容からの引用を利用し、理解を深める助力にしたいと思います。
 このトピは参考書として使ってください。

 本書では絵や写真が豊富に掲載されています。
 文章だけでは分からないことも多々あると思いますので、書店で見かけたら一読ください。

 話のメインは戦う城について

コメント(14)

城とは

「城は砦と住居という二重の目的をもった建造物である」
                     (12pより)


 ベルサイユ宮殿(フランス)やシンデレラ城(千葉県ディズニーランド笑)のモデルになった、ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)などはとても贅沢な装飾をもっています。

 これらの城は戦乱の渦が治まり、国政に余裕がでてきた時代に建造されました。居住性に重点を置いているのが特徴です。

 治安が悪く、支配者同士の戦いが続いていたころの城は石壁が剥き出しで無骨な印象を受けるものが多かったようです。
 居住性や視覚効果に重点を置き、宮殿を兼ねた城を後期。
 領地を防衛する目的を重視して運用されていた城を前期として解説していきましょう。

 
 前期城砦の内部に作られた住居

「領主の住居は大広間(居間、食堂、事務室を組み合わせたもの)と、領主とその家族が寝る1部屋以上の個室でできていた」    (12頁)

 城を守る兵士たちの活動スペースに重点を置いていたので、住環境はあまりよくありません。
 大広間の中では、従業員たちがごろ寝していたという話もあります。
 さすがに領主には個室を作る傾向があるようですけど。
 
後期の城

 「15世紀末になるとヨーロッパの社会はさらに平穏になった。その結果、貴族たちはもっと暮らしやすい住居を求めた」
                      (80頁)

 写真はシュノンソー城。

 青い色彩の屋根に白い壁面。見たとおり戦いとは縁が遠くなった建物です。
 城内の一角には礼拝堂が建てられ、カラフルなステンドグラスを備えています。城主や賓客のために個室を構えるなど、初期の城郭から居住性は大幅に改善されています。

 宮殿には武勇伝よりも人間同士の憎愛劇が多く繰り広げられました。このシュノンソー城にもいくつかありますよ。
初期の城と砦

「本当の意味の城は中世ヨーロッパではじめて建てられた。しかしほかの多くの、ずっと以前の建造物も城と呼ばれることがある。これらは通常、攻撃に備えて防備を固めた居住地か、軍隊の一部を駐屯させるために築かれた砦である。」   
                       (14頁)

 北アフリカのピラミッドのように、古代の国家(ローマ帝国、エジプト、中国など)はその強大な権力と労働力を用い、巨大な防御施設を建造しました。

 特にローマ帝国はヨーロッパ中に砦を建造。中には5000人もの兵士を駐屯できるものもあったそうです。
 ローマ帝国の滅亡後、砦の多くは廃墟となりましたが、中世の領主たちの中には、それらを改修して再度城として利用した者もいました。

 中世期に建造された城の中には、古代の城砦に見られる特徴を備えているものも多く、防衛施設に関する知識は、時を超え受け継がれていったようです。
それでは、中世の時代に建造された城について


?時期

 「中世ヨーロッパの最初の城は、カロリング朝がバイキングとマジャール人によって崩壊していった9世紀に出現した。」(16p)
 
 カロリング朝とは、5世紀〜9世紀に栄えたフランク王国をさします。現在のフランスからドイツに至る、広大な土地を所有していました。
 しかし異民族から侵略を受け、国王の力が弱まり群雄割拠の時代を迎えることになります。

 地方豪族同士の権力争いの中で産声をあげたのが、中世初期の城でした。 


?形式

 「その多くの城は木造の簡単な作りで、川や丘などの天然の要害に頼っていた。」(16p)
 
 居住スペースは、太い丸太を地面に打ち込んで壁にした大きな一室住居でした。
 屋根はワラで葺いた木造・土間床で、中央に囲炉裏スペースを設けています。
 さらに、その住居を囲むように木製の柵をつくり、外敵に備えていました。
 この時点ではまだ領主の個室を採る余裕はなく、家来と同じ部屋で寝食をしていたそうです。
 

!!!添付した写真はやや時代のくだる領主の館図です。説明とは若干異なりますので参考までに。!!!


?その後

 「建設者たちは築山、土手、掘割などの土塁工事を開発した。」(16p)

 この土木技術は、後数世紀に渡り城の防衛を支えていくことになります。

 
 次回は木製の塔・柵と、土木技術を駆使して誕生した新しい築城様式について紹介していきましょう。
 モット・アンド・ベイリー Motte and Bailey

 「多くの初期の城は、てっぺんに木造の塔の建っている築山、つまりモットと、そのほかの建物が建っている中庭、つまりベイリーで構成されていた。」(22p)


 添付した画像はモットアンドベイリー形式の模式図です


 11世紀初めから13世紀中ごろまでの間に、現在のイギリス〜フランス北部の地域に広く建設されました。 

 ベイリー部分には食料・武器の貯蔵所、住居、必要な作業(馬の飼育・食料の加工・弓などの製造)をする建物が置かれました。
 プリン型のモット(盛土)の頂上部には見張り塔兼本居(キープ)が建てられ、もしベイリーが攻城側の手に陥ちた場合、最後の抵抗の舞台に変ります。

