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大塚博堂コミュの博堂が唄っていた店「バルセロナ」を探しに・・!!

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先日、マイミクのDuke15氏がHP「大塚博堂EVERGREEN」の掲示板に書き込んでくれたので、大塚博堂の歌「LOVE IS GONE」がNHK−FMラジオの全国放送で流されることが分かり、すごく嬉しくなりました。

それで私も、ぜひ、ラジオから流れる博堂の歌を聴きたいと思ったのですが、残念ながら放送日の12月10日は東京に遊びに行っている最中でした。青春18切符での旅行中に聞くために買った、小型の携帯ラジオは安物なのでFM放送は聞けないのです。

そうしたら、博堂倶楽部の仲間のオリビアさんがラジオを聴いた“NAMIDA PORORI”の感想を書き込んでくれましたが、全国の熱心な博堂ファンを代表して投稿してくれたみたいで、嬉しいですね。

あまり世間に知られていない博堂の名曲を、一般の人に聴いてもらえる貴重な機会ですから、オリビアさんの ”今日の放送で一人でも・・大塚博堂さんの存在を知ってくださればと、願いながら聴きました。“という記述に、博堂への熱い思い・情熱を感じました。

その放送が流れた頃、私は東京の青山三丁目あたりにいました。

前夜にも青山三丁目交差点から少し南へ下ったところにあるライブハウス「マンダラ」で、倉橋ルイ子さんの歌を聴いていました。彼女は昨日のライブの日が49歳の誕生日という歌手ですが、バラード歌手として実力はありながらメジャーではなく、なにか大塚博堂とオーバーラップするところがあります。

1年ほど前、私に倉橋ルイ子という歌手の存在を教えてくれたマンダラコイル氏(埼玉県)は“歌唱力が抜群に上手い歌手は、男なら大塚博堂、女なら倉橋ルイ子だ!!”と言っています。
「ガラスのYESTERDAY」や「ラストシーンに愛をこめて」などが人気のある曲ですが、昭和54年に発売されて大ヒットした欧陽菲菲の唄う「ラブ・イズ・オーバー」は、元々は彼女が唄うことになっていたのに、欧陽菲菲に横取り?されてしまったというエピソードがあるそうです。

1年前から彼女の歌をCDでは聴いていたのですが、本人を見たのは昨夜が初めてでした。CDのジャケット写真などで、すごく綺麗な女性だということは知っていたのですが、実際に目の前(3mほどしか離れていませんでした!)で見たら、ボーイッシュな短い髪で、エキゾチックな素敵な女性でした。

歌の合間の語りの中で“ずっと昔、「フランス人の男の子みたいだね!」と言われたことがあります。それで芸名を、初めは「ルイ」としましたが、自分の本名に付いている「子」を後から付け加えました。 若い頃からハーフに間違えられることが多かったですが、最近はロシア人に間違えられています!(笑)。今度、母に会ったら「私を産む前、本当に何もなかったの?」と聞いてみますね(笑)”と話していました。

ライブ終了後の22時頃から近くの居酒屋で倉橋ファンの二次会があり、それにも初めて参加してきました。細長い狭い部屋に予定以上の24名の参加者が集まりましたが、大部分の方がブログ「mixi」の仲間でした。でも、私の知っている方はマンダラコイルさんしかいませんでした。遠くは広島から夫婦連れと、愛知県の知多半島から若い男性が来ていましたが、その他は関東在住の方達でした。

自己紹介の時に“私は27年前に亡くなった大塚博堂のファンです”と話したら、私の周りだけで5名の方が“大塚博堂さんは知っていますよ!”と言ってくれたのでビックリしました。
その中の一人の方は“いつも「一人カラオケ」で博堂さんの曲を唄っていますよ! リクエストしないと、博堂さんの曲が削除されてしまうのではないかと思い、一所懸命リクエストしています。”と、すごく嬉しいことを言ってくれました。

その後も二次会は宴たけなわでしたが、私は夜行バスで来た疲れもあり、23時過ぎにお先に失礼しました。関東でも遠くからの参加者も何人か一緒に店を出ましたが、雨風がさらに強くなっていました。

