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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュの連想ゲーム

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連想ゲームはNHK総合テレビで放送されていたクイズ番組である。

概要
1968年4月8日に始まった『みんなの招待席』という番組の1コーナーから始まり1969年4月5日に独立した番組として放送され、1991年3月20日まで22年続いた(MBS『アップダウンクイズ』とタイ記録)。

放送時間は1969年4月5日から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00。なおこの放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」赤組の百・十の桁に「30」と表示された(日中、BSの再放送でも同様)。因みに2003年3月27日の復刻版でBS2ではOPは無く19:20での放送だった為「7」「20」と表示、その後の総合テレビではOPがあり20:00での放送だった為、「8」「00」と表示されていた(番組の内容は同じ)。

男女の解答者チームが競い合う形式は、日常版の紅白歌合戦ともいえる。

オープニングテーマ終了後の司会者の挨拶は『こんばんは。水曜夜7時半、今夜も連想ゲームでお楽しみください。』と言っていたが、徳田章アナウンサーではそのあとに『連想は十人十色と申します。今夜はどんなに楽しい、そしてユニークな連想が飛び出してくるのでしょうか。』も追加して言っていた。これは、2003年の復刻版でも同様だった。

民放の競合番組が競い合う時間帯の放送だったが、大半の放映時期においては人気番組でかつ高視聴率だった。

OPやEDに使われている曲は放送開始から終了まで同じ曲が使われていたが、1989年4月6日の放送よりステレオ放送になったと同時にキーを半音下げるなどアレンジしたものを使用していた。ただし、復刻版ではアレンジ前の曲が使用されていた。


ルール
紅組(女性チーム)と白組(男性チーム)の対抗戦。各組は出題キャプテンと5人のメンバー(レギュラー3人+ゲスト2人)で構成された。
問題はすべて口答方式で、15問までの通常の問題は男女1人ずつの対戦(最初の5問は季節に関係する言葉が出題)。司会者が指名したチームのキャプテンからメンバーにヒントが送られ、連想する単語を5秒以内で回答する。
5秒経っても解答できなかった場合や不正解の場合には「ピンポン」とチャイムが鳴り相手チームに回答権が移り、同様にキャプテンからメンバーにヒントが出される(ヒントが出ないうちにピンポンが鳴ることもあった)。以後、正解が出ない場合は交互に相手チームに回答権が移り新しいヒントが出る。
最初のヒントで正解すると得点は10点で、その後1点ずつ点数が減る(得点板の周りに数字のランプがあり、そこに表示していた。末期は司会者のテーブル(外枠に紅組はピンク、白組はブルーのランプが付きそれに囲まれて10〜1の順に)に表示される様になる。なお、復刻版では得点板の周りに表示していた。)ピンポンがなったのと同時に正解が出ても得点に入る(この時に決まって司会者が「ピンポン同時、認めます」または「ピンポン同時、結構です」と発言する)。
得点表示は、1度獲得点数を表示してから合計得点を表示する(電卓みたいな表示方法。3ヒントコーナー、勝ち抜きゲーム、1分ゲームは最終回までこの表示方法である。末期では0点であっても0という数字は表示されていた)。後に点数が司会者のテーブル表示になってからは、ダイレクトに合計得点が表示される様になる(それと同時に獲得点数の表示も消える。転送みたいな感じである)。
正解が出るか、10回目のヒントでも正解が出なかった場合は次の対戦メンバーに新しい問題が出る。正解が出ない場合のペナルティはない。正解が近ければ観客から拍手が出る(観客には正解を教えている)。
あまりにも簡単に答えが出てしまうようなヒント(例えば一語でないヒント、答えの漢字と1字でも重なるヒント、正解と同じ意味の言葉でのヒントの場合など)で正解が出た場合は違反ヒントとなり、司会者の裁量で得点が半分に減らされる(9、7、5、3点の場合は端数は切り上げあるいは切り捨てとなり、1点の場合は得点表示機器の都合上0.5点にすることができないため0点となる)。ただし減らされるのはその問題の得点のみで、それまでの得点が減らされたり回答権が奪われるなどのペナルティはない。名詞以外の言葉も違反ヒントとなる。例えば「机」が正解で相手チームのメンバーが「デスク」と答えた場合、それを受けて「日本語」というヒントを出すのは違反にならないが「日本語で」では違反となる。加藤芳郎は正解が出そうにないとき、意図的に長文の違反ヒント(「手塩」のヒントとして「足砂糖」など)を言って場を盛り上げるのがお約束だった。
キャプテンがうっかり答えを言ってしまった場合、その問題は無効となり0点となる。
前半戦では各問題の開始時に正解のテロップが表示されるが、「ワンワンコーナー」終了後の後半戦は司会者が「ここからは画面に字幕を出しません。テレビの皆様もご一緒にお考えください」と言い、正解のテロップの代わりに四角枠に「?」と表示される(後にスリーヒントコーナーも同様となる)。

