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キリスト教改革派何でもコミュコミュの教会学校・CS礼拝について話し合う

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 教会学校あるいはCS礼拝というものについて語り合う場です。教派にこだわるというより、どういう理解で、そのような礼拝を持っているかお語りくだされば、と思います。

コメント(24)

 なぜこのようなトピックを立てたかと申しますと、所属教会(組合教会の伝統を持つ)の教会学校の礼拝を見ていて、少々腑に落ちない点があり、他教会、特にしっかりとした礼拝観を持つ改革派の教会では、教会学校の礼拝をどのように考え、一つひとつの要素をどのような位置づけで配置しているのか、知りたいと思ったからです。

 所属教会では、大人の礼拝の「説教」を、教会学校礼拝では「お話」という何とも曖昧な表現をしています。「お話」の前に、聖書が読み上げられるのですから、「説教」ではないかと思うのですが、話をする人の中には本当に「お話をする、物語を語り聞かせる」という理解に立つ人もいて、困惑しております。一応、与えられた聖書と関連のありそうな絵本を読んだり物語を読むことはします。しかし、それを神の言葉の説き明かしにしてよいのか、それともここまで悩むことでもないのか、それすらもわかりません。

 理解の一致形成がされていないままに、信仰の継承という話が出てくる変な教会です。いえ、案外、どこの教会もそうなのかもしれません。参加者の皆さんの教会において、教会学校での「お話」は、「お話」という表現はともかく、内実は説教なのでしょうか?

『こどものための説教入門』 加藤常昭 日本キリスト改革派教会西部中会教育委員会 聖恵授産所

 VS

『教会学校お話レッスン』大江寛人 いのちのことば社

てか?
>LucifeRさん
 前者は持っていますが(友人に貸していて手元にないですけれど)、後者は読む気すら起きませんね〜。後者はマニュアル本な感じがアリアリですわい。
公同礼拝の説教が、すでに聖書の解き明かしではない教会もありますよね。
そういう教会の作った教案を使っちゃったりすると、日曜学校の礼拝のお話も聖書の解き明かしではなくなっちゃうでしょう。
で、そういう日曜学校の礼拝のお話を聞いて育った人が教案書くと、やっぱりそういうお話が「例話」になっちゃいますよね。

なぜ、いきなり「教案誌の例話」の話になるかと言えば、日曜学校の先生って、たいてい「教案誌の例話」を読んで、日曜学校のお話の準備をするんじゃないかなぁという先入観に従っています。

ちなみに、わたしは結構早い段階で、「教案誌の例話」から抜け出て、「聖書と格闘して子どもに伝わる話を作る訓練」を受けてきました。

「子どもに聖書の話を追体験させる」というのが、日曜学校のお話の目標だと思っています。
追体験させるために、子どもに分かる言葉を選ばなければならないんですが、これが、難しい〜〜。

>はるヒメさん
 >なぜ、いきなり「教案誌の例話」の話になるかと言えば、日曜学校の先生っ
>て、たいてい「教案誌の例話」を読んで、日曜学校のお話の準備をするんじゃ
>ないかなぁという先入観に従っています
 昨年、私が初めてお話を担当した時はこの先入観にとらわれました。しかし、何か違うという感じが拭えませんでした。聖書の説き明かしなのかという明確には説明できない疑問が心中に渦巻いておりました。

>「聖書と格闘して子どもに伝わる話を作る訓練」を受けてきました。
 それはすばらしい体験ですね。私は、独学でこれをやっております。というのも、適切にそうした指導をしてくれる人がいないからです。

>「子どもに聖書の話を追体験させる」というのが、日曜学校のお話の目標
 同感です。絵本や物語を使うことそのこと自体を私は否定しませんけれども、聖書テキストと強引にこじつけたようなやり方は、聖書を引き合いに出さなくてもいいように思います。まず、聖書の話そのものをすることこそ、肝要かと思われます。しかし、仰るように、子供にそれがわかるような言葉を獲得するのはまことにむずかしいです。これは経験を重ねるしかないのでしょうね。
>いく坊さん
 いく坊さんのところでの「おはなし」において、奉仕者の意識としては、どう「おはなし」をとらえているかわかりますでしょうか?説教と捉えているか、それとも、絵本や例話を使ってのお話ととらえていますでしょうか?

