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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのフォーリーブス (アイドルグループ)

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ジャニーズ事務所に所属した男性アイドルグループの「先駆者」である。 1966年10月結成、1968年9月5日レコードデビュー、1978年8月31日解散。2002年再結成。 グループの愛称は「リーブ」、「リーブス」、「FL」。




端整な美少年達がステージで歌い踊るという、現在まで続く男性アイドルのスタイルを確立したグループである。 またステージ上でバック転を披露した最初のアイドルグループでもある。 ビジュアル性の高いパフォーマンスで若い女性ファンからの強い支持を受け、トップスターとしてテレピ・舞台を中心に活躍した。音楽性も高く、当時としては息の長い1970年代を代表する男性アイドルグループであった。
解散から24年を経た2002年に再結成を果たした。2007年の現在も活動中である。

メンバー
北公次 (きた こうじ、1949年1月20日 - 、愛称「コーちゃん」)
青山孝 (現:青山孝史)(あおやま たかし、1951年8月10日 - 、愛称「ター坊」)
江木俊夫 (えぎ としお、1952年6月4日 - 、愛称「トシ坊」、「ポコちゃん」)
おりも政夫 (おりも まさお、1953年7月4日 - 、愛称「マー坊」、B型)


脱退メンバー
永田英二 (ながた えいじ。 愛称「英ちゃん」、「英坊」。 後にソロデビュー。 「スーパーエイジス」も結成。)
渡辺茂樹 (わたなべ しげき。 愛称「チャッピー」。 後に「ザ・ワイルドワンズ」に加入。)




概要
グループの成り立ち
1966年10月、ジャニーズの付き人だった北公次、3歳から子役で活躍していた江木俊夫、劇団若草出身でファッションモデルをしていたおりも政夫、同じく劇団若草出身の永田英二、そして渡辺茂樹の5名で、ジャニーズが主演のミュージカル『いつかどこかで〜フォーリーブス物語』に出演する事でグループを結成。しかしまだグループ名は無く、「ジャニーズJr.」としての出演だった。 この他にも候補メンバーとして、既に1950年代から子役と活躍していた大沢健三郎、更にはポールという名前のハーフの人物などが居た。
1967年の2月にミュージカルが終了。 渡辺茂樹が脱退し、北・江木・おりも・永田の4名になる。
1967年4月に発売されたジャニーズの『太陽のあいつ』という曲から、ジャニーズのバックダンサーとなる。
同年6月、先輩のジャニーズのミュージカルを引き継ぎ、今度はフォーリーブスを主演にしたミュージカル『フォーリーブス物語〜いつかどこかで』(メインタイトルとサブタイトルが交替)が、大阪フェスティバルホールにて公演された。この時、初めてグループ名が正式に『フォーリーブス』に決まる。 尚、「フォーリーブス=Four Leaves(4枚の葉←leavesはleafの複数形)」の意味が定説だが、本来の名前の由来は、ジャニー喜多川氏が脚本を書いたジャニーズ主演のミュージカル『いつかどこかで〜フォーリーブス物語』内のグループ名からで、「4つに“別れる、去る、出発する”」という意味の自動詞の「“leave”」である。
同年10月、結成メンバーの永田英二は当時小学生だった為、スクールメイツ出身の青山孝と交替となる。
1968年9月5日、CBS・ソニーの国内契約第一号アーティストとして、両A面シングル『オリビアの調べ c/w 壁のむこうに』にてレコードデビュー。 16歳前後の美少年たちが踊りながら歌うというビジュアル性豊かなスタイルは新鮮であり、若い女性からの熱烈な支持を集め、すぐに人気アイドルとなった。また、「日本に本格的なミュージカルを」を合言葉とし、精力的なミュージカル公演も行った。



