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微妙なファッションコミュのこんにちは

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あなたたちのファッションの考えはどうですか?
わたしはあなたたちに、あなたたちの考えを、書くことを欲する。

コメント(22)

間違って、ヒトにお洒落と思われた時、おされですね。などと言われたとき、無性に恥ずかしさが込み上げてくるのはワタシだけでしようか?変ですね。と言われたとき、ムッとしつつ、実は少し嬉しいのわたすだけでしょうか?
ミスターやすし、わたし同感です。

このコミュで話し合われる大きなテーマのひとつとなることですね。
服装とは、本来その人の属性や性別、地位などを表すもの。
自己主張とか個性なんて概念が下々の者達にまで
浸透したのは、ホントここ何十年の事。しかも先進国だけ。
。。。じゃないでしょうか。
思えば面倒な時代に生まれたものです。
男はおとこらしく、女はオンならしく、音楽はあくまでも美しく、
仏や神が人々の生活に生きづいていた頃、
そんな頃に憧れてしまうま。ひひーん。
これって内容ずれてる?
やすしさん

今は属性が細分化されているだけで、けっこうその属性だけにオノズのファッションをゆだねている人も多いと思いますね。

しかし昔の世界でも得体の知れない属性の人はいたもので、たとえば「サンジェルマン伯爵」とか。
その謎な雰囲気は人々を魅了したものでした。
センスというのはその文脈を理解する文化圏でしか通用しないものなのかもしれませんね。

そしてそのセンスとは、その言語にたけた人によって明確に語られうるもので、決して言語を超えてはいないのかもしれない。

たとえば黄金比的なファッションとか逆に激しくダサいし。悪い意味で。

ヨーロッパがモードのミヤコ的な存在であるのは、その文脈の多様さにおいてなのかもしれない。

いみわからんですね。もうしわけない。

文脈を理解されない服装は、ある意味はだかで歩くようなものなのかもしれない。

いや、裸で外を歩くことに強烈な文脈が与えられた現代において、それこそが、本当の裸なのかもしれない。
やすしさん

「モテたい」といのは、人類の普遍的な願いだろうから、封建制度のなかでさまざまな縛りがあったとしても、それなりにみんな努力してたんじゃないでしょうか? 笑
おっと、出たな哲学やろう。

よーろっ歯がモードのミヤコ蝶々なのは、彼ら白人の物理的、精神的支配が世界の隅々まで行き渡っているからだと思います。
文脈の多様さというのであれば、アフリカでも、南米でも、ジャパ〜ンでも本来は負けず劣らずのモノがあったはずですが、文化は政治的、軍事的パワーバランスの影響を多いに受けちゃうもの。
最初それを渋々受け入れ、勉強して、消化し、いつしか私たちは勝者たちの文化を世界のスタンダードと錯覚し、自分達を卑下して自分達本来の文化を、多様な文脈を、価値の無いものと決めつけ、勝者に同化することこそ本物を知る道だと思い込んじゃって。。。
でも、一生知る事は出来ないよね。だって、全く違う文化圏で生まれ、違う言葉を話し、違う食べ物を美味しいと感じるんだから。
コリはファッションに限らず、美術でも音楽でもスポーツでも経済活動でも、いつも感じることでありまーす。

え!?またズレてる?
そうかな〜。別にファッション業界が戦争を仕掛けるわけじゃないし。。。

戦争に負けたからマケってのは、レジスタンス活動やらなんやらの存在を考えると、そう普遍的ではないと思えますが。

そういえば東南アジアのジャングルの民が、ペニスケースにダンロップのテニスボールの缶使ってたけど、あれはまあひとつの自文化の文脈への組込なのかなあ。

でも白人=支配者としての組み込みなら、文脈の豊饒化とはいえんなあ。

ヨーロッパが文化的支配者ってこたないとおもいますよ。
スケスケの衣服だってアフリカなんかから博物学者がおみあげしたものだろうし、、、
そういう異文化を取り入れるときに、「権力の誇示」とか「ビジネス」とかいったものを超えて、なにか栄養素のようなものとして取り入れられる強い消化酵素をもってるところを、「文脈の多様さ(貪欲さ?)」と表現したわけです。
あ、アフリカが支配者と言いたいわけではないです。

ただある文化に支配力を持たせるのは、現代の民主主義社会においては「マスコミ」と「ビジネス」のみということです。
(ある文化のなかでもともと存在する「支配力」ではなく、ひとつの文化まるまる(そのなかに存在する文脈など)に、)

