MIMI MAURA (アルゼンチン・プエルトリコ) CHE SUDAKA (アルゼンチン・コロンビア) DJ SCRATCHY (U.K) 石川道久セッション 渡辺俊美 (TOKYO No1 SOUL SET・THE ZOOT 16) 勝手にしやがれ COOL WISE MAN COPA SALVO TEX & SUN FLOWER SEED EKD ROJO REGALO CARIBBEAN DANDY DJ Set
CHE SUDAKA(プロフィール) http://www.chesudaka.com CHE SUDAKA(チェ スダカ)は、元々アルゼンチンはマルデルプラタ市でCORRECAMINOSというバンドをやっていたLEO CHE SUDAKAが、バルセロナに移住し、生き延びる為にストリートライヴを続けていた時に出会ったストリートの不法滞在者達と結成したバンドである。2002年、3月15日にアルゼンチン人、コロンビア人のメンバーによって結成されたCHE SUDAKAだが、初期のCHE SUDAKAは、日々食べていく為にストリートや電車の中でプレイを続けていた為、メンバーは流動的であった。デビューアルバム「TRIPPIE TOWN」(2003)が、その頃の近所の仲間達とレコーディングした作品である。そんな彼らに転機が訪れる。RADIO BEMBAのメンバーであるGAMBEATに出会い、GAMBEATにアルバムをプロデュースしてもらうチャンスを得たのである。この時GAMBEATは、CHE SUDAKAの意欲を高めるために一日8時間音楽を練習するという課題を課す。メンバーは音楽漬けの一年半を過ごし、エネルギーを全て爆発させたPACHANGA、ROCK LATINOの歴史に残る会心作「ALERTA BIHOTZA」(2005)をリリース。移民である彼らのルーツを存分に表現した混血サウンドは、日本を含む全世界に衝撃を与えた。この頃初めて、5万人集客のフェスティバルの出演を含む、21日間で19公演行うドイツツアーを敢行し、高い評価を得る。当時の事をメンバーが「哲学、信念を持って前向きに演奏する事を知った。自分達のアイデンティティーを見つけた」と語っている事からわかるように、この時期は貧困にあえいでいた彼らが初めて自分達の道を見つけた、非常に大事な時期だったと言えよう。2006年にはドイツ、オランダ、オーストリア、バスク等ヨーロッパ全土で120本のギグをこなす。2007年には母国アルゼンチンに帰国し、25日間で17本のライヴを決行。25日間で7000キロの移動がある非常にハードなツアーだったが、長年の夢であった自分の国でのライヴを実現させ、クリエイティヴなパワーを蓄えてヨーロッパに帰国。この年、AMPARO SANCHEZ (AMPARANOIA)、KARAMELO SANTO、UN KUARTITO、SELECTOR MATANZASとのコラボレーション作品を含むDVD付きのアルバム「MIRANDO EL MUNDO AL REVES」(2007)を発表し、大ヒットを記録する。このアルバムは、バルセロナ市がストリートライヴを法的に禁止した事に反対する曲を収録。同年、CHE SUDAKAは全世界で140本を越えるライヴを行っている。2009年には「TUDO E POSSIBLE」(2009)をリリース、世界10カ国56都市を巡るツアーに出る。アルバムもヒットし、国際的なフェス等でも引っ張りだこになっていたCHE SUDAKAは、2009年から2010年にかけてのツアーはほぼ全てチケットがソールドアウト。REBEL MUSIC、ROCK LATINO、CUMBIA、MESTIZO、RUMBA CATALANA音楽シーンでもまさに別格と言える存在感を放つようになっていった。翌年には「CAVERNICOLA RECORDING Vol.1」(2010)を発表。続いて次の年には、バンド結成10周年を記念したアルバム「10」(2011)をリリース。この年、LEOとKACHAFAZのアコースティックセットでの来日も実現。数日間行われた日本ツアーの中で、彼らの憧れのイベントFIGHT FOR RIGHTSにも出演し、そこでTHE CLASH、JOE STRUMMERの専属ツアーDJとして知られるDJ SCRATCHYとも共演している。今回、ヨーロッパREBEL MUSICシーンを引率して来たCHE SUDAKAの初のフルメンバー日本上陸ということで、話題性十分。FUJI ROCK FESTIVAL、日本最古のREBEL MUSIC、ROCK LATINOイベントRADICAL MUSIC NETWORKにも出演が決定しており、パワフルでラテン人独特の愛嬌のあるパフォーマンスに期待が高まる。
DJ SCRATCHY (プロフィール) http://www.scratchysounds.co.uk 1970年代からDJ活動を開始したDJ SCRATCHY。全盛期のThe ClashのツアーDJ、Iggy Pop、The Ramones、Blondie、The Cramps、Black Uhuru等のロンドン公演のサポートDJとして活躍し、Don Lettsらと並びReggaeとPunkの橋渡しに貢献。現在のRock、PunkのDJの基礎を築いたパイオニア的存在である。その後、Joe Strummer and The Mescaleros、Dr. Feelgood、The Pogues、Gogol Bordello、Groundation、The Dead Brothers and The Urban Voodoo Machine等のツアーDJとして30年以上世界を旅していく中で、DJ ScratchyはJoe Strummerの影響を受けて、CumbiaやLatin、Reggae、Gypsy、Balkan、Mestizo Punk等に傾倒していくようになる。それによって彼が持つRockなアティテュードに世界中の音楽を混血させた、自由なDJスタイルを確立。現在も、Music Shamanと呼ばれながら世界中の音楽ファンを虜にし続けている。2011年の朝霧ジャムで出演しており、レジェンドに相応しいDJを披露。過去にはGlastonbury Festival、Womex、Popkomm等に出演。2004年にはTrojan Recordsより2CDアルバム「Scratchy Sounds」を発表。2007年にはPiranha Musikより「Piranha Jubilee Vol. 7: Rockin' The Barricades」を発表している。現在の主な活動はロンドンのパーティー「Gypsy Hotel」のレジデントDJの他、ラジオ番組「Scratchy Sounds」のラジオDJとしても活躍している。