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2019年04月18日15:59

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「天真療法」案内55

前回、「習慣、嗜好が第二の本能」となって「美食を貪り求める」不健康な者が「食べたいと思った物」と「食べたいと思った時」をどのようにコントロールするかを見ていきたいと思います。このことに関して春充は、次のように言います。
然(しか)らば、如何(いか)にして、胃腸の働くようにすべきか。如何(いか)にして、胃腸が働いても、害の無いように、する事が出来るか。曰(いわ)く、自然に、働きを要求する位置に、胃腸を置け。
胃腸をして、自然に、働き度(た)がる状況に置くとは、真の飢えを感じさせることである。飢えを感じさせるとて、断食などの不自然な方法(胃腸に疾患ある者が、特別に断食する場合は別として)に倚(よ)るのでは無くして、自然の生理的飢餓を感じさせるのである。(独特なる 胃腸の強健法 P.110)
その「生理的飢餓」を感じさせるためにはどのようにしたらよいのかと言いますと、
生理的飢餓は、組織の新陳代謝によって、生ずる。代謝機能を旺(さか)んにするのには、平静な精神を以(も)って、適当の労働と、物理的運動をなすの外(ほか)、ギリシヤの哲学者の如く、日中、提灯を燃(と)ぼして、天上天下を、捜し廻(まわ)った処(ところ)が、他に良法は、断じて無い。(独特なる 胃腸の強健法 P.110)
ここに出てくるギリシアの哲学者とは、犬儒派として知られるディオゲネス(B.C.412〜B.C.323)のことです。彼は、昼間にランプをつけて歩きまわり、何をしているのかと聞かれると「人間を探しているのだ」と答えたと言われます。ここでは、この逸話を引き合いに出しています。さて、「生理的飢餓」を感じさせることは、ここでも拍子抜けするほどシンプルです。生理的飢餓は新陳代謝によって生じるので、落ち着いた精神で、(肉体)労働と運動をして代謝機能を盛んにすること。たったこれだけです。ここでも、平凡、当たり前の行為、日常の労働そのものがが「自然の真」となっていることにご注意下さい。
このことを、野生の動物の生活を引用して次のようにも説明しています。
野生動物は、鳥にせよ、獣にせよ、胃腸病になど罹(かか)らない。寿命も、人間が飼って居(い)るものよりは、倍以上もの、相違があるとのことであるが、これは、彼等が、自然に親しんだ生活をなし、新鮮な物を食して居る為(た)めばかりでなく、僅(わず)かの食物を、アチコチから漁(あさ)る為(た)めに、駆け回り、胃腸は、活発なる運動を開始し、且(か)つ寄せ集めの食物で、種々の成分を摂ることが、出来るからである。(独特なる 胃腸の強健法 P.113〜114)
野生動物が、食物を得るために駆け回ることにより新陳代謝が活発になり、そこに自然と生理飢餓が生じます。また、新鮮で様々な物をとることにより栄養のバランスもとれていると言います。
而(し)かも彼等は、理性に訴えて、食物を採るのでは無くして、本能の食欲によって食うのであるから、飢えを感ずるのでなければ、熱心に、食を求めることをしない。従って、其(そ)れが本当の、生理的食事時間に近いのである。(独特なる 胃腸の強健法 P.114)
人間は、理性と習慣で食事をとるため、不必要な食事をとったり、逆に必要な食事を抜かしたりするわけです。
彼等(かれら)こそ、『まさに餓えて、食し』で、食事時間は、寧(むし)ろ規則的になって居(い)る訳である。而(しか)して、彼等(かれら)の食物は天然のままで、俎(まないた)や七輪(しちりん)の力をからず、凡(すべ)て自己の摂取作用によって、料理せらるるのである。これ彼等(かれら)が食物のために病に罹(かか)らず、却(かえ)って、益々頑健に導かるる、最大原因の一つである。(独特なる 胃腸の強健法 P.114)
ここに「天真療法」の始めに引用されていた「飢え来たらば飯を喫し、倦み来れば、眠る。只この修行、玄更に玄」(腹が減ったら飯を食い、疲れたら眠る。ただこの修行だけが、奥深く、最も深い真理なのである)という言葉が関係してきます。こう見ますと野生動物たちは、現代人にはまね出来ない「玄更に玄」な生活を送っていることになります。
(写真は、一乗寺全景)
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