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素敵な家を造るコミュのフライ・オットー

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ミュンヘン・オリンピック Dach der Multihalle in Mannheim Wandelbare Bühnenschirme für eine Konzerttournee von Pink Floyd, 

フライ・オットー(ドイツ)

柔らかな屋根

「雲の風景のような柔らかな屋根」とオットーは1980年のスケッチの下に書き添えている。じっさい彼が水彩でラフに描くテントは、地表にたなびく積雲の風景に似ている。聖母教会にしても、自然と建築が融合した1972年のミュンヘン・オリンピックの建物にしても、感情移入すればそう見ることができる。だがオットーの主眼はポエジーではない。オットーが目指したのは軽やかさを伝えることであり、それを建築構造として算出可能にすることであった。

彼は1964年、シュトゥットガルト=ファイヒンゲンに軽量構造研究所を設立した。そこではひっきりなしにシャボン玉製造機が泡を吹き出していた。そのシャボンの膜はミニマル面がそのまま湾曲した最適な形態を保ち、計算モデルやコンピューター算出によって実験に次ぐ実験が重ねられた。その後「だれか算出してくれる人はいませんか?」とオットーはシュトゥットガルト大学の告知板に設計図と一緒に貼り紙をし、建築ジオデシック応用研究所クラウス・リンクヴィッツが引き受けることとなった。リンクヴィッツはオットーのモデル算出を可能にするアルゴリズムを開発したが、オットーは実験に頼った。構造がより大胆なものになると同時に模型は精密度を増し、それらは構造自体の重量や風雨に対する耐久性をシュミレートしていった。

無数のワイヤ、錘、測角器により組み立てられたミュンヘン・オリンピックの黒い骨格構造模型は、まるで追っかけカメラマンのごとくシャッターを切られ、二重露出によりロープ・ネット構造の強度の情報が得られた。これはオットーが共同設計していたギュンター・ベーニッシュのために開発したものである。それによりミュンヘン・オリンピックの建物は、それまでのパヴィリオン建築や移動建築の概念を覆すものとなり、これほど大きなものが以前に設計されたこともなかった。加えて1972年のオリンピック大会が終わったあとも、これら建築群は存続しなければならないという使命を与えられていたのである。

存続するものを建てようとせず、建築を人々の当座の出会いの場と考えていたオットーが、1967年のモントリオール万博や、その5年後のミュンヘン・オリンピックのテント風景と、西ドイツの最も強力なシンボルをつくりあげたのは、実に皮肉な出来事である。オットーは伝統的建築を脱却し、この若い国の自己理解のために格式ばらない自由に溢れた建物を設計したのだ。エーゴン・アイアーマンとゼップ・ルーフはブリュッセル万博で、ガラス張りのドイツ・パヴィリオンに刷新された社会を表現した。そのあとにオットーは次のステップを踏んだのである。「透明さと開放性の讃歌」と言われたモントリオール万博ドイツ・パヴィリオンの波打つロープ・ネット構造、それはバックミンスター・フラーのジオデシック・ドームと並んで、軽量建築のなかに経済成長の限界を予感した時代の象徴となったのである。最小限の資材を使いやりくりするという考え方は当時まだ新しい思想として定着しておらず、エコロジーと建築を調和させる必要があった。1969年に入るとオットーは、温室と住居が衝突しているような自分のアトリエをヴァルムブロンにつくった。

のリザリート・エプロンのように隣接する両翼部を見下ろすガラス構造がソーラー・システムの中心となっているこのアトリエは、のどかなマイホーム建築への公然たる対抗物だ。「自分の家は、今日のパッシヴ建築やソーラー建築の祖母のようなもの」と言い、尖鋭的思考家の彼は「どれもこれも直角でまとめる四角四面な建築は退屈で窒息しそうだ」と何度も批判している。この軽量建築の重鎮は今も世界中の同僚たちに、膜やロープ・ネット、格子シェルや含気構造を使った最小限素材による建築芸の助言をしている。

白い帆の下で

ピナコテーク・デア・モデルネにたなびく白い帆。厳格さと壮大さが支配的だったロトンダが、今は明るく落ち着いた雰囲気を醸し出している。ギーゼラ・シュトローマイアーのデザインを「より良い空間になった」とオットーは挨拶をし、ミュンヘン工科大学建築博物館で行われている大回顧展のすばらしい幕開けとなった。観客は帆の下をくぐりぬけ、脇回廊を通って展覧会場へと入っていく。頭上に広がるアクリル・ドームの下にはスペースいっぱいに模造建築が置かれ、モニターからはオットーの重要な業績を解説するアニメーションが上映され続けていた。この回顧展はもっと以前に開催されてしかるべきではあったが、最高傑作品ばかりという素晴らしい顔ぶれとなった。「オリジナル・スケッチが展示されるのはこれが初めてなんですよ」と美術館長ヴィンフリート・ネルディンガーは語る。スケッチの一枚一枚を手に入れる為に、ヴァルムブロンにてオットーを説得しなければならなかったのだから、喜びもひとしおだろう。展覧会ではこうしたスケッチが模型のまわりに集まり、壁に飾られ、まるで蝶のようであった。それは変化自在の形態を追求し、確定し、軽量建築の膨大な目録に加えていったオットーの発明家としての姿を伝えいる。

大量のスケッチや設計図、そしてカタログを開く者は、その多くが紙の上で終わり建築界がいまだにオットー以前の四角四面の直角優勢状態であることに驚くだろう。この非凡な建築家は今なおロープ・ネットの漁師として人々の心をとらえ、その軽やかさで人々を魅了していくのだ。オットーの使命はまだ終わりを告げてはいない。


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