昭和の東京は小石川、白山という町に待合が多く集まる街があった。
その中の一つが母方の祖父母の営む待合だった。
家のあたりの路地はすべて石畳で、未だ下駄をはく親父がいたので、カランコロンと下駄が音を立て、どこからか三味線の音が聞こえたりした。
大きな銭湯があり、背中に絵を描いた人も子供たちと一緒にコーヒー牛乳を風呂上りに飲んでいた頃だ。
時々お座敷に行く芸子さんを見かけて異星人のように思っていた私の関心はジェットコースターだった。
場外馬券場売り場に行きたい祖父は、私をジェットコースターに乗せることを口実に後楽園に行ってくれた。
実際のった思い出は皆無で、後楽園のボクシング場で行われていた試合のポスターがなぜか記憶では一番鮮明だ。黒人対日本人でやたら日本人がひ弱に見えたのを覚えている。
あの頃はいつも世の中が大きく、そして果てしなくて、あこがれや希望で胸がはち切れそうだった。
いつ諦めたのだろうか、いつ狭めたのだろうか
鏡をただ眺めるのではなく、観だしたあの時から
言葉をただ発するのではなく、検証した後で語ることを覚えたから
好きと思ったものは皆が好きになってはくれないと知ったから
自分を嫌いになった時から…。
嘘をつき始めたころからだ。
生きるために細胞を死滅させ、その垢をまといながら装飾し、しまいに身動きが取れなくなっていることを何か自分以外のもののせいにする。
自由を語れるほど高尚な人間でも、他人に与えられる魅力などないのに、心は常に欲している
皆そうではあるが、他人との関係の中で自由の一部を共有して一時の幸せを見出している。 諦められないのだ、この欲求は…。
なぜ尽きないのだろう。
心がいっぱいにはならないのだ。
あんなにあったものは一体どこに行ってしまったのだろうか。
ごまかしでもいい。
甘美な瞬間に身をゆだねて漂っていたい…。
困ったものだ
似合わぬ妄想をしたくなるほど冬の夜は長い
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