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とにかく怖い話。コミュの慰霊碑を作らされた話

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昭和30年代に起こった話

わたしの家と言うのは戦国時代で有名な某武将の家臣で、絵図にもなってるので
その武将が好きな人なら名前聞けば判る。
(あの武将の家臣の家か)て、その家臣だったご先祖様は、これも有名な「○○の戦い」で討ち死にしてて、家は子息が継いで、なんと関が原で東軍、江戸時代には「藩」になり明治時代まで続いて今に至るんだけど、
簡単に書くと
源平時代からある武将(平家)
昭和になって本家残して、一族は引越してバラバラ。
本家も男が絶えてしまい、直系はわたしの家だけになってしまった。

昭和30年代に、その本家が置いてある「県」の郷土課(確かこう書いた)から
電話が来た
「○○さんは、○○の直系の方ですよね?」
「そうです、間違いありません」と答えると

「実は、○県○市役所から、あなたのご先祖様の慰霊碑を作りたいので寄付をお願いしたい。と連絡がありましてね」と言うので、言われた通りに○県○市役所に電話をした。
ご先祖が「討ち死」したのは○県○市。これは間違いないので、今更「慰霊碑」のほうが不思議で仔細は聞かないといけない。

○県○市の担当者がボツボツと話す
「ご先祖様の討ち死にされた場所で、オカシナ現象が起こってまして。お時間作って一度来てくださいませんか」

「戦場」とされた場所は、川原と林があり、農地になっているが、集落の連絡道路が通ってる。
ここを夕方に歩いた村の人が言うには
林の中でガシャガシャと音がするので、林に入って見ると武者が座り込んでいて
驚いた村人に
「腕がもう動かん、無念である。」(方言)
と言って消えてしまうらしい。
こんな事が頻繁にあって村では「供養してもらお」「慰霊碑つくろ」となって市役所へお願いに行く、市で「郷土歴史」調べたら
どうも家の「ご先祖様」がここで討ち死にしてるのが判った。
そこで隣の「県」に連絡して、県から家に電話来た。

コメントへ続きます。

コメント(12)

その村に行った。

「林の中には大きな栗の木があって、そこに鎧武者が胡坐かいて座ってる。
 兜はしていない、顔が血だらけで刀を持っていないし腕もない
 村人の顔を見ると
 「腕がもう動かん。無念である」と言って消える」
この「腕がもう動かん。無念である」という言葉は、方言なので、この県の言葉と違う、間違いなく本家のある○県の言葉。

驚いた事に村の老人が言うには、実はこの武者は以前からたびたび村人に間では見られていて、「胡坐かいて座ってる」為に襲われるわけでもなく、刀もなく、消えてしまうので、大きな問題にはなっていなかった。

この際、寺から供養してもらい、慰霊碑も造って鎮めてあげたいので是非とも寄付を頂きたい。と言われ「ご先祖様の供養」にもなるかと思い、武者の身元も確かめずに300円(当時の40万円ほど)を村に寄付した。

慰霊碑が建った。という連絡が来たので、もう一度村に行ってみた
立派な石の慰霊碑が建っていて、「○○の戦い跡地」と書いてあり、ご先祖様の名前も書いてあった。
それから十年ほど経った、昭和40年に「○県にある本家」を改装する。

ここで発見されたのは「討ち死にしたご先祖様の子息」に「ご先祖様の叔父」から送られて来た手紙であった。

「○○(討ち死にご先祖様)には残念な事である。敵陣思いのほか強く、押されて後退のおりに右腕を負傷、そのまま付き者を逃がし奮戦したが討ち死
無念であった事だろう 以後の事は任せ家の存続のみを思え」(翻訳は郷土歴史家)
鎧も太刀も返ってこない、首も無い死体のみで葬儀をした。と後の手紙に書いてある。

以上が父親から聞いた話なんだが「慰霊碑」の写真はある。
大きな一枚岩の「慰霊碑」で今もそこに立ってるみたいだ。


慰霊碑を設置されてから、家は繁栄されてるんですか?

私の名字も、福井辺りで栄えた武将と同じ名字なんですが、ひい祖父さんより上のルーツが解りません。

どこに行けば解るんでしょうね…知りたくなりました。
何だか、辛いお話ですね。

御先祖様の無念、相当なものだったのでしょうね…。

私の御先祖も歴史の教科書に載ってます。
綺麗にかかれてますが最後は自決。
きっと無念だったろうな…とずっと考えてました。

歴史って残酷ですよね。
この話、慰霊碑の事は信じるとして勝ち戦ならまだしも、負け戦で首どころか、鎧、太刀も剥がされ胴体だけ家に返されるって信じられないな。


と、先祖が自分の城を枕に討ち死にした者が言ってみる(笑)
> 義経さん
「押し出し休み」という戦行事があって、城攻め以外の時には
期日を決めて「休戦」。遺体を集めて相手に引き渡すと言うことが行われていたようです。特にこの戦いは領地切り取りの為の戦いではなく、「仇討ち」の為の
戦いと言われてますので、「押し出し休み」も当然あった事と思います。

慰霊碑は作りましたけど、家は繁栄してはいません。
時々、【子孫】て事でNHKとか雑誌の取材が来る程度でして
実は有名な作家の方が来られて、実家を案内した事があるようです。
もうその作家の方も亡くなられてしまいました
別に怖くないね。よくある話かと。

うちの場合は皆さんの寄付や行政の善意やらなにやらで建てていただきましたよ。(建立前に許可取りの連絡はありましたけど)
わざわざ徴収されるのは珍しくないですか?


よかったらぜひどうぞ( 。◠‿◠。)


http://m.invites.ameba.jp/m/registerSIDConfirm.do?inviteEkey=4fbf3e31ba86925cb&mkey=f671cf7e75b0cbf73&guid=on





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私も、わざわざ役所が寄付して下さいっていうのは妙な気がしました。
というか村なのか市なのかよく分かりませんあせあせ(飛び散る汗)村なら村役場ですよ〜あせあせ(飛び散る汗)


怖くはないけど、それで「無念」が晴れたのなら良かったですね。
そうなんですか。

無知なんで許してください。勉強になりましたm(__)m


個人的な話ですが、うちの先祖の城跡の石碑があるらしい今度行ってみようかと思っています。

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