1970年にはプロマイドの売上げが男性歌手部門の1位になり、衰退期にあったグループサウンズのザ・タイガースらに代わりトップアイドルとなった。大ヒット曲はなかった(ヒットチャート最高10位)が、冒頭の江木の名ゼリフで知られる『地球はひとつ』や、『あしたが生まれる』『夏の誘惑』などの個性的な名曲がコンスタントにヒットを重ね、1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。また多くのレギュラー番組を持ち、安定した人気を保った息の長いアイドルグループであった。ミュージカルにも熱心に取り組み、その姿勢は現在のジャニーズに受け継がれている。
グループ内での位置付けは、運動能力に優れた北公次は華麗なダンスやバック転でステージを彩る、ダンスやアクロバット面での看板メンバー。東京音楽学院の特待生だった青山孝はジャニーズ史上でも1,2位を競うと評される程の歌唱力を持つ、歌唱面での看板メンバーであり音楽面でのリーダー的存在。フォーリーブスの楽曲の音楽性の高さは青山に負うところが大きい。名子役として芸歴の長い江木俊夫と最年少のおりも政夫はグループのMC役としてトークや司会進行を担当。おりも政夫は前期はあまり目立たぬ存在であったが、次第に話術等において豊かなタレント性を発揮するようになる。各自の個性を生かした単独での活動も徐々に増えていった。
1973年の8月にフォーリーブスへの贈り物や追っかけ費用を稼ぐために売春していたという女子中学生グループが書類送検されて批判を浴びた。後にその少女のうちの一人がツアーの宿泊先などでメンバー全員とも関係を持ったと答えている。
長く賞には恵まれなかったが、10周年記念曲として1976年にリリースした『踊り子』で日本歌謡大賞特別賞、日本テレビ音楽祭特別賞等を受賞した。しかし当時人気は既に下降し始めていて、ヒットチャートの最高は41位であった。翌1977年に起死回生を賭けてリリースした『ブルドッグ』は、奇抜な歌詞や振り付けが話題を呼ぶも最高40位とヒットには至らず、7年連続出場したNHK紅白歌合戦にも落選した。しかし、この曲はその後も後輩のジャニーズアイドル達によってライブやテレビで歌い継がれているほか、1997年には富士フイルム「写ルンです」のCMソングに起用され、2006年にはタレントの城咲仁によってカバーもされた。
1970年代後半になるとその人気も下降線を辿り、レコードセールスも低迷する。個人での活動の比重も高くなり、それぞれの芸能活動における方向性の違いも顕著になっていった。メンバーの平均年齢も20代後半となり、1977年には青山が結婚をするなど、アイドルとしての活動に限界を迎え、1978年の7月21日に最後のシングル『THE END-思いがけず出会ったら-/夢のかけら』をリリース、1ヵ月にわたる全国ラストツアーを行い、同年8月31日、大雨の降る中、新宿の東京厚生年金会館のステージにて解散した。 この日は何と、副社長のメリー喜多川が初めてステージに上がり、「これから頑張っていこうね」と言いながらメンバーたちと抱き合って泣いた。 尚、この解散コンサートの模様はテレビ番組としても放送され、しかも再放送までされている。
1977年に、青山孝が同事務所の女性タレント・嶋田じゅんと結婚した際には、披露宴の模様がテレビ番組まで組まれて放送された。 しかし、グループ解散後の1979年に江木俊夫が結婚した際には、ジャニー喜多川、及びメリー喜多川からは祝電さえも届かなかった。
約12年の活動でシングル38枚を発表。そのシングル曲累計売上は約266万6千枚に及んだ。
解散後は元メンバーの逮捕や暴露本の出版など紆余曲折があったが、2002年1月29日に再結成し、往年のファンの支持を得て2006年現在もライブ中心に活動継続中である。

その後
1990年頃、青山とおりもの2人で、静岡県浜松市肴町に在る同じビル内に、『ステージバー・グリッター』(3F)というショーパブと、『タレント・ミュージック・スクール』(4F)という音楽学校の2つを開いた。 (実際の出資者はジャニーズ事務所。また、音楽学校の方だけはすぐに閉校してしまった。)
青山孝は一時、静岡県沼津市のパブでマスターをしていた時期もある。
2006年8月12日、NHK『第38回思い出のメロディー』に出演し『ブルドッグ』と『地球はひとつ』を熱唱した。北公次はバック転も披露した。久々のテレビ出演であり、特にNHKには1978年の解散時に出演した『ビッグ・ショー』以来28年ぶりである。


