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究極の偶然コミュのこんな究極の偶然があったよ

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運命って決まっていると実感。
究極の偶然に気付けば、私の人生も捨てたもんじゃない。

先日の事ですが、足が悪い私は、2から3時間掛けて散歩しようと出かけた。
途中で、トイレに行きたくなり駅に向かった。
その時、私はこの現象に意味があると考え予定変更し、電車を利用して目的地の最寄の駅まで行く事にした。

目的地に着いてから、晴天から突然の大雨に遭い、無事に雨宿りができた。気付けた事に感謝(笑顔)

運命って怖くなんかない。良い運命の歯車を動かそう。

コメント(4)

ゆらさんの日記を読んで思い出した「究極の偶然」がありました。

28年前の学生時代の事です。
私は、折角、親が高い授業料を支払い、大学に行かせてくれたにも係らず遊び呆けていました。あのような施設で実験、研究、勉強ができる事は、在学中の特権だと気付かず、学位の取得、卒業さえすれば、2年間の実務経験で1級建築士試験の受験資格が得られる、ギリギリの単位取得で卒業するのが1番だと自分勝手に生き方を肯定していました。

私はアメリカ気触れの米軍基地狂いで、人より1年長い高校時代を経験し、散々好き勝手な生活を親にさせてもらったが、ここにおいても「ギリギリの人生」の日々を送っていました。
大学3年で専攻したゼミの授業にろくに出席せず、他の授業もいい加減に、遊びが優先で受講していました。

私は卒研に就ける最低取得単位数に6単位足らず、もう手遅れと思える時期ではあったが、必死に受講、追試等を受け単位を集めましたが結局3単位足らずに困っていました。
何とかレポート等の提出でゼミの単位取得ができないか、その研究室の助手に相談しました。
その助手とは行き付けの飲み屋の顔見知りでもあり、

「梅津さん、お願いがあるんですが」
「如何したの、浜名君」
「俺、卒研に就くのに、単位が足らなくて、虫が良い話だと思いますが、ゼミの出席日数について、レポートの提出等で何とかならないでしょうか」
「難しいけど、君しだいだよ。スチュワーデスの彼女がいたよね。ジョニーウォーカーの黒ラベルで良いから一緒に持っておいでよ」

今じゃ国産のウイスキーよりジョニ黒の方が安売りされる事もありますが、当時は高価なもので、特に学生では飲めない贅沢品でした。
私はアリサ(現在私の家内)に相談しました。彼女は呆れた顔をしフライトに出かけましたが、ジョニ黒を買って来てくれました。

「梅津さん、先日のお約束通り、ジョニ黒を持って参りました」
「オー、浜名君、彼女も。ありがとう、折角だから頂いておくよ。だけど、これで、単位をあげるなんて、難しいね。先日も難しいと言ったろ。自分が怠けた結果だと、諦めな」

私は奴を殴ってやりたかったが、如何考えても相手に分があるので堪えました。だけど、折角のアリサの厚意を無駄にしてしまい、情けなくて悔しくてやるせない気持ちでいっぱいでした。自分が蒔いた種だと後悔していたが、卒研に就ける手段が見つからず、留年を覚悟し万事休すでした。

しかし、その数日後、
「学生諸君に伝える。大学総長選挙の結果、来年度から当学部の機械工学科○○教授が就任する事に決まった。よって、その祝いの恩赦により、建築工学科でも卒業研究に就ける通常単位数を三下げ○○○単位とする」

私は無事4年間で大学を卒業する事となりました。
この恩赦に引っ掛からなかった友人もいました。
私はギリギリの事態に遭遇すると必死になる習性があり、足掻き、簡単に諦めなかったのですが、友人は卒研に就く単位取得は無理と、1年の留年を覚悟し卒業に必要単位取得数を2年間に振り分けカリキュラムを組んでいました。
状況把握に長けた人は、友人の方法を選ぶでしょう。

私は「究極の偶然」が訪れる事を期待していた訳ではありませんでした。実際、「ラッキー」を期待し行動に出た時は、「究極の偶然」が訪れず必然的な結果で終わっていたのが常でした。

この想定できない「究極の偶然」は、気付かずとも訪れた事が明白であったが、大抵の「究極の偶然」は気付く努力なしでは、通り過ぎてしまい幸運は訪れないと思います。
この時点の私は、軽い気持ちで「ラッキー」としか思えず、「お陰様」の気付きがなかった。
私は因縁を溜めてしまい、4年後の不運を招く作用を強くしてしまったと反省しております。
ゆらさん、こんにちは。

