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平面表現について考えるコミュの絵画と視覚の関係

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無精管理人のやまけんGです。最近ちょっと考えていることがあるので
コミュの皆様にも考えてほしく思ったので久々にトピックを立てます。

最近思うところあって、絵画と視覚の関係について考え始めています。
絵画は見る事を通して感じるあるいは捉える事が当たり前の条件として
あるように思います。

それでは、見る事を、視覚を通さない絵画ってあるのだろうか?
そんなことが気になり始めました。

例えば、触れる事、聞こえる事によりビジュアル的な、あるいは絵画的な
何を喚起させることは出来るというケースはあるように思えますが、
それが鑑賞者によってまったく視覚的に確認できない場合、それは
絵画といって良いのだろうか?と

確かに、鑑賞者が絵画だと思えばその人にとっては
絵画なのかもしれませんが、
、、、

よかったら皆様のお考えをお聞かせください、、

コメント(3)

視覚的に確認できない絵画とは異なりますが、「見る」という行為と絵画のあり方の関係というふうに捉えると、いわゆる抽象表現主義などの絵画は、作品を「見る」行為とは違う方法で体験させるものだと私は感じます。

ポロックにしろロスコにしろ、作品がビジュアルなものであるには違いないですが、作品の前に立つとどこに焦点を合わせてよいか分からず、見るというよりはぼんやり眺めてしまいます。それは、抽象絵画があくまで見る事を通じてリズムや動きなどを“読み取らせる”ものであるのと大きく異なるのではないでしょうか。
またイヴ・クラインのブルーの作品も一枚で見るとアメリカ人達の作品に比べるとサイズが小さめなので普通ですが、何枚も一緒に並べられると、不思議と作家の言う宇宙の神秘を感じられる気がします。また金箔を貼った絵画に囲まれていると、月面のクレーターのような表面を目を追うのは難しく、目眩がしそうになりました。目を閉じても、金の神々しい光をまぶたに感じたくらいです。

これらの作品に共通しているのは、絵画が見る対象ではなく、空間の一部をなしていることだと思います。鑑賞者はイメージとしてそれを捉えるのではなく、その絵画のある空間にたたずんで、その絵画の醸し出す空気に浸ることで絵画を体験するように作られているのだと思います。
> nodakoさま
しっかりと地に足がついた考えをお聞かせくださり有難うございました。


私も、おしゃられるような抽象表現主義の絵画はnodakoさんが感じられるように、その作品の醸し出す空気、或は場を体験出来るものように思います。

実際、それは様々な本を読んでも彼らの論理や評論家などの評論にも裏付けられるところがあるかと思います。

その巨大な作品は一点でも近くからみると、その大きさから一枚の絵としてとらえ切れず、鑑賞者に立ちはだかる色の壁のように迫ってきます。まさに目の前に広がる場を否応なしに体感させられる気がします。

特に抽象表現主義のなかでもロスコは一点の作品のみならず、本人自らが一室全体としての空間を作るべく制作した展示計画を用意していたりもします。


私もおっしゃるような絵画を体感出来るような抽象表現主義の作家達が探ってきた表現の根底にあるものや、

聴覚(例えば音楽等)や触覚、嗅覚に訴えることにより絵や映像を喚起するような表現等がヒントになるような気はするのですが、

どうしても見る事が絵画と認識する前提となってしまうとおもうので一筋縄では答えが見出だせず頭を抱えています。

例えば、聴覚に訴える〜は絵画的な表現であってもあくまで音楽や音の範疇で絵画ではありませんし、視覚によらない思考方法もそれ自体では絵画的にはなりえても絵画にはなりえない気がします。

ただ、触覚に訴えるようなものについては実際に視覚で確認できないものについては絵画かレリーフかあるいは他の何かか、、、もっと難しい問題をはらむように思えました。
・・・例えば、椅子や机等立体物に絵を描いた作品があったとします。見えれば椅子や机等立体物に絵が描いてあると分かりますが、見えなければ単なる椅子や机がそこにあるとしか認識出来ない、、、かもと。

頂いたコメントがしっかりしたものでしたので、どうお答えしたらいいか考えているうちに時間が経ってしまい失礼致しました。

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