まず、そもそもアドベンチスト教会のために選ばれたこの場所が一体どういう意味があったというのか、またアドベンチストがその土地を占有することが何を意味したのか考えてみるべきである。東京都23区のロードマップがあるなら見てもらいたい。始めにSDA連合伝道部会がアメリカからの援助金で購入できた土地というのはJR原宿駅から表参道沿いに東南東へ400m行った明治通りの交差点の北角であり、現在この地点には「ラフォーレ原宿」という高層建築物が建っている。梶山の記録によると、この建物のあった場所は高台であって、旧教会堂が撤去されたあと、明治通りの高さまで丘が徹底的に切削されたとある。この場所から青山やNHKなどのある渋谷が見渡せたというのであるから、このあたりでは結構な高さの丘であったはずである。また、ということは、そこから原宿駅の反対位置にある明治神宮にも眺望があったであろう。明治神宮とは言わずと知れた明治天皇が神として祭られている場所であり、戦前の国家神道の神殿であり、日本国の御陵威(みいつ=authority)の最も高いところであり、それなりに恐れられていた所だったはずだ。そういう畏れ多いものが近くにあったからこそ、そこにはかつて高級な結婚儀式の施設がある東京市の神聖なる一等地だったのである。それが戦争が終わったとはいえ、国家が天皇の名前により迫害して教会の死亡宣告までも下したはずのアドベンチスト教会が突然よみがえって、旧い国家の権威の象徴のある場所の文字通り目と鼻の先の高台に忽然と姿を表わしたというのは、非常に象徴的な大事件ではなかっただろうか。旧権威の代表である神社に明瞭なコントラストをつけるかのように現われた東京中央教会の白亜の教会堂は、天皇の権威を精神的に至上として神社には足を向けて寝ることもためらわされていた人々に対して新鮮な驚きとを禁じえなかった。それはまさに時の兆(signs of the times)に他ならなかった。即ち、神は日本の伝道の拠点をかつての戦前の日本人の精神的に権威付けの根拠の場所の文字通り鼻先に置かれて、偶像の神を嗤い、かわりに天地創造と十字架の神がそれに取って替わるべきものである事を日本の人々に印象付ける最も大胆な場所に与えられた。それがわからなかったのか。神はアドベンチストの民の恥をそそがれ、敵の前で宴を設けられたのだ。