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2020年02月16日16:47

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オッカムの剃刀

昔々、オッカムっていうおっさんがいて
そのおっさんが、まるで江戸っ子みたいに、
短気だったんだな。

イングランド人らしいが、哲学者で、
しかも神学者でもある。
哲学者&神学者のくせに短気ってのも、
困ったもんだしわけがわからんが、
回りくどい言い方とか、物事の説明に
不要な言葉で修飾することをひどく嫌っていたらしい。

たとえば、
「この料理は、私が丹精こめて作りましたから、
とっても美味しいですよ」
これがもう、イライラするらしいw
この場合、「丹精こめて」と「とってもおいしい」は不要。
「この料理は私が作った」それだけで十分ではないか!
というのがオッカムさんの考え方だったわけ。

まあ、ぶっちぇけていうと
つまんねぇおっさんなわけだな。

そのばっさばっさ切り捨てちゃう仕方から生まれた言葉が、
【オッカムの剃刀】。
切れ者の刑事のことでも、暗殺のプロのことでもないよ。
まあ、別の言い方では、【思考節約の法則】とか、
【ケチの法則】とかとも言うらしい。


さて、確かに、「この料理は私が作った」なら、
必要最小限の情報量で、
重要な知っておくべき情報は網羅できるわけだが、
はたして、それで本当に十分なのだろうか?

丹精こめて作ったか、適当に作ったかでは、
とうぜん、味に変化が出るはずだし、
美味しいか美味しくないかを事前に知っておくのは、
食べる者にとって、その期待度が違ってくるし、
その作用は実は食べたときの感じ方にも差をもたらす。
美味しそうと思って食べるものは、
実はそんなに美味しくなくても、
美味しく感じるものである。
キャンプや野外バーベキューで食べる肉が、
安い肉でも美味しく感じることってあるよね。
つまり、オッカムさんが不要だという部分も、
実は、重要な役割を果たしているということになる。

これ、実は言葉だけに限ったことじゃない。

【バイオニックジェミー】
というアメリカのドラマをご存知だろうか?
体の一部分をサイボーグ化した主人公が、
大活躍するって話なんだけど、
たとえば片手で1t持ち上げられるってのがある。
サイボーグなのは、肩から腕だけだ。
ってことは、それが接続されてる部分は
生態ってことだよね。
本当に持ち上げようとすると、
その接続部分が耐え切れずに、
持ち上げられないか、千切れる。

また足も両足がサイボーグなので
最大走行速度は95kmだそうだが、
走行時の激しい上下運動と空気の抵抗に、
生態部分が、耐えれるかどうかは、
かなり疑問だ。

この場合、オッカム式の考えでいくなら、
手さへ強けりゃいいじゃん。
足さへ速けりゃいいじゃん。
という感じになってしまうが、
先にも説明したとおり、
それでは、体全体を維持できない。
ということになってしまう。

というわけで、一見不要に見えても、
実はないと、とっても困るってことは、
たくさんあるということでした。


この【オッカムの剃刀】のもうひとつの側面は、
たとえば先の例でいくなら、
「丹精こめて」が、削除されたからといって、
「丹精」がこめられていない
というわけではないということ。
最初に「丹精こめて」を聞いた人にとっては、
オッカムによって削除された
「丹精こめて」は不要なもののように移る。
しかし、削除した後の言葉を聞いた人からすると、
「丹精こめて」は、不要なものではなく、
あったかなかったわからないものになってしまう。
つまりここで、異なった二つの解釈が
しかも、誤解によって生まれてしまうわけだ。

決定事項ではなく、ただの情報なのに、
完結してしまうという事態が生まれる。
しかも本来ひとつの意味のものが二つになって。

そして論争が起こるわけだなw

確かに、溜め込むのはよくない。
整理できなくなるし、汚くなる。
でも、不要だからというので、
片っ端から捨てちゃうのも考え物だ。
たまにあるでしょ。
もう使わねぇだろうと思って捨てた後で、
ああ、あれが有ったら
よかったのにぃってなことがw
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