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東京の名所旧跡再発見コミュの04 新宿区

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新宿区の目次

1 新宿区立おとめ山公園 新宿区下落合2-10 江戸時代には将軍家の狩猟地
2 下落合氷川神社前庚申塔 新宿区下落合2-7-12 文化13(1816)年造立の庚申塔
3 月見岡八幡神社 新宿区上落合1-26-19 寛政2(1790)年の富士塚、正保4(1647)年造立区内最古庚申塔。
4-5 高田馬場玄国寺 新宿区高田馬場1-12-10 岩倉具視旧邸、寛文3(1663)年傘付庚申塔、田植え地蔵
6 若松町宝祥寺 新宿区若松町38 江戸期には珍しい外国人の墓石
7 小滝橋延命地蔵尊 新宿区百人町4-9-5 地蔵正徳元(1711)年、宝筐印塔宝永3(1706)年、
8 上落合最勝寺前道標 新宿区上落合3-4-11 安政5(1858)年造立
9 新宿区立甘泉園公園 新宿区西早稲田3−5 徳川御三卿の清水家の下屋敷
10 東山藤稲荷神社 新宿区下落合2-10 寛延3(1750)年の銘のある水鉢
11 西落合自性院 新宿区西落合1-11-23 猫地蔵
12 西早稲田宝泉寺 新宿区西早稲田1‐1‐2 宝永7(1710)年鋳造の梵鐘
13 西早稲田放生寺 新宿区西早稲田2-1-14 慶応4(1868)年の銘のある石柱
14 西早稲田龍泉院 新宿区西早稲田 1-1-12 元禄2(1689)年庚申塔
15 西早稲田亮朝院 新宿区西早稲田 3-16-24 七面堂は寛政年間、本堂は棟札によれば嘉永6年の上棟
16 箱根山(都立戸山公園) 新宿区戸山二・三丁目、大久保三丁目 寛文8(1668)年尾州徳川家(尾張藩)の下屋敷跡


日記の目次


ハットリくん 新宿区若葉2-9西念寺 2005 11 22 服部半蔵
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=56605223&owner_id=300389

林羅山 新宿区市谷山伏町山伏町1-14林家墓地 2005 12 27
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=68495052&owner_id=300389

関孝和 新宿区弁天町95 2005 12 31
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=69620695&owner_id=300389

太宗寺 新宿区新宿2−9−2 2006 3 19 江戸六地蔵/塩かけ地蔵
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=104005886&owner_id=300389

稲荷鬼王神社 新宿区歌舞伎町2−17−5 2006 4 1 鬼の水鉢:文政年間
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=110592400&owner_id=300389

西向天神社 新宿区新宿6-21-1 2006 4 2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=111127296&owner_id=300389

山県大弐 新宿区舟町11  全勝寺 2006 4 5
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=112739935&owner_id=300389

田宮稲荷 新宿区左門町17番地 2006 4 6 東海道四谷怪談
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=113270571&owner_id=300389

お岩稲荷陽運寺 新宿区左門町18 2006 5 1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=126754141&owner_id=300389

西迎寺 新宿区舟町13-2 2006 6 9 元禄7年(1694年)銅造の阿弥陀如来座像
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=151244047&owner_id=300389



コメント(16)

新宿区立おとめ山公園

 15,054.30?の公園です。この公園のある一体は、江戸時代には将軍家の狩猟地であったためお止め山と呼ばれていました。新宿の江戸時代の武蔵野の風景を今に残している貴重な場所です。


所在地:新宿区下落合2-10
下落合氷川神社前庚申塔

 氷川神社前の十字路の向かいの隅にポツンとあります。
 文化13(1816)年造立の庚申塔ですが道標を兼ねたもので右側面に「ぞうしが屋」左側面に「くずが屋」と記されています。
 この位置からかつては道の反対側にあったと思われます。

