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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのマイケル・ジャクソン (その5)

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マイケル・ジャクソン (その1)
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マイケル・ジャクソン (その2)
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マイケル・ジャクソン (その3)
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マイケル・ジャクソン (その4)
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ディスコグラフィー
詳細は「マイケル・ジャクソンの作品」を参照


CDアルバム
モータウン時代

ガット・トゥ・ビー・ゼア - Got to Be There(全米14位・全英37位)
オリジナル・リリース:1972年1月
ベンのテーマ - Ben(全米5位・全英17位)
オリジナル・リリース:1972年8月
ミュージック・アンド・ミー - Music and Me(全米92位)
オリジナル・リリース:1973年4月
フォーエヴァー・マイケル - Forever, Michael 1975年(全米101位)
オリジナル・リリース:1975年1月
エピック/ソニー

オフ・ザ・ウォール - Off The Wall(全米3位・全英5位・日本26位)
オリジナル・リリース:1979年8月
プロデュース:クインシー・ジョーンズ
参加アーティスト:ラリー・カールトン、デヴィッド・フォスター、ワー・ワー・ワトソン、パティ・オースティン他
スリラー - Thriller(全米1位・全英1位・日本1位)
オリジナル・リリース:1982年11月
プロデュース:クインシー・ジョーンズ
参加アーティスト:ポール・マッカートニー、エディ・ヴァン・ヘイレン、デヴィッド・フォスター、ラトーヤ・ジャクソン他
バッド - BAD(全米1位・全英1位・日本1位)
オリジナル・リリース:1987年8月
プロデュース:クインシー・ジョーンズ
参加アーティスト:スティーヴィー・ワンダー、ジミー・スミス、サイーダ・ギャレット、スティーヴ・スティーヴンス他
デンジャラス - Dangerous(全米1位・全英1位・日本4位)
オリジナル・リリース:1991年11月
プロデュース:マイケル・ジャクソン、テディ・ライリー他
参加アーティスト:スラッシュ、ヘヴィー・D、ポール・ジャクソンJr、ルイス・ジョンソン他
ヒストリー - HIStory(全米1位・全英1位・日本4位)- ベスト盤+新曲
オリジナル・リリース:1995年6月
プロデュース:ジャム&ルイス、ダラス・オーティン、R・ケリー他
参加アーティスト:ボーイズIIメン、ザ・ノトーリアスB.I.G.、シャキール・オニール他
ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア - Blood On The Dance Floor(全米24位・全英1位・日本12位)- 新曲+Remix
オリジナル・リリース:1997年5月
プロデュース:マイケル・ジャクソン、テディ・ライリー、ジャム&ルイス、ダラス・オースティン他
参加アーティスト:スラッシュ、ワイクリフ・ジョン、ファンクマスター・フレックス、サトシ・トミイエ他
インヴィンシブル - Invincible(全米1位・全英1位・日本5位)
オリジナル・リリース:2001年10月
プロデュース:マイケル・ジャクソン、ロドニー・ジャーキンス、テディ・ライリー、R・ケリー、ベイビー・フェイス他
参加アーティスト:ザ・ノトーリアスB.I.G.、クリス・タッカー、カルロス・サンタナ、ブランディー他
グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits - HIStory Volume I(全米85位・全英15位・日本70位)- ベスト盤(HIStoryのDisc1と同じ曲目)
オリジナル・リリース:2001年11月
ナンバー・ワンズ - Number Ones(全米13位・全英1位・日本6位)- ベスト盤+新曲1曲
オリジナル・リリース:2003年11月
アルティメット・コレクション - The Ultimate Collection(全米154位・全英75位・日本47位)- ベスト盤+新曲・未発表曲・ライヴDVD
オリジナル・リリース:2004年11月
エッセンシャル・マイケル・ジャクソン - The Essential Michael Jackson(全米96位・全英2位・日本51位)- ベスト盤
オリジナル・リリース:2005年7月
※各チャートの数字は最高位。また米国はPOPチャートの順位である。


DVD・ビデオ
Moonwalker (1988)
Dangerous - The Short Films (1993)
Video Greatest Hits - History (1995)
HIStory on Film, Volume II (1997)
Number Ones DVD (2003)
The One (2004)
Michael Jackson: Live in Bucharest (2005)