クイズの内容
通常のクイズだけでなく、様々なコーナーがあった。

勝ち抜きゲーム
毎回ある隠しテーマに沿ったクイズが出題される。男性軍の1人と女性軍の1人が1対1で戦い、負けた場合は男性軍はみかん、女性軍はりんご(みかん・りんごとも飾り物)をテーブルに置く。1回勝負がつくごとに、次回からは負けたチーム(放送では「挑戦者」と表現)が先攻になる。両チーム正解が出なかった場合、次の問題は先攻権が相手チームに移る。先に5人負かした方が勝ちとなる。得点は、負かした人数×10点が加算(違反ヒントがあれば1問につき5点減点、また1990年9月12日放送分から違反ヒントなしで連続3人勝ち抜くとメロン賞で30点加算されるルールも追加された)。なお、解答者以外(順番待ちをしているメンバー)は隠しテーマを考える相談は可能である。坪内ミキ子、水島裕、山形由美、江守徹等がパーフェクトを達成したことがあり、白組4連敗で最後の解答者だったなかにし礼が一人で5連勝する大逆転劇をした事がある。
3ヒントコーナー
キャプテンが3つのヒントを出し、チーム全員でそれらから連想される言葉を当てる。通常の問題と異なり、ことわざや四字熟語、俳句などが出題された。正解した場合は10点が加算される。不正解の場合は相手チームに解答権が移り、再び相手チームのキャプテンが同問題の3つのヒントを出す。正解の場合は半分の5点が加算され、不正解の場合は両チームともに0点となる。男性軍と女性軍それぞれに1題ずつ出題された。このクイズに限って相談が可能だった。
ワンワンコーナー
「ワンワン」「ニャンニャン」のように繰り返しになる言葉を当てる。それから派生したクイズで「ワンニャンコーナー」というのも存在した。
1分ゲーム
後半戦の問題終了後にチャイムが鳴ると(ピンポン音が連続で鳴る)司会者がタイマーを出し(末期はタイマー盤面に赤い発光ダイオードが付き、タイマーの針の動きと連動し点灯していた。復刻版でも同じ仕様だった)、スタートの合図でタイマーを作動させゲームがスタートした。0.5秒刻みでトントンと音が鳴り、1分経つとジリジリとベルが鳴る仕組みになっている。
テーマに沿った言葉を16問(末期は13問)出題する(傾向として1.特定の漢字で始まる言葉(例:白組は「若」、赤組は「新」で始まる言葉)、2.特定の1字(もしくは2字)で始まる言葉(例:白組は「マ」、赤組は「ロ」で始まるカタカナ言葉)が大半である。稀にしりとりで繋がっているパターンもあった)。制限時間1分の間にリレーでどれだけ多く正解できるかを競う。逆転を賭けた番組のラストコーナーだった。
得点の多いチームが先攻で(同点の場合は、キャプテンのじゃんけんで勝った方が後攻)、後攻は先攻の問題を見て問題の傾向を予測していた(因みに先攻が特定の漢字で始まる問題なのに、後攻が特定の1字で始まるといった問題の傾向がいきなり変わる事は無い)。
それぞれのチームのアシスタントが解答者の後ろで答えの書かれたフィリップを紙芝居の様に掲げ、キャプテンはそれを見ながらヒントを出す。正解すると1枚ずつ捲っていき、次の解答者の後ろに移動していた。5枠から1枠へは走って移動していた。
正解するとだるまパネル(赤組は赤色、白組は白色であった。解答者の机の下の棚に入っていて、そこから出す。後にキャプテンの似顔絵パネル)を1個置く。得点は1問正解につき10点、違反ヒントが出ると1問につき5点減点される。キャプテンがうっかり答えを言ってしまった場合やその問題を本来答える人でなく、他の人が答えてしまった場合は0点となる。答えが分からなければパスも出来る(キャプテン、解答者どちらでも可)。全問正解、かつ違反ヒントなしの場合はボーナス50点が加算される。キャプテンが間髪を入れずにヒントをどんどん出さなければならないため、他のコーナーより違反ヒントが出やすかった。
時間内に全部答えが出た場合、タイマーの刻む音は消えるが秒針は1分経つまで回り続ける。画面は縦二分割になっており半分は今答えている解答者を、もう半分はキャプテンを映している。残り15秒位になると、キャプテンの映像が残り時間を示すタイマーに切り替わる。