所在地:新宿区下落合2-7-12
月見岡八幡神社

 元は落合中央公園西側の八幡公園辺にありました。昭和37年に現在地に移転してきました。
 本堂左には富士塚と庚申塔があります。庚申塔は宝筐印塔型のもので、これらはかつて山手通りと早稲田通りの交差点付近にあった浅間神社から移転したものです。
 富士塚は寛政2(1790)年の築造で落合富士と呼ばれてます。庚申塔は正保4(1647)年造立の区内最古のものです。


所在地:新宿区上落合1-26-19
高田馬場玄国寺(その1)

 真言宗豊山派のお寺で慶長年間に創建されたと伝えられています。護国寺の末寺になります。
 境内には岩倉具視旧邸の一部を移築したといわれる庫裡・書院があります。明治初期のものです。
 本堂左手にある傘付庚申塔は寛文3(1663)年の江戸初期のものです。


所在地:新宿区高田馬場1-12-10
高田馬場玄国寺(その2)

 寺に並んで離れた場所に墓地があります。ここにお堂があり田植えを手伝ったと伝えられる「田植え地蔵」が祭られています。
 江戸の早稲田の様子が偲ばれる地蔵です。
 若松町宝祥寺

 曹洞宗のお寺です。ここには江戸期には珍しい外国人の墓石があります。

所在地:新宿区若松町38
小滝橋延命地蔵尊

 早稲田通りと小滝橋通りの交差点の南側角地にあります。地蔵は正徳元(1711)年、宝筐印塔は宝永3(1706)年、左の小さい石柱は道標で明治のものです。正面 「向落合 最勝寺道 向新井薬師道」 右側「右 新宿停車場道 大久保」 左側「左上戸塚観音寺 牛込穴八幡」と刻まれてます。


所在地:新宿区百人町4-9-5
上落合最勝寺前道標

 お寺の門の右手に小さな石柱があります。これは安政5(1858)年造立のもので、「弘法大師 二十四番」と記されています。これは道標を兼ねたもので
右側面に「従是新町多聞院 壱丁」、左側面に「従是四谷北寺町和光院 十一丁」と印されています。
 交番側には明治時代の道標もあります。右側面「右 新井薬師 新高野山」 左側面「左 中野宝仙寺 上落合福宝軒支店」とあります。




所在地:新宿区上落合3-4-11
新宿区立甘泉園公園

 甘泉園公園は、もともとは、徳川御三卿(徳川御三家を補佐する役目。)の清水家の下屋敷でした。そのため、日本式庭園が残っています。江戸時代大名達が、国元や出張先の江戸屋敷によく造られ流行った、池や中島、磯渡り、築山を配した、回遊式庭園(別名、大名庭園とも言われる。)回遊式庭園を見ることができます
 甘泉園の名前の由来は、庭園の中央から湧き出している湧き水があり、その湧き水が、お茶を入れるのに適していたからとのことです。
 甘泉園公園では、毎年、冬になると、兼六園のように、の樹木に雪吊りが施され季節感を味わえると共に、訪れる時期によっては、石榴の花が見られたり、つつじの花が見られたり、四季を通じて楽しめる公園です。
開園時間 午前7時から午後7時 11月から2月は午後5時迄

 所在地:新宿区西早稲田3−5
東山藤稲荷神社

 藤稲荷は、かつて大きな藤があり「江戸名所図絵」にも記載されていました。
 祠の前の石のキツネは、文化15(1818)年の作で、台座には「蜀山人書」として寄進者の名前が刻まれていましたが狐は新しくなって台座のみ当時のままです。
 境内は狭く荒れていますが、壊れた鳥居には江戸の銘があり、寛延3(1750)年の銘のある水鉢があり由緒ある稲荷であることが偲ばれます。
 西落合自性院

 真言宗豊山派のお寺で西光山自性院無量寺と言います。北側の参道に招き猫があり、古い猫地蔵の石碑があります。
 寛治年間(1087-1094)の創建で猫寺の由来は江戸時代寿司屋の弥平が迷い猫野良猫を飼ったところ商売繁盛しました。そのうち猫がいなくなり、弥平は猫を供養し猫面の地蔵を寄進しました。