代表曲

モータウン時代
(1971) Got To Be There(全米4位・R&B4位・全英5位)
(1972) Rockin' Robin(全米2位・R&B2位・全英8位)
(1972) I Wanna Be Where You Are(全米16位・R&B2位)
(1972) Ain't No Sunshine(全英8位)
(1972) Ben(全米1位・R&B5位・全英7位)
(1973) With a Child's Heart(全米55位・R&B23位)
(1973) Happy(全英52位)
(1975) We're Almost There(全米54位・R&B7位)
(1975) Just A Little Bit Of You(全米23位・R&B4位)
(1978) Ease On Down the Road with Diana Ross (from The Wiz)(全米41位・R&B17位・全英45位)
(1979) You Can't Win (from The Wiz)(全米81位・R&B42位)
(1981) One Day in Your Life(全米55位・R&B42位・全英1位)
(1984) Farewell My Summer Love(全米38位・R&B37位・全英7位)
(1984) Girl You're So Together(全英33位)

Off The Wall
Don't Stop Till You Get Enough(全米1位・R&B1位・全英3位)
Rock With You(全米1位・R&B1位・全英7位)
Off The Wall (全米10位・R&B5位・全英7位)
She's Out Of My Life (全米10位・R&B43位・全英3位)
Girlfriend (全米-位・全英41位)

Thriller
The Girl Is Mine with Paul McCartney (全米2位・R&B1位・全英8位)
Billie Jean(全米1位・R&B1位・全英1位)
Beat It(全米1位・R&B1位・全英3位)
Wanna Be Startin' Somethin (全米5位・R&B1位・全英8位)
Human Nature(全米7位・R&B27位・全英-位)
P.Y.T.(Pretty Young Thing) (全米10位・R&B46位・全英11位)
Thriller(全米4位・R&B3位・全英10位)
Studio collaborating musician: Jay Metarri

BAD
I Just Can't Stop Loving You with Siedah Garrett(全米1位・R&B1位・全英1位)
BAD (全米1位・R&B1位・全英3位)
The Way You Make Me Feel(全米1位・R&B1位・全英3位)
Man In The Mirror(全米1位・R&B1位・全英21位)
Dirty Diana(全米1位・R&B5位・全英4位)
Another Part Of Me (全米11位・R&B1位・全英15位)
Smooth Criminal(全米7位・R&B2位・全英8位)
Liberian Girl (全米-位・全英13位)
Leave Me Alone(全米-位・全英2位)

Dangerous
Black Or White( 全米1位・R&B3位・全英1位)
Remember The Time(全米3位・R&B1位・全英3位)
In The Closet (全米6位・R&B1位・全英8位)
Jam(全米26位・R&B3位・全英12位)
Heal The World(全米27位・R&B62位・全英2位)
Who Is It (全米14位・R&B6位・全英10位)
Will You Be There (全米7位・R&B53位・全英9位)
Give In To Me (全米-位・全英2位)
Gone Too Soon (全米-位・全英33位)

HIStory
Scream/Childhood (全米5位・R&B2位・全英3位)
You Are Not Alone (全米1位・R&B1位・全英1位)
They Don't Care About Us(全米30位・R&B10位・全英4位)
Stranger In Moscow (全米91位・R&B50位・全英4位)
Earth Song (全米-位・全英1位)
This Time Around (全米-位・R&B42位・全英18位)
HIStory (全米-位・全英5位)

Blood On The Dance Floor
Blood On The Dance Floor (全米42位・R&B24位・全英1位)
Ghosts (全米-位・全英5位)

Invincible
You Rock My World(全米10位・R&B13位・全英2位)
Butterflies (全米14位・R&B2位・全英-位)
Cry (全米-位・全英25位)
Heaven Can Wait (全米-位・R&B72位・全英-位)

Number Ones
One More Chance (全米83位・R&B40位・全英5位)
※基本的に掲載されている曲は米国もしくは英国でシングル発売されたもの。
各チャートの数字は最高位。また米国はPOPチャートの順位である
太字は全米、全英を含め、米国のR&Bチャートもしくはヨーロッパ諸国などで首位を取った曲である。(Jam、Heal The Worldは再発で1位)


アルバムセールス

モータウン
Got to Be There: 410万枚
Ben: 440万枚
Music & Me: 200万枚
Forever Michael: 160万枚
The Best of: 220万枚
One Day in Your Life: 150万枚
Farewell My Summer Love: 200万枚
Looking Back to Yesterday: 30万枚
The Original Soul of Michael Jackson: 37万枚
Anthology: 260万組(2枚組アルバム)

エピック/ソニー
Off The Wall: 1900万枚
Thriller: 1億400万枚
Bad: 2800万枚
Dangerous: 2900万枚
HIStory: 1800万組(2枚組アルバム)
Blood On The Dance Floor: 600万枚
Invincible: 800万枚
Greatest Hits - HIStory Volume I: 300万枚
Number Ones: 600万枚
The Ultimate Collection: 25万組(5枚組ボックスセット)
The Essential Michael Jackson: 200万組(2枚組アルバム)