そして翌日(10日)は夕方に、昔の会社の仲間と神田で飲むことになっていました。雨も上がって天気が良くなったこともあり、神宮絵画館前のイチョウ並木の黄葉を見に行きました。
昨日のライブ会場へ行く時に降りた地下鉄銀座線の「外苑前駅」からイチョウ並木が近いので、翌日も同じ外苑前駅まで行きました。外に出たらすぐそばに「青山三丁目」の交差点があり、ふと、“大塚博堂が「大塚たけし」の芸名時代に、所属する渡辺プロに内緒で唄っていたクラブ「バルセロナ」があったのはこの近くだったな!”と思い出しました。

今年8月9日(土曜日)の「博堂(8・9・土)デー」に行われた「山田友人・大塚博堂メモリアルライブ」会場で、初めて会ったM氏から“博堂が作曲して布施明が唄っていた「めぐり逢い紡いで」の詞は、自分が書いたものを博堂に渡したものです!”と、衝撃的な話を聞きました。

そのM氏が“博堂に詞を書いたメモを渡した”というのが、青山三丁目交差点から少し離れた「外苑西通り」沿いにある雑居ビルの「螺旋階段」だったのです。M氏も当時、そのビルの中にある別の店で唄っていて、自分の出番前などに螺旋階段のところでタバコを吸ったりしていて、他の店に出演しているミュージシャン達と知り合いになったのです。その中の一人が博堂だったのです。
そして、初めて会ってから少し経ってM氏から私宛に電話がありました。

“この前、外苑西通りを通ったら、博堂や自分が出演していた店のビルがまだ建っていました! また、博堂が出演していたクラブ「バルセロナ」のオーナーを、今でも知っている人に偶然会いました。そしてその方がオーナーに電話してくれて、30年ぶりに話すことが出来ました”
という内容の電話で、そのビルのあるあたりのことを詳しく聞きました。
それ以来“いつか青山へ行ったら、そのビルを探して写真を撮ろう”と思っていました。

しかし・・・昨日は、ビルのあたりを詳しく書いた紙を持参していなかったのです。それでM氏の携帯に電話したのですが、残念ながら留守電になっていました。

仕方ないので、その時のかすかな記憶で探すことにしました。覚えていたのは“ビルは「外苑西通り」の西側にあり、「バルセロナ」は4階にあった”ということでした。
30年以上も前に建てられたビルであり、新しいビルが立ち並ぶ外苑通りならば探し当てるのはそんなに難しくないだろうと思っていました。

青山三丁目の交差点を千駄ヶ谷の方(北)へ進み、そのビルを探しました。しかし今では珍しい螺旋階段の見えるビルはそんなに無くて、この辺りだろうと思うところで螺旋階段の付いた、ツタの絡まる古いビルを見つけましたが・・・残念ながら3階建てのビルでした。
途中に交番もありましたがビルの名前も分からずで、聞くことも出来ず路地まで入って探しましたが、結局、探し当てることは出来ませんでした。

昨日の夜、一緒に食事することになっていた元の会社の仲間から、急な用事が出来たので会えないとの連絡がありました。それで、その日の夜行列車「ムーンライトながら」で帰る予定を急きょ変更し、15時頃の列車に乗り名古屋へ帰りました。

それで不要になった指定席券を原宿駅でキャンセルしたら、駅員から“お客さん!この指定席券は310円ですが、キャンセル料は320円なのです。お金は戻らず逆に10円もらわなくてはなりません。”と言われてしまいました。バカバカしいのでキャンセルを中止して指定席券をゴミ箱に捨ててきました!!

写真(1)は5年ほど前に「マンダラ」へ名古屋のシャンソン歌手のライブを聴きに行った時、同じテーブルに座っていた女優の藤田朋子さんです。チケットの裏にサインをもらいました。

写真(2)は「マンダラ」に書いてあった倉橋さんの案内です。

写真(3)はルイ子さん49歳のバースデーケーキです!!

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