歴代司会者
司会はNHKアナウンサーが担当した。

初代:青木一雄… - 1968年
2代目:野村泰治…1968年 - 1973年
3代目:中江陽三…1973年 - 1976年3月
4代目:加治章…1976年4月 - 1978年3月
5代目:川野一宇…1978年4月 - 1981年3月
6代目:松平定知…1981年4月 - 1984年3月(1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」というちょっとふざけた言い方だったのが、当時のNHK局アナとしては珍しかった)
7代目:吉川精一…1984年4月 - 1987年3月
8代目:佐藤充宏…1987年4月 - 1989年3月
9代目:徳田章…1989年4月 -
2003年3月27日放送の『連想ゲーム スペシャル』では、徳田が司会を担当した。また2005年5月16日放送の『きよしとこの夜』の1コーナーの中でも復活し、徳田は司会とキャプテン(その日のゲストガッツ石松への出題)を兼任した(もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった)。


出演者

歴代キャプテン
赤組キャプテン
初代:江利チエミ
2代:天地総子
3代:中村メイコ
4代:坪内ミキ子 - 水沢にキャプテンが交替してからは、第1解答者になった。
5代:水沢アキ
6代:中田喜子
7代:藤田弓子
復刻版:原日出子
白組キャプテン
初代:三橋達也 - 一時降板後、第1解答者として復帰。
2代:渡辺文雄 - 一時降板後、第1解答者として復帰。
3代:加藤芳郎 - 1972年より登板。番組終了まで約20年にわたり出演を続け同番組の「顔」と言える存在で、自身が出演した養命酒や山一證券のCMでもこの番組を連想させるようなストーリーで制作されたものもあった。
復刻版:春風亭小朝

その他のレギュラー解答者
赤組レギュラー
ロミ山田(ジャズ歌手)
安達曈子(華道家)
和田アキ子
檀ふみ
菊容子
市毛良枝
山形由美(フルート奏者)
岡江久美子 - この番組がきっかけで大和田獏と結婚した。
マッハ文朱
中井貴恵
田中理佐(現・石原伸晃夫人)
中村あずさ
白組レギュラー
坂本九
田崎潤 - いつも非常に大きな声で解答するため、この人の席にはマイクを置いていなかった。
内田喜郎
沖雅也
蟇目良
田山雅充(シンガーソングライター)
江守徹 - 大袈裟なフリで考えるだけ考えて答えが出ない姿が印象的で、週刊少年ジャンプの読者投稿ページ「ジャンプ放送局」でもネタにされていた。2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』ではゲスト出演していたがこの番組が再現され、このときはキャプテンを務めた。
大和田獏 - 加藤から「バクちゃん」と呼ばれていた。
水島裕 - いつも自信を持って解答し、それでいて間違えることも多かったので「自信を持って間違える」と最初の紹介で言われていたこともあった。
宍戸開
宅麻伸
辰巳琢郎
林家こぶ平(現・林家正蔵)

