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日本航空123便墜落事故を考えるコミュの高濱機長、およびクルー全員

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123便の高濱機長ですが、イラン革命の時に
在イラン日本人を休出させた時の飛行機の機長でも
あったんだよね。

尾翼のない状態で30分以上飛び続けたことといい、
やっぱりすごい人だったんだな〜と再認識。

コメント(26)

>コパイとF/Eも優れた方なのですが

ご本人のことでは無いですが、
それぞれ息子さんがいらっしゃったのですが
ともにパイロットになっているとのことです。

やはり自慢の親父なんでしょうね。
JAL123便(B747-100SR)事故の時と同じように、全油圧系統を失ったのにも関わらず、UAL232便(DC-10)事故が生還した例があります。
その時のクルーも大変素晴らしい人達でした。その中でも、たまたま、UAL232便に乗り合わせていた、同社のDC-10型機訓練査察機長が、123便の事例を知っていた為に、エンジンスラストによるコントロール術を実行でき、生還できたという事例があります。
残念ながら、乗員乗客296人中185人の生存だけであったが、これは航空界全体に希望を与えた。

この様に、UAL232便はJAL123便事故の教訓を生かし、生還を成功させました。
JAL123便事故のクルーが行った、エンジンスラストコントロール術が無ければ、UAL232便は墜落していたでしょう。
なので、高浜機長及び副操縦士、F/Eの操縦は適格だと言える。それを素人判断で、「どーんといこうや」を墜落してどーんといこうやと判断する三流週刊誌は許せない。いくら、ボイスレコーダーの肉声が聞こえなくとも、文章体に全て目を通せば、最後まで諦めなかった人間の気持ちは読み取れるはずだ、それを面白おかしくする事により、クルーの名誉を傷つけた事は重罪に値すると思います。
この事故で犠牲になった500人以上の方達。
大切な家族を失った遺族の悲しみ、悔しさ、怒りは時が過ぎても消えないものと思います。
乗客はもちろんですが、高濱機長ら乗員の家族の思いというのも考えさせられます。
あのボイスレコーダーを聴くと、最後まで全力を尽くし、諦めなかった姿勢に胸が締め付けられる思いです。機長の「これはダメかもわからんね」という一言、どんな思いで発したのだろうかと考えさせられます・・・
あるドキュメンタリーで、高濱機長の奥さん、家族の下には事故後、「人殺し」「お前らも死んでしまえ」といった嫌がらせの電話が絶えなかったとのこと。500人以上の犠牲者を出してしまったというのは事実にしても、そんな心無い人がいたことにも怒りを覚えました。
現在、機長の娘さんはJALのCAとして活躍されているとのことですが、安全で快適な空の旅を守り続けて欲しいと願うものです。
議論に水をさすようで申し訳ないのですが・・・

トピ主さん(あおさん)の文章中にある
「イラン革命の時に在イラン日本人を休出させた時の飛行機の機長」
ですが、

イラン・イラク戦争の話ですよね?
これは高濱機長ではありません。

高濱機長は救出機の機長として真っ先に立候補したものの、
結局は救出機を飛ばすことが出来ませんでした。

日本人救出にご尽力くださったのはトルコ航空のクルーです。
これもナカナカ熱い物語ですので、興味のある方は調べてみて下さい。
プロジェクト?の本にも載っています。
> TMさん

確か その通りですね。日本の航空会社は救援機を出していないはずです。当時の組合が猛反対で救援機が出すことが出来ずに外務省や現地大使館がトルコに依頼し、トルコ航空が昔の御恩を返す意味からも救援機を飛ばしてくれたという話ですよね。

当時 国際線はJALのみです。また同胞の危機に際して危険だから行かない 戦争に荷担したくはないなどの理由があったかと…この組合の強さが今のJALの危機の一因とも言われています。

高浜機長は海自上がりのパイロットです。クルーや客室乗務員は最善の事を行った訳です。その人達の名誉の為にも非はありません。攻めるべきものでもない。

結果として、不具合を発見出来なかった事などの問題点が重要ではないかと思います。
事故当時のニュースで知ったのですが高濱機長は確か航空自衛隊出身者だったと思います。
戦闘機等での訓練飛行等で恐らくですが民間航空会社に無い特殊な訓練をされていて、あーいった状況下でもエンジン出力でコントロールする術を思いついたんだと思います。

