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月夜見 [ツクヨミ]コミュのローマ暦(太陰太陽暦)からグレゴリオ暦(太陽暦)への転換

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更新(2007/1/30)

ユリウス暦の採用される以前、ギリシアなどは都市により暦が異なったり、太陰太陽暦もまだ正確とは程遠い段階でした。
紀元前750年ごろから紀元前46年までの古代ローマで使われていた暦は太陰太陽暦でした。

太陽暦は古くは古代エジプト王朝で策定されました。
古代エジプトの太陽暦は、ナイル川の大洪水を予測することが大きな目的のようでした。

それまで太陰太陽暦だった古代ローマで、太陽暦への歴史的転換が起こります。
紀元前46年、エジプト暦を参考にしたユリウス暦へ。
宗教的な理由により1582年、さらに改訂版であるグレゴリオ暦へ受け継がれます...


◆ロムルス暦(太陰太陽暦)

紀元前750年ころの古代ローマで、太陰太陽暦が制定されます。
年初は春分前後の新月でしたので、暦は今でいう3月から始まっていました。
1年が3月に始まり12月で終わる10ヶ月で304日間というものでした。
3月(31日),4月(30日),5月(31日),6月(30日),7月(31日),8月(30日),9月(30日),10月(31日),11月(30日),12月(30日)。
そして12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続きました。
農耕暦だっため農閑期の日付は必要なく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形で十分でした。


◆ヌマ暦(太陰太陽暦)

紀元前713年、年始は3月1日のまま、1年を355日とする太陰太陽暦に改暦。
日数が30日だった月の日数をすべて29日に変え、新たに1月(29日)と2月(28日)の2ヶ月を加えました。
1月から順にそれぞれの月の日数は「29,28,31,29,31,29,31,29,31,29,29,29」となりました。
ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、1年の長さを(月の運行に合わせた)354日にしなかったのは、当時の信仰が偶数を嫌ったからだとされています。
しかし複雑な暦法となったため、閏月の置き方に混乱を繰り返し度々改暦が行われました。

紀元前153年1月1日に最も大きな改暦が行われ、最終期のローマ暦として紀元前46年まで使われることになります。
1年は12か月、355日のままですが、年初を3月1日から1月1日へ変更しました。
それまでは年初が春分前後の3月から始まっていましたのを、冬至近くの2ヶ月も遡らせたのです。
政治上の年初とされていた1月との混乱を避けるため両者の一致を計り、暦上の年初も1月1日に変更されました。
そのため月名と月の順序との間にずれが生じました。
その形跡として、ラテン語でも英語でも9月は「September」と綴りますが、「sept」はラテン語では「7」の意味です。
同様に「October」の「oct」は「8」、「November」の「no(non)」は「9」、「December」の「dec(deca)」は「10」です。


◆ユリウス暦

エジプトを占領したローマのユリウス・カエサル(シーザー)が、エジプトで採用していた暦の存在を知りました。
そして紀元前45年1月1日、それまでの不完全なローマ暦を改良したユリウス暦が施行されました。
このときは改暦したといってもローマの支配圏内だけで、その他の地域はやはり太陰暦や太陽太陰暦のままでした。

ユリウス暦はエジプトで使われていたコプト暦のまま、1年を365日とし4年に一度閏(1年366日)を入れ完全に同期しています。
それまでの太陰太陽暦(355日)と太陽暦(365日)の10日の差を埋めるべく、月を31日と30日に再構成しました。
またローマ暦では2月が最終月だったので、年末の2月と3月の間に閏月を入れていました。
この習慣はユリウス暦導入後の閏日の挿入にも引き継がれ、2月が平年29日、閏年は30日としました。
このとき、月の日数は「31, 29 (30), 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30」となりました。
7月はユリウス・カエサルの名にちなんで「Julius」に変えられましたが、それ以外はローマ暦と同一月名のままでした。

後に皇帝アウグストゥスは、7月の月名に対抗して自分の生まれ月の8月を「Augustus」に変更。
その8月が7月よりも日数が少ない30日なのが気に入らなくて、2月から1日持っていきました。
こうして、月の日数は「31, 28 (29), 31, 30, 31, 30, 31, 31, 30, 31, 30, 31」となりました。
結局、人名が月の名となって残ったのは、7月と8月だけでした。

このユリウス暦はローマ帝国の公的な暦としてその版図に拡がり、後にキリスト教と結びついて世界に拡がりました。


◆グレゴリオ暦(現行暦)

キリスト教国にとって、暦の上でもっとも重要な時期は春分でした。
キリストが復活したお祝いをする日である、イースターすなわち復活(感謝)祭は、「春分の後の最初の満月からすぐの日曜日」と定義されているからです。
このイースターの基準となる春分を完全に暦に一致させることは、宗教上重要なことだといえます。
春分というのは、暦学でも、天文学でも重要な現象です。
太陽の見かけの公転軌跡である黄道が、南から北へ地球の赤道を横切る瞬間(太陽黄経0度)のことです。
簡単にいうと、3月下旬、太陽が真東から出て真西に沈み、昼夜の時間が等しくなる日に起こる現象です。

ユリウス暦は実際の1年より11分14秒ほど長かったので、128年たつと誤差は1日となります。
ユリウス暦は4年に一度閏日を入れるため、1年は365.25日となります。
しかし実際には365.25日よりほんの少し短いので、それがさらに積算していき次第に春分がずれてきました。
キリスト教は春分を基準に復活祭などの行事を計算しますので、この暦を使い続けるのが不便になってきました。

そこで結局、ローマ法王グレゴリオ13世が最終的に現行のグレゴリオ暦を公布します。
1582年10月5日を「新10月15日」とする改暦を命じ、1583年のイースターの日を修正しました。
カトリック教国のイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ポーランドなどは直ちに採用し、それまでのユリウス暦を廃しました。
しかしプロテスタントの国々は威信もあり、採用までに相当な抵抗がありました。
ただ、それらの国々も暦の不正確さから不利な立場に追い込まれ、結局は1900年くらいまでには相次いで採用するに至っています。
グレゴリオ暦は制定以後、修正されることなく機能しています。

これが現在世界中で使われているグレゴリオ暦ですが、ユリウス暦の一部改良版ですので基本的にはユリウス暦と同じです。
ユリウス暦の基本は変えず、400年に3回閏を抜こうと考えたのです。
このグレゴリオ暦では4年ごとの閏年設定が、例外として100年ごとに省略される。
さらに例外の中のさらなる例外として、400の倍数の年は閏年とした。
つまり100で割り切れるときは閏としないが、400で割り切れるときは閏とする。
この例外の中の例外の閏が、最近では2000年に入れられ話題になりました。

これで1年が365.2425日。
1年と差が0.0003日。
つまり3333年で1日ずれるだけの暦になりました。
但し、厳密にいえば月や地球の軌道が完全に分かっていない事などから、やはり観測と照らし合わせないといけないのです...





▼天保暦(太陰太陽暦)からグレゴリオ暦(太陽暦)への転換
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12783082&comm_id=1110372

▼世界の暦を読む 〜太陰暦・太陰太陽暦・太陽暦
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14359625&comm_id=1110372


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