 単純な語り口で、なおかつ大人が聞いても退屈しないお話というのは、よいですね。とてもむずかしいことです。
「引照つき聖書」というのを使ってます。
お話する聖書箇所の、全ての引照箇所に目を通します。
これだけで、ずいぶん、勉強になりますよ。
ああ、ここで使われている言葉にはこういう意味があるんだ、とか。
旧約のここで預言されたことが、新約でこう成就されているんだ、とか。
ただし、それを全部お話で語っちゃダメなのね。
お話は、あくまで与えられた聖書箇所を生き生きと物語るの。
・・・難しいから、苦手だけど。
やっぱ、わたしは分級で、中高生といっしょに聖書や信条を読みたい。
 9日に2回目のお話奉仕をしました。内容についての牧師のコメントは、全体的に説明調であるということで、語り口に難色を示されたました。改善策を示されなかったので、改善すべきかどうかもわかりません。小さなお子さん・お孫さんのいる人に、原稿に起こしたのを渡して、感想を待っているところです。

>はるヒメさん
 引照つき聖書、今度入手してきます。

>ただし、それを全部お話で語っちゃダメなのね。
 私も黙想したこと全てを語ることはしなかったつもりです。だから、この言葉には同感です。

>お話は、あくまで与えられた聖書箇所を生き生きと物語るの。
>・・・難しいから、苦手だけど。
 むずかしい、同感です。そして、与えられた聖書箇所を生き生きと物語る、そうでありたいです。
 私の教会のCSを見ていると、「与えられた聖書箇所」ではなく、「自分の関心と関連のある聖書箇所を選んだ」という要素が強いです。本当に「与えられた聖書箇所」という人もいますけどね、「選んだ」の人が多いように思えます。これは、恣意的な聖書解釈をしてしまう危険があって、危ないやり方に思うのですが、どう思われますか?

>わたしは分級で、中高生といっしょに聖書や信条を読みたい
 こんな分級を実際に見てみたいです。私どものところは小さい子が多いためもあるのか、折り紙をしたり、粘土細工を作ったりといったことばかりしています。教会は楽しいところという印象がつくのはいいのかもしれませんが。信条の学びは、牧師が信条を嫌いなので、まずできないですね。個人的には、例えばハイデルベルク信仰問答の証拠聖句探しなんてのは楽しいと思うのですが。
「ハイデルベルク信仰問答」は、高校生と読んだことあります。
あれは、最初から50聖日に分かれているので、その通りにやりました。
教師用の参考書に加藤常昭先生の「ハイデルベルク信仰問答講話」使いました。
準備がとっても面白かったの、覚えています。
(あれ? 「好きな信条」トピに書くことかな、これ)

引照つき新改訳!!
そう、主人の母教会がこれ使っていて、すごく便利〜!で、ハマりました。

「聖書の話を物語る」ことについては、御言葉を、水増ししない、割り引かない、で、そのまま語ればよいという話ですが・・・そんなことをサラっと言ってのける人は、たいてい幼稚園か保育園の先生ですね。

>はるヒメさん
 トピックの区分けについては厳密に考えなくていいですよ。気楽にマターリがここの雰囲気なので。

 み言葉を割り引かず、水増ししないで語ったら、牧師から説明調だと言われたのですわい。難解な言い回しは全てカットしたのですが、全年齢を対象にするのは無理だす。サラッと言うことと実行できるかどうかは違うわけで。簡単に言ってくれてという気持ちですよね。
あ、もう一つ。
折り紙とか粘土とか、いわゆる「制作」(これも幼児教育用語か)というのは、言葉を自在に操ることができない子どもにとっての「表出活動」なのだそうです。聖書のお話を聞いて分かったことを、言葉で表現して応答できないので、制作を通して表出するんだってさ。
だから、聖書箇所に関連する制作活動で、生き生きと表現できたら、それは信仰の応答なのです。また、その活動を通して、御言が、豊かにイメージづいて心に残ります。
>13 ヒソカさん

ども。
12アップして、書き忘れたと思って14書いてる内に13のアップがありました。

>簡単に言ってくれて

簡単(そう)にやってくれる人が、身内にいるんだ〜〜〜。あせあせ(飛び散る汗)
母と姉。あ、友達にもいる。(みんな幼稚園か保育園の先生だよ!!!)
なんかね、翻訳能力? 子ども言葉に精通している人たち??
ああいうのは天性なんだろうか?
>14 はるひメさん
 お名前の表記を間違って書いてました。ごめんなさい。

 >聖書箇所に関連する制作活動で、生き生きと表現できたら
 私どものところは、聖書箇所に関連しているのかさえ疑問です。また、
 >言葉を自在に操ることができない子どもにとっての「表出活動」
 というところまで考えてやっているのかも疑問です。これで信仰の継承を論じるから、相当おかしな教会学校のとらえ方をしているのは確かでしょう。

