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とにかく怖い話。コミュの【不思議な話】或る日の車内

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古い話で恐縮だが、祖父の友人の事でひとくさり。

横濱は尾上町に店を構える洋行会社の三男だったその人、羽振りがよくて学生時分から座敷に上がるやうな放蕩もの。祖父とは尋常学校以来の友人だった、祖父いわく「中学じだいで若旦那の風ふかせてた奴でね。そういや漢詞が趣味で、加賀町(中華街)の支那の旦那衆と話せるほど達者だった。二年前のある日の昼飯を覚えている位物覚えがよかった」という。

その若旦那、仮に「太田三朗」氏としよう。

陸軍士官学校に進み、任官の後は某方面の砲兵連隊に所属。昭和12年、台湾に転勤し台北で浮き名を流したとか。「根はまじめなんだがね」ては祖父の談。


そんな太田少尉(13年当時)、ある日(本人いわく13年6月12日)所用で上官の山杉中尉(仮称)と台中に向かう列車に乗り込んだ。

所属部隊の移動に伴うものだが、残務整理と別務で台北を離れるのが遅れ、上官と共に一般列車での移動となった。

上等車に乗り込むと、日台の紳士と制服軍人でほぼ満席であった。上官との隣席は普通の汽車なら遠慮したいところ(軍用列車の士官用上等車なら官位毎に席を分けていた)、しかし混雑の中なら仕方がない。


続く

コメント(6)

新竹駅(新竹州の中心)を出てしばらくすると、制服士官が二名通路をうろうろしだした・・・・もれてくる会話から臨時の移動で飛び乗ったらしい、とわかった・・・・

幾分かの逡巡の後、前方に座っている台湾人の老婆とお付の下男と思しき青年に目をつけ、何か畳み掛けるように怒鳴りつけている。

周辺の乗客は怪訝な顔だが、相手が軍人ということで何を言い出すでもなし。
同乗の将兵達はかの士官より階位が下なのか、自身の任務以外には関心無しなのか無視を決め込んでいる。

執拗に「席を譲れ」とがなりたてる士官氏に青年は上等切符を見せて抗議している。士官氏は一向に引き下がらず、威嚇で腰に手をやる始末。(本当に平時で抜刀すれば営倉行きは免れぬが)

そんな時、おもむろに山杉中尉が席を立ち、つかつかと士官二人組みに近づく。

「何だ貴様・・・・・」
「もし、無礼を承知で・・・・皇國武人の誉れを汚すまねをこれ以上続けるおつもりですか。」
「貴様!どこのもんだ!平服で上官に意見するとは・・・・一体どういう・・・・」

一触即発。

「自分は○○砲兵連隊、中尉山杉文吾であります・・・・民間人に高慢な振る舞いをすることが将兵の威厳になるのですか?むしろご婦人に席を譲るぐらいの気合が必要でしょう・・・・」
ある意味、火に油、ここで相手が格下ならよかったが生憎・・・・

「貴様、中官の分際で・・・・分をわきまえろ・・・・××少将の・・・・・」
あちゃあ〜、お付の将兵の怒号が、轟音に混じって響く

「おうおう、いい度胸しとるな・・・・」

「いい度胸もなにも・・・・・自分もご婦人も上等切符を持っております・・・・車内では平等に扱われるものですが・・・・」

「貴様・・・・」

これはまずい・・・・その刹那。

「・・・・何を騒いでおるのだね」
デッキのほうから、逞しい口髭を蓄えた貫禄十分のまさに「将軍」の人相そのものの武人が歩み寄ってきた。

××少将は青い顔で脊髄反射の最敬礼の後、パクパクと言い訳を並べていた。

相手は台湾総督付の□□大将閣下である、偶然に助けられた格好である。



××少将は閣下の取り巻きの将兵の手でデッキの方に連行されていった、その後はわからない。

「災難でしたね・・・・同じ兵員として謝罪いたします・・・・」
そう声をかけると老婆がゆっくりとうなずく。

「アナタサマ本当ノ武人ネ、アリガトウゴザイマス、アナタサマアヤマルベキデナイデス」

ふと、老婆が私の方に向き直って言った。
「兵隊サン、アタ(「アンタ」か?)イイ上司サンメグマレテルネ、アタ物覚エヨササウダカラ・・・・キトイテ。」

「アタノ上司サン、兵隊デ出世デキナイ、デモ次ノ戦デ必ズ死ナナイ。アタ絶対コノ上司サンツイテイクネ。」

「上司サン次ノ戦オワタラ、スゴイ立身出来ルネ。」

「サッキノ兵隊××(現地語)××××××××・・・・」

老婆は私に××少将の顛末について話すとき、あえて現地語であった。
私がある程度支那の言葉を解するのを見透かしていたようだ。

続く
老婆はその後、幾分か先の駅で列車を降りた。
なぜかどこで降りたかは覚えていない。

山杉中尉はさっきの老婆のことを少し私に尋ねたが、私も皆目見当がつかない。

なぜ私が支那の言葉がわかると感づいたのか?

次の戦とは?(当時、確かに後の日華事変の兆候がにおう時勢であったが、もちろん日米開戦などといった第一等の戦禍が起こるとは思っていなかった時代である)

・・・・・・・

それから程なくして大陸事変が勃発となり、対岸に位置する台湾軍のわれわれも慌しくなる。

同級士官の連中もそこここに転配されていった、中には公報で殉職の便りに触れる場合もあった。

不思議と私は原隊からそう離れることも無く、また何よりも山杉中尉から離れることも無く15年戦争の終戦を迎えた。
市街地で空襲に見舞われ、高射砲のとどろく海岸で寝食を過ごすこともあったが、弾ひとつ受けずに八月十五日を迎えた。


復員の際、××少将の顛末について風の便りにふれた。

あの日、老婆は「あの将官は乙酉の年、八月七日に部下に裏切られて殺される、そして骨も残らない」と云ったのだ。

そして、××少将は1945年(乙酉)年八月五日、すでに参謀本部の方針が降伏に振れていたおり、抗戦派に擁立されて総督府でクーデターを引き起こした。

しかし即日で守備隊によって鎮圧された、その後、基雄から輸送船にて本土にむけ連行中の八月七日に米潜の攻撃で船ごと海に消えたのだ。



さて、山杉中尉の顛末ですかい・・・・・そう云って、大田君はラジヲのつまみをひねった。

「・・・・年 衆議院選挙速報をお届けいたしております・・・・それではここで当選者の喜びの声をお伝えいたします・・・・○○選挙区で見事五度目の当選をはたした、山杉文吾候補のインタビューであります・・・・」
不思議な読後感が残りますね。
すきな話です。

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