私は1982年から5年間、関西で警察・司法取材を行った。
いわゆる事件記者である。
私は当時NHKの駆け出し記者だった。
犯罪者の世界では、実行行為者を「鉄砲玉」と呼ぶ。
私が神戸や阪神間で取材をしている時、暴力団同士の抗争事件は、日常茶飯事だった。
たとえば抗争事件では、組員が、対立している組の組員を撃ったり、敵の組の事務所の窓ガラスに銃弾を撃ち込んだりする。
これが鉄砲玉の役目だ。
鉄砲玉は警察に捕まっても、「自分が独りでやりました」と自供し、組長など幹部に言われてやったとは絶対に言わない。
組関係者に累が及ぶのを防ぐためだ。
鉄砲玉は起訴され、裁判にかけられて有罪となり、刑務所で何年か過ごして出所する。
警察や検察の捜査の手は、組長など他の関係者には及ばない。
つまり警察や検察、メディアはいくら鉄砲玉を叩いても、何も出てこない。
実行行為者は、他の関係者については絶対に口を割らない。
自供したら、自分や家族の身が危なくなることをわかっているからだ。
警察や検察も「こいつは鉄砲玉で、何も出てこない」と知りながら捜査している。
鉄砲玉に関する捜査は、物事の上っ面をなでるようなものだ。
事件の本質に迫ることはできない。
私はいずれも関西で発生した「グリコ森永事件」、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を取材して、「関西の闇」の深さをよく理解している。
取材中にぞっとするような出来事も、いくつか体験した。
その内容は、ここには書けない。
その怖さは、関西に住んだことのない人には、わからない。
奈良で起きた事件は、日本の闇の奥深さを象徴する事件だ。
どこかで、明らかに「虎の尾」が踏まれた。
「作用」に対する「反作用」で、闇からの銃弾が、日本社会を直撃した。
「グリコ森永」も「朝日新聞阪神支局襲撃事件」も、闇の世界からの日本社会への「攻撃」だったが、日本の大半の人間はそのことを理解せず、忘れてしまった。
(この忘れやすさは、本質を追及しようとしない「なんちゃって社会」日本の軽佻浮薄さを表わしていると思う)
「グリコ森永」と「朝日新聞阪神支局襲撃」という2つの凶悪事件が、迷宮入りになったこと自体が、闇の世界の強大な力を物語っている。
奈良の事件も、実行行為者が処罰されるだけで、全体像は絶対に明らかにされないだろう。
そのことは、ほぼ断言できる。
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