mixiユーザー(id:2118534)

2019年08月13日02:12

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「誰かに評価されなければならない」という洗脳

現代人は「世間や他人からの評価」にやたらとこだわり囚われる人が増えている気がする。これがパンクロックとか流行った時代だと逆に「自分の生き方や有様が評価されない」ことが一種ステイタスになる世界もあったわけで・・・
他人から必要とされたい、価値を認めてもらいたい、高く評価されたい・・・
もはや時代の大衆心理と化したこの心理の背景には、人間を生命としてではなく製品として扱う前提で「いかに自分の市場価値・商品価値を上げていくか、いかに高く買い取ってもらうか」という発想がある気がする。

これは多くの人にとって「人材として高く買ってもらうこと(買い手に依存すること)」が生存戦略になっている時代の反映ともいえる。だから「自分に高値が付くことは生存する上でメリットとなる」と短絡的に考えがちだが、「高値のつく人間像」として持て囃される条件は即ち、「何者かにとって都合のいい人間像」であり、そのような「好まやすい人間像」の条件の中にはしばしば「ぞんざいに扱おうが尊重されなかろうが使い捨てられようが犠牲になろうが文句を言わない(泣き寝入りしてくれる)」という条件が入ってたりする。
そうなった場合、自分が「高く評価される(高く買われる)」ということは必ずしも生存戦略にならない。むしろ生存に不利になるかもしれない。バカにされてるのと変わらないかもしれない。
そんなタイプの評価など、所詮は「どの程度都合がいい存在なのか」の判断でしかない。くれぐれもある種の「評価」を「愛情」と混同しないようご用心。

自分を好きになる(自己肯定する)ためには何も他人から「必要とされる」必要はないし、他人から評価される必要もない。自分の人生の中にささやかでも喜びや楽しみを見出せれば、ささやかでも自分なりの生きる喜びを見つけたことになる。そんな自分なりの喜びを作るのに最も不可欠な存在が、「自分自身」という地球で唯一無二の生命体なのだ。

「必要とされる必要がない」
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-759a.html
中二病の有効活用
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-b51c.html

■自己肯定感の低い人々の悲痛な叫び「私なんかと会いたくないと思うから遊びに誘えない」「思ったことが言えなくてバカにされる」
(キャリコネ - 08月12日 08:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5745162

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