本当に「感謝」が大切ですね。
本来は見返りを期待した「感謝」はあんまりかんばしくないと思いますが、私は人間ができていないので、家内が「感謝」の態度を返さないと、つい腹が立ってしまいます(笑)
「感謝」は押し付けるものじゃないですよね。

世の中、強引に自分の考え方を押し付けるくらい主張ができる人の方がリーダーシップがあって評価される気がしませんか?
だけど、主張の強い人同士は感嘆には交渉が進みませんよね。

私は思うんですよ。ゆらさん見たいに「感謝」ができる人が交渉事を成立させる能力がある人だと(笑顔)

話しは変わりますが、ゆらさんが日記でアップしている雲の写真は凄いですね。
その状況に遭遇した経過にもよるでしょうが、そこには「究極の偶然」の閃きに重要なものがあるかもしれませんね。

このコミュで紹介して欲しいな(笑顔)
不思議な「究極に偶然」回想より(日記に記載済み)

彼は1年間のリハビリで杖を使用し独自歩行が出来るまで快復させた。
医者は過去の症例から彼が不随状態からここまで快復した事に対して「奇跡だ、良かったですね」と満足気であった。

その頃1984年12月、彼は不思議な新聞広告に目が留まった。
近所の都営団地に住む老女が施術するマッサージの広告だった。その広告には「霊感療法」と書いてあり「テルミー」と言う温熱療法にマッサージを施すものだった。
「霊感療法」と言うだけで、誰もが胡散臭いと思うように彼も感じていたが、どうしても気掛かりで伺う事とした。

彼が治療費を尋ねると、老女は数珠を持って、ブツブツと小声で何かを唱え始めた。
「あーそうですか、分かりました、お伝えします。
1回、3千円で、10回続けて来れば、杖が外れるとお不動様が言っておられる」

彼は細君とも縁がある不動明王信仰に違和感を持っていなかったと言うか、3万円なら信じて治療を受けて見たいと思った。
「それでは治療する前に、こちらの飯縄大権現様に必ずお参りして下さい。そして、こちらに敷いてある布団に横になって下さいね。私は、お不動様の力をお借りして、言われた所をこのテルミーで暖めてマッサージしますからね」

彼は治療を受けながら、何故、この老女が、こんなに力強いのかと思いつつ、随分前に細君の実家で会った不動明王を信仰する老婆を思い出した。
その老婆も、ゲップをしながら力強く指圧をしていた。
「お婆がお不動様の力を借り、悪いものを外に出す時にあのゲップが出るのよ。お婆は徳を積む為に按摩をしているの」と細君の母が言っていた。

治療を依頼した老女もゲップをしながら治療をしていたのが不思議だった。「ここを圧すと痛いでしょ。今、直すからね」
テルミーで暖めてから指圧したとたん、老女にゲップが出て不思議と痛みがとれた。

老女が、ブツブツ何かを唱えているので、聞いてみると、
「私は何をしたら良いか、飯縄大権現様に聞いとるんじゃ。
すると、耳元で、ささやいて下さるんで、その通りに治療しておるだけよ」
彼は、その日の治療を終えた後、飯縄大権現様にお礼のお参りをして帰った。

そして、治療を受け10日目を迎えた。
「確かに、マッサージ師としての技術は優れたものがあり、1回3千円は安いと思うが、今日が杖を外して立つ約束の日で、果たして、それは如何だろう」
と彼は疑っていたが、その老女に対して心は感謝の気持ちで溢れていた。

「今日で10日目ですね。ありがとう御座いました」
「はい、今日で10回目の治療ですね。いつものように飯縄様にお参りして下さいね」
彼は胡散臭い新興宗教の「心霊治療」ではないかと思いながらも、藁をもすがりたい気持ちで治療を受けたのが本心であったと伝えた。そして「いずれ、飯縄様のお祭りされている所にお参りしたい」とも言っていた。

「新興宗教とかではなく、私は一人で行をしています。飯縄大権現様は、高尾山におられますよ。いずれ、お参りに行かれると良いですね」

後に、彼は高尾山薬王院有善寺に詣でて、飯縄大権現は不動明王の化身で、老女がお不動様の力を借り治療に当たったと言う意味を理解した。また、老女は彼の心の中にある不動明王への信仰心を感じ取っていたのかもしれない。

