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2020年01月27日16:49

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役立たずは始末するべきは正論である

弁護人はあいも変わらず植松聖の行動と大麻吸引とを結びつけたがってるが、それなら薬物に詳しい医学関係者を証人として招き、大麻を吸引すると「意識が逆転」し使用をやめた後にも効果が持続されるので、洗脳をする時には大麻は必要不可欠な薬物とされているといった証言をさせるべきである。
それを植松聖の友人の調書を持ち出して、意識の変化は大麻吸引と関わりあると「暗黙的に示そう」とするのは大麻使用者を貶めようというのと同じである。

裁判の場という性質上、「役立たずは不要か否か」の是非論がやり取りされないのは致し方ないものの、お上の決め事に従順すぎる人は日本社会では珍しくない。「寄らば大樹の陰」という言葉はあるけれど、それは同時に「思考停止」をもたらしてしまうことになり、お上が右といえば右の方向に、お上が左と言えば左の方向に向いてしまう奴隷さながらの状態を意味する。

植松聖の殺人の決意は大麻吸引時期と重なっていても、それはたまたまそうであったというだけのことである。日本は裕福になってしまったために、それまでなら処分されていたものを存続させ、その一方で大切に扱っていたものを「気楽に捨ててしまう」といった状況になってしまってる。それは所謂「大量消費時代」の特徴で、「価値観が逆転」してしまったためである。

食うものに事欠く状況であれば持ち物を大切にし、労働力として役に立たない人間は口減らしして、少しでも生活に余裕をもたせようとするものであるが、物質の豊かさに目を奪われててしまえば今述べた逆転現象となってしまうものである。
日本では食うにも困る生活をしている人はまずいないといっても過言ではないが、海外では貧乏すぎるために子供が学校には行けず、ゴミ捨て場で使えそうなものを探して売り僅かな金を手に入れている人達がいる。そのための資本は己の肉体のみで、肉体がだめになってしまえば餓死を意味する。なのでこのような観点に立脚すれば「生産性が見込めない人間」は始末をして、「浪費は避けよう」というのは将来をも見据えた視点からのものである。

ナチによるユダヤ人絶滅計画は今述べたこととは違って、ゴキブリに対してと同様の害虫駆除が動機であった。国を持たないユダヤ人は各地に住み着いて「悪どく稼いで」いた鼻つまみ者で、その代表格として「高利貸」が風俗画として描かれたこともある。
そのためにヒトラーは自己の信条に基づいて果敢にユダヤ人絶滅に尽力したものの、戦局がドイツに不利となってしまったために計画の完遂は頓挫してしまうこととなり、ユダヤ人は連合国との密約によって第二次大戦後にパレスチアの地に国を再建し、ゴキブリさながらに近隣諸国に攻め入ったのは歴史が示すとおりである。


相模原殺傷の公判、被告人質問
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5950451
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