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2019年01月15日16:52

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“一億総子供社会”に、成人の定義はもはやないのも同然。

〜新成人の皆様、成人おめでとうございます〜

という祝辞文言、果たして当人新成人諸君らにとって率直に喜ばしいことだと
感じているのか、近年疑問に思ったりしている。

随分遠くに過ぎ去った自身の頃の「成人(大人)」感は、何をやるにも制限があり、
文化社会全般の領域には足を踏み入れることが出来ない
「子供の領域」から出られること・・即ち、あらゆる権限を取得出来る利点が大きい、
という風に概ね考えてたフシがあり。平たく言えば「餓鬼の世界から卒業出来る喜び」。

何故なら、世俗文化全般を眺めれば、およそどの世界もメインストリームにあるのは
「大人文化」だったから。勿論、子供を対象にした「子供文化」というのも
それなりにあったが、棲み分けが明確化されていて、大人側がその敷居を跨ぐのは
それこそ「幼稚」であり、一端の大人が子供文化を享受するなんて構図は、
世間一般大人社会からみて「異常者」の如く扱われる空気にあったのであり。

裏返せば、子供領域にわざわざ逆戻りしなくても、大人文化が充実していて、
尚且つマーケット全体が大人を対象にした構成になっていたからだ、と言える。

テレビ文化一つ眺めても、子供向けのプログラムと大人向けは明確に分類され、
大人向けは大筋で“均一化(平均化)”されており、ざっくり言えば20歳そこそこから
老人域(当時は概ね60歳辺りが境だった)の手前まで、“味わい”そのものは
それほど大きな段差なく共有出来る文化の根底にあった。

その中で、青年成人域(20歳前後〜30際程度)に絞っても、アクターなら例えば
萩原健一(ショーケン)や松田優作らのように、若さの勢いと対になって
「大人のダンディズム」のテイストがふんだんに溢れ、作品の中に僅かの幼稚さが
あったとしても、大人のテイストによって子供っぽさが殆ど打ち消されていた。

音楽だってそうだ。子供や未成年若年層向けの如き、アイドル歌謡の分類があり、
成人以降が享受するのは半ば“ご法度”のような空気感さえ、暗黙の内に存在していた。
他方、演歌やムード歌謡から始まり、四畳半フォークやニューミュージックへの
系譜一つとっても、およそ「大人世界への憧れと背伸び」が源流で、
それ即ち「子供世界や文化への反抗」と言った側面さえあった。

何より、大人を彩るアイテムでもあった「酒やタバコ」。
成人に許された“嗜好品”であり、あらゆる場面で大人を象徴する代物だった。
つまり、嗜好とは「大人だけの特権」であり、言わずもがな法律で明確に子供と
分類分けされていたわけで。その他「遊びの世界」一つ観ても、
パチンコや競馬(正確にはパチンコは18歳で競馬は大学生でも不可だが)、麻雀、
そして夜のお遊び・・華やいだ世界は全て「大人文化」だった。

だからこそ、物心つくようになる子供から青少年期は、そんな大人文化や世界が
羨ましく映り、「早く大人になり、大手を振って誰にも咎められることなく堪能したい」
という欲求が総じて高まっていたわけで、それを待ちきれないがゆえ、
時に未成年の青二才達が足を踏み入れては、法的にも大人社会からも弾き飛ばされ、
見えない壁に喘いでは大人になる日をひたすら待ちわびていた。

理屈として、そんな大人文化を享受するには反対にあらゆる“責任や覚悟”を
要するのだが、その重さよりもメリットの方が遥かにでかい・・
そう信じてやまなかったし、20歳手前や成人直後頃なんて、責任や覚悟の意味が
そう簡単に早く理解出来る道理もなかったのが実態でもある。
だからこそ、若さゆえの破天荒さや舐めて掛かった反動により、「大人社会」の
厳しさや不条理さも同時に感じ取るようになり、ほろ苦い世界でやけ酒を煽るという、
それ自体が“大人風情”の一端にもなった所以。

それが今はどうか・・。
子供文化と大人文化の境がまるでない。マーケットに大人文化としての明確な分類が
ないばかりか、寧ろ「子供文化」がメインストリームではないかとさえ。
いい大人がゲームに夢中となり、元来はかつての「11PM」に象徴されるように、
深夜帯こそ大人世界だったはずのメディアでは、少女チックなアニメが流され、
深夜起きている大人がニマニマと興じているという構図。

音楽文化は、大人になりきれない、大人社会の壁に喘ぎ途方に暮れる世界観を、
ターゲット外の大人がこぞって涙浮かべ、片や若年向けとさえ言えるはずの
「アイドルタレント・音楽」を、中年や壮年までもが夢中で追っかけ廻すという・・

大人のアイテムはっていうと、酒やタバコさえ手を出さないばかりか、
それを一元的に排除すべくな大人社会、酒の世界や夜の世界さえ拒絶する
「無菌室での大人」が社会を構成するに至るという実態。

世の中ぐるりと見回しても、大人の特権や大人ならではの嗜好など、
もはや特異な分類にさえ扱われるかのような状態に。

とどのつまり。こうなると特段「成人になる必要性がない」。
成人になる特権も殆どない。あるのは法治国家の外形上、選挙権などの社会要件だが、
それとてもう18歳に引き下げられた現状下、大人と子供の分類や境目を見出すこと自体
困難なばかりか、境目や定義することも空虚。

それでいて、かつてのような「大人としての自覚や責任」を“子供な大人達”が
居丈高に唱えるばかり。しかもその正体は「無責任な自己責任論」という始末だ。

どでかく、事実上処理しきれないヘビーな自己責任ばかり迫られては、
結局「成人になるのはデメリットが大きい」となる。だからこそ、いつまで経っても
大人が大人になりきれず、それを観た未成年は大人になりたがらないのだ。
責任ばかりいきなり押し付けられるだけで何の得もないだからだ。

新成人達が成人式で乱痴気騒ぎをするのは、何も育ちが悪いとか親の教育が悪いとか、
そんな単純な理由ではなく、子供が“大人子供社会”に対しての空疎感を、
あるいは無益であるのを何処かで理解しつつの「反抗心」なんであり。

実のところ、成人式はもはや「晴れの式典」でも晴れの門出を祝う式ではなく、
「地獄世界へようこそ」の式典に成り代わった、という理解の方が正しいと思うが。

その意味で、近年成人が成人式を重視しなくなっているのは、
「一億総子供社会」や「大人子供社会」を前にした、“希望感の喪失”に拠る忌避だろう。
せいぜい、女子が晴れ着を着るという希少な機会ぐらいにしかなくなった、と。

本当に、成人式がおめでたくお祝いだと思う新成人がいるとすれば、
ある面で非常に特異で、悪い意味での「貴重な存在」なのかもしれない。。

■ズバリ質問! あなたは自分の「成人式」に出席しましたか?
(TOKYO FM + - 01月14日 19:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5456254
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