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2020年03月24日08:24

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隣人アイヌ

マイミクのえんだんじさんの最新著作『若い女性たちに告ぐ〜えんだんじのブログ特選集』という本を、ご本人より贈呈していただいた。
えんだんじさんのブログはチョコチョコと読んではいたのだが、体系的にまとめられて書籍として手元にあると、読みやすく整理しやすく、大変ありがたい。
本には、ブログの本文と、来訪者のコメントも掲載してあり、賞賛、批判を含めた他の人の意見を惜しげもなく掲載しているあたりも、潔くて良い。
早速読んでみたのだが、はじめのほうに載せてある
「アイヌ民族とアメリカ・インディアン」
を読んで、仄かにため息が出てしまった。。

まず思ったのは、物事をすべて政治的に捉えることは危険である、ということ。
アイヌ民族が滅びたのは、自分たちの文化に固執し、優れた文明を取り込むことを怠ってきたこと。文字を持たなかったことなど、民族全体が怠慢になっていたこと。
などで、結局、列強に喰われないように、近代化を推し進める明治政府の和人に支配され、自滅の道を辿ったという。えんだんじさんは、これはいわば自然淘汰だ、とされる。
確かに、その一面はあっただろうし、列強に対抗すべく早急に北は北海道から南は沖縄までを国民国家にしなければならない当時の時代背景からやむをえないのかもしれない。
歴史の必然、といえばそれまでだろう。
ただ、最近、僕は、「優れた文明」って何だろう・・と思う。
僕は、日本人だから、日本の文化は好きだし、何かと比べて優れているか優れていないかはわからないが、今までも、これからも変わらずあり続けて欲しい日本の文化はたくさんある。(なお、「文明」と「文化」はここでは厳密に使い分けていません)
それは、政治的な次元とは別に、私が、先祖から継承されてきた文化を享受し、これからも次世代に残して行きたいもの、民族の精神文化とでもいうべきか。
民族固有の、伝統・文化・宗教は、その民族固有のものだから良いのであり、それが政治的な理由において破壊されることは、何かバチあたりな神を冒涜する行為ではあるまいか。

僕にはトラウマになっているドラマがある。思春期に差し掛かる中学1年か2年の時にテレビの再放送でみた、ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」である。
ウルトラセブンといえば、子供向けの特撮ヒーローもの。当時は中学生くらいの年齢がみるには恥ずかしいくらいの子供番組と思われていたが、この「ノンマルトの使者」は、子供番組とは思えないほどに心に突き刺さり、今でもトラウマになっている。
あらすじは、概ね以下の通り。

太古の昔、人類がまだ誕生する前、この地球はノンマルトという民族(種?)が住む世界だった。
人類が誕生して、ノンマルトは人間に迫害され土地を奪われ、人間が住むことが出来ない海底に逃げ、そこを住みかとした。
ところが、その海も、膨大な海洋開発のせいで汚染され、ノンマルトの住んでいる世界を再び奪おうとしている。
窮地に陥ったノンマルトは、自分たちの生存に最期の望みをかけ、ウルトラセブンことモロボシ・ダンに、人間から自分たちを守るように懇願する。が、ウルトラセブンは建前は人間の味方である。葛藤の末、人間の側につく。
いよいよ追い詰められたノンマルトは、ノンマルトの守護神である怪獣を操り、人間界に反逆に出る。が、あえなくその怪獣はウルトラセブンに退治され、ノンマルトの住処は、ウルトラ警備隊により壊滅させられる。

