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私はクリスチャンコミュの罪とは?

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普通罪というと、人を傷つけたり、盗んだり、殺したり、
そういうものを云いますね。

しかし、聖書で言うところの「罪」とは、
真の神に背を向けて生きようとするすべてのことを罪といいます。

創世記の最初のところに、アダムとイブが、
禁断の実を食べたから、この世に罪が入り込んだ最初と書いてありますが、
神に信頼することをやめて、自分の力で生きることを選んだ、
この行為が罪なのです。

コメント(2)

罪は英語で言うとSINですね。

SINから、もう少し詳しく、罪の性質について説明しましょう。

S:Selfishness(自己中、身勝手)
I:Ignorance(無知)
N:Negation(否定)

自己中は身勝手であり、自分さえ良ければ他はどうなってもいいという価値観ですね。
そこには神の性質である「愛」がありません。
愛が冷えた社会、それが今の日本ではないでしょうか?
物は有り余っているのに、幸せ感がない。

無知とは、頭が悪いということではありません。
どんなに成績が優秀であって、いろんなことを知っていても、神を知らない。
これが無知です。

仕事に優秀であっても、いずれかは定年退職でそこから去ります。
気がつくと、夫婦の間に一致はなく、家族はバラバラ、
いったい自分は何のために仕事に打ち込んできたのか後悔だけが残ります。

詩篇に次のように書かれています。
「神を知ることは知識の初め」

否定とは真の神の存在を否定することです。
お金、地位、名誉、そのようなものを第一に求める生き方は、
それらのものがその人の神になっていますね。
そしていくら求めても、満足することがない。
心にはいつも平安がなく、飢え渇きを覚えています。

神を第一としない生き方、これが罪です。
クリスチャンになっても罪を犯し続けてしまう、止められない・・・
それで悩んでいらっしゃいませんか?

人が造られたとき、人間には罪がありませんでしたね。
神様によってアダムが造られたときです。

さて、人間を西洋の中世のお城にたとえてお話したいと思います。

お城の中心部に司令部があります。
ここは聖域です。

しかし、サタンによって占領されてしまいました。
蛇にそそのかされて、アダムが罪を犯した瞬間の出来事です。

それ以来、人間は自己中の生き方を選ぶようになりました。

やがて、その司令部が神によって取り返されました。
再び神の聖域となりました。
イエスキリストによる十字架の御業によってです。

人間は愛によって生きることを、イエス様から教えられました。

ところが、それまでそこに居たサタンどもが、
体中にチリジリバラバラになりながら入り込んでしまい、
ゲリラ戦を展開しています。

愛によって生きることを学んだとはいえ、
まだ自己中の生き方を止めることが出来ません。

でもすでに司令部は神様のものになっていますから
勝負はついています。

あとは時間をかけて、散らばったサタンどもを退治するだけです。
私たちは、生涯をかけて、このゲリラ戦でサタンをやっつけていくのです。

自己中の生き方を止めて、隣人を愛する生き方へと変えられて行きます。

そして、最後には、私たちは完全なものにされて天国に召されるのです。

地上でのサタンとの戦いは、私たちを訓練するためです。

もし、信仰でイエス様を受け入れた瞬間に、
サタンと戦うこともなくなってしまったら私たちは神に頼らなくなってしまう。
神を忘れてしまう。

神に頼り、信頼し続けて生きるようにとの目的で、
地上で生きている限りサタンと戦うようになっている。

こんなふうに、マーティン・ロイド・ジョーンズ博士は説明していますね。

ロイド・ジョーンズ博士はローマ書など多くの講解説教集を出されていますが、
日本語に翻訳されているものは、まだほんのわずかですね。

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