 見張り塔の二階に領主の居住スペースが作られることもあり、主従の関係が明確にされているのも特徴です。(ちなみに一階は兵士の詰め所・倉庫)

 
 ノルマン人と城

 バルト海と北海の荒波を乗り越えて、周辺諸国に略奪を働いたヴァイキング。
 彼らの一部族はノルマン人と呼ばれました。

 もともと、資源の乏しい故郷(スカンディナビア半島の沿岸)のために略奪をしていた彼らですが、やがて豊かな土地自体を求めて移住を始めました。

 モット・アンド・ベイリー型の築城様式はノルマン人の発祥と考えられています。
 彼らの征服地である、イギリス・北フランスの支配を支える重要な防衛施設として機能していました。


 ヴァイキング wikiペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
このトピックスの本は、図書室にあったので読み漁った記憶がありますw
このシリーズは城の他にも詳しくわかりやすい資料なんで、
他のやつもいつも重宝させてもらっています。

↑新紀元社さんからこんな本も出ています。
きっとこっちも参考になると思います。
>高月みやびさん
 本の紹介ありがとうございました。本屋でみつけて気に入ったので買ってしまいました。欧州の城だけにとどまらず、古代から近代にかけての防御施設に関する情報に感動しました。

 コラムとして挿入されていた、欧州城郭の建設の話は特におもしろかったですね。縄張りから建設を守備する防衛兵の配置に至るまで、知らなかった情報に触れることができた点は本当に感謝ですね^^
 木造から石造へ 前編


 時代が進むにつれて、木製の城砦は石造りに変わってゆきました。まもなく私たちがイメージする城の原型が誕生することになりますが、ここではなぜ木造から石造に変わったかについて触れていきましょう。


 「石造の城が初めて建てられたのは10世紀で、通常は大きな塔が城の中心に建っていた。」                       (24頁)

 ?大きな塔

 または主塔。地域によりドンジョン、キープと呼ばれていました。城郭内最大最強の建造物で、有事の際には守備側が最後に立て籠もり戦ったようです。 
 建設位置は城により様々ですが、役割はモットアンドベイリー形式のモット上に立てられた塔と同じです。

 写真(左)は12世紀に建てられたヘディンガム城(主塔)。 
 縦横15m×15m 高さ35m と大物です。


 ?木造から石造へ

 木と石の違いで最も重要視されたのは耐火性でした。木材で何重に囲っても、火を射掛けられるとひとたまりもなく、外壁に獣の革を張るなどの工夫もされましたが、次第に根本的な解決が求められるようになります。

 建設に莫大な費用と時間が必要になりますが、一度建ててしまえば木材のような腐食の心配もなく、恒久的な拠点として利用できました。

 その他に
 ・城壁の厚みを自由にできる
 ・背の高い壁や塔を建てられ、広い視界と射程を得られる
 などの利点もあります。
 ?時代背景

 ・石造文化
 古代ローマ帝国時代には巨大な石造文化が栄えたのですが、異民族の侵入により帝国は衰退、滅亡しました。
 欧州は群雄割拠の暗黒時代を迎えますが、ローマ文化はカトリック教会をはじめローマに影響を受けた勢力に伝えられていました。

 ・経済
 有力な領主の下に人々は定住生活をはじめ、農業生産力は次第に高まりました。税の徴収により、領主の元に富が集まるようになります。
  
 ・カトリック教会
 ローマ帝国の国教になるほど普及したキリスト教でしたが、帝国の滅亡を機に弱体。細々と異民族への布教活動を行っていました。
 その成果も実り、キリスト教は欧州に広く普及し、豊かな領主や蓄財を始めた人々が信仰心の証として、土地や物資を寄進するようになりました。やがてそこら辺の領主よりも豊かな存在に成長します。
 古代から伝わる技術と知識を元に、かつての威光を取り戻そうと着手したのが、石造教会の建設でした。

 ・専門技術
 岩山から石材を採り出すのですが、それには専門知識と組織的な活動が必要でした。
 カトリック教会による教会建設が活発になると、それを専門に行う人々が生まれ石工組合が組織されるようになります。

 ・諸々の要素が加わりそして
 復活した石造技術を駆使する石工を、豊かな領主が莫大な資金で雇い、石造の城を建設するようになりました。


 ?木造城の石造化 (モット・アンド・ベイリー編)

 費用と時間がかかるので、城の一番重要な場所=キープ・城門から石造化が始まりました。 写真(左) ワークワース城のキープ

 ついで、周囲を取り巻く壁も石に取替えられるようになります。
 
 時代が下ると、城壁に小塔が付属され、城門にも工夫が施されるようになります。そして完成です。  写真(右)  ウィンザー城の全景
 

 ?新しい形状の城

 城郭の石造化が進むにつれて、シェル・キープやレクタンギュラーキープと分類される城が生まれるようになります。



 参考文献


 三省堂図解ライブラリー 中世の城                フィオーナ・マクドナルド
 Truth In Fantasy60 城                       池上正太とORG
 歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器辞典?   学研

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