という何とも後味の悪い物語だった。
その後、もう少し大人になって、このドラマの背景を調べたんだが、金城哲夫という沖縄出身の脚本家が脚本を書いていて、時代背景が、沖縄本土返還目前の頃。沖縄海洋博などもあり、沖縄が本土やアメリカの都合で散々蹂躙された時期。その強烈な反発心として、特撮ヒーローものに仮託して製作されている。
ウルトラ警備隊のキリヤマ隊長が、ノンマルトの住みか(村?みたいなところ)を破壊する直前に、
「ノンマルトが地球の先住民・・・・・いや、そんなはずはない」
と決断し、無慈悲にも攻撃命令を下す。そして最期、「我々人類の勝利だ!」と皆で笑顔で勝利を称えあう。
そして何事もなかったかのように、昨日と変わらぬ日常生活が繰り返される。
本当にこれでいいのだろうか?
ノンマルトは、恐らく僕の心にずーっと引っかかっている。

僕は、この世の中には、汚してはいけない、踏み込んではいけない聖域があると思っている。例えば、天皇家もその1つだし、ムツゴロウの生息する有明海だとか屋久島の縄文杉なんかもそうだ。
地方に伝わる伝統の祭りなんかもそうだし、その民族固有の宗教儀式などもそうである。
学生の頃、文化人類学者のレヴィ・ストロースの著作で読んだアメリカ・インディアンの話が、今なお強烈に残っている。
複数の部族が存在しているが、お互いに今まで大きな戦争もなく、永きにわたり共存できたのは、各インディアン部族が持つ神話や儀式が、隣の部族のそれと微妙に似ていて微妙に違うかららしい。例えばその部族の象徴である、トーテムポールは、こっちでは鷲だが、あっちでは鷹、といったように。
レヴィ・ストロースの思想は構造主義といわれているが、構造主義は、「世界は関係性の中で調和を保つ」という。
つまり、人間をはじめとする生物は、あまりにも同じだと同属嫌悪から争いになり、あまりにも違うと、相手を理解できずに争いになる。だから、近しい者というのは、微妙な違いを持ちつつ存在するのである。
アメリカ・インディアンの場合、そこに「全く異なる」アングロサクソンが侵略してきたわけである。そこからインディアンが壊滅するには、さほど時間が掛からなかった。
触れてはいけないものに触れてしまったアングロサクソンの末裔が、今のアメリカ人なのである。

アイヌに話を戻して、
アイヌ民族は、おそらく、和人に近い存在なのであろう。僕は、アイヌについてそれほどきちんと学んだわけではないので、正確なことはわからないが、元々は、アラスカのほうからベーリング海峡を渡ってきたという説もある。
彼らが縄文文化を築き上げ、南は九州から稲作文化が伝わってきて、本州の和人はその混交だという話も聞いたことがある。
アイヌには独特の神話があり、独特の儀式があるらしい。例えば、熊殺し。
アイヌの生活の糧である熊を、1頭だけ犠牲にし、村人全体で嬲り殺しにする儀式だという。
これは、熊を天国に導くことで、熊は神となりさらなる恵みをもたらしてくれるという彼ら独自の宗教観だ。
おそらく、北海道の厳しい自然環境の中で彼らが生きる知恵の中で生み出されていった宗教観であろう。
僕は、こういった隣人が近くにいると、とてもワクワクしてしまう。
いまや現存はしないらしいが、50年くらい前まではいたという、サンカの民なども、実際にいたらみてみたい。
それぞれの民族に、独自の文化がある。それは、地方ごとにちょっとずつ違ったその地の風習があるのと同じで、アイヌにも、サンカにも、それぞれちょっとずつ違った文化がある。
僕はきっと、彼らを理解することはできない。が、自分とは違った民族がいて、それをちょっと垣間見るだけで、世界は豊になるんじゃないかと感じる。
アイヌが文字を持たなかったのは、文字の必要性がなかったから、だろうが、それは時代の趨勢を読めていない単なる怠慢であり、それ故に自滅の道を辿るしかなかった、と一刀両断にするのは、ちょっと違う気がする。
それがために、自滅の道を辿ってしまったとしても、彼らは確かに、彼ら特有の、誰にももてない文化が存在していたのではないか?そして、歴史の非情な運命に飲まれて滅んでいったからといって、彼らが、劣った民族であった、と言ってしまい切り捨ててしまっては、それこそ人類そのものが、自滅の道を辿る気がする。