あの時ですが、副操縦士側の席に飛行機のコントロールは出来なかったんでしょうか?
もし、それが可能なら副操縦士に代わり機長自らが操作できたのでは?
と、思いますけどね。
(飛行機の内部的な事は分からずに書いてます。出来ない場合は指摘してください)

山側ではなく海上に着水するという手立てもあったように思いますが、どうなんでしょうか?
> ハンズさん

一度 ジャンボのコックピットで画像検索してみてくださいね

戦闘機とは違い座席は前後ではなく、左右にあるんですよ。まずは書き込む前に飛行機の事は少し勉強してみてくださいね。
高浜機長は海自の対潜哨戒機のパイロットだと思いましたが…

確かに胴体着陸や無事着水出来たらば生存者は多かったかもしれません。が、フライトデコーダやボイスレコーダの解析を見てもらえれば分かる胴体思いますが、大変難しい事だったと考えます。
> まめとさん、じゅんくさん

ご指摘ありがとうございます。
参考になりました。
それと重ね重ねの記入ミス(知識不足等)があり大変に心苦しいです。
失礼致しました。

確かにあの状況下では難しい操縦だったと思います。
エンジンコントロールで方向修正が出来る事も感覚として捉まれたんだと思います。
その後に似たような操縦不能になる事故が海外でも起きた際に123便事故が教訓として生かされた。
と、いうのをテレビで見た記憶があります。

それと例え海上に不時着するにしてもエンジンコントロールだけでは機体を水平に保つ事も難しく無理でしょうね。
過ぎた事を言っても仕方ないですが、山に衝突するよりかは助かる人も逆に多かったのでは?と思いました。
実際の事故では事故機が発見されるまでの時間がかなり費やされていましたので海上不時着なら、どうかと思いまして書かせて頂きました。
> ハンズさん

少し事故に関する資料を色々と調べたり、見てから書き込みをされた方がよいと思いますよ…。


なぜ山に向かったのか?
発見が遅れたのか?


理由が分かると思いますが。


当時、生まれてない
若い方なら仕方ないかもしれないですけどね。

> 百式さん

いえいえ、私は当時、高校3年生でした。
この事故の事は非常にショッキングな出来事でして今の1度も忘れる事が
出来ない衝撃的な事故(事件)です。

と、言いますかそういう風に見えましたか。。?
どういった点が腑に落ちませんかね?
私は航空関係者でもありませんし一般人ですので多少は違ってる意見もあると思います。
それから、事故後に生まれた方々とは違う認識でいます。
(同類に思われている点がショックですね。正直言いまして)

それと当時の新聞やニュースは連日、方端から読んでたほどです。
昨年の5月下旬には、安全啓発センターにも伺いまして見学させて頂きました。

こちらに(安全啓発センター)関しては別スレですがリンクを載せておきます。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42841612&comm_id=114234

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45320993&comm_id=114234


事件の経緯も発生内容(公式発表の物)も知っております。
関係書物も全てではないですか読ませてもらっています。
> 百式さん
ハンズさんとは、面識もありまして、この事故についての討論を何度もしております、事故に関する本・当時の新聞・ほとんどに、私達は目を通しております、安全啓発センターにも、何度も出向いて、事故について学びました、飛行機については素人でも、他に関する知識は、どこぞの、評論家よりはあるはずです、弁護するわけでは、ありませんが、、言い過ぎかもしれませんよ
「海上に着水すれば良かったのに…」、という意見がありますね。
全くの結果論で、何をいまさらと思います。

クルーは何としても羽田に帰ろうと必死に闘われた末の結末でしょう。
機に異変が起きて、すぐに「墜落」を想定出来たのなら海上へ向かったのでしょうが、機に異変が起きた直後に即「墜落」を考える方が不自然では?