主な出演作品

バラエティ番組
プラチナゴールデンショー (日本テレビ)レギュラー
ロッテ 歌のアルバム (TBS)
カリキュラマシーン (日本テレビ)レギュラー
とことんやれ大奮戦! (日本テレビ)レギュラー
歌え!ヤンヤン!! (東京12チャンネル)レギュラー
レッツゴーヤング (NHK)レギュラー
カックラキン大放送!! (日本テレビ)
1976年4月23日・「待て!二郎さん」 坂上二郎との共演
1976年10月8日・「名犬らしい」 坂上二郎との共演
1977年2月4日・「連休さん」 山口百恵との共演
1977年5月20日・「もろい夫婦」 和田アキ子との共演
1977年7月15日・「求人二十面相」 森昌子との共演
チビらサンデー (1976年7月 - 、テレビ朝日)
徹子の部屋 (2007年1月23日、テレビ朝日)

テレビドラマ
おれは男だ! (1971年2月21日 - 28日、日本テレビ)第1話と2話にゲスト出演
青春をつっ走れ! (1972年4月 - 7月、フジテレビ)ゲスト出演
ぼくは叔父さん (1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ)
ボクは女学生 (1973年10月5日 - 12月、フジテレビ)
小さなスーパーマン ガンバロン (1977年4月3日、日本テレビ)第1話にゲスト出演

映画
初笑いびっくり武士道 (1972年1月21日公開、松竹・大船撮影所)
※ 2003年6月に『びっくり武士道』のタイトルでDVD化された。
急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年7月20日公開、東宝/ジャック・プロ)
共演した郷ひろみや9名のジャニーズ・ジュニアと共に舞台挨拶も行った。

ラジオ
おりも政夫
ロッテ 集まれ!ヤンヤン 熱気でムンムン! (1975年8月 - 、ニッポン放送、公開録音番組)

ミュージカル
いつかどこかで〜フォーリーブス物語 (1966年10月 - 1967年2月)
フォーリーブス物語〜いつかどこかで (1967年6月、大阪フェスティバルホール)
フォーリーブスヤングサプライズ「少年たち−小さな抵抗−」 (1969年12月、日生劇場)
オー・マイ・ママ (1969年12月)
少年たちシリーズ〜ミュージカル'70 「少年たち−完結篇−」 (1970年5月30日&6月1日、日生劇場)
少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「素足で駆けるとき」 (1970年、企画・構成・演出:フォーリーブス、芸術祭参加作品ミュージカル)
フォーリーブス・ショー「希望の翼」 (1970年12月)
少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「太陽からの少年」 (1971年4月)
少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ミュージカル「明日なき友情」 (1971年8月)
少年たちシリーズ〜フォーリーブス・ライブ・ミュージカル「生きていくのは僕たちだ!」 (1972年1月、芸術祭参加作品ミュージカル、帝国劇場)
ミュージカル・コメディー「おかしな童話」 (1972年3月)
ミュージカル「僕がうたうとき!」 (1972年8月)
星に帰った若者 (1973年1月)
見上げてごらん夜の星を (1973年7 - 8月、フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル)
ミュージカル「発射前17時間」 (1974年8月)
オリジナルミュージカルプレイ 「友情」 (1975年、「フォーリーブス リサイタル'75」にて)
ライブ・ミュージカル「少年たちパートII〜青春の光と影」 (1976年3月、「フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVOL.1」にて)
ウェルカム・トウ・ザ・ショー フォーリーブス物語 (1976年8月、「フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVOL.2」にて)

日本劇場でのステージ
第31回ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日)
第32回ウエスタン・カーニバル (1968年1月15日- 22日)
第33回ウエスタン・カーニバル (1968年5月4日- 10日)
第34回ウエスタン・カーニバル (1968年8月26日- 9月2日)
第35回ウエスタン・カーニバル (1969年1月14日- 21日)
第36回ウエスタン・カーニバル (1969年5月5日- 12日)
小川知子ショー (1969年5月20日 - 26日)
第37回ウエスタン・カーニバル (1969年8月25日- 9月1日)
第38回ウエスタン・カーニバル (1970年1月15日 - 22日)
第39回ウエスタン・カーニバル (1970年5月2日 - 8日)
第40回ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日)
第41回日劇新春ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日)
第42回日劇ウエスタン・カーニバル〜みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日)
第43回ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日)
第44回ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日)
第45回ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」 (1973年5月4日、小井戸秀宅と共に北公次が振付を担当)