10回目の治療が終わった。
「これで治療が終わったので立ってごらん。
何も摑まらずに立てるから、勇気を振り絞ってごらん」

彼は床に敷いた布団から畳の上に尻を移動し、脚を少々広げ、足の裏を畳に擦りつけ、意識を足に集中し立ち上がった。中々、前方の床に着いた手が離せない。そうっと離そうとするが、手の指先が畳を押す反動と足の硬直の力が等しい。ブリッジ状になった瞬間を見計らい、押し離した。
感覚の鈍い足に意識を集中しバランスを保つが、足の指先が曲がり、脚がぶるぶると震えた。
だが、彼は二本足で立つ喜びを噛み締めていた。

「ほーら、立てた。今度は、ゆっくりと、2〜3歩、歩いてごらん」
彼は体のバランスをとりながら歩けると強く信じ足を振り出した。たった2歩だけだが、杖なしで足が出た。
彼は嬉しくて、老女との約束の治療回数を終えたが継続したい旨を伝えた。

「良かったね。あなたが飯縄大権現様を信じたお陰よ。私の役目は、これで終わったで来ても来んでも構いませんよ」
彼は年末なので、年明けの1月中頃に治療の予約をした。

彼は家族と初詣に行った。そして細君の兄嫁の実家のお大師堂にも詣でた時、「不思議な偶然」に出会った。

真言密教の僧侶が弘法大師像に勤行されていた。
「飯縄大権現様は何処じゃ、飯縄大権現様は何処じゃ」
彼は老女から聞いて知っていたので伝えた。
「飯縄大権現様ですか、東京の高尾山におられますよ」
「高尾山とな。ありがとうございます。東京は、高尾山に奉祀されとります・・」
その僧侶は、霊感が強く、救われたい御霊と話していたと言う。

彼はこの場へ何かの力に導かれたのではないかと思い、僧侶に今までの経緯を話した。
僧侶は全ての出来事は必然的で、役割があると言う。そして、老女の彼に対する役割は終わったとも言っていた。
また、会津若松へ訪れた事があるか問われた。
「はい、以前勤めていた職場の慰安旅行で行きました」
「それは、いつ頃ですか。倒れるちょっと前ではないですか」
「はい、10日くらい前だと思います」
「その時に、白虎隊の御霊に背中を斬られたのが原因です」
彼は、そんな事はありえないと思ったが「不思議な偶然」に驚くばかりであった。

その後、彼は老女の治療を受けたが、気のせいか今までと何かが違い、老女の気力が弱く感じた。
そして、老女に連絡が取れなくなってしまい、感謝の意を表した手紙を玄関ドアのポストに投函した。
数日後、老女の娘さんから電話があり、老女は心配する程ではないが体調を崩されたので、娘さんの家に一緒に住む事となり、治療院を再開する時期が来るかは定かでないと伝えられた。彼はご縁との別れにちょっと寂しさを感じた。
あの僧侶が言った通りだったのかもしれない。

彼は数年間、その僧侶に因縁を清める行の指導を受けた。
その1つに、毎月の誕生日と同じ日から3日間は、油、塩、醤油等の使用が許されない食に対する行があった。勿論、飲酒はもってのほかだ。
白身の魚や野菜等をホイル焼きにしてレモン汁で食べたりした。行を始めた頃は食材その物の味が分からず、味覚音痴である事に驚いた。
彼は行の日が経ち味覚が戻るに連れ、添加物等汚染に気付いた。体への負担が軽くなったせいか気力も高まり、「究極の偶然」の閃きに気付き易くなった。

過去の因縁に関係する夢を見、体調不良に対する精神世界の原因に気付き、祓い清める事で運気が好転し更に元気になれた。
自分が今までに出会った人や訪れた地、またこれからの事も因縁に関係があるようだ。
夫婦喧嘩の絶えない関係は前世において敵同士で、仲良くする努力が現世での行のように思える。
彼の前世は平氏方で細君は源氏だと僧侶に言われた。確かに、2人はよく喧嘩した。大概の喧嘩は細君の勝ちで歴史の通りだった。(笑い)

彼は御霊様の救い上げが徳を積む為に大切だと思い、没頭しようと考え始めた時、再び僧侶に教えを被った。
「貴公の役割は現世の仕事をまっとうし、社会貢献する事で、行者になる事ではない。行者は大変な修行に基づき、片手間の修行では御霊から受ける身体への負担が大き過ぎる故、率先して行なうのではなく、縁あって頼られた御霊に対してのみ神社参りによる祓い清めを行い、御霊を受けない為に塩を用いて普段から注意して祓う事を勧める」

信じるも信じずも、ご自由に、だが、彼にとっては貴重な体験だった事は間違いない。
あらためて、再度、感謝する「お陰様」に(笑顔)

byスーシの潜在意識の一つ

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