異変発生直後「スコーク77」発信、羽田に帰るとの決断。
非常に素早く的確な判断だったと思います。

以上、私見です。失礼致しました。
ハンズさんの、『海に着水する』という意見は、私も、『?』です。関連書籍を沢山読まれているのならば、なおさらです。

『着水すれば』と簡単に言いますが・・・。人間がプールに飛び込むのとは訳が違います。

垂直尾翼とハイドロを全て失いつつも30分以上飛び続けた、と言うだけで奇跡だと言われているのに、着水時に求められる、繊細で困難なコントロールが出来たとは思えません。

『海に向かい、より安全に不時着水する』という事が出来る状態だったならば、羽田に引き返す事も出来た筈です。

それに、機体の損傷を最小限に、すなわち犠牲者を出さずべく着水するというのは、想像を絶する難易度だと思います。素人ですが、滑走路に胴体着陸するのとさほど変わらないのではないでしょうか。荒れている海では、胴体着陸以上かも知れません。いや、素人ですが。

飛行機の速度での水面というのは、コンクリートとさほど変わりません。だからパワーボート事故等でパイロットが投げ出された場合、簡単に死んでしまうんです。

空港の滑走路に車輪を出して着陸する方が、水面との摩擦だけで着水するより、遥かに安全だと思います。ちょっとでも着水の角度を間違えれば、たちまち機体は真っ二つになるのは想像に難しくありません。

高濱貴重は、一人の犠牲者も出すつもりも毛頭無かったのではないでしょうか。
> クライマーズハイさん

はじめまして。

書き込みではなかなか
伝える事が難しいですが、いい過ぎとは思いません。

討論したり、ご自分達で出向いてお話を聞いた結論が、海に向かえば…になったんですね。

僕はお二人ほど、討論したり、調べたりはしてないですが、あんな状況で頑張った結果に、平和に暮らしてる僕がこうすればよかったなんて後付けで意見する立場じゃないと思ってますので。

無関係な僕が、事故について意見するのも、どうかな…とは思ってますよ。


事故について忘れない事は大切だとは思います。

ただ航空関係者でもないし、事故を究明して行く行動もしてないので、偉そうには分析なんかは出来ないですし、あーすれば、こーすれば何ては言えないです。

部外者がいまさら「あーしとけば、こーしとけば良かった」なんて軽々しく言うべきでは無いと思います。

ご遺族の中には、自分がチケットをとってしまった、自分が殺してしまった、と苦しみ続けてる方もいらっしゃいます。

管制塔から「右?それとも左旋回?」と聞かれて右旋回を選択した高濱機長。
彼があの時、もし左旋回を選んでくれていたら山中でなく海上に逃げられたかも…などと言う考えは高濱機長と機長のご遺族への冒涜に近い物を感じます。

機長とクルーは命懸けで闘われた。機長の判断に間違いは無かった。

以上全て私見です。
> よんよんさん

同意です。部外者が「こうすべきだったああすべきだった」等と言うのは、クルーに対する冒涜と言っても過言ではないと思います。

あそこで右旋回を選択したのには、高濱機長の何かの意図があっての事だと思います。
航空関係に関して何の知識もないド素人の私ですが、高浜機長の技能は、生前、日航パイロットの間でも一目置かれるくらい、高度であったとのことですね。
「これはダメかもわからんね」とこぼしてしまう状況でも、最悪の事態だけは何としても避けようと、最善を尽くそうとしたことは、あのボイスレコーダーから感じ取れます。
「どーんといこう」と言ったことで何だか揚げ足を取るようなマスコミもいたとのことですが、ピンチの時こそ冷静にいこうという姿勢であったはずです。
この事故は、高浜機長のような逸材を失ってしまったことも大きな痛手であっただろうと思います。
イラン革命のときの救出に関してですが、
イラン・イラク戦争のときは救出機はでなかったようですが、
イラン革命のときには救出というよりも邦人引き上げの便が出ています。
当時、私の母が客室乗務員として邦人引き上げの最後の便でイランに行きました。
いっぱいいっぱいの状況ではっきりとは言えないものの、その便の機長が
高濱機長だった気がすると言っています。男性の乗務員はそのまま乗ってきた
飛行機に乗って帰っていいと言われてきたいい(組合が違ったらしい)
女性の乗務員は飛行機が爆破されたり銃声が聞こえるイランで降りなくてはならくなったときに、
男性乗務員たちに恥を知れと怒って自分は残ると言ってくれたとのこと
1979年ごろの話でイラン・イラク戦争ではなく、イラン革命のときの話です。
パンアメリカン航空はついたときには退避するところで、ここでステイだと答えたら
グッドラックと言われ、夜に空港の事務所に連絡したら避難して誰もいない、その後フランス資本のホテルならある程度安全だからとそこに逃げたと話していました。

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