CM
ソニー「カセットコーダー」(1969年)
コカ・コーラ
ロッテ


走る人12年間の主なあゆみ
1966年

4月27日 北公次が日活映画「青春大統領」に、ジャニーズの付き人役で出演。当時はまだ本名の「松下公次」としての出演だった。
1966年10月 - 1967年2月

ジャニーズのミュージカル「いつかどこかで〜フォーリーブス物語」にて初舞台を踏み、グループを結成。(北公次、江木俊夫、おりも政夫、永田英二、渡辺茂樹の、計5名)。 しかしこの時はまだ「フォーリーブス」のグループ名は無く、「ジャニーズJr.」としての出演だった。
1967年

4月 ジャニーズの『太陽のあいつ』という曲から、ジャニーズのバックダンサーとなる。
6月 先輩のジャニーズのミュージカルを引き継ぎ、北・江木・おりも・永田の4名による初の主演ミュージカル『フォーリーブス物語〜いつかどこかで』を大阪フェスティバルホールにて公演。この時初めて「フォーリーブス」のグループ名を名乗る。
8月 日劇ウエスタンカーニバル初出演。
10月 永田英二が小学生だった為、青山孝とメンバーチェンジ。
1968年

コカ・コーラのCMに出演。
9月5日 CBSソニーより「オリビアの調べ」でレコードデビュー
1969年

9月 ヨーロッパへ初めて海外旅行
12月 ミュージカル「少年たち−小さな抵抗−」を上演(日生劇場)
12月 ミュージカル「オー・マイ・ママ」上演
1970年

9月 アメリカへ約1ヶ月のレッスン旅行
11月 TBS「ジュンとヨッパ」レギュラー出演
12月 ミュージカル「希望の翼」上演
12月31日 NHK紅白歌合戦に初出場し「あしたが生まれる」を歌う
1971年

?月 おりも政夫がTBSの単発ドラマ「ヒヤヒヤ一泊旅行」に出演
2月21日&28日 日本テレビ「おれは男だ!」にゲスト出演(シングル曲『約束』を劇中で披露)
4月 ミュージカル「太陽からの少年」上演
5月 TBS「ロッテ 歌のアルバム」にレギュラー出演
8月 ミュージカル「明日なき友情」上演
9月 アメリカで「はじめての世界で/ちょと待て下さい」と、US版7inchプロモの「SEASON OF THE SUN / CHOTTO MATTE KUDASAI」&「DON'T LET THE SUN CATCH YOU CRYING」をレコーディング。
11月 ロサンゼルスで出演した“グレン・キャンベル・ショー”のVTRが放送
12月31日 NHK紅白歌合戦出場2回目「地球はひとつ」を歌う
1972年

?月 フジテレビ「青春を突っ走れ!」にゲスト出演
1月9日 北公次の兄、事故で亡くなる
1月14日 青山孝の母亡くなる
1月 芸術祭参加作品ミュージカル「生きていくのは僕たちだ!」帝国劇場で上演
3月 ミュージカル・コメディー「おかしな童話」上演
5月 東京12ch「歌え!ヤンヤン!!」にレギュラー出演(青山孝がテーマ曲作曲)
5月 バラエティーショー「フォーリーブスと遊ぼう」公演
8月 ミュージカル「僕がうたうとき!」上演
12月31日 NHK紅白歌合戦出場3回目「夏のふれあい」を歌う
1973年

