『お祭りの本質』
コロナ禍の中で、
予定されていたイベントやお祭りが、
次々と中止になりました。
現代のお祭りといえば、
年間行事の中にある、風物詩的なもの、
というくらいの意味合いかもしれません。
お祭りがないと、何となく寂しいし、
仲間との日常と違う交流が与えられて、
楽しいから、多くの人はお祭りに参加します。
また、お祭りの主催者や関係者にとっては、
お祭りが開催される事によって人が動員され、
収入を得るきっかけになります。
そして、経済活動が活性化され、
社会に好循環が生み出されます。
しかし、もともとお祭りを開催する意図は、
楽しみのためでも、
経済を活性化させるためでも、
ありませんでした。
結果的に、その様な効果はあるかもしれませんが、
それは、本質ではないのです。
お祭りとは、基本的に、
何かを記念するための行事です。
そして、記念するある出来事について、
その記憶や、語り継がれている事などを、
誰かと共有し、喜び合うのが、
お祭りの本質です。
共通の思い出を、語り合い、
喜び合う事の出来る仲間がいることを、
定められたときに、思い返すことの出来る日が、
お祭りです。
毎週日曜日に、キリスト教会では、
日曜礼拝が行われます。
これも、一種のお祭りです。
イエス様によって救われたという事を、
共通の思い出として、
日曜日ごとに、思い返すことが出来ます。
今、コロナ禍の中で、
日曜日ごとに、教会に集まるという事が、
できにくい状況です。
しかし、同じ場所に集まれなくても、
定められた時間に、思いを一つにして、
礼拝に臨むことが出来るのなら、
それは、お祭りの本質から離れてはいません。
同じ記憶を共有し、
喜び合える人がいるとは、
とても価値のある、大切な事です。
気の利いたことが何もできなくても、
思いを一つにでき、
共同体の一員として数えられる事は、
掛け替えのない喜びです。
何となく楽しいから集まり、
経済の循環を生むという事で、
これまでお祭りやイベントが、
もてはやされてきたかもしれません。
しかし、コロナ禍を体験した社会の中で、
これから注目されるのは、
経済の循環を生むことよりも、
人が人同士、互いの事を大切にし、
喜び合うために時間を共有する、
という事かもしれません。
是非、最寄りのキリスト教会にご連絡ください。
何らかの良い出会いがあると思います。
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