その他
女性のアシスタントが2人いて前述の1分ゲームで正解を書いたパネルを掲げるほか、勝ち抜きゲームの小道具を用意したりなどしていた。松平アナの頃から、出演者紹介の後でアシスタントも名前を紹介されるようになった。
キャプテン・レギュラー解答者ともに、レギュラー出演中は番組から「他のクイズ番組に出演しないように」と通達を受けていた。
視聴者から「(1分ゲームの)タイマーの針がずれている」の意見があり、それ以来ゲームに入る前は司会者がタイマーの針を直す様になる。
1分ゲームの加藤の似顔絵パネルが青だった時期があった様である(藤田弓子HPプロフィール内の主な出演作品欄に連想ゲームの写真があり、そこで確認出来る)。
当時非常に人気のある番組だったため、この番組に関する都市伝説も存在する(中でも、「こけし」と解答したハプニングが有名)。
漫画家の柴門ふみはこの番組に出演して誤答をしたことを夫の弘兼憲史や子どもからも「あの回答はない」と詰られ、初期のエッセイではよく「もうテレビには出たくない。漫画家はテレビに出ない方がいい」と漏らしていた。

番組の終焉
長らく高視聴率を保っていたが、フジテレビが1988年10月に『クイズ!年の差なんて』(1990年10月に木曜日に移動)を放送開始後、本番組に陰りが見え始める。1989年10月に日本テレビが『どちら様も!!笑ってヨロシク』を開始後、視聴率が降下。さらに1990年10月からフジの『クイズ&ゲーム太郎と花子』が放送開始され、番組終了に追い打ちをかけた。

これらのことによりリニューアルも行ったが好転せず、さらには当時の島桂次会長がNHKの大改革(いわゆる「つるの一声」)を推し進めていたこともありマンネリ化が目立っていたことも相まって1991年3月20日をもって終了し、22年の歴史に幕を閉じた。


番組終了後
2003年3月27日には、復活版として『連想ゲーム スペシャル』が放送された。「1分ゲーム」で1問正解出た場合はキャプテンの似顔絵が描かれただるま人形ではなく両チームともどーもくん人形が置かれ、このときは男性チームの勝利だった(結果は367対307)。なお、放送時間は45分間だった。
2003年4月13日から1年間、BS2で『アーカイブス・連想ゲーム』(字幕放送あり)として過去の放送分からピックアップして放送された(放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。ただし、特番などで放送されない週もあった)。初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989年〜1990年収録分からの再放送だった。
2005年5月16日には、バラエティ番組『きよしとこの夜』の1コーナーとして復活した。
2006年11月5日、BS2で放送された『ザ少年倶楽部』で「ひらめけ言葉当てゲーム」として本家・連想ゲームの「勝ち抜きゲーム」を基にしたクイズが行われた。内容は基本的に勝ち抜きゲームと同じである。相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形になっていた点である。






(´・ω・`) 見てたね〜これもw 映像見るとみんな若いwww

コメント(5)

この番組の思い出は「田原俊彦」と「松田聖子」がアイドル

全盛期の時ゲスト登場した際、1対1の勝負で松田聖子が

ずっと正解してた場面。雰囲気が悪くなって、最後の方で

やっと俊ちゃんが正解した時のホットした時のあの様子

なんとも印象的でした。


小生が思い出深いクイズ番組は「ヒントでピント」

勝利チームのゲストには象印のポット、敗者には同プレート

というスポンサーの商品が面白かった。

それから「霊感・ヤマカン・大六感」

こちらは、お互い相手チームの頭の上にあるモニターを見て

自分の頭の上にあるモニターの答えを予想するのだが、時々、相手の

答えを口に出してしまい、相手に知られてしまうといった失敗が受けた。

もう一度見てみたいものです。

この手のクイズ番組好きだけど最近ないよね
一分ゲームで、司会者が針を直してるのを見て、一分経った時点で針は一周するのに何故直す必要があるのか?という疑問が今、解けました。

>視聴者から「(1分ゲームの)タイマーの針がずれている」の意見があり、それ以来ゲームに入る前は司会者がタイマーの針を直す様になる

りんごやみかんを使ったりとなかなか地味な演出でNHKらしかった。

白組のヒントになると司会者が、大和田さん、獏さん、大和田さん、と呼んでいた記憶があります。
(´・ω・`) この頃は地味でも結構面白かったんですけど
最近はこの手の番組ないですね〜

白組キャプテンの加藤芳郎が印象に残ってますね。

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