ここで、改めて、愛国心ということを考えてみたい。
僕は、どちらかというと、いわゆる右寄りの思想だと言われるが、世に言われる右翼だの左翼だのって一体なんなんだろう。
右翼は、領土・境界線を国の中に求めそこを保守する、左翼は、国境なんか必要なく全ての境界線を取っ払い世界は1つを目指す、といったところか。
だが、僕からすれば、そんなのは右翼も左翼もさしてかわりゃしない。
国家防衛、国際競争力を旗印にじゃんじゃん国の中をコンクリートで固めていく右翼は、国民は等しく同じであるべきである画一化を行うし、左翼は、世界の人は皆兄弟とばかりにじゃんじゃん外国人を受け入れ日本の風習・文化を破壊しまくり自分が何者かもわからない混沌とした世界を作り出そうとする。
どっちも同じようなもんじゃないか。
本当に国を愛しているならば、この国の山川草木を守りたいのではないか。
先祖から伝わる伝統・文化。そして日本固有の自然。
松尾芭蕉は不易流行と言ったが、世の中は目まぐるしく変化する。政治経済、社会情勢などその最たるものだ。だが、その根底には、未来永劫変わらぬ存在があるからこそである。
目まぐるしく変化する世界で、変わってはいけないものを守ること。
春が来れば、桜が咲き、花見へ出かける。
お彼岸には墓参り。
夏は七夕、盆踊り。秋祭りに月見。煤払い、初詣、節分。
鶯の鳴き声、秋の虫の声。夏はカブト虫にクワガタ。
たまに、少し遠くに旅に出かけて、ヨソの地方の風習に触れたりする。
外国なんて遠くじゃなくていい。電車に乗って無理ない距離くらいで。
その時、行った場所が、また変わることなく、次行ったときも同じだったら、なお嬉しい。
そういうのを守りたいと思う心が、愛国心じゃないのか?
なんというか、理屈ではないんだよねえ。
昔からずっとあるものが、ある時を境になくなってしまう。滅びてしまう。山に木がなくなったり川に魚がいなくなったり、良質だった海が道路になっていたり、そういうことがたまらなく気持ち悪く、異常気象、地球温暖化などで人類そのものに災いが起きそうで。。
大上段に構えて「俺は正しい、お前間違っている」とばかりに自分は世界の中心だと嘯いたところで何が変わるってわけでもない。ただ自分にできることは、自分は自分の守るべきものを守る。自分の住みかを守る。家族を守る。生活を守る。大切にしている身近なものを守る。
それでいいんじゃないか。
アイヌが、アイヌの文化を守ろうとしたこと。その結果滅びてしまったとしても、それがアイヌ人なりの愛国心だろう。それを僕は否定する気にはなれない。

最後に、知里幸恵の話をしよう。
明治末〜大正時代を生き、19年の短い生涯を終えた、アイヌ女性である。
北海道登別で生まれた彼女は、当時のアイヌ人としては珍しく旭川の実業学校へ進学。アイヌ語も日本語も堪能な秀才であった。
アイヌの口承の叙事詩「カムイユカラ」の謡い手だった祖母のもとに、内地より言語学者の金田一京助が訪れ、アイヌ言語研究のため、祖母から熱心に聴き取り調査を行っていた。
その金田一の熱意に心を打たれた幸恵は、東京の金田一宅へ身をよせ、「カムイユカラ」翻訳作業を行った。
幸恵は、重度の心臓病を患っていたが、その翻訳は『アイヌ神謡集』として完成させ、その晩、心臓発作のため死去。
『アイヌ神謡集』は現在まで版を重ね、岩波文庫から出版されている。
そして、この本の出版により、ほとんど絶滅しかけていたアイヌの伝統・文化・言語・風習が人々の知るところとなり、アイヌ伝統文化は消滅の危機を免れたのである。

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