>15 はるひメさん
 身内にいるんですか、それもすごいですね。普段、日常的に小さい子に
 接している内にそうした子に届く言葉を獲得できたのではないかと思われます。天性の部分もあるでしょうが、後天的に獲得した能力という面もあるかと
思われます。
 ところで、はるひメさんの教会では、CS教師の任職式みたいなことは行ったのですか?私はなしくずし的に教師として認知されつつあります。
> 9 ヒソカさん
教会学校で主題説教をしてはいけないということはないと思う。
そして、君の懸念は大人説教にだって、いや、むしろより強く影響を及ぼすと思う。

しかし、主題説教用に選んだ根拠聖句を「与えられた」などというのは、傲慢か無責任、あるいはその両方だと、私も思う。
>LucifeRさん
 はい、主題説教をしてはいけないとは思いません。とはいえ、私自身は、聖書を恣意的に解釈する危険から完全に守られる自信がないので、聖句が与えられるのを待つのみです。
 大人の説教については、私の教会では、教団の聖書日課に従っているので、多分、恣意的な解釈にはそうそう陥らないと思われます。

 あ、やっぱり、主題説教用に選んだ根拠聖句を「与えられた」というのは傲慢か無責任、ですよね。
> 18 ヒソカさん

与えられたといえるほど死ぬほど悩んで祈って召命問い直して、なんてことがそうそうあるとはちょっと思えない。その一回でつぶれてしまうよ。
根拠箇所が見つからなかったら普通は話題かえるし、そもそも根拠箇所が見つからなくてこじつけなきゃならないようなら、それは公同の福音じゃないんだし。

第一、どういう構想で考え始めたにしろ、御言葉が与えられたら、出来上がりは聖句説教になってるだろうし?
>16 ヒソカ さん
>CS教師の任職式みたいなことは

CS教師としての試問と任職の式があります。
まぁ、試問っていっても、「礼拝指針」の「教会学校」について、ちゃんと理解してるか聞かれる程度ですけどね。
聖書や教理についての理解は、受洗できる程度で充分だそうです。
(新米CS教師より、クリスチャンホーム育ちの小学科の生徒の方が、聖書や教会についての知識が豊富なことはよくあります。)
そういえば、中高科のクラスで旧約聖書を順に講解していた牧師先生がおられました。
わたしがそのクラスに副担で入ったときには、創世記の途中で、クリスチャンスクールの生徒さん相手に、かなりヤバい箇所でもとばさず淡々と話しておられて、こちらが赤面してたことがありました。(結婚前だったんだよね〜)
クリスチャンスクールの生徒さんたちも、真面目に聞いていて、すごいと思いました。
>19 LucifeRさん
 仰る通りです。失礼しました。悩んで悩みまくっていたら、一度でつぶれてしまいますね。

>20 はるひメさん
 >CS教師としての試問と任職の式があります。
>まぁ、試問っていっても、「礼拝指針」の「教会学校」について、ちゃんと理
>解してるか聞かれる程度ですけどね。
 あ、任職式はやはりあるのですね。私は適切な手続きを経ず、いつの間にか、CS教師として認定されてしまいそうです。

>21 はるひメさん
>中高科のクラスで旧約聖書を順に講解していた牧師先生がおられました
 これはすごい。赤面ものというといろいろな箇所が浮かびますな。
初めまして。加えてください。
長年子どもの教会の奉仕をしています。
わたしの所属する教会では、年度初めに主日礼拝の中で任職式をおこないます。
わたしたちの教会では、子どもの教会礼拝でも、「お話」ではなくて「説教です」
教案誌「成長」が教会から配布されます。成長の4年で聖書全体を通読できるサイクルが良いと思っています。
教案誌に左右されることなく、聖書との取っ組み合いをおこないます。指定の聖書箇所を徹底して読み込みます。関連個所も読み込みます。
決まった答えというか、ありきたりの解釈にとどまることなく、いろいろな読み方をします。
そして「これが答えです。正しい解釈です」と押し付けるのではなく、聖霊が子どもたちひとりひとりの心にみことばの解き明かしを与えることを祈ります。
たとえば、マルタとマリアの箇所。正解は「聖書を第一に」という解釈をする人もいるでしょうが、わたしとしてはそれはひとつの解釈です。わたしはマリアが良い選択をしたと、同じく、マルタも良い選択をした。という思いも持ちました。子どもたちは鋭い感性とみことばすなおに受け入れるここで、語り掛けられる主のみこころを感じとります。ひとりひとりの子どもたちの解釈をうかがって、語る側が多くを教えられます。
添付画像は、任職式のものです。
「成長」は4年サイクルではなくて、3年サイクルでしたね。入力ミスです。

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