あ!「マスコミ」と「ビジネス」が政治や軍事に左右されるというなら、「文化」の権力も、政治や軍事に左右されるのかも。。。

うっ!?やすしさんの言いたいこととはかなり逸れてそうですが。。。
どうも、「ます」です♪

おしゃれの定義ってのを自分なりに考えてみました!!
俺はその定義は3つの要素からなると思います。
 「似合う」「上手」「こだわりがある」
の3つです。

俗世間ではだいたいこの1つでも当てはまるようだと「おしゃれ」と呼ぶみたいです。
しかし「真・おしゃれ」さんは3つともなきゃダメだと思うんですね♪

◇□◆□◇□◆□◇さんどうでしょう?
おお!きれいにまとめてくださいましたね!笑

その「似合う」、「上手」、「こだわり」について熱く(?笑)語らってたところです。

《コミュを閉鎖的な雰囲気にしたくないのであえて敬語を使わせていただきマンモス》
ではではこちらも敬語を使わせてもらいますね☆

まず「似合う」の説明から。

これは服選びの中でもっとも重要なウエイトを占めていると俺は考えています。
自分の日記の中でも少し語っていますが、背の低い人がタイトめなシャツをインして、ブーツカットのパンツ履いても、背の高い人には絶対に見た目では負けるし、
逆に背の低い人の腰パンはすごくラフに見えていいんですよね。
決して「背の高い人がコレをするべき!!」ってわけじゃないんですが、「似合う」という定義の中ではこれはかなり大事なところではないでしょうか?

古着が似合う人、ストリート系が似合う人、きれいめ、モード、お姉さま、とか様々な系統がありますが、最終的には似合うものが必ずどれかはあるはずなんですよね。
そして、多くの系統を着こなせる人を俗に「かっこいい」とか「かわいい」とか言えると思います。かっこいい人がどんな格好してもかっこいいじゃないですか?

そんな感じで、「似合う」ってのは「自分の長所を最大限に生かせるファッションをできているか」ってことだと思います。
なるほど!きれいな文章ですね!

ますさんの考えに対する理解を確認する意味でさらに要約させていただきますと、「「似合う」というある程度限られた縛りのなかで、いかに「こだわり」をもてるか」というところでしょうか?
あ、とれんどについて言えば、完全にやすしさんに同意です。
そのくくりだと、俺の定義の中の「こだわりがある」ってことに足をつっ込んじゃうことになってしまうんですよね(;→д←)
悪いことじゃないんですが、それって結構オシャレな人を刺しちゃうと思うんです♪
「似合う中でこだわる」んですから☆

ここは1本「似合う」ってことだけからすると俺の解釈からは離れてしまいますねヾ(;→㉨←)ノ
要約したら「自分のことを客観的に見ることができ、そのセンスがいいかどうか。」でしょうかね、あえて言うならば。
うお!ほんとですね。

ますさんの解説にある「背の高さ」とか、まさに客観評価ですもんね。

その「センス」というものを何が作るのか?というのが分からなくて、うえで僕がグダリグダリ書いています。



どうおもいます?「母性」や「性的アピール」のように、遺伝学的なレベルでどうしようもないものなのでしょうか?

それとも、原始社会の羽飾りのように、虚栄心や軍事力や政治で作られるのでしょうか?

それとも、優れた詩のように、批判的で内省的な理性が生み出すものなのでしょうか?

すべてが人間の行動なので、有機的にない交ぜになったものであることは分かるのですが、仮に「ますさんの世界」がひとつの演劇であったとして、「ファッション」とはどのような役者なのでしょうか?
センスはあくまで俺の中では「養うもの」ではなく「既にあるもの」だという概念で捕らえています。
しかし、センスはどんなにいいものを持っていても「磨くこと」を惜しめば「ナンセンス」と化すと思うんです。磨かないダイヤの原石のごとく。
逆に初めからいいものを持ってなくとも、磨けばある程度までは輝くのではないでしょうか?
センスとは潜在的なもの、人間の本質だと感じます。

つまりこの考えからいくと、センスは2重螺旋から我々が受け継いだものであると考えられます。

最後の質問は内容がうまく捉えられていませんので、変な回答であったら了承してください。
俺の中で「ファッション」は俺という主役の後ろに踊る踊り子。
俺を輝かせるファクターなのだと思います。
磨かないとダメになる。。。ということは、ますさんのおっしゃるセンスは、能力としてのセンスですね。

「歌唱力」みたいな感じ捉えて差し支えないでしょうか。



僕は、なぜ「センス」というものが存在するのだろう、と思ったわけです。
なるほど、ますさんのセンスはますさんを輝かせる為、ということですね。
変な質問に答えてくださり、ありがとうございます☆
「歌唱力」という表現いいですね☆
気に入りました♡
おおお、いつの間にか盛り上がっとる。
ワタシの中ではセンスとは後天的に養われるものであるという認識があります。ヒトの脳はそういうつくりになっているようです。
仕事上、センスについて考える事が多いのですが、ビックリするくらいダ○イと思っていた若者が、どんどんあか抜けていく様を何度も目撃してきましたし、またその逆の例も稀ですがありました。
運動神経や音感などは努力ではどうにもなりませんが、
センスという曖昧なるものは、学習によっていくらでも向上させることができるようです。糸井重里も何かの本でそう言っておりました。が、センスを養っていく上で必要なコミニュケーション力とか、場の空気を読む力は先天的要素が強いような気がします。

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