1月 ミュージカル「星に帰った若者」上演
4月 青山孝がNHKドラマ「銀座わが町」に出演
4月 「エキサイティングショー」公演
7月 結成7周年記念ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」上演
10月 結成7周年記念として、大阪球場で日本人初の「ナイター・コンサート」開催
10月 日本テレビ「とことんやれ大奮戦!」レギュラー(1974年3月まで)
10月5日 北公次主演のフジテレビの連続ドラマ「ボクは女学生」スタート
11月 江木俊夫がテレビ朝日のドラマ「野菊の墓」に主演
12月 おりも政夫がTBSのドラマ「お姉ちゃん」に出演
12月31日 NHK紅白歌合戦出場4回目「若いふたりに何が起る」を歌う
1974年

4月1日 おりも政夫がレギュラー司会のテレビ朝日「ベスト30歌謡曲」スタート
4月 日本テレビ「カリキュラマシーン」レギュラー
4月 NHK「レッツゴーヤング」レギュラー
7月 北公次主演のフジテレビの連続ドラマ「ボクは恋人」スタート
7月20日 東宝映画「急げ!若者」に主演。舞台挨拶も行った。
8月 ミュージカル「発射前17時間」上演
12月31日 NHK紅白歌合戦出場5回目「急げ!若者」を歌う
1975年

4月 おりも政夫が日本テレビのドラマ「ほおづきの歌」に出演
4月 おりも政夫が「ヒット75」のレギュラー司会
7月 北公次がバック転をミスして転倒し、全治1ヶ月の重症を負った。
8月 おりも政夫のレギュラーラジオ番組「ロッテ 集まれ!ヤンヤン 熱気でムンムン!」(ニッポン放送、公開録音)スタート
12月31日 NHK紅白歌合戦6回目「ハッピーピープル」を歌う
1976年

3月 ミュージカル「少年たちパートII〜青春の光と影」上演
6月 北公次主演のTBSの連続ドラマ「美しき殺意」スタート
6月 第5回東京音楽祭にて『魅せられし魂』でゴールデンカナリー賞受賞。東京音楽祭世界大会に参加。
7月 江木俊夫がテレビ朝日「チビらサンデー」のレギュラー司会
8月 NTV音楽祭特別賞受賞
8月 ミュージカル「ウェルカム・トウ・ザ・ショー フォーリーブス物語」上演
10月 日本歌謡大賞特別賞受賞
12月31日 NHK紅白歌合戦出場7回目「踊り子」を歌う
1977年

4月2日 北公次が東宝映画「悪魔の手毬唄」に出演
4月3日 日本テレビ「小さなスーパーマン ガンバロン」にゲスト出演
5月 おりも政夫がソロレコード「めぐりあう時に」発売
5月 おりも政夫がフジテレビ「君こそスターだ!」のレギュラー司会
8月 青山孝がロサンゼルスにて、元・ミス・ユニバース日本代表でハーフの嶋田じゅん(本名・島田純)と結婚
10月 香港のソー・シアターにて「フォーリーブス・ショー」
1978年

1月 北公次がTBSドラマ「人間の証明」に出演
春 神田警察署の「1日警察署長」を4人揃って務める。
4月8日 江木俊夫が東映映画「多羅尾伴内」に出演
4月 おりも政夫がフジテレビ「土曜ワイドスペシャル」にて総合司会
6月3日 - 7月29日 おりも政夫がNHK「コメディ公園通り〜愛は一つ恋は五つ」に出演
6月 青山孝が帝劇「マイフェアレディー」にフレディ役で1ヶ月公演
7月26日 解散ツアー「フォーリーブス・ラブ・フォーエバー」公演が、福岡から始まる(全国17会場)
8月31日 新宿の東京厚生年金会館にて解散コンサート。12年の歴史の幕を閉じる。


フォーリーブス オフィシャルウェブサイト
http://four-leaves.tv/


フォーリーブス / 若い二人に何かが起こる 1973年大晦
http://www.youtube.com/watch?v=xh1x0PgyU9U

夏のふれあい フォーリーブス / Fourleaves
http://www.youtube.com/watch?v=OdSf6R_lGxs

(^−^:)今見るとそんなにかっこよくないけど当時はかっこいいと思えたんだよね〜w

コメント(2)

再結成しましたね
よせば〜いい〜の〜に〜♪

復活しても知名度低すぎですw

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