所在地:新宿区西落合1-11-23
西早稲田宝泉寺

 天台宗のお寺で禅英山了心院宝泉寺と言います。かつては早稲田大学の一帯を寺領としていた大きなお寺でしたが戦災などで消失しています。
 本堂左に宝永7(1710)年鋳造の梵鐘が残っています。
 境内には元禄5(1692)年の水鉢があります。

所在地:新宿区西早稲田1‐1‐2
西早稲田放生寺

 真言宗のお寺で威盛院光松山放生寺と言います。1641年(寛永18年)に穴八幡の別当寺として同神社の隣に開設されました。蟲封じのご利益があるとされています。
 護府内88か所の第30番霊場でした。入口に慶応4(1868)年の銘のある石柱があります。
 本堂脇には古い板碑があります。




所在地:新宿区西早稲田2-1-14
西早稲田龍泉院

 馬場下交差点にあります。真言宗智山派のお寺で松竹山龍泉院と言います。江戸初期にはあったお寺で葛飾郡寺島村の蓮花寺(新義真言宗醍醐派)の末寺でした。隣の法輪寺の塔中であったこともあります。大正10年から真言宗智山派に属することになります。
 本堂右手にある庚申塔は元禄2(1689)年の古いものです。
 所在地:新宿区西早稲田 1-1-12
西早稲田亮朝院

 日蓮宗のお寺で如意山亮朝院栄亮寺と言います。旧鎌倉街道沿いにある赤門で知られているお寺です。
 本堂前にある石造の仁王像は江戸中期のものです。明暦元年 (1655年)には将軍家の祈祷所とされ、明暦2年に将軍家綱が疱瘡をわずらって苦しんだ際には、日暉上人が七面明神のお像とともに登城して次の間にてご祈祷したところ、家綱は見事に全快し、翌年には寺領や社殿を寄進しています。
  寛文 11年(1671年)、境内を現在地に移し、文化文政期には「江戸名所図会」に描かれているような大規模な寺となり、亮朝院周辺は第二次大戦による被害も少なかったため、建築物、仏像など江戸時代の空気を伝えるものが多く残っています。る。
  七面堂は寛政年間、本堂は棟札によれば嘉永6年の上棟、元禄の銘を持つ梵鐘や新宿区内唯一の石造仁王像は、区の文化財に指定されています。



所在地:新宿区西早稲田 3-16-24
箱根山(都立戸山公園)

 寛文8(1668)年尾州徳川家(尾張藩)の下屋敷跡になります。総面積は約448,800?に及び、 「戸山荘」と呼ばれました。寛文9(1669)年に工事を始め、元禄年間(1688-1703)に完成した回遊式築山泉水庭です。 庭園の南端には余慶堂と称する「御殿」を配し、敷地のほぼ中央に大泉水を掘り琥珀橋と呼ばれる木橋を渡し、 ところどころに築山・渓谷・田畑などを設け、社祠堂塔 ・ 茶屋なども配した二十五の景勝地が造られていました。なかでも小田原宿の景色を模した「町並み」は、 あたかも東海道五十三次を思わせる他に類のない景観を呈していたと伝えられています。その後一時荒廃しましたが、寛政年間(1789-1800)の初め第十一代将軍徳川家斉の来遊を契機に復旧され、その眺めは、 将軍をして「すべて天下の園池は、この荘を以て第一とすべし」と折り紙をつけしめたほどでした。安政年間(1854-1859)に入り再び災害にあい、 その姿を失い復旧されることなく 明治維新を迎てます。この一部が昭和29年に公園として一般に開放されました。明治以降誰からともなく、 この園地の築山(玉円峰)を「函根山」・「箱根山」と呼ぶようになり、 当時を偲ぶ唯一のものとなっています。
 箱根山は、東京都新宿区内にある、東京都区内の山手線内にて一番標高が高い人造の山です。山頂にある水準点の標高は44.6mです。

 都立戸山公園の総面積は約186,800?で、 高木約4,300本、低木約66,700株、芝生面積約19,000?と緑の多い公園です。



所在地:新宿区戸山二・三丁目、大久保三丁目

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