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とにかく怖い話。コミュの学会

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 Uさんは当時大学院生で、ある学会のシンポジウムに参加した。

 会議室に6−70ほどのパイプ椅子を並べ、壇上でホワイトボードを前に入れ替わりで報告する。そのころはまだ、パワーポイントを使うことは一般化していなかった。スライドを映すときには、会場を少し暗くしなければよく見えない。
 シンポジウムの席は半分以上埋まっている、という程度だった。隣の椅子が空いているのが普通で、夏のことでもあったから、これで快適だった。
 朝からはじまったシンポジウムは、昼食の休憩をはさんで午後に入った。
 退屈な報告が続き―というよりも、報告が退屈に感じられる時間帯になったから、マイクの割れた声を聞きながら、うつらうつらする人間もではじめた。
 「それでは、この図表をご覧ください」
 報告者が明りを暗くするよう係に指示して、OHPの画面を映しはじめた。
 会議室の後ろ手、入り口のそばの席にいたUさんもとうに眠気に襲われていた。会議室は涼しく、そして、薄ら暗い。まずい、これは寝るかな、俺……。

 そのとき、Uさんの目は急に覚めた。
 ひどい異臭に気づいたからだ。
 気づくと、目の前の空いていたはずのパイプ椅子に、茶色い上着を着た白髪の小柄な老人が座っていた。
 いつ入ってきたのか気づかなかったが、異臭は明らかに老人の体から発していた。嗅いだことのない、悪臭といっていいもので、息がつまるほどだ。
 (なんだよ、この人……? 風呂入っていないのか?)
 老人の周囲の席では、皆が報告レジュメで鼻から口元を覆ったり、顔をそむけるようなしぐさをしはじめた。
 Uさんの隣の出席者が、堪らないや、とばかりに席を移ろうと、中腰で立ち上がった。そのとき、足元のカバンか何かにひっかかったのか、パイプ椅子がもちあがって物音がした。何人かの視線が、こちらに集まる。
 報告者のI教授も話しながら、怪訝な顔をこちらに向けた。

 そして、息を吸い込む音がした。報告の声が止む。
 報告者の様子があきらかに変わった。なにか大きな驚きに打たれたようだ。スライドの白い光のなかで、背の高いI教授の上体がぐらぐら揺れるのがわかった。
 「あ、灯りをつけてください!」
 I教授が叫んだ。うわずったような、悲鳴に似た声が割れた。さっきまでしなかったハウリングの「ピー」という音が鋭く響く。「何だ?」といぶかしげな声がおこり、場内はちょっと騒然とした。
 そのとき、Uさんの前に座った老人が立ち上がった。空気が動くと、老人からの異臭がきつく匂った。横に移動する。振り返る。帰るようだ。それを思わず目で追ったUさんと、老人の目が一瞬あった。老人は眼鏡をかけ、鼻が長い。無表情だった。老人はそのまま、痩せた小さな背中を見せ、入口から出て行った。

 ようやく誰かが灯りをつけたのは、老人がいなくなった直後のことだった。
 壇上に目をやると、I教授は表情をこわばらせたまま、立ちすくんでいる。たった今老人が出て行った入口の方を凝視している。
 口もきけないのだろうか。
 司会者が「I先生、報告を続けてください。」と促した。I教授は黙ったままだ。また会場がざわつきだした。
「……体調がすぐれないので、これで失礼します。」
 I教授は唐突に一礼すると、原稿もなにもかも置き去りにしたまま、飛び降りるような勢いで演壇をおり、入口にむかってよろめくように走った。ドアを開け、老人の後を追うように廊下に飛び出したのがUさんの目にうつった。
 会場は皆あっけにとられたように静まりかえった。
 そのとき、Uさんは気付いた。さきほどの老人からの異臭が、まだ周囲に濃く残っている。いや、むしろ強まっているかのようにきつく鼻をさし、嘔吐を誘いかねないほどになっている。
 「何だ、この匂い?」
 かなり離れた席からもいぶかしげな声があがった。それをきっかけに、会場はまた騒がしくなる。誰かがたちあがって、ドアと窓を開けた。
 I教授は戻ってこない。

 シンポジウムの組織者たちが集まって、なぜか声をひそめるようにして相談をはじめた。Uさんにはそれがとぎれとぎれに聞こえた。
「残り時間は……?」「……いや、だから、Iさんは……」「N先生が? 馬鹿な」「とりあえず先に!」「ボクもみた!」「……匂い? 匂いがなんだって?」「次の報告者は?」「大丈夫でしょう。もう時間も……」「この、匂いが……」「Nさん?」「そんなことが……」
 N、という老教授の名はU君にも聞き覚えがあった。ああ、あの老人がNセンセイか。Iセンセイの先生だったっけ。大学は○○大だったから、Iセンセイの出身校も同じなら、指導教官だよな。それで、追いかけて行ったわけか? でも、それにしては様子が妙だったな?
「お待たせしました。それでは次の報告にうつりたいと存じます。」
司会者が研究会を再開した。
 「この異臭はどうしたんですか?」
フロアのひとりが手を挙げた。司会者はうっと詰まったが、とりあえず窓をしばらく開けておいてください、とだけ言った。
 I教授は結局、研究会が終わるまで戻ってこなかった。I教授の同僚が、会場に残したI教授のカバンを預かったようだ。
 その間も、悪臭は消えない。ふとした拍子にそれは強まるかのようで、何人かはハンカチで鼻や口を押さえて退席してしまった。
 こうした小さな研究会がはねた後は、三々五々ビールでも飲みにいくことが多いのだが、その日だけは何故か誰もU君たち大学院生を誘ってくれない。ひょっとすると、年配の教授たちだけで何かを話したいのかもしれないと思った。

 次の日だったか、U君は新聞の片隅に、N教授が病死したという小さな死亡記事をみつけた。肺がんが死因だというので、学会当日も病臥していたはずだと思えた。とすると、あの老人はN教授ではありえない。N教授をよく知るはずの当日の出席者に尋ねても、茶色い背広の老人には気づかなかったとみな言うのである。N教授の写真を少し探してみたが、おそらく闘病前のふっくらした写真からは、正直言ってあの痩せた人物と似ているとも似ていないともいえる。時間がたつうちに、U君の記憶自体も薄れてきているから、今はもう確かめようもない。

 この「事件」がU君にとって今でも気になるのは、その後ほどなくして、I教授の失踪が伝えられたからである。唐突に辞表を郵送してきて大学を辞め、家族との連絡も一方的に断ち切ってしまったらしいのだという。詳しいことはあまり周囲の教授たちも話してくれず、聞いていないが、あのとき部屋を飛び出した勢いのまま、どこかに忽然と消え失せてしまった―という印象がU君には強い。

 U君はいま、とある大学の教員だが、○○大学でN教授と弟子のI教授が師弟間でひどく仲が悪くなってしまい、弟子に裏切られた形になったN教授はいわば憤死したに等しい、という話を一度だけ聞いたことがあるそうだ。よくある話でもあり、また人間関係は微妙なことでもあるから、賢明なU君はそれ以上の詮索はするつもりがないという。ただ、あの異臭・悪臭だけはどうにも忘れ難く、記憶にこびりついているという。
 
 I教授には家族から捜索願も出されたというが、失踪事件が解決したという噂はきかない。

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