ワールド・ツアー
世界1と称されるダンスやショートフィルムそのままのパフォーマンス、芸の込んだマジックやその時代時代の最新技術を織り交ぜた演出などまさしく世界最高のライブツアーといえる。


BAD Tour
1987年9月12日〜1989年1月27日
マイケル初のソロ・ワールド・ツアー。9月9日に来日し、12日に東京で開始した。アメリカ・ロサンゼルスで終了するまで、15ヶ国123公演を行い、440万人の観客を動員した。ツアー総売上高は1億2千5百万ドル。コンサート・ツアー史上最大の世界記録樹立。現在、DVD化を望む声が増えている。


Dangerous Tour
1992年6月27日〜1993年11月11日
ドイツ・ミュンヘンに始まりメキシコ・メキシコシティでツアー中断を発表するまで、69公演を行い、350万人の観客を動員した。 機材総量1250トン以上、スタッフ235人、80台のトラックという破格の規模で行われた。2004年発売のアルティメットコレクションにブガレストでのツアーを収録したDVDが収録された(後に単体で発売)。これはマイケル初の公式ライブDVDである。


HIStory Tour
1996年9月7日〜1997年10月15日
チェコ・プラハに始まりダーバンで終了するまで、35ヶ国58都市で82公演を行い、450万人の観客を動員した。 生歌が減り若干曲のリズムがスローになったものの、その分それを補い余る程完成度の高いポッピングダンスを随所に織り交ぜた独特のパフォーマンススタイルを完成させた。また、演出も宇宙船がステージに飛び出してきたり、戦車がステージに現れたりと他のワールドツアーと比べても凝っている。結果的に生涯最後のワールドツアーになった。


日本公演
1973年 "In Japan!(ジャクソン5)"
4月27日 東京音楽祭スペシャルゲスト、初来日(TBS)帝国劇場
4月28日 広島郵便貯金ホール
4月30日 大阪厚生年金会館
5月1日大阪フェスティバルホール
5月2日日本武道館
1987年 "Bad Tour 1987"
9月12日,13日,14日 後楽園球場
9月19日,20日,21日 阪急西宮球場
9月25日,26日,27日,10月3日,4日 横浜スタジアム
10月10日,11日,12日 大阪球場
1988年 "Bad Tour 1988"
12月9日,10日,11日,17日,18日,19日,24日,25日,26日 東京ドーム
1992年 "Dangerous Tour 1992"
12月12日,14日,17日,19日,22日,24日,30日,31日 東京ドーム
1993年 "Dangerous Tour 1993"
9月10日,11日 福岡ドーム
1996年 "HIStory Tour 1996"
12月13日,15日,17日,20日 東京ドーム
12月26日,28日 福岡ドーム

著書
MOONWALK (1988)
Dancing the Dream (1992)

映画
ウィズ (1978年)
Captain EO (1986年) - ディズニーランドのアトラクション
ムーン・ウォーカー(1988年)
メン・イン・ブラック2 (2002年)
マイケル・ジャクソン IN ネバー・ランディング・ストーリー(原題:Miss Cast Away) (2005年)

CM
SUZUKI(スズキ) − Love (1982)
SONY − キララバッソ (1988)
ペプシ − コーラ (1993)

ゲーム
マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー(メガドライブ、アーケードゲーム)
AS-1(アーケードゲーム)
スペースチャンネル5(ドリームキャスト・プレイステーション2)
スペースチャンネル5 パート2(ドリームキャスト・プレイステーション2)
レディ・トゥ・ランブル・ボクシング・ラウンド2(プレイステーション2・ゲームボーイアドバンス)
発売は上の4つがセガで、一番下がミッドウェイ・ゲームズ。「ムーンウォーカー」は本人がゲームセンターでセガのゲームを遊び、気に入ったことから自らセガに制作を提案した。スペースチャンネル5は試作版をプレイしたマイケル自ら出演を切り出し、急遽ゲストとして登場する事となった。1では飛び入りだったためにごく一部分のみの出演だったが、その後製作されたpart2では主人公であるリポーター・うららの所属する放送局「チャンネル5」の局長として重要な役を演じている。作中では「スリラー」などの振付も登場し、主人公とともに踊っている。 なお、レディ〜のGBA版は、日本未発売。


ファミリー
両親

Joseph Walter Jackson (1929 - )
Katherine Esther Jackson (1930 - )
マイケルは裁判の時もキャサリンの落ちてきている上着をかけ直してあげたりしている。また、Billie Jeanの際の定番の衣装である黒いスパンコールジャケットはもともとキャサリンが着る予定であった物と言われている[誰?]。
兄弟

