オード・雑詠集 Odes et Poésies Diverses, 1822 20才の頃の刊行。これより前から王室の目に留まりやがて桂冠詩人となっている。国王から奨励金を年金でもらえるようになり、幼馴染のアデール・フーシェと結婚。 尚、神秘的な象徴詩と言えばロマン派ではネルヴァルなどが有名だが、ユゴーの詩も初期から神秘・象徴主義的なものを含んでいる。
アイスランドの巨人ハン HAN D'ISLANDE, 1823 - Hans of Iceland / The Demon of the North 故郷ブザンソンのオカルト結社のリーダー格であるシャルル・ノディエの影響などで書いた怪物もの。やたらと装飾好きで嘘と空々しさに満ちた擬古典派には、グロテスクと揶揄される種類のものだった。
オリエンタル詩集 LES ORIENTALES, 1829 ロマン派の仲間から突出しすぎる前の、たくさん人が集まっていた絶頂期、仲間と散歩しては夕日を眺めていた頃の詩集。東洋趣味。父がナポレオンの兄スペイン王ジョゼフの将軍だったため子供の頃にスペインでいろいろアラビア風の風景を見たのも影響しているらしい。
マリオン・ド・ロルム MARION DE LORME, 1829
死刑囚最期の日 LE DERNIER JOUR D'UN CONDAMNÉ, 1829 - Last Day of Condemned Man - Kuolemaantuomitun viimeinen päivä 序文での法官批判にユゴーの思想がよく現れている。実際に刑務所を取材して、内なる声、良心の声、神に従って書いたもの。内なる良心は神、というのは感興・熱情は内なる神というフランス・ロマン派の母・スタール夫人と通じるものがある。後のボーヴォワールの「無関心の不安」とも共通する。岩波文庫に入ってます。
小ナポレオン Napoléon le Petit, 1852 詐欺師・裏切り者のファシスト・ナポレオン3世を批判したもの。複数の新聞社を持つナポレオン信奉者のユゴーに民主主義者の顔をして近づいて来た、ナポレオンの血を引かない甥は、豹変して独裁者となったので。ユゴーは普仏戦争で帝政が終わるまで20年ほど亡命していた。
懲罰詩集 LES CHÂTIMENTS, 1853 - The Punishments 同上
1855年5月、叙事詩「神」を書き始める。
ルイ=ナポレオンへの手紙 Lettres à Louis Bonaparte, 1855 同上
イギリス政府からジャージー島立ち退きを命じられ、ガーンジー島に移住。
観想詩集 LES CONTEMPLATIONS, 1856 非常に神秘色が強くなってくる。というより、評論家たちが理解出来なくなって来ただけかも知れない。ランボーの「幻視集(イリュミナシオン)」などの元祖とも言える。ちなみに、同じロマン派で王党派で社会参加好きなラマルチーヌには瞑想詩集(メディタシオン・ポーエティックス)というのがある。 亡命先でユゴーは日本の陶磁器を集めたり、泳いだり、瞑想したり、交霊術にはまったりしていた。最初は懐疑的だったのだが、はまった原因は死んだ娘の霊が出てきたため。伝記作家のモーロワによれば、霊の中にはユゴーの言いそうな事ばかり言う霊もいるのに、聴いてるユゴーが高い教えに驚いていたという事なので、もともとインスピレーションを与えてくださっていた守護の神霊の導きもあったかも知れない。また瞑想する自分の写真に、ユゴーは「神と対話するヴィクトール・ユゴー」と記したりしている。
諸世紀の伝説 LA LÉGENDE DES SIÉCLES I-II, 1859, 1877 - The Legend of Centuries 人類の堕落と進歩を描いた神話・伝承のような詩集。日本で言えば長歌ないし七五調で書いた神示の人間版のようなもの。天使の堕落と進歩というのはユゴーのテーマの一つである。ユゴーの詩は古典派の規則こそ破っているものの、散文詩ではなくアレクサンドラン(12音節詩)です。しかしロマン派が型を破った事で後のフランス散文詩があるとも言えます。
恐るべき年 L'ANNÉE TERRIBLE, 1872- The Terrible Year QUATRE-VINGTTREIZE, 1874 - Ninety-Three - Yhdeksänkymmentäkolme ナポレオン3世のクーデターかマァク=マオンを批判したものだったはず。
1873年、マァク=マオン、大統領となる。
93年 Quatrevingt-Treize, 1874 フランス革命を題材にしたもの。
息子たち Mes Fils, 1874
言行録 Actes et paroles - Avant l'exil, 1875 7月革命の際にバリケード前で民衆を制止するために行った演説とか、議会での発言、アカデミー・フランセーズでの発言などを集めたもの。ヨーロッパ合州国の提案など。
Actes et paroles - Pendant l'exil, 1875 同上
Actes et paroles - Depuis l'exil, 1876 同上
よいお爺ちゃんぶり L'ART D'ÊTRE GRANDPÉRE, 1877 孫への溺愛ぶりを自画自賛したもの。
諸世紀の伝説(続編)LA LÉGENDE DES SIÈCLES 2e série, 1877 1859年参照の事。後のマラルメの詩に出てきそうなパン神などは半神半獣の人間の葛藤・苦悩を示している。また、魂の奥深くの良心を観想する者は、自らも見られるなどといった、瞑想体験からの詩集。おそらくマラルメやサルトルでないと読めない。
ある犯罪の物語 HISTOIRE D'UN CRIME, 1877-78 ナポレオン3世のクーデターを批判したもので、マァク=マオン大統領を牽制したもの。
教皇 LE PAPE, 1878
至上の憐憫 LA PITIÉ SUPRÊME, 1879
真宗教と似非宗教 Religions et religion, 1880 ちなみにユゴーは「自分はカトリックでもプロテスタントでもモルモンでも・・(中略)・・でもないが神を信じているというと人々は驚く」みたいな事を言っています。マグダラのマリアを崇拝する結社の総長だったという疑惑はありますが、実際の所は不明です。もし事実なら、ゲーテやマラルメがフリー・メイソンだったのと同じですが。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8550326&comm_id=1005521
諸世紀の伝説(終編)La Légende des siècles - Tome III, 1883 科学の進歩と霊性の進歩によりユートピアが完成した後、神の栄光が訪れるという、アセンション・福千年の予想。それを20世紀に設定していたが、世界大戦の世紀となっていったため、ロマン派を信奉する青少年たちからは脱落者、懐疑的になるものが続出した。