Rebbie(Maureen Reilette) Jackson (1950 - )
Jackie(Sigmund Esco) Jackson (1951 - )
Tito(Toriano Adaryll) Jackson (1953 - )
Jermaine Lajaun Jackson (1954 - )
LaToya Yvonne Jackson (1956 - )
Marlon David Jackson (1957 - )
Brandon Jackson (1957 - 1957)(マーロンと双子、生後数時間で逝去)
Michael Joseph Jackson(1958 - 2009) - 本人
Randy(Steven Randall) Jackson (1961 - )
Janet Damita Jo Jackson (1966 - )
Joh'Vonnie Jackson (1974 - )(異母兄弟)
子供

Prince Michael Jackson (1997) (出生時名 Michael Joseph Jackson, Jr. より離婚後改名)
Paris Michael Katherine Patricia Jackson (1998)
Prince Michael Jackson II (2002)
アメリカのジャーナリスト・ジャネット・チャールトンによるとPrince Michael JacksonとPrince Michaelは、親交の深いマコーレ・カルキンの精子によってつくられた子供でないかという噂もある[19]。 「小さな恋のメロディ」などで知られる元名子役マーク・レスターは、マイケル・ジャクソンとは30年来の友人で、 お互いの子供の名付け親になっていた。


影響
マイケル自身のキャラクター、そしてダンスのインパクトによって、これらはアメリカの内外を問わず、たびたびものまねの対象となる。例としては、マイケルの代わりとしていくつかの映画に出演しているエドワード・モス(Edward Moss (impersonator))や、オーストラリアで「Jackson Magic」と銘打ったショー[3]を行っているポール・リゾ(Paul Rizzo)、また日本のものまねタレントとしてマイコーりょう、まいける井上などが活動を行っている。


ファッション
手袋
スリラーの頃はラインストーンやスパンコールの縫い付けられた手袋を片方の手だけに着用するスタイルがマイケルのトレードマークであった。 片方の手にだけ着用するスタイルについてマイケルは自著の中で片方の手にだけ手袋をすればアクセントになると思ったためと語っている。 当時マイケルはパフォーマンスだけでなく授賞式や公の場でも常に身に着けており、ホワイトハウスに招かれた際にこの手袋をしたまま大統領と握手したために問題になったこともあった。しかしバッドが発売される頃になると、ステージでパフォーマンスするとき意外に着用することは一切無くなった。 実は着用し始めたのはスリラーの発売前からであるが、殆ど話題にならなかった(同じく自著より)。

ステイプルズセンターで行われた追悼式では、兄弟全員がこの手袋を身につけていた。

靴下
手袋と同じく白のソックスはマイケルのトレードマークであった。脛ほどの短めの黒いスラックスに白いソックス、黒のローファーのスタイルはシンボルマークにもなった。当時の観点から言っても白のソックスは時代遅れであったが、マイケルはこれが「クールだと思った」(自著より)と語っている。白のソックスの他にもステージではスパンコールやラインストーンが縫い付けられたソックスを愛用していた。白いソックスというスタイルは私服でも変わらず、生涯着用し続けた。87年の時点でルーズソックススタイルのソックスを着用している(横浜公演のビリー・ジーンの映像などで確認できる)が、これは日本でルーズソックスが流行る遥かに前のことである。

ジャケット
スリラーのヒットは音楽シーンだけでなくファッションにも影響を与えた。マイケルがビート・イットやスリラーのショートフィルムで着用していたジャケットはラインセンス品でないものも含め数多く出回り、実際にビヨンセはビート・イットの赤いジャケットを持っていたとスピーチで語っている。今現在でもインターネットのオークションサイトなどで当時のものを見つけることが出来る。

( ̄○ ̄;)以上です、全5トピックになるほどの情報量・・・

コメント(3)

5トピックに渡り、ご苦労様でした。そしてありがとうございました。

HIstoryがhis storyと掛けてたなんて事も知れましたし、日本公演の日程まで全て網羅されていたのも参考になりました。

11歳の頃からレコード売りまくっていたというのを改めて驚かされました。当時スリラーは2500万枚売れた時点で大騒ぎとなり、その時点ですでにギネスブックに載っていたという記憶があります。
今思えば、あれはアナログ時代終焉の奇跡ですね。
それを結果的に1億枚以上売ったというのだからこの記録は永遠に破られる事はないでしょう。
他にもマイケルが打ち立てた記録で永遠に破られる事のないモノは多数存在すると思います。

マイケル、たくさんの夢をありがとう♪
( ̄▽ ̄ )5トピまでたどり着いたね・・・
これで終わりと思わないでねw

これ以降の情報があればまたアップするかもしれませんのでw
そ、それは、どうも恐縮です。。^^;

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